金生遺跡・大配石での太陽暦観測施設と立地特性
金生遺跡の立地について、再度まとめてみる。
大配石は二十四節気の暦の立春、立秋の日の出の日にちを観測する事が出来る。
観測精度は 1日程度の正確さで設計されていた。
ランドスケープは、通称茅が岳と呼ばれる山の、金が岳のピークに立春の日の出が設定されていた。
立秋については笠無山となっていて、立秋の日の出はこの山のピークに設定されていた。
冬至の日の入りは甲斐駒ヶ岳のピーク右になる。この日の入りは、配石の石棒により観測できる。
金生遺跡立地の日の出をシミュレーションするアナレンマ解析を適用して、この立地はそれに整合していることが立証されている。日本天文考古学会の樋口元康氏により再現されている。
笠無山
冬至 甲斐駒ヶ岳のピーク右
金生遺跡は台地上にあり、この台地は20万年前とされる、八ヶ岳の山体崩壊地形の中心に近い位置にあることで、太陽観測点としては大変な好立地であるとともに、茅が岳は晴天率が国内でも高いとされていて、遺跡はその近くに有ることからも、晴天に恵まれる確率も優れている思う。
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
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金生遺跡立地のアナレンマ解析結果
補足して再掲しています
日本天文考古学会の樋口 元康 様が
天文シミュレーション「ステラトーク」のプログラムにより
金生遺跡・大配石の太陽暦観測施設の立地環境に関して
太陽の見かけの動きと月の動きについて解析してくださいました。
笠無山-立夏・立秋 茅が岳-立春・立冬
甲斐駒ヶ岳-冬至の日の入り
アナレンマ図は、(C)樋口元康 による
注記 facebookの「日本天文考古学会情報交流グループ」に投稿されたもの。
アナレンマ図の作成には、AstroArts社の「ステラナビゲータ」と 「ステラトーク」を使っています。
組み込んだパノラマ風景は、DAN杉本さんの「カシミール3D」と 「カシバード」で出力した画像を処理しています。
今回の冬至の日の入り観測で、配石の石棒とノーモン台の観測施設が明確に出来るものと推定しています。
これにより金生遺跡の立地は、太陽観測に大変適合した地理環境であることが、
改めて証明されたと思います。ランドスケープとしての目立った山との関係も正確に適合しています。
このような解析の結果が他遺跡でされていたという話は、これまで聞いたことがありません。
このブログをご覧いただいていた方は是非この結果をご覧ください。
縄文時代に二十四節気の暦が造られていたことは、疑問の余地は無いものと考えます。
縄文時代には暦があり、これが出来るまでどれほどの時間が掛かっていたのか、それを推測すると、それは縄文時代の草創期からと言うことになるのでは無いでしょうか。
地球の文明開化は縄文時代の草創期にあるとすることになるものと思います。
地球の古代文明は縄文時代が開発した太陽暦が始原となり、各地に文明が起こり、あのように巨大な廃虚を残してきたものと考えます。
そしてそれは現代文明に続いているので、このままでは現代文明も同様に巨大な廃虚と・・・
を残して、宇宙に今の所たった一つ現れた生命を宇宙の歴史138億年で消してしまうのでしょう。
図はお借りしました
注記 初稿日時 2022.10.17
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八ヶ岳山体崩壊と現生人類の誕生
八ヶ岳山体崩壊は20万年前と言われています。
それはホモ・サピエンスの誕生(起源)には諸説あるのですが、東アフリカで約20万年前(またはそれ以前)に誕生したというのが有力な答えだということから、八ヶ岳山体崩壊は現生人類発生と同期 シンクロニシティ していたようだ。
金生遺跡はこの山体崩壊の台地の中央辺りにある。
山体崩壊で岩屑流は50㎞ほど流れ下り、最末端は甲府盆地の反対側、右左口峠の下に曽根丘陵を残したという。
八ヶ岳・編み笠 権現と両脇の国道20号線と141号線の囲む楔形の範囲が崩壊の主体部分の台地になるので、韮崎から20号線と141号線を通ったとき、片側に上が平らに見えるような崖がずっと続いて見えている、これが崩壊して出来た台地です。
このような台地をなす八ヶ岳山体崩壊の地形は世界遺産としての景観価値があるのではと思います。それというのもこの地形の先には崩壊前の元の地形と同じ富士山が見えているという不思議な光景ですから。
地図は各出典からお借りしました。