雑話の次デに云ク、世間の男女老少、多く雑談の次デ、あるいは交会淫色等の事を談ず。是レを以テ心を慰メンとし興言とする事あり。一旦心も遊戯し、徒然も慰むと云フとも、僧は尤モ禁断すべき事なり。俗なほよき人、実しき人の、礼儀を存じ、げにげにしき談の時出来らぬ事なり。ただ乱酔放逸なる時の談なり。況ンや僧は、専ら仏道を思フべし。希有異躰の乱僧の所言なり。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
道元禅師が、猥談を禁止した箇所として知られることです。そんなことを話している暇があるのなら、仏道のことを思えといっております。同じように、世俗の様々なことも、話すべきではないのでしょう。人間関係についてだとか、金銭の収入だとか、そういうことは皆、無用なことなのです。
しかし、実際にはその逆のことが多いわけですが、常に仏道を思わずに、どうして仏道を得ることが出来ようか。
『正法眼蔵随聞記』巻2-14
道元禅師が、猥談を禁止した箇所として知られることです。そんなことを話している暇があるのなら、仏道のことを思えといっております。同じように、世俗の様々なことも、話すべきではないのでしょう。人間関係についてだとか、金銭の収入だとか、そういうことは皆、無用なことなのです。
しかし、実際にはその逆のことが多いわけですが、常に仏道を思わずに、どうして仏道を得ることが出来ようか。