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■間違いなく「悪い円安」が日本経済を蝕んでいく ~円安万能論を捨て、日銀は正常化を示唆すべき~ 東洋経済 2021/10/15 唐鎌大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

2022-07-07 14:19:53 | 日記

 

 

■間違いなく「悪い円安」が日本経済を蝕んでいく

~円安万能論を捨て、日銀は正常化を示唆すべき~

東洋経済 2021/10/15

唐鎌大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト

https://toyokeizai.net/articles/-/462077


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今の日本経済が直面している円安はどう見ても「悪い円安」である。

2013年ごろに円安志向のアベノミクスを批判する人々の基本認識は「もはや輸出が増えない円安には、持続的な景気浮揚効果はない」というものだった。

当時はそのような主張をするとひどく叩かれたものだ。

最近では景気回復には円安が必要だと主張する人のほうがだいぶ減ったのではないか。

円安・株高を主軸とする景気回復には往々にして海外への所得流出が伴い、たいていの場合、「実感なき景気回復」であると揶揄されてきた。

アベノミクス下での景気回復(2012年11月から2018年10月までの71カ月間)でも、それ以前の小泉政権下で実現した戦後最長の景気回復(通称:いざなみ景気、2002年2月から2008年2月までの73カ月間)でも、そうした揶揄は付いて回った。

一般国民が何をもって景気回復を「実感」するかは曖昧だが、やはり雇用・所得環境が肌感覚に近いだろう。

アベノミクス下では雇用の「量」は回復が著しかったものの、所得(賃金)に関しては失望を買った。

 

・「実感なき景気回復」の正体


実質ベースで見た国内の所得環境を捉える計数に実質国内総所得(GDI)がある。

実質GDIは、実質GDP(国内総生産)に交易利得を足した(あるいは交易損失を引いた)概念である。

ある基準年から、交易条件(輸出物価÷輸入物価)が改善していくと交易利得が増えるか交易損失が減る。

悪化していくと交易利得が減るか交易損失が増えていく。

交易損失は、企業にとっては仕入価格の上昇を販売価格に転嫁できていないことを示し、企業収益の圧迫を意味する。

マクロ経済全体にとっては海外への所得流出と同義だ。

そんな状況で雇用・賃金情勢が持続的に改善していくものでないことには、多くの説明を要しないだろう。

例えば、下図に示すように、2000年代の円安局面では交易利得の縮小(2005~2007年)ないし交易損失の拡大(2013~2015年)がみられた。

円安による輸入物価上昇が交易条件を悪化させ、実質ベースで見た国内総所得(GDI)の伸びを抑制するのである。

とりわけアベノミクスが喧伝された2012年以降、経済を生産面から見る実質GDPに対して、所得面から見る実質GDIが劣後しているのがわかる。

この差が交易損失であり、「GDPの仕上がりが良くても景気回復の実感がない」理由だと筆者は考えている。

「実感なき景気回復」の一因として交易条件の悪化(≒交易損失)は看過できない。

図に見るように、逆に2020年春以降のパンデミック下では円相場はそれほど動いていないが、原油を筆頭に資源価格が急落したことで交易条件が大幅に改善し、交易利得が発生している。

為替は動かなくても、資源輸入国は商品市況に合わせて交易条件が上下動する。

まとめると交易条件が悪化する局面では、①円安か②原油高のいずれかが基本的に進んでいる。

次の図は起点を「1970年3月」と「2000年3月」の2つに分けて、交易条件指数の推移を見たものである。

やはり為替と原油の動きが重要だったことがわかる。

1973年と1979年に経験した二度の石油ショックで拡大した交易損失はプラザ合意の円高で吸収されたイメージになる。

もちろん、これは交易条件に限定した話であって、周知のとおり、超円高が諸々のショックに連なっていくことになるので「円高でよかった」という結論にはならないが、少なくとも悪化していた交易条件が超円高によって大きく復元したのは確かである(当時は原油価格も下落方向だった)。

片や、2000年代に入って、石油ショックやプラザ合意のような交易条件の劇的な変化を経験したことはない。

しかし、脱炭素に伴う昨今の潮流を人類史におけるエネルギー革命の過渡期と定義した場合、そうした劇的な変化が起きても不思議ではない。

 

・円安、原油高が日本人の暮らしを圧迫


そのように基本認識に立つと、足元のような、①円安と②原油高という2つの交易条件悪化要因が同時進行していることは由々しき問題であり、当面の交易損失拡大は確定した未来と見たほうがよい。

