10月7日 TOKYO-FM 「discord」
パーソナリティー:鹿野 淳
「discord」は「摩擦」。音楽の世界に摩擦を起こしてきた、云々、とか言ってたな。
ケイタイをもってジョギングしながら録音しようと思って外に出ていた。23時30分になって、「いざ、録音!」と思ったら、なぜか録音モードにならない(あとで、押すところをうっかり勘違いしてた、ということがわかったけど)。
慌てて、全速力で家に戻って、カセットで録画開始。
ああ、頑張って走りすぎた! 慌てると、なんかバカなことをしてしまう私です。んなわけで、最初は記憶をかぎりに…。
●ラジオと草野、ラジオとスピッツ
自分にとってラジオとは?と聞かれて、大好きだったこと、歌謡曲関連だったこと、また昔福岡では50位までのランキングを流す番組があって、それが気になってラジオ持参で遊びに行っていたこと、などのラジオつながりの思い出を語る。
デビューして自分たちの曲がラジオに流れるようになった頃は?という問いかけに、「当時はチャゲアスのような曲が流行っていて、ラジオから『夏の魔物』が流れてきたときには、ウワッ! 地味だな、と思ったとか。バックに「夏の魔物」。
自分が小さいときから聴いていた人の曲と自分たちの曲が同じラジオから聞こえてくるというのが、どうも信じられなくて。
ただ、某放送局でヘビーローテンションをしてくれたとき、あ、がんばらなくちゃな、と初めて思った、ということ。
●「不快になる人がいるかもしれない」
鹿野: スピッツを大切に思う人たちはどんどんスピッツによって支えられていると思うんだけど、そういう思いに対してホントに裏切らない作品を作ってきているなと、感動的なほどに今回の『さざなみCD』を聴いても感じたんですけど。
草野: たしかにデビューの頃の歌詞に比べると、エグイ言葉は少なくなっちゃてると思いますけど。で、ヒット曲が出たあとあたりに、ちょっとした歌いまわしで傷つけちゃうことがあるのかなと考えたりもあったんですけどね。言葉の選び方とかですね、違った意味にとられて傷つく人もいるのかな、と。例えば、「ビー玉」という曲に「ナイフを持って 血の海をわたってきた」みたいな歌詞があるんですけど、そういう表現って、あの頃だったからできたんだろうなって思うし。なんか、それによって不快になる人がいるかもしれないと思うと、ちょっと引いちゃうんですよね、浮かんだとしても。だけど、そういうところもひょっとして取り戻さなくちゃいけないのかな、と思うこともありますね。
●「電気使わずにやります」
鹿野: マサムネ君の中で、自分が作りたい、自分が鳴らしたい音楽っていうのと、スピッツであることとのバランスって、今どういう感じでやっているんですか。
草野: いや、スピッツで、ライブでやりたい音楽と自分がやりたい音楽は一致していますよ。なので、バンドをやっている人でも、別ユニットをやったりソロアルバムをつくったりとかありますけど、それはちょっと考えにくいんですよね。あとね、これは『三日月ロック』くらいから言ってたんですけど、いきなり電力不足になっちゃって電気使えないんだけどツアーはやんなきゃ、ってなったときに、ものすごくアコースティックな音でライブをやれるバンドになりたい、って思っちゃって(笑)。
鹿野: (笑)
草野: 路上で、「電気使わずにやります」なんて言っちゃって。対応できるタフなバンドになりたいって思うんですけど。
鹿野: それってさ、60、70になってもバンドやっていたいみたいなところに直結している発想じゃない?
