隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

都会の中に奇跡的に残っていた神宮外苑の緑たち

2023年04月22日 20時58分37秒 | 日記

2023.04.22(土)



 昨日の暑さはどこへやら、今日はふつうの春の日。
 空気の乾燥加減も、私にはちょうどいい。
 昨日は締め切りの原稿を送って、電車で20分、街に出て軽く買い物。人込みではやっぱりマスクをするけれど(私の意志で)、そろそろ暑さでつらいかも・・・となる。

 駅近くの郵便局脇のツツジが膨れ上がって、モフモフだった(ちょっとブレてるな)。こんなだっけ? びっくり。
  
 今朝は一転、涼しかったし、寝起きの顔にマスクは助かる。


 母の施設で、対面での面会再開。
 3日前に、予約して訪れる。
 時間制限はあったけれど、母は顔色もよく、笑顔でいい調子だった。
 スタッフの女性は、時間制限を説明してくれたあとで、「だんだんに緩くしていきますので」と申し訳なさそうな表情。
 施設の事情もあるだろうし、こちらはお世話になるばかりで、やっぱり強いことは言えないなあ、と。
 墓参りのことを伝え、母は相方の母親のことや私の息子のことは「元気?」ときいてきたけど、自分の友人たちや親せきのことは何も言わなかったな。何人も亡くなったこと、言うか言わないか、迷わずにすんだ。
 そのかわり、高齢の芸能人の名前を出して、少しいたずらっ子のような目で、「〇〇さん、もうあぶないらしいわよ」と。あとでネットを見たけど、そんなニュースはあがっていなかった。どこからの情報だ??

 「とりあえず母は楽しそうだし」を免罪符に、真正面から見ることを避けている、ずるい家族なんだ、私は。
 今朝、母に届け物をして、手紙の最後に「また面会を申し込むね」と付け加える。


  
 駅へ通じる道路の大きな歩道橋から見える、いろんな春の色。
 自然がそのまま残されたところもあるけれど、この歩道橋あたりは人の手でどうにか自然の残り香を残すべく、木々の手入れをし、こんなに派手に枝を落としちゃうの? 大丈夫なの? 本当に木々のためなの?というこちらの疑問をはねのけるかのように、次の季節にはそこからたくましく新しい葉が現れる。
 数年をタームに、そういうことの繰り返しだ。
 これが木々を長生きさせる最善の方法なのか、それとも人間の都合のいいように図られた対策なのか、私にはイマイチよくわからない。
 桜の木々は枝を落としたことで、次の年には少し寂しい光景にはなるけれど、また次の年には華やかに街を彩る。だから、これでいいのかな、と思ったり、それなら目黒川のあの桜たちは、あのままで大丈夫なの?と思ったり。

 神宮外苑は若いころによく歩いたし、トレーニングで走ったこともあるし、思い出は尽きない場所だ。
 あの木々は、あの中を吹き抜ける風は、長い歴史の末に生き延びた貴重な財産だ。
 ヨーロッパの古い都が民衆を巻き込んで開発を進めたり中断させたりして美しさを保っているのに対して、東京はどうなんだろう。
 球場などのスポーツ施設を効率的に機能するように並べ替えて、木々の伐採は極力少なくしますよとアピールして、そして、結局高層ビルを建設する。
 あの地域は、東京のほかの繁華街と同じような空気のエリアになってしまうのではないか。失った緑はもうもとに戻ることはない、という。
 都会の中に奇跡的に残っていた神宮外苑の緑たちは、どうなるんだろうね。



                              


 電車の中で爆音で聴く「美しい鰭」~「祈りはきっと」~「アケホノ」の流れの心地よさ。
 昨日は、うねるベースを楽しんで、気持ちを少しずつ上げていった。


 川上未映子氏の『夏物語』サイドテーブルに積まれた本の中に紛れていたが、さっき読了。

 飽和状態のようなストーリーの流れに翻弄されながら、いつもは無駄な場面やセリフに否定的になってしまう私が、あの圧倒的な筆力と押し寄せる怒涛の言葉たちに迫られて、目いっぱいの心地よい疲労感。
 破天荒だけれど極力真面目な主人公の魂の物語。
 登場する人物たちひとりひとりのどこかに、優しい気持ちを抱いてしまいそう。


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