こんにちは  お元気ですか(上郡町 そとかわピアノ教室)

上郡町の、小さなピアノ教室です。
ピアノを通して元気になれる教室を目指しています!

女子会

2015年03月30日 | 家族
母の喜寿祝いを兼ねて宝塚に出かけてきました。



ひさしぶりの宝塚観劇です。(前回からもう十年以上も経っています・・・・・)

昨年100周年を迎えたとあって、以前に増して明るい雰囲気に包まれていました。

座席に座って待っていると、

熱心なファンらしい人たちが私の後ろでひっきりなしに宝塚のことを話していて、

どうやら東京からお目当てのスターに会うため来ている、とのこと。

劇場に入る前にテレビなんかで見聞きする、スターが楽屋入りするのを待っている人たちも見かけたし、

宝塚の独特の空気に浸りながら、思い切り舞台を堪能しました。



歌舞伎の女形の方が女性より女性らしい、と言われるように、

宝塚の男役スターの、なんと惚れぼれする決めポーズ!
(というか、やりすぎだよ、憎いね!って感じです・・・)

これはもう、ここでしか見られないものですね。

だからこそ、それに惹かれるファンがこんなにも集まる、というわけなのでしょうか。
(平日なのに立ち見のお客さんがたくさん!)

ちょうどその日は宝塚音楽学校入学試験の日で、受験したと思われるひっつめ髪の美少女と何度もすれ違いました。

普通のお客さんの中にもOBらしき人や、垢抜けた綺麗な人がたくさん。

そんな中に混じるには、もう気恥かしさを覚えるようになってしまったけど、

美しいものや人に囲まれて、自分も少しだけしゃんとした気持ちにさせてもらいました。

その日の夜は、有馬温泉に一泊して、美味しいものを食べて、母と、妹と、姪と娘たちと、女子会で盛り上がりました。

・・・実は、次の日は私の誕生日でしたが、誰も思い出してくれなくて。

まあ、でもそんなことはどうでもいいのです。(・・・ちょっと強がっています)

それよりも、母に

「○○年前に産んでいただき、ありがとう。またみんなで楽しみましょう」

と、メールが打てたことのほうが、今の私にとっては誕生日の価値があると思えるのです。

次の機会も、また次も・・・。

なるべくたくさんこんな女子会が持てますように。







兵庫県赤穂郡上郡町の「外川ピアノ教室」ホームページ








行けるときに…

2014年10月07日 | 家族
この日曜は以前から二人の娘と約束していた小旅行の日。

まさかまさか、台風襲来と重なるなんて。

行くのをやめておこうかな、とも思ったのですが、お互いに都合をつけて実現した貴重な時間。思いきって出掛けました。

観光して歩くというのはできなかったけど、どこに行っても人は少なくて、ゆったり過ごすことができました。

この計画は娘が立ててくれて、言わば私は連れていってもらったようなもの。

写真を撮っても私はすっかりおばさんになり、横に立つ娘たちの頼もしい姿に嬉しさと少しの寂しさと感じてしまいました。

次はいつ?
どこそこに行こうね

と、帰りの車の中で話しました。

美味しい食事

気持ちのよい温泉

そして何より楽しい時間に

感謝、感謝です。





鎮魂

2014年05月07日 | 家族
・・・・・・


みなさま、ナニワぶしにお付き合い頂きまして、ありがとうございます。(ここを初めてお読みになる方は4月24日からのブログを読んでいただけるとご理解いただけるかと思います。お時間あれば、どうぞ・・・・)

父を最後に見舞ってから見送るまで、あっという間に過ぎていったような、たくさんの思いの詰まった数日間だったような。

ただ、やはり書き留めておきたい、その思いだけがありました。

まあ、美しいことを書き連ねましたが、いろんなことがありました。

人生でたった一度でしたが、父にぶん殴られたこともありますし、ここで決めとかないと・・・と、思うようなところで決めなかった父を見て情けなく思ったことも。

お金の使い方も母に心配をかけるようなこともあったし、酔っ払って正体なくしたこともあったし。

でも、歳をとるたびに丸くなって穏やかになって、何よりよく働いて、人のために動いて、笑顔を絶やさず、周りの人から好かれて、いいおとうちゃんでした。

そんなお父ちゃんの、いいとこも、悪いところも(!)

