2012.4.6 at PARCO劇場
『テキサス-TEXAS-』
原作 長塚圭史
演出 河原雅彦
出演 星野源/木南晴夏/野波麻帆/岡田義徳/湯澤幸一郎/
河原雅彦/高橋和也/松澤一之
http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2012/03/19_04.php
久々に芝居を観に出かけました。
夕方の渋谷は心なしか人が少なく、そして新しいビルが夜空にそびえていました。
仕事で通り過ぎるときには気づかない風景がそこかしこにありました。
初期の長塚作品の再演・・・というだけで、もう見なくちゃダメでしょ・・・というノリでした。
初演はなぜか観ていなかったので。
ぶっ飛んでいる登場人物たち、といっても、あくまで心優しき村人たちなのです。その純朴さと無知と時代遅れのために、騙されて整形手術なんで受けて、どうにもこうにも笑えるくらい?壊れていってしまうのです。
純朴・・・って、ステキなことかと思ったら、それは第三者が呑気に無責任に誰かを形容するときに便利なだけの言葉で・・・、ほんとうは悲劇の起爆剤なんだなとつくづく思います。
だって、壊れちゃうんですから、顔も心も価値観も。
だけど、10年前は「ぶっ飛んでいた」かもしれない彼らは、今の今を生きる私には、あるいはひょっとして「わたしたち」には、もうそんなに確実に、致命的にぶっ飛んではいなかたのです。
それは時代の変化なのか、現実が作り物を越えてしまったのか、あるいは私が鈍感になったのか・・・。
むしろ彼らは(村人を騙した悪い奴らも含めて)、限りなく細く、心優しく、無害な人たちだったのです。
さてさて、私が愛した長塚作品の狂気を、今の私はどんなふうに観るんだろうかと、関係ないことが気になってしまいました。
出演者の顔ぶれを見てください。
なんだか種々雑多な、いろんな匂いをもった役者さんたちの集まりです。
おもしろかったです。調和ではなく、妙に快感な違和感が。
それでも、意外なところで心をくすぐる笑いのセンスや、強烈なおどかしは健在で、私はイチイチのけぞっておりました。
ちょっと空席がめだったんですよねえ。あんまりそういうことはなかったので・・・。
芝居のチケットは高いし、そういうところも難しい面なのかな。
終演後に食事をしたところで、隣席に出演者の方がたぶん親族の年輩の方とご一緒でした。
きいていたわけではないのですが、「チケットがあまりね・・・」という会話も。
うーん・・・と私が唸ってもしかたないのですが。
原発再稼働は、最初に「ありき」の基準設定だと、多く人が確信している。
安全なんて、何も保証されていないし、福島ではいまだに「訳のわからない不具合」が連続しているではないか。
いつの間にか街は明るくなり電車内も暖かく明るくなってしまったけれど、節電の心構えはもうできている。
電力不足を脅しに使うな・・・ということです。