私は学生時代、少林寺拳法を習いに武道館へ通ってた頃がありまして
そこでは修練前に必ず「鎮魂行」という少林寺拳法を修行する者の心得を暗唱する時間がありました。
毎回暗唱していましたので、私は今でも、ふと口ずさむ時があります。
実は今、読書をしている際、目に止まった文面があったのです。
「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ。ただ一燈を頼め」
「言志四録」という書の一節だそうです。
そこでの解説を要約すると
人は弱いから、どうしても他に原因を求めたくなるが、そこからは何の改善も努力も生まれてこない。全ては自分から始まっていくのだ。・・・
このようなことが記されていました。
この一節をみて、ふっと先ほどの「鎮魂行」の一部である「聖句」という一文を思い出しました。
「己れこそ己れの寄るべ 己れを措きて誰に寄るべぞ
良く整えし己れこそ まこと得がたき寄るべなり
自ら悪をなさば自ら汚れ 自ら悪をなさざれば自らが浄し
浄きも浄からざるも自らのことなり 他者に依りて浄むることを得ず 」
このような一文です。
私は当時、この聖句を暗唱していても、「己が汚れるかどうかは他の所為にしてはいけない・・・」と文のまま捉えていました。
しかし、この聖句の真意は「言志四録」の一節の様なところにあったのではないか?と今更ながら気付きました。
遅いですねぇ~(苦笑)
我々は日頃、
「家族の理解が足りないから・・・」
「不景気だからしかたがない・・・」
「上司に恵まれないから思うように出来ない・・・」
「取引先が理不尽なことをいうから・・・」など
他に理由を見つけて自らの内にある原因を回避したくなる。
しかし、そこからは恨み、嫉妬、悪口、愚痴など・・・マイナスの感情以外に何も生まれることはないのです。
それよりも
この現状で自分は何を出来るか?
他にどう影響を与えられるか?
影響を与えられるようになる為には何をしたらよいか?・・・など
つまり、他に頼らず己磨きに徹することで道を開かなければいけないよ・・・という教えなんですね。
大事なことですが、気付くと出来ていなかったりする、つい忘れがちになことですよね。
今更ながらですが、今後はこの様な思いで「聖句」を口ずさんでみることにします。