「あんたはお父さんにそっくり!」

と、母が笑って言うのが嬉しかったりするのでした。

そうだな・・・・。

もう、私のモデルはいなくなってしまいました。

そして、そんな父に似てはいるけれど、私は私の生き方をしなくてはいけないな、とも思っています。

何度も言うよ。



おとうちゃん、ありがとう。

告別

2014年05月06日 | 家族
すぐさま妹に電話をかける。妹もすぐに電話に出る。第一声。
「やっと電話をかけてきた。今まで何してたの、このばかちん!」

ごめん!きょうに限って携帯もって出るの、忘れてた!すごいヤキモキしてたんだけど、帰ってみたら、やっぱり、という感じで・・・・

あたふたと言い訳して、妹もひとこと言ったらあとはすぐに本題に入り、どちらにしてももう間に合わない話だからこちらで先にすすめておく、明日来てから話そう、と電話を切り、そのあとあちこちに連絡を入れてとりあえずその週の仕事をすべてキャンセルしました。

次の日、水曜日。

父はもうひつぎの中でした。

いつかは来る日だけど、このお正月まで、そんなことはまだまだ先のことだと思ってたのに。

おとうちゃん。

声をかけてみるけど、もう返事はない。

とうとう来ちゃったね。お別れが。寂しいよ。まだまだ生きてて欲しかったよ。

何度も何度も父の顔をさすりました。

通夜。

一番広い会場での告別式に、母は「こんなに広いところ使って、席が空いたりしたら申し訳ないけど」と、何度も言っていましたが、いざ始まってみると会場に入りきれない人のために臨時に会場の外に椅子が用意されるなど、たくさんの人にお参りしていただきました。

親族の席に座りながら「さすがお父ちゃん、付き合い広かったものねえ」と、感心していました。

お寺の総代もしていた父は、先代からのおつきあいで、若い住職さんが声を詰まらせながら父の思い出を話してくださったのも、心が温まる思いでした。

夜は会館に泊まり、一夜を過ごしました。

寝る前に何度も何度も父の顔をさすり、起きては何度も覗き込み、その度になんとはなしに顔がだんだんと整っていくようで、不思議な感覚でした。

しまいには、その顔をじっと見つめ、「なんていい男なんだろう」と、ほれぼれと見つめていました。

歳をとったとはいえ、均整のとれた顔立ち、鼻筋の通った、面長の、頬から顎にかけてのシャープな線は彫刻のようです。閉じられた両まぶたはスッキリと、目の輪郭はまるで上品なこけし人形のようです。思わずカメラを手に取り、彼のデスマスクを写真に収めたい衝動に駆られました。

お父ちゃんて、こんなにハンサムだったっけ?

いつも上機嫌でお酒を飲んでは冗談飛ばしている父しか記憶にないので、このようにおすましして鎮座?している顔を見たことがなかったものですからなおさら、この小さな発見に驚いてしまいました。

木曜日。告別式。

夕べにもましてたくさんの参列の方が集まって下さり、人が集まり、賑やかに過ごすことが大好きな生前の父の姿そのままのお葬式を無事に済ませることができました。

そして、夜が来て空を見上げると、真ん丸な月がこうこうと光を放っていました。

とつぜん、西行(平安時代末期から鎌倉時代の歌人)の有名な短歌が思い出されました。


願わくば 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月のころ


高校生の時、この短歌を教えてもらった時、私もこんな状況で最後を迎えたいものだと強く思い、今もその気持ちでいますが、なんと、父に先を越されるとは。(いやいや、順当だ・・・・)

