金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

天文学者へのメール

追加しました。2022.02.28

ジオグラフィック 文春 に依頼

国立科学博物館 人類史研究グループ 海部陽介 様に、連絡していただけば幸です。
縄文時代の暦の存在を推定できることが分かりました。
山梨県北杜市にある金生遺跡は暦存在を推定出来る配石遺構で有ることが分りましたので、調査していただきたい。配石は冬至と立春、雨水をノーモンにより観測できるだろうということが分りました。
また縄紋土器は暦存在を記録していたと推定しています。縄文中期から後期の土器から、太陽暦と太陰暦も共存していたことも分ることに成ると思います。ブログに掲載しています。johmonkinseistar で検索していただけば 金生遺跡を世界遺産にしよう会 としてあります。

 

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縄文人は太陽暦も太陰暦も持っていた

縣 秀彦 様

先日来ご迷惑をおかけしております。
 先にお知らせしましが、その後
この遺跡の位置は茅が岳のピークで立春の日の出を観測する事になっておりまして、二至二分、四立、八節の暦さらに二十四節気の暦を作るためと、朔旦立春の観測により太陽暦と太陰暦とを整合させているものとの推定をするに至りました。
 この事を皮切りにして、縄文人は3、4、6、8、12を聖なる数として太陽暦と太陰暦を
つくり整合させていたものとの判断に至りました。
こうした数に関して、縄文人は世界の何処の古代文明でも作っていないような、縄文土器の縁にその証拠となる突起を作るという形で記録して残していたことが分りました。
しかも4,6の数は縄文早期には発見していたことが土器の縁に残された突起から確認しました。縄文早期は7000年以上前となりますので世界の古代文明から2000年以上前と言うことになります。
また突起数3の縄文土器は堀之内式土器の時期に成りますので、二十四節気の暦は4000年以上前の成立だろうと推定しました。
チャイナの夏殷周よりはずっと早いものと考えます。
これらのことはブログに記載して現在公開しております。
 johmonkinsestar として検索していただければ、「金生遺跡を世界遺産にしよう会」
というブログがご覧いただけます。
これらのことが事実とすればこれまでの縄文文化の知見も世界の暦の歴史も塗り替えら
れるものと思います。
素人の浅学での調査結果ですので、専門家の判定をいただきたいものと思い再度メールいたしました。
失礼いたしますがよろしくお願いします。
2021.10.31


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