聖教の中にも、「麁強ノ悪業ハ人ヲシテ覚悟セシム、無利の言説は能ク正道を障ふ。」ト。ただ打チ出し言ふ語すら利無キ言説は障道の因縁なり。況ンや然ノごとキ言説ノことばに引カれテ、即ち心も起りつべし。尤も用心すべきなり。わざとことさらいでかくなんいはじとせずとも、あしき事と知リなば漸々に退治すべきなり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
道元禅師は、様々な場合で、仏道に於いて無益な言葉を使わないように弟子達に求めています。それは、このような教えが根底にあるからでしょう。つまり、利益がない言葉は、正しい仏道を学ぶのに障りとなってしまうのです。
無益な言葉を用いれば、仏道にとって無益な心が起こるのです。これはもっとも用心すべきであるとしています。もし、仏道を学ぶのに悪いと知ったならば、徐々にでも退治すべきなのです。
これは、仏道に於ける「身口意の三業」が、能く三毒を生み出すことに由来しています。よって、これらの三つを正しく用いることが必要なのです。日常の行動から、言葉遣い、そして想いも全て、仏道を学ぶのに適した状況としていく必要があるわけです。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
道元禅師は、様々な場合で、仏道に於いて無益な言葉を使わないように弟子達に求めています。それは、このような教えが根底にあるからでしょう。つまり、利益がない言葉は、正しい仏道を学ぶのに障りとなってしまうのです。
無益な言葉を用いれば、仏道にとって無益な心が起こるのです。これはもっとも用心すべきであるとしています。もし、仏道を学ぶのに悪いと知ったならば、徐々にでも退治すべきなのです。
これは、仏道に於ける「身口意の三業」が、能く三毒を生み出すことに由来しています。よって、これらの三つを正しく用いることが必要なのです。日常の行動から、言葉遣い、そして想いも全て、仏道を学ぶのに適した状況としていく必要があるわけです。