隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

ありふれてさりげなく~今さらながら 「ぐるりのこと。」

2009年09月22日 16時52分57秒 | 映画レビュー
ぐるりのこと。」 (2008年)

原作・脚本・監督  橋口亮輔
出演  木村多江/リリー・フランキー/倍賞美津子/柄本明/寺田農/寺島進/安藤玉恵


●ありふれた、でも簡単じゃない歴史
 ずっと観たかった映画で…。ひょっとしたら去年いちばん観たかった映画かもしれなくて…。
 DVDレンタルして、ようやく観ました。へそ曲がりだから、去年賞をとりまくっているときに、なんとなく観る気になれなかったんだよな。こういう性格、どうにかならないのかしらん。
 で、しみじみ、よい映画だったなあ。
 しっかり者(のように見えた)の妻の翔子(木村多江)の心が壊れていくそばで、法定画家の夫カナオ(りりー・フランキー)はずっと寄り添っていく。とらえどころのない人で、心の中は見えにくい。怒っているのか、喜んでいるのか、悲しいのか…、よくわからない。
 何ごともきっちりと決めて、それを守っていける自分をよりどころにしているような翔子は、子どもを亡くしたあと、そういうとらえどころのない夫に、きっと不安を抱いていたのだろう。夫はワタシを見ていてくれるのか、ワタシはここにいていいのか?
 でもカナオは言葉で解決しようとは思わない。いや、言葉にはそれだけの力があるとは思っていないのかもしれない。だから、戸惑ったような表情で、ただそばにいる。外では柔らかく、やっぱりとらえどころもなく、それで女性には妙に優しい。
 だけど、言葉ではないんだな、きっと。そばにいることで流れていく時間が翔子を少しずつほぐしていく。
 車とか家とか、極論すれば子どもとか…、そういうものではない単なる空気の流れが、ときには夫婦を成長させていく。淡々と、ゆっくりと。10年の月日がなめらかなつながりをつくっていく。
 そういうありふれた、でも簡単ではない歴史がただ目の前を流れていく映画だ。ついつい変化や思いがけないことを追い求めたり、そういうものに価値を見出しがちな自分に軽いジャブをいただきました。
 ふつうに生きるっていうことの深さや優しさや困難や味わい深さは、実際に生きていてもわからないことが多いもんで…。そういうことに気づかない愚かなやつなわけで…。
 だけど、こういうふうに視覚的に目の前を流れてくれると、心の奥のほうで、何かいい音が鳴ってくれるなあ。そういう音がたしかに聞こえた映画だ。


●事件と私たちの日常と
 カナオの職業が法定画家ということで、90年代半ばから2000年の中頃まで社会を震撼させたさまざまな事件の裁判風景が再現される(そこにいろいろな役者が登場する)。
 凶悪な事件や、考えさせられた事件など、その10年の間に社会を騒がせた出来事を思い出しながら、ふっと翔子とカナオの日常に思いを馳せる。そこが映画の効果なんだろう。
 ありふれた日常がセンセーショナルな事件と並行して流れ、結局私たちはそうやって生きているんだと気づかされる。さりげなく小さな起伏の日々だけれど、それはそれで結構大変なんだぞ、なんて。
 そういう小さな起伏を大事に生きていける人はきっと賢い人なんだろうな。なかなかそうはなれないけど、でもせっかく生まれてきたんだし、どうにか今を生きていられるのだから、ちょっとは「賢く」生きてみたいもんだ。
 そんなふうに、ちょっと優しく謙虚になれた、「自称 傲慢人間」のワタシなのです。


●映画のゴールと夫婦の通過点
 もともと好きな女優さんですが、木村多江さんの色のない強さがステキだ。リリー・フランキーさんはママなんでしょうか、演技なんでしょうか(ま、そんなことはどうだっていいんだけど)。そのまんま「カナオ」だったように思う。
 翔子の母親や兄夫婦、カナオの法定画家仲間たち…、彼らのひと言ひと言が生きて響くのが心地よい。軽いユーモアのつぶつぶがあちこちにちりばめられている。
 10年の月日が流れ、相変わらずとらえどころはないカナオに翔子の母親が言う「翔子をよろしくお願いします」。これ、ちょっと泣けました。カナオが以前のママの彼ではないことに気づいたのは、ワタシだけではなかったってことです。
 翔子は心のケアをするなかで知り合った尼僧の一人に寺の天井絵を依頼される。四季の花々を正方形のキャンバスに描くこと何十枚か。その絵の鮮やかな配色と、キャンバスに向かう翔子の目の輝き、見守るカナオの視線。それだけの映像で、ハンパなドラマなんか飛び越えてしまう。
 完成した天井絵を寝転がって眺める10年目の夫婦。これがこの映画のささやかなゴールであり、そしてたぶんこの夫婦のひとつの通過点なんだろう。



【話は変わりますが…】
 特定の党はもともと指示しないのだけれど、悪しき歴史が積み重なった党が新しい(でもないか)党によって「壊れた」事実は「良し」と受けとめたい。
 何かが変わる、という期待が支持率70%以上となったのなら、性急な答えや成果は期待すまい(せっかちなもんで)。
 きれいごとではすまないだろうけど、ずっと「ヘンだ!」とみんなが思っていたことがひとつひとつ明らかになるさまを見てみたい。

 

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