上述したように、これは定義上、実質GDIの圧迫を意味する。生活実感としての景気回復は一段と立ち遅れるだろう。

すでにiPhoneや外車、時計といった海外輸入品の価格が引き上げられているのは象徴的な経済現象であり、今後は日用品全般に波及してくる可能性も否めない。

典型的にはガソリン価格だろう。

街のガソリンスタンドに目をやればもう1年前の倍近くまで上昇している。

これは実体経済に対して実質的には増税効果になる。

商品市況や為替相場に絡んだ話を国内のマクロ経済政策で大きく修正するのは不可能である。

しかし、何もできないわけではない。

これを機に、ポーズであっても日本銀行は金融政策正常化を示唆したほうがよいと筆者は考えている。

これまで緩和策の副作用を指摘されながらも日銀が正常化プロセスに触れなかったのは、「物価が上がらないから」というのが建前だが、本音は「円高が怖いから」で、これが最大の理由であろう。

過去における日銀の緩和政策が往々にして円高・株安に呼応する格好で決断されてきたことがそれを示している。

実際、日本の輸出数量が円安と正の相関を持っている時代には、その判断は適切でもあった。

しかし、アベノミクス下ではドル円相場は50%以上上昇したが、輸出数量はほとんど増えなかった。

これでは円安になっても貿易収支の改善はなく、単に所得流出が増えるだけである。実際にそうだった。

また、近年ではドル円相場と日経平均株価の相関も不安定になっており、円安による株価浮揚の効果も過去ほどではない。

いつかはやらねばならない出口戦略なら今が好機ではないか。

過去1年半で日本経済は欧米経済に大きく出遅れており、もはや日銀以外の海外主要中銀は正常化プロセスに関し一歩も二歩も先行している。

今さら、金融市場での注目度が下がっている日銀が多少の縮小を示唆したところで、かつてのようなヒステリックな円高になるとは思えない。

 

・後手に回れば円が売り込まれるリスク


微力であっても円安進行を抑止する一助になる可能性があるならば、「正常化プロセスを検討している」と述べる程度のアクションを起こしてもよい。

理由づけはインフレ高進への予防的措置とでもすればよい。

これまで何度となく無理筋な理由づけをしてきたのだから、上述したような実質所得環境の危機的状況を踏まえれば、十分まかり通るだろう。

重要なことは、政策当局は焦燥感を市場に悟られてから動くとロクな目にあわないということだ。

市場参加者から「円安は日本経済にとって痛手」と認識され、いったんその方向に相場が動き始めたら、円売りで攻め込まれる恐れがある。

そうなってからではできることは非常に限られてくる。

金融政策に限らず、まだ傷の浅い今のうちに少しずつ円安を抑止できるような処方箋を日本は検討すべきように思える。

それくらい、円安と原油高が同時進行する現状は危うい。

また、これを契機に円安万能論のような社会規範も修正されていくことも必要である。


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間違いなく「悪い円安」が日本経済を蝕んでいく~円安万能論を捨て、日銀は正常化を示唆すべき~
東洋経済 2021/10/15 唐鎌大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト
https://toyokeizai.net/articles/-/462077


日本人はなぜ「円安貧乏」になったのか~円安は「後退する日本」の象徴なのか~

2022-07-07 14:19:32 | 日記

 

■日本人はなぜ「円安貧乏」になったのか

biglobeニュース 2021/10/29 JBpress

https://news.biglobe.ne.jp/economy/1029/jbp_211029_2614345997.html


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為替レートが1ドル=114円前後と、5年ぶりの円安になっている。

10月28日の金融決定会合の後の記者会見で、日銀の黒田総裁は「悪い円安とは思っていない」とコメントしたが、これは日本人が世界の中で貧しくなったことを意味する。


通貨の実力(購買力)の指標としてよく使われる「ビッグマック」の価格は、アメリカでは5.65ドルだが、日本では390円。

購買力は1ドル=69円だから、114円の為替レートはその60%しかない。


これが多くの人が「貧乏になった」と感じる原因だが、なぜこんなことになったのか。

 

