「僕は赤羽小学校の生徒だったことを誇りに思います」
小学校の卒業式の「呼びかけ」の一節です。
先生はその指導でイントネーションの問題
それじゃ「誇り」でなく「埃」だなどと言っていて
その時初めて「誇りの」正しいイントネーション(標準語の場合)を知った記憶がある。
ただここでのテーマはイントネーションのことではなく誇りの問題です。
赤羽小学校は公立で
義務教育でただ地域で振り分けられて入学しただけです。
私立や国立その他の選択肢を選ばなければ、
知的障害等でない限り学区域内であれば必ず入学できる公立の小学校です。
「義務教育で地域で振り分けられただけでホコリもクソもあるか」
小6だった私はそう思い
その後も現在に至るまで思いは大して変わっていません。
考えてみれば地域・郷土愛や民族愛、そして愛国心。
全て、ただ偶然そこに生まれ育ったリ、(途中からであっても)所属しているだけなのです。
それをどう感じるかは個人差なのです。
もっとも多数派は自分の所属団体や地域、国家、民族に誇りや愛着は感じるのだろうけれど。
この愛着や誇りは何なのか今まで考えた結果
これは群れを成す動物の、動物的本能によるものなのだという結論に至ってます。
私のように単独行動を好む者、個体にとっては
そのような意識は希薄だということです。
ちなみにこの赤羽小学校は東京都港区では
白金小学校と並ぶ区立の名門で、
越境入学や勤務を希望したり居座りたがる教師が多い小学校でした。
ただ中に居た私から見ればどこが名門なのだという酷いもので
イジメもあれば窃盗や破壊などの悪さもあるし
教師による体罰や差別なども横行してました。
特に音楽教育などは酷いもので
音楽担当教師は鼓笛隊も解散すれば音楽朝礼も止まてしまい
楽器の多くはただ飾っているだけで使うこともありません。
音楽教育より楽器を大切にしていた感があります。
トランペットは2本ありましたが
課内の音楽クラブは女子生徒だけで使われることもなかったようです。
もちろん他の管楽器や弦楽器などはありません。
低音の管楽器など夢のまた夢です。
白金なら「シロガネーゼ」などという言葉もあり地域そのものが有名ですが
赤羽では、今は大江戸線の赤羽橋駅が出来て少しは知られているかもしれませんが
当時は「赤羽小学校」ですと言えば
誰もが皆、風俗店の立ち並ぶ北区赤羽の赤羽小学校だと思われてました。
越境してまで通うメリットはどこにあったのでしょうか。
今はどうなのか知りませんが
当時はどこが名門なのだという思いしかありません。
もっとも私は他の小学校は体験してませんので
他がもっと酷かったから名門と言われたのかもしれませんがw
ただ所詮公立なので
名門私立と比べたら設備などは足元にも及びません。