■訳がわからないくらい種々雑多な意見
朝、仕事に行かなくちゃ、と思いながら寝ぼけ眼でテレビをつけたら、雨の中モーニング姿の小泉首相が神妙な表情で靖国を参拝していました。公約、公約って言ってたしなあ、やっぱりな、と。
それについては、朝の番組で知識人を招いてどこも特集を組んでいた。昨夜のニュース23でもそうだったけど、出てくるメンツはだいたい同じ。先日のNHKの報道特集でもそうだったな。だから、たぶん議論の内容は同じ、で、根本的にかみ合わないのも同じなんだろう。
所詮、立場が違う、経験が違う。それは当たり前のことなんだろうし、靖国問題以外の論争だってそうかもしれない。でも靖国問題は気の遠くなるような時間の流れがあるから、収拾がつかない程度もハンパじゃないと思う。
上坂冬子は、「私は『いつか靖国で会いましょう』と誓い合いながら戦場に赴いた人を実際に見ていますから」と自己の経験を大上段にふりかざし、そこは絶対に譲らない。遺族の中には、「靖国なんて」と亡くなった家族の言葉を代弁して靖国神社を嫌悪する人も多数いるのに、それには少しも動揺しないし、たぶん疑問ももたないのだろう。
それに、戦犯の位置づけにしたって、みんなそれぞれだ。もともと戦犯の遺族達は東京裁判自体を認めてはいないし(東京裁判によって講和条約が締結されたわけだから、それを認めないってことは講和条約もなかったことになるのかな)。
だから、議論しているのを聞いていても、不毛の議論のように思えて、むなしくなってくる。
■普通の殺人事件とは違うよ
そういえば上坂は「東京裁判で裁かれて処刑されたわけだから、一件落着でしょ」と軽く言ってたな、軽くっていうか明るく。だから合祀だって問題ないでしょ、もう罪は償ったんだから、死者を区別するのはおかしい、という考えなのだろう。でも、「一件落着」という言い方はないな。何も落着はしていませんよ。というか、たぶんずっと落着しないんだと思う。落着させてはいけないです。
殺人犯でも強盗犯でも、罪を償えば許されて再びやり直すチャンスを与えられるべきだ。私はそう思う。でも戦争は別だと一線を引いています。戦争責任は、たとえ処刑されても償われたことにはならない、それほど大きな犯罪なんだから。戦犯は処刑されても人の記憶のある限り復権しない。そうでもしなければ、犠牲の大きさや重さが伝わっていかないと思うから。だから、「一件落着」なんて安易な言い方をしてほしくはないな、彼女はそれだけの影響力のある人なんだし。
もちろん、東京裁判自体をどうとらえるか、と言ったら、いろいろ問題はあるのだろう。戦争の勝利国が敗戦国を裁いていいのか、天皇の責任はどうなるのか…。そのあたりは、もっと考えていかなくちゃいけないんだろう。
■もともとは合祀されていなかったという事実
でもとりあえず、戦犯と戦争で犠牲になった人々を同じように祀ることには無理があるだろう。びっくりしたんだけど、最初は戦犯は祀られていなかったのに、1970年代に厚生省(当時)の役人が「悲願」として内々に合祀に踏み切り(つまり靖国神社の名簿に戦犯の名前を加えた)、その翌年にその事実が明らかになった、らしいということ。そのあたりの事情は、今の私にはあまりよくわからないのですが。
でも、そういう事実はもっと重く扱ってもいいんじゃないかと思う。そんなことが一省庁で行われたということが驚きだし、発覚したときどんな議論がなされたのだろう。それを知りたい。
別に祀る、という論議もされていて、それについてはよくわからないが、すべて政治的なこと(選挙も含めて)に左右されたり利用されたりして、犠牲者の遺族はやりきれないだろう。千鳥ヶ淵の戦没者慰霊だけではダメなんだろうか。
■単純な男、小泉
参拝後の小泉の記者会見は、仕事の合間にちょこっと見ただけなのだが、感想を一言。