・企業は史上最高益だが労働者は貧しくなった


その直接の原因は、安倍政権の円安誘導である。

2013年に日銀の黒田総裁が「量的・質的緩和」を宣言したころから大幅な円安・ドル高になり、円は1ドル=80円前後から120円前後になった。


これが黒田総裁のねらいだった。

政府が特定の為替レートに外為市場を誘導することはタブーとされているので、2%のインフレ目標を設定し、円の価値を下げて円安・ドル高に誘導しようというのが彼の目的だった。


これは多くの日銀関係者が認めている。

ところがインフレ目標は失敗したのに、円安は実現した。国民のほとんどはインフレ目標なんか知らないが、投機筋は知っているからだ。


外為市場で動く資金の99%は為替投機だから、中央銀行が物価を操作することはできないが、資産市場を操作することはできるのだ。

その結果、日本人は実力の6割の価値しかない円で買い物をしなければならない。


だから輸入品の価格は実力の1.6倍の価格になるのでインフレになるはずだが、そうならないのはなぜだろうか。

その原因は、物価が上がる代わりに賃金が下がったからだ。


図1のように、購買力平価でみると、この30年でOECD諸国の年収は1.5倍になったが、日本はほとんど変わっていない。

だがこの間に日本の物価もほとんど上がっていないので、賃金単位でみると日本の物価は世界水準と変わらない。


このように企業が儲かる一方で、労働者は貧しくなった。

これを安倍政権はインフレで解決しようとしたが、逆に格差は拡大してしまった。


それを岸田政権は「新しい資本主義」で解決するというが、具体策は何もない。

その原因がわからないからだ。

 

・黒田総裁の見逃したグローバル化


この傾向を中央銀行の通貨供給量で決まるデフレと考えたことが、安倍首相と黒田総裁の間違いだった。

物価が上がらないのは賃金が上がらないからで、その原因は国内の雇用が減っているからだ。


日本の完全失業率は3%以下と世界的にみても低いが、その原因は高齢者や主婦の雇用が増えて非正規労働者が増えたからで、総労働時間は減り続けている。

それが年収(時給×労働時間)の減った原因である。


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日本人はなぜ「円安貧乏」になったのか
biglobeニュース 2021/10/29 JBpress
https://news.biglobe.ne.jp/economy/1029/jbp_211029_2614345997.html

 

 

 

 

 


■円安は「後退する日本」の象徴なのか、浮上する不都合な真実=佐々木融氏

reuters(ロイター通信)2021年7月26日 佐々木融(JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長)

https://jp.reuters.com/article/column-toru-sasaki-idJPKBN2EW02C


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<今年に入って円独歩安>


今年に入ってからの為替市場では、円が先進国通貨の中で独歩安となっている。

現状の円実質実効レートの水準は2015年6月に記録した1970年代前半以来の最安値まであと4%程度の水準まで下落している。

現在の水準は過去20年間の平均からは20%、過去30年間の平均からは30%も割安となっており、1973年2月の変動相場制移行直前と同レベルの円安水準となっている。

しかし、長期的に見ると、円の弱さは今年に始まったことではない。

アベノミクス開始後に大幅な円安となって以降、円の実質実効レートはおおむね1970年代前半と同レベルの水準で推移し続けている。

 

<円の購買力、70年代に逆戻り>


円の実質実効レートが1970年代前半と同水準での推移を続けているということは、単純に言えば円の購買力が1970年代前半と同水準となっているということだ。

例えば、80年代後半から90年代までは、海外から来日した外国人は一様に日本の物価の高さに文句を言っていた。

一方、日本人が海外旅行に行くと、日本に比べると割安なブランド物を免税店で購入して帰ってくるのが定番だった。

それがアベノミクス以降に大幅な円安となってからは、来日した外国人は「日本は安い」と口をそろえて言うようになった。

実際、コロナ前までは銀座で買い物を楽しんでいる海外からの旅行客が目立った。

一方、日本人にとっては海外旅行先で様々な物が割高に見え、免税店では「日本で買った方が安い」とつぶやくことが多くなった。

 

<物価調整しなくなった円相場>


なぜ、円はこれほどまでに割安となり、購買力が低いままとなってしまっているのだろうか。

現象面から単純に解説すると、それは「日本の物価上昇率が他国と比べてかなり低いのに、為替レートがその分の調整をしていない」ことが背景にある。

2000年以降の約20年間でみると、日本の消費者物価指数は2─3%程度しか上がっていない。

これに対し、その他の主要国は概ね40─50%程度上昇している。

この現象は、物価上昇率の差の分だけ、円という通貨の相対的な価値が他国の通貨に比べて上昇したことを意味している。

しかし、実際の為替相場をみてみると、ドル/円相場は2000年の平均レートと2021年前半の平均レートがほぼ同水準、ユーロ/円相場、人民元/円相場は逆に現在の方が円安水準となってしまっている。