桜はもうだいぶ散って葉桜の時期ではありましたが、じゅうぶん美しい風情を残していました。

私にとってどこまでも嬉しい、楽しい存在だった父。

あの日、携帯を忘れてしまったのも、今思えば勉強に集中したらええぞ、という父の計らいだったのかも・・・などと勝手な想像をしています。


平成26年4月16日(火)10時44分

野村郁夫

享年83歳


合掌




しくじり

2014年05月05日 | 家族
父と最後の一晩を過ごした次の日、仕事があるので上郡に帰りました。

翌週明けの月曜日。

妹にメールを送る。
「お父さんの具合、どんな?」

返信「肺炎は治まったけど、脈が時々早くなるので脈を抑える薬をもらってる」

肺炎になる前のしゃべれる状態には戻らないらしい。

火曜日。

その日は以前から予定していた講座受講の日。
最近、高齢者向けのピアノを教える講座が増えてきて、上郡にも習いたいと思っておられる高齢者の方はきっといるはずだと思い、この五月から生活文化講座で簡単ピアノ教室として生涯学習支援センターで講座を持たせていただくことになりました。

まず手始めに、昨年から県民交流広場の「菊森さんの家http://www6.ocn.ne.jp/~housekm/index.htm」で、ほそぼそと始めています。
みなさん、「上手くならないけれど楽しんでやっています」と、言いながら通ってくださっています。

高齢者の方に教えるポイントは?

そう思っていた矢先の講座の情報でした。場所は京都市近くの城陽市というところで、ちょっと遠いのですが、出かけてきました。

すでに何人もの高齢者を教えておられるという講師の方は、いろんな教材や教える時の心構え、言葉のかけ方などたくさんのヒントをくださり、とても有意義な講座でした。

昼食はみなさんでお弁当をとり、会話も弾みました。そのあと、実際に8人の高齢者のピアノレッスンも見学させていただき、小さな子どもとは違う大変熱心な姿に、教える立場とか、そういうものを超えて、頭の下がる思いでみなさんの演奏を聴かせていただいたのでした。

集まった京都市周辺のほかのピアノの先生方と交流もでき、とてもいい一日でした。

ただ・・・。

その日、私は携帯を持って出るのを忘れてしまったのです。朝、起きて電池の残量が少ないことに気がつき、出かけるまでに少しでも充電を・・・と思い、充電器に差し込み、結局そのまま出かけてしまいました。

充実した講座を終えて帰りの電車に乗り込み、車窓を眺めるうち、二日前の父の姿が突然よみがえってきます。

お父さん、どうなっただろうか・・・・。

もし、緊急の知らせが入っていたら・・・・。

帰りはもうそのことで頭がいっぱいになり、もしかしたら・・・・と、思うと不覚にも涙が出てきます。

帰って、すぐに携帯を開きました。

メール着信の他に不在通知の電話着信のマークも入っています。履歴を見ると、妹、弟から何件も。

メール受信箱を開く。
妹「父さんが、今亡くなりました」
時間を見ると、午前10時44分。
ぎりぎり講座に間に合い、席に着いた頃でした。

私は悲鳴とも叫びともつかない声を上げてその場に座り込みました。


最後の夜

2014年04月26日 | 家族
父は、本当によく手をあげて、なにか伝えようとしているのか、なにか求めているのか、わからないのがもどかしいくらい何度も何度も片手を上げていました。

