2017.7.20(木)
今日も暑かったな。梅雨明けと言っても、私の周辺では梅雨っぽい日はあまりなくて、もうとっくに「夏」の気配ありありの毎日だ。
異常気象の象徴のような被害があちこちであったり、ここのように雨もろくに降らなかったり。
エアコン嫌いな私だけれど、そんなことばかり言っていると、熱中症で倒れても誰も同情してくれないだろうと思い、最近は適度に利用している。それにしても、電車の冷房は冷やしすぎではないですか。省エネとか、もう死語? それとも最近の猛暑日続きでは、あの程度は普通なのかなあ。
それでも、暑さは気持ちが外に出ていくから、寒いのよりはいい。私にも未来はある!って思える。寒いときは気持ちが後ろ向きになって、終わることばかり数えてしまうからな。
★ ドラマ「伊藤くん A TO E」
http://www.ito-kun.jp/drama/
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/07/19/0010383586.shtml
スピッツの曲がそれぞれの回のテーマ曲になっているらしい。各回でいろいろな女性が登場するそうだ。
●「ぞんざいに扱われる女」→「冷たい頬」
●「自分の殻に閉じこもる女」→「スパイダー」
●「愛されたい女」→「さらさら」
●「高学歴の鉄壁女」→「運命の人」
とか。イメージがつかめない・・・(笑)。
★「歌ウサギ」
大サビ(Cメロ?)の歌詞にやられました。
「何を探して・・・そんなどうでもいい歌ではなく」から「君の耳たぶに触れた感動を・・・」
「敬意とか勇気とか・・・偉くもなく」から「さっき君がくれた言葉を食べて・・・」
スピッツの曲が好きなのは、歌詞にひかれるのは、こういうことなんだ、と私たちを納得させてくれるような言葉選び。
優しく耳に快い曲だと思いきや、反骨精神や強いこだわりを隠し持ち続けて30年・・・そういう年月だったんだな。
夜、すれすれの時間に母の面会。来週外出して美味しいものを食べようと言ったら、ほんとうにうれしそうな表情。
別れ際、「〇〇さんによろしく」と、運転手をつとめる相方の名前を。
私のスマホで二人の友人に母が電話。どちらもお元気だけど、いろいろ「大変なこと」を抱えている。体も以前のようにいうことはきいてくれないと、愚痴がこぼれる。
車いすの母はその一言一言に優しく強く反応して、友人たちを励ます。電話を切って、
「年を取ると、みんな大変なのよ」
と。「あんたにはまだわかんないでしょうけど」という思いを言外に。
人は、元気な人よりも、そうではない人、つまり健康でなかったり悩みがあったりする人と話したあとのほうが元気になれるみたいだ。なんとなく皮肉なものだけど、そういうもんだということもわかるような気がする。人は本来、優しいものなんだろうか、そうではないのだろうか。年を重ねれば重ねるほど、わからなくなる。
母は愚痴をこぼす友人たちに向かって、「ここは天国よ。みんなよくしてくれるし」と明るく言う。車いすの母の発言は、友人たちにはどう響くだろうか。
その言葉に嘘はなさそうだけど、それだけで安心してしまうのはちょっと能天気なような気がして、私は賢いふりをする。「ホントのところはどーなの?」と心の中で母に問いかけるのだ。あくまで「心の中で」。
最近の母はとても穏やかな表情で話をする。いい状態で車いすでの暮らしに慣れてきたのはもちろん事実だけれど、過去の健康だったころの自分を思い出したり懐かしんだりしないのは、母が選んだ賢い対処法なのか、それともそれは一種の老いなのか。
そういうことも含めて、私は気がつくと、母を観察しているのだ。