つまり、物価上昇率の差を全く反映していないどころか、逆方向に動いてしまっている。

この結果、円は実質的に歴史的な割安水準まで落ち込んでしまっている。

なぜ、実際の為替相場は実質的な円の価値の上昇を反映しなくなったのだろうか。

様々な理由が考えられるが、次の4つは特に影響している可能性が高いと指摘したい。

 

<日本企業のキャピタルフライトと貿易構造の変化>


1つ目は「日本企業によるキャピタルフライト」だ。

日本企業はアベノミクスが開始された2013年ごろから対外直接投資を急増させている。

2013年9月に安倍晋三前首相はNY証券取引所で行った演説で「Buy my Abenomics」と発言したが、日本企業には真逆の行動を取ってきた。

また、経済産業省の統計によると、日本企業の海外現地法人の純利益は年間10兆円程度でそのうち4兆円前後を内部留保として積み上げている。

結果的に日本企業の海外現地法人の内部留保残高は40兆円以上に上っている。

円は実質的にかなり割安で、今や日本の物価は安い。

後述するように今や日本人の平均年収は相対的に高いとは言えず、むしろ低い。

それでも日本企業は海外に進出し、海外で利益を積み上げている。

これは日本企業による一種のキャピタルフライトと言えるかもしれない。

2つ目は「日本企業が円安メリットを以前ほど享受できなくなっている」という点だ。

製造業による対外直接投資増加も一因となっていると考えられるが、近年は円安になっても輸出数量が伸びず、貿易黒字が増えなくなってきている。

また、輸入企業は円安で上昇しているはずの輸入価格を国内価格に転嫁できず、物価も上がらないし、企業収益は悪化する。

 

<海外勢の失望売りと日本人の現金選好>


3つ目は「外国人投資家の失望・日本株売り」である。

このところ外国人投資家の日本株に対する興味は減退してしまっているようで、アベノミクスに期待して2013年、14年に合計20兆円の日本株を買い越した外国人投資家は、その後に10兆円分を売り戻してしまった。

4つ目は「日本の家計の現金選好」だ。日本の家計は円と交換することができる資産に魅力を感じていないのか、長いデフレの中を生きる上での知恵なのか、金融資産に占める預貯金の保有比率が高い。

つまり、いくら対外的な購買力が低下しても、日本の家計は円という通貨が最も魅力的な国内資産だと感じて保有している。

だから、円という通貨は日本国内で価値を維持している。つまり日本の物価は上がりにくい。

 

<上がらない日本人の年収>


円が割安な水準から調整されないだけでなく、日本は年収も上がらないので、ますます日本人の相対的な購買力が低下してきている。

経済協力開発機構(OECD)のデータによると、2020年の日本の平均年収は440万円だが、2000年は464万円だった。

20年間で小幅減少しているが、他国と比べるとかなり異常と言える。

その他主要国の平均年収はおおむねこの20年間で1.5倍から2倍に増えているからだ。

データがあるOECD加盟国で年収が減っているのは日本だけだ。

この結果、ドル建てでみた平均年収は2000年当時の日本はOECD加盟国の中で3番目に高い国だったが、今や順位は20位まで低下しており、韓国とほぼ同水準となっている。

ちなみに20年前の日本の年収は韓国の2.7倍だった。

他国はインフレ率も高いし、日本はインフレ率が横ばいだから名目賃金が上昇していなくても仕方ないだろうと開き直りたくなるかもしれない。

しかし、日本の実質平均賃金は過去20年間でみても、30年間でみてもほとんど変化していない。

一方、米国の実質平均年収は過去20年間で25%、過去30年間で48%も上昇している。

その他主要国も過去20年間の実質賃金は15%─45%程度伸びており、日本とは状況が大きく異なっている。

日本人の給料は上がらない一方、海外の人の給料は上がり、現地のモノやサービスの価格は上昇する。

本来それを為替レートが調整するのだが、その機能が働かなくなっている。

このままの状況が続くと、日本人にとって海外のモノやサービスはさらに割高になっていくだろう。

そして、割高になる海外旅行に行ける日本人が限られる一方、外国人にとっては日本は一段と割安になる。

過去1年半程度のコロナ禍でも他の主要国の物価は上昇している一方、日本の物価は若干下落している。

それにもかかわらず円安になっているので、国境を超えた往来が通常に戻ったら、ますます購買力をパワーアップさせた外国人観光客が日本に押し寄せてくれることになるだろう。