ワンフレーズ男が、さすがに今回は言葉を駆使して応答していましたね。当たり前だけど。参拝を反対される理由を自分なりに分析もしていて、わかりやすかったことは事実です。
でも、あきれたのは、中国や韓国の反応について例をあげて語ったこと。参拝をするなら首脳会談はお断り、と主張してきた両国に対して、「国と国との間に何かしら問題があるのはよくあること。でもその一つを捉えて、首脳会談を拒否するというのはいかがなものか。両国は日本の安保常任理事国入りを反対しているが、それを理由に私が首脳会談を拒否したことがありますか。私はいつでも未来志向で両国との関係を見据えています」って。おまけに「ブッシュに言われたら参拝しないのではないか、と言う人がいますが、そんなことはない。ま、ブッシュはそんな大人げないことは言いませんが」なんてことまで付け加えた。
戦争で侵略されて多くの犠牲者を出した国の心情を、安保常任理事国入りの問題にたとえた、その単純さ、というか無神経さに、一瞬のけぞった私でした。こんな人が五年も首相だったんだな、人気のあるときもあったんだな。もう恥ずかしいというか、情けないです。
井上ひさし氏は、東京裁判当時の庶民のようすを描いた三部作の最終作『夢の痂』で、結局この国は、天皇も庶民も戦争の責任をとらずにきてしまった、と問題を投げかけています。庶民だって、自分のしたこと、しなかったことで、その人なりの戦争責任を背負わなければいけなかったんじゃないか、と。自分の国がしてきたことを、きちんと子どもたちにも示してはいないわけだし。それでいて、愛国心を叫んで、どうするつもりなんだろう。
うまく言えないけれど、そういうことを多くの人がしなかったから、この国はずっと迷走しているのかもしれない。犠牲になった東南アジアの国々から、どこか信用されないのも、そういう曖昧さが伝わっているからなのかもしれない。
靖国問題でも、語り合わなければならないことはもっと根本的なことなのかもしれない。
朝、仕事に行かなくちゃ、と思いながら寝ぼけ眼でテレビをつけたら、雨の中モーニング姿の小泉首相が神妙な表情で靖国を参拝していました。公約、公約って言ってたしなあ、やっぱりな、と。
それについては、朝の番組で知識人を招いてどこも特集を組んでいた。昨夜のニュース23でもそうだったけど、出てくるメンツはだいたい同じ。先日のNHKの報道特集でもそうだったな。だから、たぶん議論の内容は同じ、で、根本的にかみ合わないのも同じなんだろう。
所詮、立場が違う、経験が違う。それは当たり前のことなんだろうし、靖国問題以外の論争だってそうかもしれない。でも靖国問題は気の遠くなるような時間の流れがあるから、収拾がつかない程度もハンパじゃないと思う。
上坂冬子は、「私は『いつか靖国で会いましょう』と誓い合いながら戦場に赴いた人を実際に見ていますから」と自己の経験を大上段にふりかざし、そこは絶対に譲らない。遺族の中には、「靖国なんて」と亡くなった家族の言葉を代弁して靖国神社を嫌悪する人も多数いるのに、それには少しも動揺しないし、たぶん疑問ももたないのだろう。
それに、戦犯の位置づけにしたって、みんなそれぞれだ。もともと戦犯の遺族達は東京裁判自体を認めてはいないし(東京裁判によって講和条約が締結されたわけだから、それを認めないってことは講和条約もなかったことになるのかな)。
だから、議論しているのを聞いていても、不毛の議論のように思えて、むなしくなってくる。
■普通の殺人事件とは違うよ
そういえば上坂は「東京裁判で裁かれて処刑されたわけだから、一件落着でしょ」と軽く言ってたな、軽くっていうか明るく。だから合祀だって問題ないでしょ、もう罪は償ったんだから、死者を区別するのはおかしい、という考えなのだろう。でも、「一件落着」という言い方はないな。何も落着はしていませんよ。というか、たぶんずっと落着しないんだと思う。落着させてはいけないです。
