夜話ニ云ク、世人多く善事を成す時は人に知ラれんと思ひ、悪事を成ス時は人に知ラれじと思ふに依ツて、こノ心冥衆の心にかなはざるに依ツて、所作の善事に感応なく、密に作ス所ノ悪事には罰有るなり。己に依ツて返りて自ラ思はく、善事には験なし、仏法の利益なしなんど思へるなり。是レ即チ邪見なり。尤も改ムベシ。
『正法眼蔵随聞記』巻2-15
夜話というのは、道元禅師が夜に、修行僧たちと様々な法談を行っていたことを示すものです。その中で、世の中の人々の気質を批判しています。その気質というのは、良いことをしたときには多くの人に知られようとして誇り、逆に悪いことをしたときには人に知られないように隠すということです。
ところが、道元禅師は、このような心は、この世界を見守っている冥界の者達の心に契わないので、良いことが良いことと認められず、隠した悪事がバレバレだと仰っているわけです。
しかも、その心根が悪いのに、正しく応えてくれない者達を逆恨みして、「良いことをしても意味は無い」などと考えてしまうのは、尚更に誤っているわけです。つまり、我々は淡々と良いことを行い、悪事を抑えるべきだということです。
『正法眼蔵随聞記』巻2-15
夜話というのは、道元禅師が夜に、修行僧たちと様々な法談を行っていたことを示すものです。その中で、世の中の人々の気質を批判しています。その気質というのは、良いことをしたときには多くの人に知られようとして誇り、逆に悪いことをしたときには人に知られないように隠すということです。
ところが、道元禅師は、このような心は、この世界を見守っている冥界の者達の心に契わないので、良いことが良いことと認められず、隠した悪事がバレバレだと仰っているわけです。
しかも、その心根が悪いのに、正しく応えてくれない者達を逆恨みして、「良いことをしても意味は無い」などと考えてしまうのは、尚更に誤っているわけです。つまり、我々は淡々と良いことを行い、悪事を抑えるべきだということです。