前方後円古墳の中軸が南東方向を向く古墳
その中でも前方部を東に向けている古墳は、ほぼ45度に近い方向を示しているように見える。
古墳の中軸方向については記載が無いものが多く、仕方ないので古墳を図示している地図から読み取って独善的に判断してみた。
水田開発に当たっては先ず暦を示すための古墳が作られたものと考える。
纏向石塚古墳と同じように、そこの古墳群では最初に作られて、暦の基準を示していたのだろうか
津堂城山古墳 河内開発
ホケノ山古墳
太田茶臼山古墳 北河内三島開発
将軍山古墳 北河内三島
行燈山古墳 柳本
前方部を南から東に45度 津堂城山古墳
太田茶臼山古墳 前方部を南から東に45度
これらの古墳の前方部の方向は立春の方向を示しているとしても良いのではないだろうか
半年 183日/2 91日 春分の日の日の出方向
91日/2 45日 立春の日の出の方向
山のない平らな地域では、立春の日の出を山の峰の位置から読み取るのは困難なので古墳を作り前方部を日の出方向に合わせ、その後円部に立って日の出を見たのではないだろうか、纏向石塚古墳で日の出の時に三輪山の影を鏡で照らすようにしていたのと同じようにそれに倣って。
その方法は強力な政権が出来、今城塚古墳のような南北方位をとる古墳の成立と共に、冬至と夏至を見て、月の満ち欠けに合わせる太陰太陽暦を採用する時代にはそのことは忘れられたのではなかろうか。
訂正します。今城塚古墳はその後の調査で立春方位のようです。
チャイナ・騎馬民族の政治手法が入り、強力政権が成立して、暦が支配の道具となり、縄文時代以来の太陽暦は廃止された。
これら以外に
後円部を立春方向に向けている
土師ニサンザイ古墳
行燈山古墳
後円部を立春の日没を見る方向に向けている
大山古墳 立春の日没を見る
上石津ミサンザイ古墳
岡ミサンザイ古墳
こうした古墳も向けている方向は暦検知の立春を指しているように思う
図はお借りしました