それ自体は日本経済にとって良いことだが、いずれ良いモノ・サービスの価格は外国人向け価格で高く設定されるようになり、日本人には手の届かない水準になってしまうかもしれない。

 

<先進国からの脱落なのか>


今後もリスクオンの時に円安、リスクオフの時に円高、という短期的な変動パターンは続くと予想される。

世界経済に暗雲が垂れこめれば、ドル/円相場が100円を割れることもあるだろう。

しかし、現状のような米国との物価上昇率の差や賃金格差拡大が続くようであれば、ドル/円相場が90円台まで下落したとしても、円は歴史的な割安な水準にとどまる。

円相場が他国との物価上昇率の差を反映しなくなり、日本が世界の中で高所得国から中所得国になってしまったことは、日本がもはや先進国ではなく、後退しているという意味で「後進国」になっていることを意味しているのだろうか。


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円安は「後退する日本」の象徴なのか、浮上する不都合な真実=佐々木融氏
reuters(ロイター通信)2021年7月26日 佐々木融(JPモルガン・チェース銀行 市場調査本部長)
https://jp.reuters.com/article/column-toru-sasaki-idJPKBN2EW02C

 


■日本円の購買力が1970年代に逆戻りしてしまったことの意味とは 東洋経済 2021/9/12

2022-07-07 14:19:02 | 日記

 

■日本円の購買力が1970年代に逆戻りしてしまったことの意味とは

東洋経済 2021/9/12

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87089


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1990年代に、日本人は海外で貴族のような旅行をすることができた。

ところが、その後、円の購買力が低下した。

最近の購買力は、 2010年の7割程度で、1970年代前半の水準にまで戻ってしまった。

こうなったのは、円高になるとそれを阻止して、円安に誘導する政策が行われてきたからだ。

つまり、日本は自ら望んで貧しくなったと言える。

この結果 、人材を日本に呼ぶことができなくなる。

高齢化が進む日本にとって、これは深刻な問題だ。

 

・90年代の夢のような豊かさ


1960年代の末、1ドル=360円の時代に、私はアメリカに留学して、貧乏生活を強いられた。

当時の私の日本での月給は、2万3000円程度だった。

ところが、留学先のカリフォルニア大学ロサンゼルス校の周辺にあるアパートは、独身用一部屋でも、すべて100ドルを超えていた。

日本とアメリカの豊かさの差を思い知らされた。

それから20年後の1990年代、事態は一変した。

わが家は、家族5人で、何度か欧米を旅行した。

観光地で最高級のホテルを泊まり歩き、貴族さながらの旅をした。

オリンピック、バルセロナ大会の頃のことだ。

由緒あるロンドンのクラリッジズホテルに、家族全員で泊まったこともある。

アメリカでの貧乏学生生活のカタキを取った気分になった。

それから暫くも、外国で優雅な生活をできる時代が続いた。

2005年には、アメリカ、カリフォルニア州のシリコンバレーにあるアパートに、1年間ほど住んでいた。

スタンフォード大学の近くの、緑の環境に囲まれた素晴らしいアパートだった。

ところが、いまではこれらは、夢のような話になっている。

家族5人で欧米の豪華ホテルを泊まり歩くことなど、想像もできない。

シリコンバレーのアパートも、高くて手が出ないだろう。

1990年代、外国の学者は、「日本の大学に1年滞在したいのだが、生活費が高いので無理だ」と言っていた。

いまはそれが逆になっている。

日本の学者は、外国に収入源があるのでないと、簡単には外国で研究生活をするわけにはいかない。

日本の学生が欧米の大学に留学するのも、ますます難しくなっている。

 

