冬至と夏至の前後、何処からでも良いが、日数を数え始めてから元の位置に戻ってくるまでの日数を数えて見れば、それも始の位置を分かり易い位置に決めて数えてみる、縄文時代には何も分らないので、そうしたのではないだろうか。特に寒くなり始めて、太陽が遠離り、それが戻ってきて暖かくなるまでの日数を数える。
立冬から立春まで日の出を数えると 91日の観測日数となるものと思う。
91日/2 45.5日 冬至から立冬と立春までの日数
金生遺跡の住民はそうしていたのだと思う。
半年は 365日/2 182.5日 1/2として 91.2日 春分と秋分になる
91.2日/2 45.1日 立春、立夏、立秋、立冬になる
これ以後にさらに 1/2 の操作を続けると
45日/2 22.5日 これは 8区分×2 16区分となる
さらに 1/2 の操作を続けるとすると
22.5日/2 11.2日 これは 16区分×2となり 32区分になる
さらに 11.2日に 1/2 操作では 5.6日 32×2 64区分になる
5.6日というのは、誤差が大きすぎとなるので、この操作は無理なようだ
45日の段階で 1/3 と言う操作に入らないと迷路に入ってしまうようだ
この土器は展示されていません
波状突起口縁の土器を見ると、今までの所 16突起の土器は何処からも見付ることは出来ていない
しかし32突起土器は出ているので、これから見ると16突起の土器は、見付かる可能性はあるかも知れない。
これは展示されていますので見えます
金生遺跡が太陽観測所なので、ここでは太陽暦開発のトライアルをしていたかも知れないが、ここで出てこなければ、ここ以外の所から出てくることは考えにくい。
2022.06.21 追加しました
22.5日 16区分の次の
11.2日の区分について
その後見落としが分かり、それは 64突起口縁の土器ではなく
11突起と見える土器の存在が分りました。
太陽暦開発の試行錯誤では、暦を利用しやすくするための工夫として、このことからも11.2日区分という所まで、試行を行っていたのでは無いかと考える。
写真はお借りしました