金生遺跡では32波状突起口縁の土器が出ていた
32波状突起口縁の土器
これは24波状突起口縁の土器ですが
波状突起口縁
365日/2 182日 半年の日数 2
182日/2 91日 二至二分 4
91日/2 45.5日 四立 八節の暦 8
45日/2 22.7日 16
22日/2 11.3日 32
32波状突起口縁の土器とはこの事を示しているのだろうか
もしそうならそのような日数の数え方があったのだろうか
11進法でカレンダーとしていたのか。
しかしこの方法からは月の暦 太陰暦の一弦 15日刻みとシンクロさせることは出来ない。
配石先端をノーモンとする観測では22日、11日という区分の観測は行われていたかも知れない。
観測経過の形跡が配石の石棒として残されているかも知れない。
太陽暦はその後の進化は 1/3 という操作を執ることになった
金生遺跡出土の 3突起土器
45日/3 15日 二十四節気の暦 月相の上弦と下弦に合う
8節 45日刻み
8節*3 24 二十四節気の暦
8節*4 32
さらに 15日/3 5日刻み 七十二候のカレンダー
太陽暦は一週間が5日のカレンダー 5進法になる。
金生遺跡出土の 8波状突起口縁の土器
おもろいことは月の暦は30日/2 15日
15日/2 7日 一週間の日数
太陰暦では 1/3 という操作はしていない
太陽暦とシンクロした後、月の暦が採用されていた
一月 30日、 一週間 7日
32波状突起口縁の土器の出土、このことから、金生遺跡の成立は1/3という操作を開発する以前から存在したと想像しても良いのだろうか。
金生遺跡での立春観測は、太陽暦から出たもので、ここでの月相の観測から朔旦立春を観測して、1/3という操作を編み出していたのだろうか。
どのような経緯だったものか興味がある。
写真はお借りしました