~ 意識的であれ、はたまた無意識的であれ、結果的に私は「不殺生菜食者」となるよう導かれてきました。
私を「不殺生菜食者」としての道へと歩ませたものは、目には見えない力や働き、祈りや願い、そして目に見えて起きる様々な出来事がありました。 ~
かつて・・・。
一体何のためにこの世に自分が存在しているのか?
生きている意味を見つけられない私は、最後には自分自身を愛することが出来なくなり、暗い暗い闇の中を、死人のように一人漂っていました。
あの頃の私を生かしていたものは、自分のうちにあった深い「祈り」でした。
「何のために自分は生きているのか?」「この世での私の使命・役割は?」
死人のようになってしまっていた私の中ででも、こんな人間としての本質的な根本的な問いかけが、「祈り」となりずっと燈り続けていたのでした。
神様はさまざまな手段で私を導き、真理を悟らせやがて人間の本質を思い出させてくれました。
私の心臓をリズミカルにしかも滞ることなく動かしているのは、ちっぽけな人間である私の力ではなかったこと。
自然の力・大いなる力が私の心臓を動かし、それらの力によって私は生かされていたこと。
目には見えない多くの『愛』に、私は生かされていたのだということ。
私は、全てのものと繋がっている「生命(いのち)」そのものだったのだということ。
そこで初めて、私は自分を包んでくれていた環境や故郷といったものへの、自分の態度を顧る機会を与えられました。
「私はそれらを本当の意味で愛していただろうか?感謝していただろうか?」と。
そう考えた瞬間、悲痛な苦しみが私の胸の奥深くを貫きました。
『地球が苦しんでいる!痛んでいる!』そんな感覚が私を包み込みました。
「この苦しみは、地球の苦しみ!そして私の苦しみ!」
“あなたは私で私はあなた”そういった自他一体の繋がった生命(いのち)の世界を、私はその時感じたのです。
「ああ、故郷(ふるさと)地球を、私たちはこんなにも苦しめていたなんて・・ごめんなさい、ごめんなさい・・!地球あっての人類で、人類あっての地球・・なのに。
私たちはいつもいつも、人間本意でやって来た。
あなたのことを考えもせず、あなたの痛みに気付くどころか無視をして・・。
それなのにあなたは何も言わず、大きな暖かな愛で私たちをいつも・どんな時にも包んでくれていた。
こんなに自分勝手で傲慢な私たち人類を、あなたは振り落とすことなく、そのままありのままをずっと受け入れて来てくれていた。
私たちがどんなことをしようとも、無償の愛でただ黙って見守ってくれていた。
そんな『地球の愛』に、私は今こうして生かされ存在しているのだった!」。
そう気付いた私は、溢れる涙を止められませんでした。
それからの私は、「神の御心のまま(大いなる自然の力・愛に全托)に、地球や人類の意識の目覚め・魂の向上のため、どうぞ私をお使い下さい!」という祈りを始めました。
やがて、私は地球を『彼女』だと感じ、『彼女の生命・愛・光』が自分の中にあることも感じられるようになって行きました。
そして、地球が『母』であるということを理解した私は、その地球意識・母性と一体となり繋がったのです。
(今、私が取り組んでいる「生まれることが出来なかった子供たちを祈るということ(水子・流産児供養)」や「不殺生菜食」も、この大いなる『母』『生命』『愛』から来る私の『母性』を通した取り組みなのです)
【地球意識】
地球は全ての生命(いのち)を愛している。
私たちはひとつ・同じもの・一体の生命(いのち)。
全ての生命(いのち)は、母なる地球の胎内で育まれ・生み出され・生かされています。
文字通り、全ては一体なのです。
『動物の生命(いのち)』も『人間の生命(いのち)』も、生命(いのち)という生命(いのち)全て、地球に集う同じ尊い『生命(いのち)』です。
地球にとってそして母性というものに照らしたとき、『動物の生命(いのち)』も『人間の生命(いのち)』も、どちらも愛すべき『子供のいのち』。
母という存在が、自分の子供の肉=生命(いのち)を喰らうことは出来ません!
私の感じた『地球の苦しみ』は、そんな『母なる地球』としての我が子の生命(いのち)に対する扱われ方の悲しみや苦しみだったとも感じています。
人間自身の自殺や殺人、動物に対するや肉食など、生命(いのち)に対する我々人類の扱い方や意識に対する、地球の悲しみと苦しみだったのだ・・と。
地球意識・母なる意識と一体となった私は、自分の生命(いのち)を含め全ての生命(いのち)を生かすことを選択し「不殺生菜食者」となったのでした。
関連内容:「不殺生菜食者」になった理由①『母性』