草野: かもしんない。バンドとしてもだし、ミュージシャンとしてもだし。どんどん足元が見えにくくなってくると思うんですよ、いわゆるメジャーのルーティンの中でやっていると。そのへん、ちゃんとわきまえないとなあ、とは思うんですよね。もともとすごく演奏の基礎ができてたバンドではないし、下手なバンドだったわけだから、そのへん、ちゃんとわきまえてやんないと、バンドとして体力弱まっていくおそれもあるんで。
鹿野: なんで、そんなに謙虚に頑固に生きていけるんですか。
草野: えっ!! や、結局自信がないからじゃないですかね。だから、そういうところで怖いと思うこともありますしね。何もないんじゃないかな、自分には、とか。ちょっと恐怖感とかもあるんじゃないかとは思いますよね。
●生き物感を感じてもらえたら
鹿野: ツアーの抱負とかあれば教えてもらえますか。
草野: ホントに、バンドサウンドですよ。生き物感みたいなものを伝えられたら。デジタルな音の中に生き物感を見出すものだと思ってて、だから、それ(デジタルな音)を否定するわけじゃなくて。でもみんなが楽器で演奏している中のズレ感みたいなところに生き物っぽさを感じてもらえたらいいんですけどね。
鹿野: 言ってみれば、なんでいまだに「○○館」でやらないんだろう、「○○アリーナ」でやらないんだろう、ってそういうことに関しても、自分たちの中で主義みたいなものがあると思うし。そういういろんなところで、実はスピッツはすごく頑固に貫いているバンドだと思うんで。
草野: ま、でもチケットとりにくいっていうことを聞くと、そういったことでちょっと大きな会場でやったほうがいいのかなと思うこともあるんですけど。
鹿野: 最近?
草野: うん。
鹿野: ホント? やんなよ(笑)。
草野: えっ。ただそれをね、「ついに」みたいな感じでとらえられるとヤだな、と。
鹿野: ハハハハ。
草野: さりげなく。もう、やんないようなバンドって思われてるから、やったことで、また「スピッツが変わったー!」とか思われたら恥ずかしいな、っていう気持ちもあるんですけどね。
鹿野: いいライブをこなしながら、美味いものを。
草野: 美味いものをね。
鹿野: 食い続けて。
草野: 美味いものを控えめに食べながら(笑)。
鹿野: (笑)
草野: 食いすぎはよくないんですよ、やっぱ。
鹿野: ダメですか。
草野: うん。
鹿野: 腹八分目が喉十分目で。
草野: 腹七分目くらいでやめといて。
ナレーションで鹿野氏は、「スピッツの音楽には生きるという生理がすべて含まれていると思います。それがなんでこんなにファンタジックに聞こえるのか」と言っていた。
ゆっくりとかみしめるように、言葉を選びながら話すさまが心地よかった。
パーソナリティー:鹿野 淳
「discord」は「摩擦」。音楽の世界に摩擦を起こしてきた、云々、とか言ってたな。
ケイタイをもってジョギングしながら録音しようと思って外に出ていた。23時30分になって、「いざ、録音!」と思ったら、なぜか録音モードにならない(あとで、押すところをうっかり勘違いしてた、ということがわかったけど)。
慌てて、全速力で家に戻って、カセットで録画開始。
ああ、頑張って走りすぎた! 慌てると、なんかバカなことをしてしまう私です。んなわけで、最初は記憶をかぎりに…。
●ラジオと草野、ラジオとスピッツ
自分にとってラジオとは?と聞かれて、大好きだったこと、歌謡曲関連だったこと、また昔福岡では50位までのランキングを流す番組があって、それが気になってラジオ持参で遊びに行っていたこと、などのラジオつながりの思い出を語る。
デビューして自分たちの曲がラジオに流れるようになった頃は?という問いかけに、「当時はチャゲアスのような曲が流行っていて、ラジオから『夏の魔物』が流れてきたときには、ウワッ! 地味だな、と思ったとか。バックに「夏の魔物」。
自分が小さいときから聴いていた人の曲と自分たちの曲が同じラジオから聞こえてくるというのが、どうも信じられなくて。
ただ、某放送局でヘビーローテンションをしてくれたとき、あ、がんばらなくちゃな、と初めて思った、ということ。
●「不快になる人がいるかもしれない」
鹿野: スピッツを大切に思う人たちはどんどんスピッツによって支えられていると思うんだけど、そういう思いに対してホントに裏切らない作品を作ってきているなと、感動的なほどに今回の『さざなみCD』を聴いても感じたんですけど。