殺人犯でも強盗犯でも、罪を償えば許されて再びやり直すチャンスを与えられるべきだ。私はそう思う。でも戦争は別だと一線を引いています。戦争責任は、たとえ処刑されても償われたことにはならない、それほど大きな犯罪なんだから。戦犯は処刑されても人の記憶のある限り復権しない。そうでもしなければ、犠牲の大きさや重さが伝わっていかないと思うから。だから、「一件落着」なんて安易な言い方をしてほしくはないな、彼女はそれだけの影響力のある人なんだし。
もちろん、東京裁判自体をどうとらえるか、と言ったら、いろいろ問題はあるのだろう。戦争の勝利国が敗戦国を裁いていいのか、天皇の責任はどうなるのか…。そのあたりは、もっと考えていかなくちゃいけないんだろう。
■もともとは合祀されていなかったという事実
でもとりあえず、戦犯と戦争で犠牲になった人々を同じように祀ることには無理があるだろう。びっくりしたんだけど、最初は戦犯は祀られていなかったのに、1970年代に厚生省(当時)の役人が「悲願」として内々に合祀に踏み切り(つまり靖国神社の名簿に戦犯の名前を加えた)、その翌年にその事実が明らかになった、らしいということ。そのあたりの事情は、今の私にはあまりよくわからないのですが。
でも、そういう事実はもっと重く扱ってもいいんじゃないかと思う。そんなことが一省庁で行われたということが驚きだし、発覚したときどんな議論がなされたのだろう。それを知りたい。
別に祀る、という論議もされていて、それについてはよくわからないが、すべて政治的なこと(選挙も含めて)に左右されたり利用されたりして、犠牲者の遺族はやりきれないだろう。千鳥ヶ淵の戦没者慰霊だけではダメなんだろうか。
■単純な男、小泉
参拝後の小泉の記者会見は、仕事の合間にちょこっと見ただけなのだが、感想を一言。
ワンフレーズ男が、さすがに今回は言葉を駆使して応答していましたね。当たり前だけど。参拝を反対される理由を自分なりに分析もしていて、わかりやすかったことは事実です。
でも、あきれたのは、中国や韓国の反応について例をあげて語ったこと。参拝をするなら首脳会談はお断り、と主張してきた両国に対して、「国と国との間に何かしら問題があるのはよくあること。でもその一つを捉えて、首脳会談を拒否するというのはいかがなものか。両国は日本の安保常任理事国入りを反対しているが、それを理由に私が首脳会談を拒否したことがありますか。私はいつでも未来志向で両国との関係を見据えています」って。おまけに「ブッシュに言われたら参拝しないのではないか、と言う人がいますが、そんなことはない。ま、ブッシュはそんな大人げないことは言いませんが」なんてことまで付け加えた。
戦争で侵略されて多くの犠牲者を出した国の心情を、安保常任理事国入りの問題にたとえた、その単純さ、というか無神経さに、一瞬のけぞった私でした。こんな人が五年も首相だったんだな、人気のあるときもあったんだな。もう恥ずかしいというか、情けないです。
井上ひさし氏は、東京裁判当時の庶民のようすを描いた三部作の最終作『夢の痂』で、結局この国は、天皇も庶民も戦争の責任をとらずにきてしまった、と問題を投げかけています。庶民だって、自分のしたこと、しなかったことで、その人なりの戦争責任を背負わなければいけなかったんじゃないか、と。自分の国がしてきたことを、きちんと子どもたちにも示してはいないわけだし。それでいて、愛国心を叫んで、どうするつもりなんだろう。
うまく言えないけれど、そういうことを多くの人がしなかったから、この国はずっと迷走しているのかもしれない。犠牲になった東南アジアの国々から、どこか信用されないのも、そういう曖昧さが伝わっているからなのかもしれない。
靖国問題でも、語り合わなければならないことはもっと根本的なことなのかもしれない。