鶴見川 橋の上にて眺むれば ふるさと思う 秋の夕暮れ
韻も季語もめちゃめちゃで、ただ文字を並べただけの 五七五七七である。
この時期になると物思うように私みたいな無骨ものでも感じるのだねぇ。
私の実家は山合いにあったのでそれほどの感傷はなかったが夕暮れになると夕焼け空になっていたのを思い出す。
あのころは、今でいえば牛の散歩というのかな、牛を引き出して近くの川まで引いて行って水を飲ませて戻ってきていた・・ん? 今はワンコウに代わっただけかな。
しかし、今は喜んで出かけるのだが、あの当時は小さい体で大きい牛を連れて行くのは大変だったなぁ。当たり前のように家の手伝いをしたものだが牛のいない家の子は暗くなるまで遊んでいた。
私は遊びの途中で抜け出して戻り、牛の世話をしていたものだった。
日曜日は家の手伝い、今頃の時期は稲刈りや夜は脱穀の手伝い。
その前の世代の人は学校を休んで手伝っていたのだそうだからまだいいとはしても、そういう家は少なくなりつつあったからねぇ。
そういう時代を経て今があり、今はワンコウとともに幸せに暮らしている。
終わりよければすべてよし・・か
いやいや・・まだまだ終わりではない、もう少しは頑張らねばこの時代の平均寿命にも届かない。
そういうことで頑張るかね。