金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代とシュメール文明の文書


縄文時代とシュメール文明の文書
縄文時代には文字は無かったものの、縄文時代草創期から土器が開発されていて、
縄文人の生業開発の経過が、土器に造形記録されて残されていた。
西アジアでは土器の開発が遅れて、記録が残されたのは紀元前4000年頃からと遅れていた。

縄文時代草創期
 土器開発の歴史と弓矢の開発の記録


縄文時代早期
 太陽暦と太陰暦の成立を数字として記録していた

 

マメ類、ヒエ類の栽培種の成立の記録


シュメール文明の文書
 楔形文字の記録 紀元前4000年頃から

 

 

縄文時代草創期からの記録

 

 

図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

ユーラシア大陸 世界最古の書類
 江上波夫さんの収集品展示 横浜の文化館

 西アジアを中心に発掘調査した考古学者の故・江上波夫さんの収集品を公開する企画展「ユーラシアへのまなざし」が、横浜市中区の横浜ユーラシア文化館で開かれている。昨年で江上さんの没後二十年を迎えたことに合わせ、企画した。四百六十点に及ぶ展示品のうち、三百九十点は初のお披露目となる。二月十二日まで。(森田真奈子)

くさび形文字が刻まれた紀元前2000年ごろの粘土板文書
c 東京新聞 提供
 江上さんは一九〇六年生まれ。東大教授などを歴任し、日本の起源は東北アジア系の騎馬民族とする「騎馬民族説」を唱えたことでも知られる。三〇年代から六十年間、主に西アジアから内モンゴルにかけて遺跡を発掘調査。集めた二千五百点の資料を晩年過ごした横浜市に寄贈した。

 今回展示するのは、東南アジアを含むユーラシア大陸の幅広い地域で見つけた土器やガラス、副葬品、文書など。収集品の年代も、紀元前三千年ごろから二十世紀までと幅広い。

発掘調査の収集品が並ぶ
c 東京新聞 提供

 目を引くのは、くさび形文字が細かく刻まれた小さな粘土。三センチ前後四方の大きさで、紀元前二千年ごろにつくられた世界最古の書類とされる。三百点以上も並び、奉納品などの記録という。ほかに、動物をかたどった陶器や青銅器、お守りも多く、当時の人々が動物に特別な力を見いだしていた様子をうかがえる。
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世界最古の、「ウルク古拙(こせつ)文字」・「楔形(くさびがた)文字」
現在わかっている世界最古の文字は、シュメール人が作りました。
前 3200 年頃のウルクの遺跡から出土した絵文字で「ウルク古拙文字」と呼ばれています。
交易活動を記録するために生まれたといわれています。
絵文字の元になったのが、いろいろな形状をしたトークンと呼ばれる小形の粘土製品と、トークンが入ったブッラと呼ばれる小型の粘土球で、ウルクの遺跡から多く出土しています。
当初はトークンそのものを記録として使っていましたが、やがてトークンを粘土板に押つけて記録するようになり、最期はその図形を、とがった筆で書くようになったのが文字の始まりと推定されています。
ウルクで発明された絵文字が完全な文字体系に整えられるのは前 2500 年頃のことで、文字の数も約 600 に整理され、シュメール語が完全に表記されるようになりました。
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楔形文字
詳細は「楔形文字」を参照
最初のシュメール人の文字体系は、日用品や農産物の個数の表現に使われる粘土製の小さな玉「トークン」の体系から派生した。やがてトークンを入れて封印し保存するための粘土製の球形容器ブッラの表面にトークンを押し付けて各産物の個数を表示するようになり、紀元前4千年紀の終わりまでに、数字を記録するために丸い形の尖筆を柔らかい粘土に異なる角度で押しつけてトークンと同じ模様を粘土板に書き、勘定を保持する手段に進化していった。これは徐々に、数えているものを示す、とがった尖筆を使ったピクトグラム的な文字へ拡張されていった。
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文字誕生のきっかけ――トークンとブッラ
トークンから文字へ
アミエ氏とシュマント=ベッセラ氏
前8000年頃 プレイン・トークンの使用、始まる。
前3500年頃 コンプレックス・トークン、ブッラ登場。
前3200年頃 コンプレックストークンからウルク古拙文字へ

