縄文中期から後期初めに掛けての寒冷化の時、
火焔土器族は30稲場式土器族との折衷土器は作っていない
一方、関東地域ではこれとは異なり
まず、前期から中期への時期の寒冷化には諸磯式族の地域に浮島式族が移住して共存していた様子が見える。
その後の中期から後期への寒冷化の時、曽利式族と加曽利式族の折衷土器から堀之内式土器が発生したようだ。彼らは共存して新しい文化を作り出していたのだろう。
北陸地方と関東、甲信越の諸族との対応の違いは大きかったようだ。
何故そのような違いが生まれていたのだろうか。
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