・70年代から90年代まで、円の価値が高まる


上で見たような変化が生じたのは、為替レートが変化したためだ。

1960年代の後半、最初の貧乏学生を強いられていたとき、日米の為替レートは、1ドル=360円というレートに固定されていた。

1971年8月15日の「ニクソン・ショック」で米ドルと金の兌換が一時停止された。

72年には、ドイツ・マルクが変動を始めた。

この時、私はエール大学の大学院の学生だった。

ちょうど国際金融の講義の時間に、ドイツ・マルクが変動を始めた。

教室にいた学生の1人が、”The Mark is floating"と大声で叫んだことを、いまでも覚えている。

73年2月には円もフロートを始めた。

そして、76年1月に、変動為替相場制度が導入された。

その後、ドルに対する価値は、日に日に上昇していった。

つまり、円高になっていった。

この動きは、80年代、90年代を通じて続いた。

それがピークになったのが、90年代の前半だったのだ。

 

・購買力平価、実質為替レート指数とは


ある国の通貨の国際的な価値を表わすのに、購買力平価と実質為替レート指数という概念が用いられる。

円とドルを例に取って示せば、つぎのとおりだ。

ある基準時点から、アメリカでは賃金や物価が上がり、日本では上がらないとする。

この場合、日本人がアメリカで同じものを基準時点と同じ負担で買えるためには、基準時点より円高になる必要がある。

この為替レートが「購買力平価」(PPP)と呼ばれるものだ。

購買力平価と実際の為替レートの比率が、「実質為替レート指数」である。

この値が100を下回るのは、実際の為替レートが購買力平価より円安である場合だ(逆なら、逆)。

基準年次と同じ購買力を維持できるほど、実際の為替レートが円高になっていないのだ。

 

・いまの円の購買力は90年代の半分以下


2010年を100とする実質実効為替レート指数の変化を見ると、下図のとおりだ(「実効」とは、対ドルだけでなく、さまざまな通貨との総合的な関係を示していることを意味する)。

1970年には実質実効為替レート指数は58程度であった。

変動制に移行して以降、70年代後半まで、一貫して円高に動いた。

その後一時的に円安になり、80年代の中頃までその状態が続いたが、80年代の後半から再び円高が生じ、1995年4月には実質実効為替レート指数は150.8となった。

これは、1970年代初めの3倍程度の水準だ。

その後下落して1997年には100程度になったが、99年ごろから再び円高になり、2000年には120台となった。

下落傾向は続き、2007年には80台となった。

リーマンショック後の2009年ごろに再び円高になり、100を超えた。

その後、2013年から顕著な円安が進行した。

結局のところ、最近の実質実効為替レート指数は、90年代中ごろのピークに比べると、半分以下の値になった。

そして、最近時点では、日本円の購買力は、1970年代と同程度にまで低下してしまった(図には2020年12月の値までしか示していない)。

その頃の留学生生活を思い出してみると、街を歩いても商店に入っても、豊かさに目も眩むほどだった。

あらゆるものに対して、「アメリカは何と豊かな社会なのだろう」と驚嘆した。

80年代と90年代にそれが逆転したのだが、いまにしてみれば、つかの間の夢に過ぎなかった。

そしていま、アメリカに最初に留学した時と同じ状態に戻ってしまったのだと思うと、感慨深い。

なお、ここで言っている「豊かさ」とは、絶対的なものではなく相対的なものだ。

例えば、1970年代には日本人はロンドンの3流ホテルにしか泊まることができなかったが、80年代、90年代には1流ホテルに泊まれるようになった。

ところがいまはまた、3流ホテルに戻ってしまったと言うようなことだ。

3流ホテルといえども、いまの設備は、70年代の1流ホテルよりよいかもしれない。

例えば、70年代には一応ホテルにもエアコンがなかったかもしれないが、いまは3流ホテルにもあるといったことだ。

 

・日本は自ら望んで貧しくなった


なぜ購買力平価を維持できず円安になってしまったのか? 

それは円高が進むと、それを食い止め、円安にするような政策が行われてきたからだ。

円売り・ドル買いの為替介入は、1990年代から断続的になされていた。

そして、2001年の1月から、顕著な介入が行われた。

その背景は、円高が進んだことだ。

アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーン スパン議長(当時)が政策金利の引き下げを示唆したため、アメリカの短期金利が低下するとの予測が市場に広まり、円高が進行したのである。

