金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代の農耕開始

大型動物がいなくなり、中小の動物を狩りの対象にすることになっても、そうした動物を狩りの対象に出来る道具が開発できていなかった。
その間の食料獲得に努力したのは植物からの食料獲得だったのでは無いか。
その一つとして、マメ類の採集も始まったのだろう。
食料として豆類を集めようとすると、それまでのように、
籠に集めてもそのサイズが小さいため、籠では目漏れしてしまい効率が悪くて仕事にならない。籠からの目漏れを防止するための工夫として、籠に粘土を貼り付けることにしたのだろう。そうこうしている間に、それを焼くことで固く出来ることに気が付いて土器を造ることを始めた。
マメ集めの土器は無文土器だった
すると土器の容器は籠に比べて保存性が良く
翌年の種蒔きは上手く出来るようになった
マメ栽培の初めであった
それを記念して豆粒文土器が供献土器として造られた
土製品は具象的に作ろうとすれば、縄文時代の土器工人は作ることが出来ていた

   


それから考えると、この豆粒文土器は、抽象性は無いので、具体的にマメを表現しているものと見て良いと思う。


つまりこの土器の示しているものはマメであり、縄文農耕は豆類から始められたと考えて良いのでは、しかし栽培は始めても、確実に収穫を上げるのは、簡単では無く、なかなか大変な困難があった。特に種蒔きには季節の判断が重要で、それには太陽暦の開発が必要だった。栽培初期の草創期には無理でも、しかし縄文時代早期には 4波状突起口縁の土器が造られているので、太陽暦が出来上がったことが分る。したがって、この時期に農耕が開始されていたと考える。

 


農耕が実際に生業として成立した時期は、打製石器が増加することから、作物としての改良が出来上がった前期から中期初めになるのだろう。
早期から受け継いできた要素を前期に発展させ、その中でも農耕が生業として大きく寄与するようになって、それは土器にも表されて、それまでの縄文を主とした模様から、大きく違った模様が付けられるようになった時期になるのだろう。

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

この中で特筆すべきは、約1万3千年前の世界最古の土器『豆粒文土器』が出たことである。

 泉福寺洞穴からは、押引文土器、爪形文土器、隆線文土器など土器のはじまりを示す土器がつぎつぎと発掘され、それと同時に細石刃も出土した。
 そして、それまで最古と言われていた隆線文土器の下の層から豆粒文土器が出土したのである。
 その後、青森県大平山元?遺跡や、神奈川県の相模野149号遺跡などで約1万3千年前の縄文草創期の無文土器が発見されている。

 また、押引文土器の上の層からは、条痕文土器とともに多く矢じりが出土し、弓矢による狩りが始まったこともわかる。温暖化による、小型動物の出現ともかかわっているようだ。
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 打製石斧の増加についてはすでに前期後半諸磯式期に確認できる。
さらにイノシシ飼養や土偶の五体化なども含め中央墓坑型環状集落の形成、遺跡の増加などの現象がみられるこの時期を、評者は中期に向かう大きな胎動期とみている。しかし栽培型マメ類はまだこの時期には確認されておらず、期待のみ残る。
 なお中山氏が大型化原因の一つとして考えた、「異なる地域のダイズ属が交配することによってさまざまな特徴をもった雑種が生じ、その中から有用な形態が選抜され固定化されていった」ことは大変重要かと思われる。というのも前期終末から中期初頭は人の交流が実に活発化した時代である。
土器から見ても、日本海から太平洋岸、東北・中部・関西方面といった交流が促進される時期なのだ。八丈島倉輪遺跡からは河西学氏が胎土分析により甲府盆地方面との関りを指摘した土器をはじめ各地域の土器や北陸・中部とも繋がる石製品も出土しているのだ。中期中葉に繋がる不思議な動物造形が土器を飾り始める傾向も、この時期広範囲に伝わっている。
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発見史
1973年(昭和48年)、泉福寺洞窟の第4次発掘調査の際、それまで世界最古の土器と考えられていた隆起線文土器しか出土しない泉福寺洞窟の第9層よりも、さらに古い第10層から発見された。泉福寺洞窟の発掘調査を指導していた、國學院大學講師(当時)の麻生優によって命名された[2]。その後、1975年(昭和50年)の第6次発掘調査では、第10層より下の第11層では豆粒文土器のほぼ完全な個体が出土し、隆起線文土器の一種ではないことが明らかになった[3]。

特徴
器形は、ラグビーボールの一端を切り落としたような外形をしており[1]、胴部がやや膨らみ、丸底に近い平底である。当初はU字形の外形に復元されていた[4]。
豆粒状の粘土粒が、口の部分から胴体部分にかけて貼り付けてある。口縁に約1.5センチメートル間隔、胴部には3 - 4センチメートル間隔で粘土粒が並ぶ[4]。表面下方と内面には粘土粒はない[1]。
破片には繊維を混入した土器もある。また、補修時の穴もみられる[4]。

