また云ク、文選に云ク、「(一)国は一人ノ為ニ興リ、先賢ハ後愚ノ為ニ廃ル」ト。文。言ふ心は、国に賢一人出来ラざれば賢の跡廃ルトなり。是レを思フべし。
『正法眼蔵随聞記』巻2-13
道元禅師は、幼い頃から仏典以外の外典も読んでいたとされ、此処で引用されている『文選』は、中国の南北朝時代、梁帝国の昭明太子によって編纂されたとされる詩文集です。
全30巻もあり、春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録しています。今回のはその1つになります。
仰っていることは、要するに国が栄えるのは、一人の賢人が出るからであり、賢人が出ない場合には廃れてしまうということです。道元禅師は、師である如浄禅師の教えを受けて、自らを「仏法の総府」だと考えていました。よって、この賢人というのも、世俗的な賢さを問うているのではなくて、仏法を体得している者、という意味で捉えられているわけです。
『正法眼蔵随聞記』巻2-13
道元禅師は、幼い頃から仏典以外の外典も読んでいたとされ、此処で引用されている『文選』は、中国の南北朝時代、梁帝国の昭明太子によって編纂されたとされる詩文集です。
全30巻もあり、春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録しています。今回のはその1つになります。
仰っていることは、要するに国が栄えるのは、一人の賢人が出るからであり、賢人が出ない場合には廃れてしまうということです。道元禅師は、師である如浄禅師の教えを受けて、自らを「仏法の総府」だと考えていました。よって、この賢人というのも、世俗的な賢さを問うているのではなくて、仏法を体得している者、という意味で捉えられているわけです。