草野: たしかにデビューの頃の歌詞に比べると、エグイ言葉は少なくなっちゃてると思いますけど。で、ヒット曲が出たあとあたりに、ちょっとした歌いまわしで傷つけちゃうことがあるのかなと考えたりもあったんですけどね。言葉の選び方とかですね、違った意味にとられて傷つく人もいるのかな、と。例えば、「ビー玉」という曲に「ナイフを持って 血の海をわたってきた」みたいな歌詞があるんですけど、そういう表現って、あの頃だったからできたんだろうなって思うし。なんか、それによって不快になる人がいるかもしれないと思うと、ちょっと引いちゃうんですよね、浮かんだとしても。だけど、そういうところもひょっとして取り戻さなくちゃいけないのかな、と思うこともありますね。
●「電気使わずにやります」
鹿野: マサムネ君の中で、自分が作りたい、自分が鳴らしたい音楽っていうのと、スピッツであることとのバランスって、今どういう感じでやっているんですか。
草野: いや、スピッツで、ライブでやりたい音楽と自分がやりたい音楽は一致していますよ。なので、バンドをやっている人でも、別ユニットをやったりソロアルバムをつくったりとかありますけど、それはちょっと考えにくいんですよね。あとね、これは『三日月ロック』くらいから言ってたんですけど、いきなり電力不足になっちゃって電気使えないんだけどツアーはやんなきゃ、ってなったときに、ものすごくアコースティックな音でライブをやれるバンドになりたい、って思っちゃって(笑)。
鹿野: (笑)
草野: 路上で、「電気使わずにやります」なんて言っちゃって。対応できるタフなバンドになりたいって思うんですけど。
鹿野: それってさ、60、70になってもバンドやっていたいみたいなところに直結している発想じゃない?
草野: かもしんない。バンドとしてもだし、ミュージシャンとしてもだし。どんどん足元が見えにくくなってくると思うんですよ、いわゆるメジャーのルーティンの中でやっていると。そのへん、ちゃんとわきまえないとなあ、とは思うんですよね。もともとすごく演奏の基礎ができてたバンドではないし、下手なバンドだったわけだから、そのへん、ちゃんとわきまえてやんないと、バンドとして体力弱まっていくおそれもあるんで。
鹿野: なんで、そんなに謙虚に頑固に生きていけるんですか。
草野: えっ!! や、結局自信がないからじゃないですかね。だから、そういうところで怖いと思うこともありますしね。何もないんじゃないかな、自分には、とか。ちょっと恐怖感とかもあるんじゃないかとは思いますよね。
●生き物感を感じてもらえたら
鹿野: ツアーの抱負とかあれば教えてもらえますか。
草野: ホントに、バンドサウンドですよ。生き物感みたいなものを伝えられたら。デジタルな音の中に生き物感を見出すものだと思ってて、だから、それ(デジタルな音)を否定するわけじゃなくて。でもみんなが楽器で演奏している中のズレ感みたいなところに生き物っぽさを感じてもらえたらいいんですけどね。
鹿野: 言ってみれば、なんでいまだに「○○館」でやらないんだろう、「○○アリーナ」でやらないんだろう、ってそういうことに関しても、自分たちの中で主義みたいなものがあると思うし。そういういろんなところで、実はスピッツはすごく頑固に貫いているバンドだと思うんで。
草野: ま、でもチケットとりにくいっていうことを聞くと、そういったことでちょっと大きな会場でやったほうがいいのかなと思うこともあるんですけど。
鹿野: 最近?
草野: うん。
鹿野: ホント? やんなよ(笑)。
草野: えっ。ただそれをね、「ついに」みたいな感じでとらえられるとヤだな、と。
鹿野: ハハハハ。
草野: さりげなく。もう、やんないようなバンドって思われてるから、やったことで、また「スピッツが変わったー!」とか思われたら恥ずかしいな、っていう気持ちもあるんですけどね。
鹿野: いいライブをこなしながら、美味いものを。
草野: 美味いものをね。
鹿野: 食い続けて。
草野: 美味いものを控えめに食べながら(笑)。
鹿野: (笑)
草野: 食いすぎはよくないんですよ、やっぱ。
鹿野: ダメですか。
草野: うん。
鹿野: 腹八分目が喉十分目で。
草野: 腹七分目くらいでやめといて。
ナレーションで鹿野氏は、「スピッツの音楽には生きるという生理がすべて含まれていると思います。それがなんでこんなにファンタジックに聞こえるのか」と言っていた。
ゆっくりとかみしめるように、言葉を選びながら話すさまが心地よかった。