為替レートは、02年初めの1ドル=130円台から、03年初めには110円台まで上昇した。

さらに、100円に近づいた。

政府・日銀は、これを危機的な状況と捉え、03年1月から頻繁なドル買いを開始した。

04年3月まで継続的に行なわれた介入の総額は、38兆円を超えた。

これによって円高の進行は止まった。

2010年頃にも円高が進行し、民主党政権は必死になって円安を求めた(ただし、成功しなかった)。

2013年からのアベノミクスの異次元緩和では、市中から大量の国債を購入し、利回りが低下。

このため、円安が進行した。

日本の購買力が低下するということは、日本に所得源があって外国で使うと、いままでのように高い価値のものを買えなくなるということだ。

逆に、外国に所得源があって日本で使えば、いままでより価値があるものを買えることになる。

1980年代、90年代には、日本で所得を得て外国で使えば、贅沢な消費ができた。

それが、いまでは、70年代に逆戻りしてしまった。

繰り返すが、日本は自ら望んで、そのような状況を作り出してきたのである。

誠に愚かなことだと言わざるをえない。


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日本円の購買力が1970年代に逆戻りしてしまったことの意味とは
東洋経済 2021/9/12
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87089

 


■増税した途端…安倍政権“海外バラマキ”累計「60兆円」突破 日刊ゲンダイ:2019/11/06

2022-07-07 04:14:36 | 日記

 

■増税した途端…安倍政権“海外バラマキ”累計「60兆円」突破

日刊ゲンダイ:2019/11/06

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264293


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「国民目線」からはほど遠い決断だ。

10月の消費増税は「税と社会保障の一体改革」の名の下に、税収を社会保障の安定財源に充てる名目にしていたが、直近で安倍首相が決めたのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国への「出資倍増」だった。


庶民に痛みを強いる消費増税実施直後のタイミングでの“海外バラマキ”に批判の声が続出するのは時間の問題だ。

ASEAN首脳会議でタイを訪れていた安倍首相は日本時間の4日夜、外務省所管の国際協力機構(JICA)への出資を今後倍増させ、ASEAN諸国のインフラ開発などを支援していく方針を表明。


この発言に対し、SNSなどでは〈また、外国にばら撒きかよ〉〈諸外国に出す金があるなら、(消費税を)増税するなよ〉〈途上国の外国人よりも、氷河期の日本人を支援すべき〉といった批判の声が相次いだ。

そりゃあそうだろう。第2次政権が発足した2012年以降、安倍政権は海外諸国にドヤ顔でカネをばらまき続けているからだ。


昨年1月26日の参院本会議の代表質問で、社民党の福島瑞穂議員は〈総理が表明した(海外への支援)額を機械的に加算した場合、円借款や一部重複部分を含め54兆3621億円になるという回答が(外務省から)あった〉と指摘。

〈社会保障を削って、なぜこの大盤振る舞いなのですか〉と追及すると、安倍首相は〈54兆3621億円は、民間資金と重複計算により額が膨大に膨らんでおり、極めて誤解を招く数字〉とムキになって反論。

〈(本来の総額は)2兆8500億円〉とか言っていたが、その詳細な内訳はいまだに分からずじまいだ。

 

・パナマのモノレールやバングラデシュの鉄道に数千億円


このやりとり以降も、安倍政権は平然と“海外バラマキ”を継続。

18年4月、過激派組織「イスラム国」との戦闘終結後のイラク復興支援名目で、同国の上水道整備などのために約350億円の円借款供与を決定したほか、同年10月には、インドの高速鉄道計画などに3000億円強、さらに今年4月にはパナマ首都圏のモノレール建設事業を巡り、約2810億円の円借款を決めた。


そして5月末は、バングラデシュの鉄道や商業港建設に関連し、1300億円規模の円借款を約束するなど、ざっと取り上げた大型案件だけでも、バラマキ金額は約7500億円にも上る。

総額でいえば、ざっと55兆円を突破している計算だ。


さらに言えば、昨年末に閣議決定した19~23年度「中期防衛力整備計画」に基づくステルス戦闘機の“爆買い”だって、トランプ大統領の要求に屈した安倍首相の米国への巨額な“バラマキ”に等しい。

1機116億円とされる戦闘機を147機購入する計画で、維持費を含めると日本の支出額は約6兆2000億円。


つまり、バラマキ総額は実に60兆円を超えているのだ。

「海外支援に資金を支出することは重要なことかもしれません。しかし、政府はこれまで多額の出資をし、どれだけの成果を上げてきたのかが全く見えない。安倍首相は、大枚をはたいて各国首脳を味方につけたかのような気分に浸っているだけではないか。給料が上がらない中、消費増税に苦しむ国民が多いのに、海外へのバラマキに税を費やしている場合ではないはずです」(経済ジャーナリスト・荻原博子氏)


