2022.12.23 改訂しました
縄文時代の二つの味方
1.縄文時代には10,000年間
農耕は無かった、太陽暦も太陰暦も無かった
ストーンサークル
2.縄文時代草創期から農耕は始まっていた
太陽暦はあり太陰暦もあった
農耕開始時期に土器が発明され、その後弓矢猟が、魚釣り漁が開始された
この時期から土器は煮炊きにも使われるようになった。その後貝塚も作られる
生産手段の画期となるこの歴史は、土器に造形して記録され残された。
歴史はここから始まった
火炎土器、火焔式土器、尖底土器
草創期の生産手段開発の画期と、早期の暦開発の画期
3.弥生時代に縄文文化は消えていた
これまでアズキは弥生時代に伝わってきたもの、大豆も伝わってきてものとされていたことから
持続農耕の縄文文化は消えていた
平原王墓、纏向石塚古墳、ホケノ山古墳の時期には立春観測の痕跡があることから
まだ一部には残っていたかも知れないが
その時期以後、人口が10倍、水田稲作民の組織力の前に縄文文化には抗する力は無かった
焼き畑、祭として内陸高地には残った縄文文化はあるのかも知れない
ヤブツルアズキ アズキの原種
ツルマメ類 大豆の原種
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その一つがリョクトウである。1970年代に鳥浜貝塚からリョクトウ(という説)が見つかったことが国際シンポジウムAffluent foragers(狩猟採集社会の成熟)で報告された。ところが、出版にあたってアメリカ側から「信じがたい」と強硬なクレームがついた。編者として困ってしまい、それでも何とか押し切ったのだが、後味の悪さが残った。
ところが、今日ではこれは野生種のヤブツルアズキであると落ち着いている。しかも、その分布域に入る日本でアズキが栽培化された可能性すらあるという。
さらにいえば、おなじ豆類のダイズも野生種のツルマメの栽培化が日本で始まったという説が出ている。これは圧痕レプリカ法(土器についた圧痕にシリコンを流し込んでサンプルを作成し、電子顕微鏡等で調べる)で明らかになったもので、混入でないことは確実である。
もう1つヒョウタンが思い浮かぶ。これも鳥浜貝塚から出たものだがアフリカ原産とされていたので、拡散の道が分からない。そこで、植物学者の中尾佐助先生に聞きにいったところ、「ヒョウタンは海にぷかぷか浮いてきたのかなー」といういかにも先生らしい答えだった。これについても、最近ではDNA分析が加わって東アジア原産の可能性もあるとされている。
こうみると5000年前までに日本で発見された栽培植物の数の多さに驚く。主なものでも
アサ、ウルシ、エゴマ、アブラナ、ゴボウ、アカザ、ヒエ、ダイズ、アズキ・・・。この時代すでに、立派な農耕文化があったと言ってよく、そう認定しないのを外国の考古学者は不思議がる。
その理由として、日本では縄文時代は狩猟採集段階にあり、農耕が始まるのは弥生時代からとされていたからである。そのため、栽培植物はすべて弥生時代以降に大陸から伝わったものと断じられていた。とくに野菜類については辞書などにはそう書いてある。
それはやはり学問の主流が文化一元論であったからである。つまり、中東(メソポタミア文明)に「肥沃な三日月地帯」があり、そこで栽培化された小麦(他の栽培物も)が世界に伝播したというヨーロッパで構築された理論がそれである。考古学でも.チャイルドの文明論が大きな影響を与えていたのである。
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一方,日本のダイズ属には,野生のツルマメ(Glycine max subsp. soja) と 栽 培 ダ イ ズ(Glycine max subsp. max),両者の特性をもつ雑種が存在する。
日本列島で最も古いダイズ属の試料は,宮崎県王子山遺跡の縄文時代草創期のツルマメで,その利用が今から約13000 年前に開始されていることが明らかにされている 3)。
縄文時代早期以降,全国でツルマメ型の検出が増加するが,縄文時代中期になると,明らかに野生ツルマメよりも大型の種子が目立つようになる。このことから,遅くとも縄文時代中期には,栽培ダイズが存在した可能性が高まってきた。
ササゲ属アズキ亜属は,アジアヴィグナ(The Asian Vigna)ともいわれ,友岡らによる研究では,3 節 21 種類が存在し,この内 6 種については栽培型が存在することが明らかにされている 4)。筆者は,現生 21 種類のアジアヴィグナと縄文時代の土器から検出されたアズキ型の種子圧痕の形態や臍へそ構造の比較を行い,それらが植物種としてのアズキ(Vigna angularis)であると特定した 5)。
アズキには,野生種であるヤブツルアズキ(Vigna angularis var. nipponensis)と栽培アズキ(Vigna angularis var. angularis),両者の雑種が現在でも知られている。
縄文時代早期以降継続的に検出されるアズキ型の種子を比較すると,ダイズ属と同じように縄文時代中期以降,ヤブツルアズキより大型の種子が混在し,増加することが明らかとなってきた。
図 2 縄文時代のシソ属果実比較
果実の中には,大型のエゴマ,小型のシソなどが含まれる。
図 3 縄文土器から検出されたダイズ属の種子圧痕
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ダイズの起源地
具体的なデータを示すことは控えるが、いくつかのことが明らかになってきた。
(1)ダイズの遺伝的多様性は、ツルマメに比べ低い。
(2)ダイズのミトコンドリアや葉緑体では、地域特有のツルマメと共通するタイプが複数認められる。
(3)ダイズを核の遺伝的差異でクラスター分析すると、中国と日本に別れる。朝鮮半島産は日本に似るが、中国に属するものもある。
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天御中主が弥生中期初頭(紀元前4世紀初頭)に福岡市早良平野の吉武・高木遺跡に降り立った最初の王です。天は海を、中は奴と同じナーガ=龍蛇神を意味し、揚子江河口のナーガを信奉する海洋民族倭人の王という意味の名前です。那珂や那賀、長柄、中山などの地名は倭人が開発した場所の地名ですよ(^_-)-☆
二世紀初頭の第18代奴国王スサノヲの時に宮中楽師帥升(伊都国を王都とした師升)らのクーデターにより、奴国王族の一部が出雲などの日本海沿岸に逃亡し、吉備を平定して纏向遺跡でヤマト王権を作ったのが日本の起源です。