さいたま市浦和区  小泉漢方堂鍼灸療院

~全ての人々に健康と幸せを~  

今日は

2006-09-25 23:42:15 | 日記・エッセイ・コラム

昨年、交通事故で他界した無二の親友の命日でした。

とても一年前とは思えない「あの日」

私の携帯には今でも消去できない伝言メッセージがあります。
彼の従兄弟が病院からかけてきた彼の危篤を知らせるメッセージです。
あの日以来、再生することが出来なかった伝言も今日は再生してみようかという気になりました。

この伝言を聞いてから

車を飛ばして病院に向かったこと
出血が止まらなくても必ず回復すると心の底から信じていたこと
彼の心拍が止まる瞬間
冷静に運転できなかった帰路
帰宅した時にラジオから流れてきた山崎まさよしの曲
一人線香を焚いた眠れなかった晩
「しっかり仕事しろ!」彼の声が聞こえてきそうで気合で治療した翌日
彼の最後の仕事を味わう為に一人で行った京橋のカストール
彼と燃やした「情熱」を棺と共に燃やした告別式・・・

走馬灯のように思い出す、この一年
生と死に対しても様々な意見を聞きました。

その中に生まれ変わりはあると思う私には受け入れられた、このような話がありました。

「若くして死んでいった者は、残された人々に対して悲しみを与える為にこの世に生を受けてきた。」

そして、この使命を背負って生まれてきたものは生まれ変わりの回数がかなり多く霊格が非常に高いとの事
非常に霊格の高い魂は通常のように輪廻転生の1サイクルに80年もの時間を必要としないそうです。
そして早死にすることで、残された者にその悲しみを乗り越えさせるという試練を与え、残された者の霊格を高める布石を打つと言う。

彼もまさにそうだったのであろうと思います。
既にこうなることを知っていたかのように一日一日を大切に生き、何を急いでいるのかと思うほど時間を惜しみ、他人の何倍ものスケジュールをこなしていました。
思い当たる節がいくつも見当たるのである。

彼の使命を胸に、私も死ぬまで生きようと思います。

黙祷


己から引き起こさせるもの

2006-09-14 22:35:00 | 日記・エッセイ・コラム

私は学生時代、少林寺拳法を習いに武道館へ通ってた頃がありまして

そこでは修練前に必ず「鎮魂行」という少林寺拳法を修行する者の心得を暗唱する時間がありました。

毎回暗唱していましたので、私は今でも、ふと口ずさむ時があります。

実は今、読書をしている際、目に止まった文面があったのです。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ。ただ一燈を頼め」

「言志四録」という書の一節だそうです。

そこでの解説を要約すると

人は弱いから、どうしても他に原因を求めたくなるが、そこからは何の改善も努力も生まれてこない。全ては自分から始まっていくのだ。・・・

このようなことが記されていました。

この一節をみて、ふっと先ほどの「鎮魂行」の一部である「聖句」という一文を思い出しました。

「己れこそ己れの寄るべ 己れを措きて誰に寄るべぞ
良く整えし己れこそ まこと得がたき寄るべなり
自ら悪をなさば自ら汚れ 自ら悪をなさざれば自らが浄し
浄きも浄からざるも自らのことなり 他者に依りて浄むることを得ず 」

このような一文です。

私は当時、この聖句を暗唱していても、「己が汚れるかどうかは他の所為にしてはいけない・・・」と文のまま捉えていました。

しかし、この聖句の真意は「言志四録」の一節の様なところにあったのではないか?と今更ながら気付きました。

遅いですねぇ~(苦笑)

我々は日頃、

「家族の理解が足りないから・・・」

「不景気だからしかたがない・・・」

「上司に恵まれないから思うように出来ない・・・」

「取引先が理不尽なことをいうから・・・」など

他に理由を見つけて自らの内にある原因を回避したくなる。

しかし、そこからは恨み、嫉妬、悪口、愚痴など・・・マイナスの感情以外に何も生まれることはないのです。

それよりも

この現状で自分は何を出来るか?

他にどう影響を与えられるか?

影響を与えられるようになる為には何をしたらよいか?・・・など

つまり、他に頼らず己磨きに徹することで道を開かなければいけないよ・・・という教えなんですね。

大事なことですが、気付くと出来ていなかったりする、つい忘れがちになことですよね。

今更ながらですが、今後はこの様な思いで「聖句」を口ずさんでみることにします。