そのたびに手を握り、

「なに?」

「なに?」

「おるよ。ここにおるよ。」


声をかけるのだけど、そのたびに目を細く開けて見つめてくれるのだけど、それ以上何もわからない。

暗くなった病室で何度も手を握り、しまいには、私も意味もなく

「おと~うちゃん」

「おと~うちゃん」

と、歌うように呼びかけるだけでした。

そのうち、懐メロが好きだった父について小さい頃から聞いて覚えた歌が口をついて出てきました。

「きーしゃのぉまどか~ら、ハンケーチーふーれーばー
   まーきばのおとめ~が、はなたば~なーげーるー」

「はーるばるきたぜ、はーこだってーーー、
   さーーーーかまくぅなみをのぉりこえってえーー」

おとみさん、ちゃんちきおけさ、北国の春、別れの一本杉、それから、それから・・・

半分涙声で上手く歌えやしない。かまうもんか。もう、聞いてもらえないかもしれない。

お父さん、ピアノ習わしてくれて、ありがとね。
しあわせな人生をありがとね。

伝えたいことを思いつくまま、語りかけるのだけど、苦しそうに息をするだけです。

また、ゆらゆらと手が上がっていきます。

背が高く、庭に実のなる木を植え、季節ごとの野菜を作ってきた父の大きな手はサイズはそのままで腕は骨に皮が張り付いているだけになっています。

その大きな手のひらと太い関節がむきだしになり、その重みにようやく耐えている様子で手が上がります。

「お父さん、こないだね、ユイちゃんの国家試験合格の通知が届いたんよ。この四月から病院で働くことになったんよ」

突然、父が正気に戻り、

「そうか!やった!よかった、よかった!」

の、声が聞こえてきそうな勢いで私の手を握り返し、手を何回も叩きました。

「マナちゃんも毎日頑張ってるよ。帰ってきたらへとへとになってる。」
「ヒロキもがんばっとうで。あんまり連絡よこさんけどな」

「・・・そうか、そうか」

満足そうに笑って、そしてまた目をつむりました。

そして、また静寂。

苦しそうな息と、時々襲ってくる痛み。

たまらず、看護婦さんを呼んで痛み止めの薬をいただく。説明をしようとするのだけど、涙で言葉が続かない。

笑顔で対応してくださる看護婦さんの顔も曇る。

手を握っていることしかできない。

また、「おとーうちゃん、おとーうちゃん・・・・」と、呪文のように呼びかける。

そんな時、ぼーーっと呪文を唱えていた私の手を両手で包み、父が何を思ったか手拍子を打つ真似をし始めた。

・・・・え?

なにか歌えって?

えーと、えーと・・・・

知らぬ同士が、小皿叩いてチャンチキおーけーさーぁあああ・・・・

すると、父の手が伸びて私の顔をさすり始めたのです。

おとうちゃん、おとうちゃん・・・・・

ありがとう、ありがとうね・・・・・。


一晩ですっかり顔の形が変わるほど私はたっぷり父と別れを交わしたのでした。




別れのとき

2014年04月24日 | 家族
先週、父を見送ってきました。

いつかは来ることとはいえ、やはり寂しさはぬぐえません。

今はただ、安らかにあれと願うばかりです。そして、私にとって素晴らしい人生を残してくれたことをひたすら感謝する毎日です。

昨年から入退院を繰り返し、食欲が落ち、あんなに畑の世話をしていた父が寝てばかりの生活になり、やせ細り、最後には骨と皮になり、病に蝕まれて衰えていく姿を見守ることしかできなかったのが残念で、悔しくて、父がかわいそうで、悲しくなります。

それでも、顔を見せると嬉しそうに声をかけ、元気そうに振舞ってくれるので、心のどこかで不安に思いながらも私たちに希望を持たせてくれたのが救いでした。

春休みに娘たちと一緒に実家に行った時も、やせ衰えたとはいえ、まだまだ会話もでき、娘たちに頑張れよと声をかけてもらい、二人とも、その声に応えて笑顔で帰ることができ、それが最後となってしまいました。


一ヶ月後、入院していた父が誤嚥性肺炎になったと知らせを受け、土日をはさんで出かけました。家には寄らず、直接病院に着くと、妹が出てきて、寂しそうに笑いかけ、
「お姉ちゃん、びっくりしなさんなよ」
と言ってドアを開けてくれました。

そこには今までの私の知っている父ではなく、まるで骸骨のような、苦しそうに息をする見知らぬ老人が横たわっているのでした。

“びっくりなんか、するものか”

