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 映画 君たちはどう生きるか(宮﨑監督作品)②どうしてこんな題名になったか

2023-08-03 10:10:16 | 日記

 映画 君たちはどう生きるか(宮﨑監督作品)②どうしてこんな題名になったか

この題名の意味を考えてきた。あんまりにもかけ離れた題名で看板と中身が違いすぎていないか。長く考えてきてこんな風に考えるようになった。

あんまり意識していないが、それぞれのヒトが持っている死後の世界をどう考えるかによって、現世での生き方が違ってくるらしい。閻魔さんに舌を抜かれては大変だから嘘をつかないようにするとかである。詳しくは知らないけれどキリスト教はかなりこれが厳しいらしいから生き方がかなり我々と異なりそうである。

孔子さんは鬼神を語らずという姿勢であったので、現世のみであった。そうすると老後も楽しく生活したいから子供を親孝行になるように厳しくしつけないといけない。中国の教育熱心はなにも科挙の伝統だけによるのではなく親孝行にしたいがためのものと思う。もっともそれだけではうまく行かないから前世とか死後の世界とかは道教の中に少しは取り入れられているようである。

西洋では、老後は教会に面倒見てもらうから子供のしつけはさして必要でなかったとみられる。(イギリスのような厳しいしつけは我が子を親孝行にしたいがためではなかろう、何か別の目的があると考えられる。)死後の世界をどう考えるかは、今現在の生き方をどうするかに深くかかわっている。

 さてここで自分のことであるが、黄泉の国の話も閻魔さんの話も小さいころ聞いた。しかし印象に残っているのは閻魔さんと地獄のことであるから自分はこっちだと思っていた。一応は普段閻魔さんに敬意を払っているつもりなのである。まあお会いすることはないであろうし、万一会ってしまえば賄賂が効くのではないかくらいな軽い気持ちである。

 しかしこの映画の黄泉の国(黄泉の国とは言っていないが)は、かなり自分の感性にぴったりする。黄泉の国には出たり入ったりが自由であるようなところも気に入った。厳しくない。それ以前の人間関係をそのまま引きずっていくようであるから、現世で人間関係よくしておかないといけないという教訓も含まれている。どうもわたしは閻魔様よりこちらの方がピッタリきそうである。自分がこういう死生観を持っていたとは気づかなかった。

 死生観がこうならこれに応じた生き方がありそうである。それを探れば宜しい。どう生きるかと言葉を使って考えるのではなくどう生きるかを感じることができればいいのである。

 そこで感じたことは、人間関係はあの世にも継続しそうであるから(かなり嫌な奴もいて本当は嫌なんだけど)良好にしておかねばいけないであろうこと、思わぬ奴があの世で上司に来たりする。一木一草にも神が宿るのであるから一木一草も大事にすること(これもあの世に継続して持って行くもののようである。)。もちろん河や池にも神が宿るから大切にすること。どうやらあの世でも同じようなことが繰り返されそうであるから、退屈しないようにその場その場を楽しく生きていくこと。(どうやら永遠の眠りがないようなのである。)

 ずいぶん考えてここに漂着した。なんだか普段考えていることそのままである。しかし意識化するというのは大事なことであろう。

 

仏教のように牛や虫けらに生まれ変わるのも嫌だけど、またもう一遍同じような人生とが繰り返されるのもまた嫌なもんである。ただ同じような失敗を繰り返さないようにできれば、少しは楽かなと思うくらいである。