土器の表面胴部に煤(すす)が付着していたことから、・・・
泉福寺洞窟以外では明確な出土例がない。
長崎県福井洞窟や鹿児島県加治屋園遺跡などの隆起線文土器が出土した土器で豆粒文を有する土器片が出土しているほか、関東地方でも同様の破片が出土している[1]。
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豆粒文土器(とうりゅうもんどき)
2016/03/04

長崎県佐世保市の泉福寺洞穴(どうけつ)遺跡で発見された縄文草創期の土器。長さ1cm,幅0.5cmほどの粘土粒を口縁部直下や胴部の器面に点々と貼りつけた豆粒文が特徴。口径約13cm,高さ約24cmで,胴部に最大径をもつ丸底の深鉢形土器。この土器は,同遺跡第2洞から検出されたもので,出土した土器群のなかで最も下層に包含されていた。最古の縄文土器と考えられていた隆起線文系土器が7層~9層に包含されていたのに対して,豆粒文を貼付した土器は主として10層に包含されていたことから,隆起線文系土器よりもさらに古い最古の土器として報告され,縄文土器の起源論に重要な新知見をもたらした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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日本列島を含む東アジアでは1万年前(紀元前8000年)を超えるような土器が多数見つかっている[5][19][25]。
1970年代には、長崎県佐世保市の福井洞窟出土の土器が1万2000年前から1万年前頃のものといわれ、当時は、日本最古というばかりでなく世界最古の土器といわれた[19]。
また、同じ佐世保市で麻生優らが調査した泉福寺洞窟出土の豆粒文土器には1万3000年前~1万2000年前という年代があてられて世界最古の土器であるとみられた[8]。
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縄文土器の出現はどうやら氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いものだが、大陸側の極東地域[2]には同時期の土器文化の存在が知られ、東アジア一帯で世界最古期の土器が同時並行的に出現したとみられており、相互の関係が注目される。


現在までに知られている日本列島最古の土器は青森県大平山元I遺跡や茨城県後野遺跡(うしろの)・神奈川県寺尾遺跡[3]などから出土した文様のない無文土器[4]であり、大平山元I遺跡から発見された土器の年代測定の算定は16,500年前(暦年較正年代法による)とされている。

また、愛媛県久万高原町美川の上黒岩岩陰遺跡の最下層の第9層から細隆起線文土器、第6層から薄手の無文土器、第4層から押型文土器と厚手の無文土器が出土している。その中でも細隆起線文土器は約1万2000年前のもので、日本最古級の土器の一つである[5]。

日本列島最初の土器は次の4段階をたどると考えられている。まず最初の第1段階は無文土器[6]を特徴とし、第2段階は豆粒文土器[7]と隆起線文土器群[8]であり、第3段階は爪形文土器群[9]であり、第4段階は多縄文土器群[10]である。
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縄文土器は1万4500年以上の長い間作り続けられ、その文様も人類史上比例ない豊富なものだった。弥生時代から現在までは約3000年しか経過していないので、磨製石器の出現から見れば、日本の歴史はおよそ九割以上が岩宿時代と縄文時代だったことになる[34]。

旧石器時代の終末に、長崎県で豆粒文土器(佐世保市・泉福寺洞窟)、本州では無文土器が出現している。一般に土器は、運搬・貯蔵・煮炊きに使われるが、出現期の土器の役割はまだ十分解明されていない。
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この細石刃文化期(14,300~12,000年前)の遺跡は、全国で500個所を優に超える。特に遺跡密度が高いのは北海道と九州で、近畿地方では遺跡数が極端に少ない。

石材は黒曜石、砂岩、チャート、流紋岩、ガラス質安山岩、硬質頁岩などである。つまり、その地域で利用できる岩石が用いられた。

この文化は、細石刃核の形態や製作技術に地域的な変化が顕著であり、それが特徴である。 北海道の細石刃核は、湧別技法として知られる白滝型・札骨(さつこつ)型・峠下(とうげした)型・蘭越(らんこし)型、忍路子(おしょろこ)型、幌加(ほろか)型、射的山型、紅葉山型などに類別される。この湧別技法やその影響を受けた細石刃剥離技術は、津軽海峡を越えて山形県、新潟県、茨城県など東北地方の北半分まで拡がっており、荒屋(あらや)型彫器を伴って検出される。 一方、西北九州を中心に、福井型と呼ばれる細石刃核が存在する。

この石核には、縄文時代の草創期の土器である豆粒文土器、隆起線文土器、爪形文土器などを伴う。このほか南九州を中心に畦原(うねはら)型が知られる。 野岳[1]・休場型細石刃核は、関東・中部地方から九州までの広い地域に広がっており、円錐形、半円錐形、角柱状などの形をしている。 また、船野型細石刃核も宮崎平野、大野川流域から近畿南部、東海を経て中部南半分、南関東まで広く分布している。

