金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

関東地域では共存していた

縄文中期から後期初めに掛けての寒冷化の時、
火焔土器族は30稲場式土器族との折衷土器は作っていない
一方、関東地域ではこれとは異なり
まず、前期から中期への時期の寒冷化には諸磯式族の地域に浮島式族が移住して共存していた様子が見える。

その後の中期から後期への寒冷化の時、曽利式族と加曽利式族の折衷土器から堀之内式土器が発生したようだ。彼らは共存して新しい文化を作り出していたのだろう。

 

北陸地方と関東、甲信越の諸族との対応の違いは大きかったようだ。
何故そのような違いが生まれていたのだろうか。

写真はお借りしました


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事