気持ちを立て直して近寄り、片手を上げて空(くう)をつかもうとしている父の手を握り、
「お父ちゃん、来たよ~」
と、話しかけました。

細く開いた目でわたしをじっと見つめ、しばらく動きませんでした。

妹が後ろから
「お父さん、おねえちゃんが来てくれたんよ、わかる?」
と、声をかけると、ぱっと顔に表情が戻り、何かを話しかけてくれました。

でも、もう声は出ず、はあ、はあ、と息が漏れるだけです。
「お父ちゃん、何言ってるかわかんないよぉ」
笑顔で言ったそのあと、思わずこみ上げてきて握り締めたその手を抱え込んで、ぽたぽたっと涙を落としてしまいました。

妹も後ろで泣きながら
「昨日からずっとそうやって手を上げとるんよ。握ってやっておろしてあげるんだけど、すぐ上げるんよ。」

「こないだからお母さんやキヨシと交代で泊まって様子を見よるんよ。看護婦さんがついててあげてくださいって。」

「・・・・じゃあ、今日は私が泊まるね。普段はできんもんね」

私は最後の夜を父と過ごすことになりました。

卒業式

2014年03月19日 | 家族
娘がこの春専門学校を卒業しました。晴れて四月からは社会人。

卒業式には袴を着るというので、急きょ、着付けの本を引っ張り出して、少し呉服屋さんにも習いに行って、当日早起きして着付けてやりました。



そして、謝恩会にはそのまま着物に着替えて自分で帯を締めてみると言って、大きな荷物を持って出かけていきました。

まわり道をした分、たくさんの思いを抱えて職場にのぞんでくれますように。

卒業、おめでとう。


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御殿付きのお雛様

2014年03月06日 | 家族
「菊森さんの家」では、ただいまたくさんのお雛様を飾ってみなさんに公開しています。

その中で、珍しい御殿付きのお雛様がありました。係りの方に聞いたところ、かれこれ60年前のお雛様なんだそうです。



実は・・・・。

私の実家のお雛様も御殿付きなんです。

母の実家の祖父が戦死し、父がわりの叔父が工面して初孫(正しくは初メイッコ?)の私のために買ってくれたのだと、大きくなって母から聞きました。

御殿付きが珍しいというのも、娘になってから気がついたので、二十歳過ぎた頃から妹と一緒に、長いこと日の目を見なかったお雛様を飾っていました。

「このお雛様はあたしが貰うよ」

と言っていた妹の家にこのお雛様が飾られたのを見たことはないのですが、ほかの家にはなかなかない御殿付きのお雛様がうちにある、というのはなにげに自慢でした。

係りの方の「60年前くらい・・・・」という言葉を聞いて、改めて自分のトシを確認し、実家のお雛様に思いを馳せるひとときでした。(あっ!・・・・でも、まだトシは四捨五入したら五十ですよ!)





ほかにも素敵なお雛様がズラッと。
賑やかで、華やかで、いいものですね。









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母から電話

2014年02月06日 | 家族
レッスンがひと段落したところに実家の母から電話がありました。

お正月に撮った写真の引き伸ばしが届いたとのこと。

今年はいとこが勢ぞろいして、3歳から25歳がかるたをしました。

もちろん、ちっちゃな子に思いっきり花を持たせてあげたかるた大会。



最後に集合写真を撮ったのでした。

普通サイズに仕上げるだけではもったいなくて、写真屋さんに相談してこのような形に仕上げてもらいました。



その、報告とお礼の電話。

いつもはバタバタしてゆっくり話ができなかったのだけど、今回は久しぶりに無駄話をたくさんしました。

ご近所さんのできごと、お父さんのこと、妹が何かと心配して動いてくれること、トイレの水漏れのこと等・・・・

「もうみんな帰ってくる頃じゃない?切ろうか」

と言いながら、30分くらい話し込みました。

少しずつ弱っている父のことを母も妹も静かに受け止め、私に報告してくれます。

また時間を見つけて会いに行かなくては、と思いました。





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