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神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

「不殺生菜食者」になった理由①『母性』

2008年11月17日 | 不殺生菜食者
 ~ 意識的であれ、はたまた無意識的であれ、結果的に私は「不殺生菜食者」となるよう導かれてきました。
私を「不殺生菜食者」としての道へと歩ませたものは、目には見えない力や働き、祈りや願い、そして目に見えて起きる様々な出来事がありました。 ~

今日は、私の心を大きく揺るがし「不殺生菜食者」へと歩ませるきっかけとなった、衝撃的な出来事があった日です。
今から4年前の平成16年11月17日、奈良県で小学1年生の女児が殺害されました。
みみかとほぼ同年代の女の子の死でした。

「何故!!どうして!?」そう叫びたくなるような、地球上に溢れる生命(いのち)に関わる悲しい出来事に、「この世が調和した平和な世界になるために 一体私に出来ることは何なのか?」そう祈りを繰り返してきた私でした。
特に、子供たちの生命(いのち)に関わる事件事故を目にするたび耳に聞くたび、「子供の生命(いのち)を守りたい!」そう祈り続けていました。
しかし、その心に反して現れ出る悲惨な現状は止む事がありませんでした。

奈良県のこの事件に衝撃を受けた私は、こんな現状を変えることの出来ない自分の無力さや、何の役にも立たない自分の祈りを、心の底から嘆きました。
嘆きつつ、それでもやはり私に出来るのはただただ祈ることだけでした・・。
そして、その1年後。
またしても立て続けに、小学1年生の女児たちの生命(いのち)が失われて行きました。
この時、みみかも同じ小学1年生でした。

どうにも言葉に出来ない悲痛な思いが私の全身を貫きました。
以前にも増して、“生命(いのち)を守りたい!”と何ものかの強烈な思いが、私の心の奥深くを激しく揺さぶりました。
・・それは、私の『母性』でした。
全ての生命(いのち)の母であると思える女性特有の『母性』が、強く激しく慈悲なる愛をともなって、私の全身を貫いたのです。

そんな折、ある友人の一言が、私に「不殺生菜食」を決意させました。
『目の前に来たからと言って、食糧として殺された自分の子供の屍肉を食らう母親はいない!』
そういう言葉でした。
それまで、される瞬間に牛も豚も涙を流すと聞き、徐々に肉食を減らしてきていた私でした。
でも、「目の前に出されたもの、与えられたものを感謝して食せばいい」と、頂く生命(いのち)に対し感謝を捧げることで、どこか私の心は折り合いを付けてきてもいました。

友人のその言葉は、私の心の中に『ストン!』と入り込み、
「そうだ、本当にそうだ!
全ては一体で一つで同じもの、神の生命(いのち)だった!
感謝すればそれでいい、そう思っていた私の心は間違っていた!」
と、深い眠りから覚めたような、昔から知っていたはずの事を思い出したような、そんな感覚で私は心底納得したのでした。

そして、
【全ての生命(いのち)は繋がっている!
人間の生命(いのち)だけの問題ではない!
もうこれ以上、生命(いのち)を殺すこと・奪うことを私はやめよう!】
そう決意し、私は「不殺生菜食者」となったのです。
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