文字誕生のきっかけ――トークンとブッラ
文字誕生のきっかけはトークンとブッラというものから始まる。

トークン(token)は「しるし」「代用貨幣」を意味する。これが何かというと計算具だった。文字が無い時代に記録をつけなくてはならない時にこれを使った。
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 トークンとブッラがなんであったかの謎解きについては、イランの古都スサから出土したブッラによってはじまったと言われています。
 まずトークンについて。最初は研究者の間でも、なんだか分からず、何に使ったのかも分からないまま、長い間、世界中の美術館、博物館に収蔵されていました。よく分からないけど、意図的に作られたものということだけは推測できたので、とりあえず、集めて、保管しておいたそうです。
 時代的には、紀元前7500年くらいの時代から始まって、紀元前3000年頃までの層からまんべんなく出土し、地理的には、メソポタミア全域から、かなり広範囲にわたって、出土したそうです。
 これらのことから、紀元前7500年~3300年頃まで、メソポタミア地方にて、さまざまな幾何学的な形をした粘土を固めたオブジェのようなものが使用されていた、と言うことが出来ます。「トークン」とは、これらの粘土の小さなオブジェの一般名称です。
 そのようなオブジェが、数えてみると、発見されているだけで約8000個あり、形の種類は大体300種類くらいあるそうです。
 研究者の間では、物を集めたときの記録用かなぁ。くらいに考えられていました。
 ただ、そう考えられるようになるまでには、かなり長い年月を要しました。長い長い研究の末に、この考えにたどり着いたのですが、そのキッカケは、このオブジェを収納した丸型の封筒(同じく粘土製)の発見でした。
 
 この封筒は、大体紀元前3500年頃に集中しています。
トークンが、まんべんなく紀元前8000年紀からずっと発見されているのに対して封筒は、3500年頃にしかありません。
 このことから、紀元前3500年頃にトークンを粘土製の封筒に入れる習慣があった、ということが出来ます。『ブッラ』とは、この丸型の粘土性の封筒の一般名称です。
 この丸型の封筒は150個ほど発見されたそうで、その中には、中に入れたトークンを、封筒の表面に押し付けて、印としたものがあったそうです。こうすることで、中を開けなくても、何が入っているか分かる、というわけです。(例えば、丸いトークンを中に入れる場合は、丸いトークンを押し付けて、丸い型が残す、といった具合に。)
 そうこうしている内に、誰かが言いはじめます。
「もう中に入れなくても、型押しだけして、記録として残しておけばいいじゃん。」
って。だから、封筒の習慣はこの一時期だけで、すぐに廃れてしまったのだと思います。
そこで、登場するのが・・・・・『粘土版』です。  to be continued
(ここまで来れば、もう絵文字まですぐですよ。)
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世界最古の文字《ウルク古拙文字》
メソポタミアでは、紀元前8000年ごろから文字が誕生する前まで、財の出納管理の為に使われた球形、円錐形など様々な形で有模様や無模様のトークンと言う粘土で作られた1㎝位の大きさの計算具がありました。
そのトークンを保管する為に、中に入れて乾かした泥粘土の球 “ブッラ”が紀元前3500年頃に誕生します。ブッラは不正が無い様トークンを密閉できる封筒の様な役目を担っていました。そして、ブッラに入れたトークンの内容が分かる様に、ブッラに押捺をするようになります。

時代が経つにつれ、トークンもブッラも押捺が複雑化することにより、トークンの代りに粘土板、そして押捺の代りに尖った用具で線画するようになってできたのが“ウルク古拙文字”なのです。

“ウルク古拙文字”は、ウルク遺跡で発掘された紀元前3200年頃の粘土板であり、楔形文字の最古の原型で、原シュメール文字とも言われています。数値記号と共に羊などの動物、人間の手足や頭、古穀物等の象形文字が書かれており、数量の記録であったとされています。

このウルク古拙文字が後のシュメールで簡易化されて楔形文字となり、メソポタミア全土に広がりました。
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  (4)商品化のシステム ― 多様な貨幣性機能商品の出現
 農作物や家畜の商品化を支えたのが、運送・簿記・度量衡などの経済システムである。穀物の場合、とくに運送の問題が大きい。ウバイド期における船の利用、ロバの家畜化、そしてウルク後期頃における車輪の発明であった。輸送手段の確立は、農作物商品化の大きな原動力であった。
 簿記・会計のシステムも、トークンやブッラを用いた物資の記録・管理は先土器新石器時代から行われていたが、これが絵文字また楔形文字として精度を上げていったのが都市形成期である。シュメールで発掘された粘土板は、その8割以上が経済文書(とくに、穀物や家畜の出納簿)によって占められている。
その意味で、文字を生んだのは書記ではなく、商品化されたムギとヒツジであったといっても過言ではない。
 
 ウルク期前半に現われた土器のうち、型造りで厚手かつ多孔質であり、しかも容量がほぼ一定しているものが、爆発的に増加している。その用途が、粘土板文書に記録されているが、農閑期日雇い労働者への日当が穀物で支給されていた。その際の1日分の支給量がこの土器の容量とほぼ一致するらしい。これらから、粗製土器は、日雇い労働者への日当支給用容器ではなかったかと考えられている。
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