消費増税した途端に海外にカネをばらまき始めるというのは、もはや、宰相としても政治家としても、マトモな頭じゃない。

これじゃあ、いくら増税してもキリがないだろう。


「カップ麺が1個400円」などと国会答弁で平気で言ってのけるバカ者だらけの政権にこれ以上、税金を使わせたら国が滅ぶ。


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増税した途端…安倍政権“海外バラマキ”累計「60兆円」突破
日刊ゲンダイ:2019/11/06
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264293

 


■GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった PHPオンライン衆知 2021年04月22日 田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

2022-07-07 04:14:12 | 日記

 

■GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった

PHPオンライン衆知 2021年04月22日 田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8503


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GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による日本の「経済民主化」は、増税をはじめ今日まで続く緊縮財政策の起源の一つ、すなわち「経済弱体化」だった。

日本を脆弱化、衰退化させる経済思想を、占領期のGHQとの関係から再考察する。

※本稿は、田中秀臣『脱GHQ史観の経済学』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

 


・「占領」された日本の経済政策

 

GHQの置き土産といえる日本弱体化≒緊縮主義は、占領終了後も日本の経済政策を拘束し続けてきた。


日本国の骨格である憲法のあり方、安全保障の取り組み、現在のような新型コロナ危機での政策対応でも、GHQの影=緊縮主義の影を見出すことはたやすい。


その意味では、GHQはいまだに日本の経済政策を「占領」しているのだ。


今までの「教科書」的な占領期の経済政策のイメージは次のようなものだろう。


戦争で廃墟になった日本経済は、GHQによる「経済民主化」――財閥解体、労働の民主化、農地改革など――で自由経済の余地を拡大し、そして傾斜生産方式により経済復興の足掛かりを得た。


また高いインフレが国民の生活を圧迫していたが、それはドッジ・ラインというデフレ政策によって抑制され、やがて朝鮮戦争の特需によって日本は高度成長に移行していった、というものだ。

 


・「傾斜生産方式」の神話


だが、この「教科書」的図式をそのまま鵜?みにすることはできない。

特に最近論点になっているのが、「傾斜生産方式」の評価だ。


吉田茂首相の「ブレーン」といわれた有澤廣巳が、この傾斜生産方式の提案者として有名だ。

有澤は1946年12月に、戦後の高いインフレーションはモノの不足にあるので、それを「計画と組織」の主導によってまず鉄鋼・石炭の部門に集中的に資源を投入して生産を増やしていこうと提唱した。


この傾斜生産方式が「成功」して、占領期の経済は一応の回復をみたとされてきた。

そのため政府主導の「計画と組織」の成功神話が誕生し、以後、今日に至るまで日本経済の復興には、政府や優れた官僚たちの貢献が不可欠であったとされてきた。


なお、傾斜生産方式は有澤の名前と結びつけられているが、最新の経済思想史研究では、むしろ当時蔵相だった石橋湛山の貢献の方が大きいと再評価されている。

不幸なのは、石橋はこの傾斜生産方式が本格的に発動する前に、GHQによって公職追放されてしまった。

 

・経済の自由化ではなく弱体化


だが今日、この傾斜生産方式が本当に成功したのかどうか多くの批判がある。

もともとのGHQの方針は、日本の再軍備化の阻止にあった。


そのために優先された政策目的は、戦前の経済的なスーパーパワー(財閥、影響力のある経済人、大地主など)の弱体化であった。

この戦前の日本経済を支えていた勢力を弱体化させることが目的であって、経済の自由化をすすめるものではなかった。


実際に、生産の不足はまず重油や鉄鉱石の不足が根本の原因であり、本当に経済の自由化をすすめるのならば、海外からの資源調達の自由を認めることを最優先しなければ理屈に合わない。

だが、占領初期のGHQは海外からの資源調達を厳しく制限していた。


そのために石炭や鉄鋼など基幹産業が機能せず、広範囲なモノ不足と高いインフレが生じていたのだ。

GHQの経済的援助は当初はせいぜい食料への援助があったぐらいで、それも日本には自由度はなかった。


このGHQの日本経済弱体化政策を、あたかも「経済民主化」として賞賛し、自由化が進展した、と称賛しているのだから、おめでたいとしかいいようがない。


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GHQによる戦後日本の経済民主化は「経済弱体化」だった
PHPオンライン衆知 2021年04月22日 田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8503