大きく分けると、日本列島の細石刃文化は、北東日本の楔形細石刃と南西日本の野岳・休場型や船野型細石刃の二つの分布圏に分かれる。前者はシベリアから北海道を経由して本州へ、後者は中国黄河中・下流から九州を経由して本州へ及んだらしい。この文化段階で、北方から相当数本州へやってきた可能性が否定できず、後期旧石器人がそのまま縄文人になったわけではないと想像できる[2]。
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「豆粒文土器と隆起線文
 日本最初の土器は、神子柴文化圏で生まれた無文土器だが、その後、隆起線文土器という土器が日本の広い範囲に広がった。
全国的に見ると2番目の型式となるのが隆起線文土器だが、この土器は意外な所から始まった。

隆起線文土器は有舌尖頭器という石器を伴う事が多いが、九州では、細石刃と一緒に出土する事もある。
細石刃の方が有舌尖頭器より古いので、隆起線文土器は九州で生まれたと考えられている。

佐世保市の泉福寺洞窟では、隆起線文土器より下から、豆粒文土器という土器が出土し、約12000年前の物と推定された。
同じ佐世保市の福井洞窟では、やはり約12000年前と判定された隆起線文土器も見つかっている。
これらは大平山元1遺跡の土器を除けば、日本で最古級のものである。
豆粒文土器として生まれた土器が、長崎県の佐世保市で隆起線文土器へと型式変化し、その後全国へ広まった可能性が高い。
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 縄文時代最古の土器は、口縁部に粘土粒を貼り付けた豆粒文土器で、
長崎県泉福寺洞窟(せんぷくじどうくつ)最下層から、旧石器時代に流行した細石刃に伴って発見されたものである。器壁(きへき)は薄く、豆粒文以外には全く文様のない無文土器である。類品は新潟県壬(じん)遺跡や栃木県大谷寺洞窟(おおたにじどうくつ)にも見られるが、関東地方では他に例を見ない。

 豆粒文土器の次に現われるのは隆線文系土器様式で、口縁部に粘土紐をめぐらせた隆線文土器と、隆線の細線化した微隆起線文土器がある。この段階になると九州から東北地方南部まで広範に分布する。

この後には人間の爪あるいは半截竹管で文様をつけた爪形文土器様式が現われ、縄文を用いた多縄文系土器様式へと続く。
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 以下、草創期の出土物を列挙する。佐世保市の泉福寺洞窟から、約1.3万年前の豆粒文土器と約1.2万年前の隆線文土器。
神取遺跡(山梨)から隆起線文土器。鳥浜貝塚(福井)出土の漆の枝は世界最古の約 1.2万年前のものである。
浦入遺跡(舞鶴市)から網漁に用いられた最古の打欠石錘。
粥見井尻遺跡(松阪市)や相谷熊原遺跡(東近江市)から最古級の土偶(通称縄文のビーナス)出土。
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この文化は、細石刃核の形態や製作技術に地域的な変化が顕著であり、それが特徴である。 北海道の細石刃核は、湧別技法として知られる白滝型・札骨(さつこつ)型・峠下(とうげした)型・蘭越(らんこし)型、忍路子(おしょろこ)型、幌加(ほろか)型、射的山型、紅葉山型などに類別される。この湧別技法やその影響を受けた細石刃剥離技術は、津軽海峡を越えて山形県、新潟県、茨城県など東北地方の北半分まで拡がっており、荒屋(あらや)型彫器を伴って検出される。

 一方、西北九州を中心に、福井型と呼ばれる細石刃核が存在する。この石核には、縄文時代の草創期の土器である豆粒文土器、隆起線文土器、爪形文土器などを伴う。このほか南九州を中心に畦原(うねはら)型が知られる。 野岳[1]・休場型細石刃核は、関東・中部地方から九州までの広い地域に広がっており、円錐形、半円錐形、角柱状などの形をしている。 また、船野型細石刃核も宮崎平野、大野川流域から近畿南部、東海を経て中部南半分、南関東まで広く分布している。

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中期:5,500年前 ? 4,400年前
縄文時代中期に入ると土器の文様や装飾が豊かな大型の土器が使用されるようになります。口縁部を炎の様に飾ったいわゆる火焔土器はその装飾的な見た目から、祭祀用に使われたと言う説もあります。

中期の前葉・中葉の頃、関東地方東部を中心とする地域に分布する阿玉台式土器は、特徴として胎土中に金雲母片が混入しているため土器の表面がキラキラ輝いています。

後半になると加曽利E式土器と呼ばれる口縁部が丸くふくらむ深鉢が現われ、文様はしだいに簡素化されていきます。加曽利E式土器は関東全域と分布圏が広がっていました。


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