翁の徒然なる日々

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国内最大の円墳「富雄丸山古墳」での発現について(後編)

2023-01-30 11:30:00 | 四方山話
公開日:2019/06/18・更新日:2023/01/30

今回、新しい発見があった奈良の「富雄丸山古墳」では一般公開が行われ大勢の考古学ファンで賑わったようです。羨ましい!
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奈良 「富雄丸山古墳」を一般公開 盾形の青銅鏡や鉄剣出土 | NHK

【NHK】過去に例がないような盾のような形をした青銅の鏡や大きな鉄の剣が見つかった奈良市の古墳が一般公開され、発掘現場をひと目見よ…

NHKニュース


さて、前編では、大和文化会での講演

演題:「前期古墳の副葬品にあらわれた死生観ー黒塚古墳・三角縁神獣鏡を中心にー」

講師:奈良県立橿原考古学研究所 調査部長(現副所長)

を聴講したことについて書きました。

今回は、その続き…
 



◆神仙思想について
  
  • 古代、中国には、人の命の永遠であることを神人や仙人に託して希求した「神仙思想」とよばれる思想があった。  
  • 不老不死の仙人・神人の住む海上の異界や山中の異境に楽園を見いだし、多くの神仙たちを信仰し、また、神仙にいたるための実践を求めようとした。 そして、それは道教思想の基礎となり、また、民間の説話・神話の源泉となった。
  • 秦の始皇帝が不老不死の霊薬を求め、東方に派遣したとされる徐福伝説などもその一つと思われる。

◆明鏡の九寸以上なるを用ひ自づから照らし…

 中国・晋の時代に書かれた『抱朴子』雜應という書物には、神仙に逢う方法として、一枚の鏡を使う方法と、二枚や四枚の鏡を使う方法があることが書かれている。

抱朴子』雜應「……或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。……」
現代語訳
あるいは七月七日の夕方に、九寸以上の鏡に自分の顔を映し、思いを凝らすと、神仙の姿が鏡の中に見える。それは男であったり、女であったり、年老いていたり、若かったり、さまざまである。一度それが見えたあと、心中におのずと千里離れた処のこと、将来のことが知られる。鏡は一つあるいは二つを用いる。二つの時は日月鏡とよぶ。四つ用いることもある。これを四規と呼ぶ。四規を用いるには、前後左右に一つずつ置いて自分を照らす。四規をを用いて見ていると、やってくる神々の数数はなはだ多い。ある者は、龍や虎に乗り、衣冠もその色彩も世間のと違っている。それらすべてに説明図がある。
(引用:『抱朴子』内編 葛洪著 本田清訳注 1980.1.10 平凡社・東洋文庫512)
※『抱朴子』(ほうぼくし)は晋の葛洪(283-343)の著。なお、葛洪かつこう)は、西晋・東晋時代の道教研究家・著述家。

なお、講師の岡村先生によると、当時の九寸は約21.9㌢(1尺を約24㌢とした場合)。黒塚古墳出土の三角縁神獣鏡33面の平均面径は22.5㌢だとか。う〜ん。

◆道教の影響も
 
 中国伝来の神仙思想の影響もあり、国内の古墳の中に「死者の頭部を囲み、照らすように鏡面を死者に向けた形で鏡を置いたのではないか、そして、そのことは、当時の倭人が既に道教の影響を受けていたことを物語っていると言ってよいのでは…」というのが、岡村先生のお話の結論のようでした(と受け止めました)。もちろん諸説あるのでしようが。

 今回の「富雄丸山古墳」から出土した盾型の銅鏡がどのような形で置かれていたのかは、わかりませんが、被葬者の頭部を照らすように置かれていたら、このような推論も成り立ちます。今後の研究成果が楽しみです。

 考古学は文献などが全くないので、どの年代のどの古墳のどの部分からしたのかなど出土した場所、その状況、出土品の材質の分析、刻まれた象嵌の文様などから年代を割り出していく地道な作業の学問です。だからとても面白い学問と言えます。一ファンとして。

 特に、「神仙思想」には興味が湧きました、それにしても、中国の古典は荒唐無稽な所もありますが、仙人になる方法が書いてあるなんて、う〜んやはり凄いなぁ。


注記:この文章は、主に講演を聴いて、メモしたもので書いています。間違っている箇所もあるかもしれません。お許しください。


▼参考にした書籍

講演の中で特に紹介があったわけではありませんが。参考までに。