~ 意識的であれ、はたまた無意識的であれ、結果的に私は「不殺生菜食者」となるよう導かれてきました。
私を「不殺生菜食者」としての道へと歩ませたものは、目には見えない力や働き、祈りや願い、そして目に見えて起きる様々な出来事がありました。 ~
私が「不殺生菜食者」になった大きな理由。
一つは、「子供の生命を守りたい」という強い願いから。
一つは、「地球の苦しみ」を感じた強い意識から。
一つは、「調和した世界を創造する」という強い決意から。
2005年12月31日、この日を最後に私は一切の肉食を断ち「不殺生菜食者」となりました。
その日までも、肉食を減らしてきていた私ではありました。
でも、それは、上記のような理由が明確になっていたわけでもなく、そして、それらの理由が全部「不殺生菜食者」に繋がっているという意識をもとても朧げなものでした。
≪生理的反応=理屈からではなく、感覚的・本能的にそうなるさま≫
■肉食を減らすきっかけとなった『生理的反応』
の際の動物たちの涙を知った私、肉食するとお腹や胃が痛くなり戻すようになった。
自己の魂が体を使って、肉食することを拒否しているのだと感じた。
そこで、ハンバーグで言うなら、使用するお肉を牛から豚へ、豚から鶏へと変え、肉の量もなるべく少量にし豆腐を使ったハンバーグへと移行させた。
そして、肉食をする際はそれらの生命(いのち)に対し、必ず感謝の思いを添えて頂くようにした。
すると、体の拒否反応は出なくなった。
■肉食を断つ決心させた『生理的反応』
2004年11月に奈良県で起きた女児殺人事件に衝撃を受け、2005年12月に同じ年代の子供たちの生命(いのち)に関わる事件に愕然とし、「生命(いのち)を守りたい!」と願う自分の無力さに途方に暮れる。
そんな折、『目の前に来たからと言って、食糧として殺された自分の子供の屍肉を食らう母親はいない!』との友人の一言が、私の胸の奥深くにストンと落ち、『そうだった!自分の子供の生命(いのち)を殺して喰らっていたのは私だった!』と、不殺生に目覚める。
■肉食を断ってからの『生理的反応』
2006年1月1日から「不殺生菜食者」を目指し一切の肉食を断つ、・・が実家で過ごすお正月。
大好きな数の子や海老の煮つけ、ブリの照り焼きにかに鍋やしゃぶしゃぶ等など、みんなでお節や鍋を囲む中、ほとんどが食べられないものばかり・・・。
もちろん、食べたい反応は起きるけれど、決意は固く目の前にあるこの大波を乗り切った。
いきなり拷問的な出発だったが、返ってこれが良かったのかとも思う。
■「不殺生菜食者」となって第一の『生理的反応』
毎日あれこれ試行錯誤しながら「不殺生菜食者」の道をヨチヨチと歩み始める。
3ヶ月ほど経った頃、体調に変化が現れる。
すっぽりと全身プールに入っているかのような感覚になり、耳の奥が水中にいるような水圧を感じるような状態で、とても違和感があり気持ち悪かった。
その期間中は、いつも水の中に耳が浸されているよう(耳に水が入っているよう?)で、聞こえにくく人と話がしづらかった。
最初は正直ちょっと動揺し戸惑ったが、『禊(みそぎ)』(=海や川の水で体を清め、罪や穢れを洗い流すこと)の状態が、私に起きているのではないかと解釈。
俗に言う『毒だし』効果が起きていて、今までの肉食で蓄積された毒素が、これをもって洗い流されているのではと思えた。
実際、今現在これまでに同じような現象は起きていないし、その時から私の体はよりクリアになった。
『食に関して調和すると、本来の肉体に戻る、自然な体に戻る』のだと、私は強く実感した。
■「不殺生菜食者」となって変化した『生理的反応』
焼き魚やスルメ類など、食べたいなあ~と不意に反応する匂いは今だある。
しかし、一番初めに驚いたのはこの「臭い」に対する変化だった。
肉食を断ち『禊』を通過した頃から、「肉の臭い」がたまらなく鼻について「臭い!」と感じるようになった。
しかも並行して、肉などを包丁で切るという行為が、何とも言えない感覚に変わってしまい出来なくなった。
もちろん、手に取ることさえかなりの苦痛・・・というか、もう出来ない。
『生命(いのち)』を切り刻むなんて、食べるための『子供の屍肉』に触れるなんて・・・、私にとって「肉」は、もはや『食べ物』ではなく『死骸』である。
以前は好きだったから揚げも、お祭りの夜店などでこの臭いが漂ってくると、「ウッ!」となって遠巻き早足で通り過ぎる始末。
【本当に肉食をやめたら分かる「死骸の臭さ」】
【本当に肉食をやめたから変わる「生命(いのち)」に対する生理的反応】
これらの『生理的反応』に導かれ私は、「不殺生菜食者」としての自己を完璧に確立して行くのでした。
関連内容:
「不殺生菜食者」になった理由①『母性』
「不殺生菜食者」になった理由②『地球意識』
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅰ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅱ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅲ
私を「不殺生菜食者」としての道へと歩ませたものは、目には見えない力や働き、祈りや願い、そして目に見えて起きる様々な出来事がありました。 ~
私が「不殺生菜食者」になった大きな理由。
一つは、「子供の生命を守りたい」という強い願いから。
一つは、「地球の苦しみ」を感じた強い意識から。
一つは、「調和した世界を創造する」という強い決意から。
2005年12月31日、この日を最後に私は一切の肉食を断ち「不殺生菜食者」となりました。
その日までも、肉食を減らしてきていた私ではありました。
でも、それは、上記のような理由が明確になっていたわけでもなく、そして、それらの理由が全部「不殺生菜食者」に繋がっているという意識をもとても朧げなものでした。
≪生理的反応=理屈からではなく、感覚的・本能的にそうなるさま≫
■肉食を減らすきっかけとなった『生理的反応』
の際の動物たちの涙を知った私、肉食するとお腹や胃が痛くなり戻すようになった。
自己の魂が体を使って、肉食することを拒否しているのだと感じた。
そこで、ハンバーグで言うなら、使用するお肉を牛から豚へ、豚から鶏へと変え、肉の量もなるべく少量にし豆腐を使ったハンバーグへと移行させた。
そして、肉食をする際はそれらの生命(いのち)に対し、必ず感謝の思いを添えて頂くようにした。
すると、体の拒否反応は出なくなった。
■肉食を断つ決心させた『生理的反応』
2004年11月に奈良県で起きた女児殺人事件に衝撃を受け、2005年12月に同じ年代の子供たちの生命(いのち)に関わる事件に愕然とし、「生命(いのち)を守りたい!」と願う自分の無力さに途方に暮れる。
そんな折、『目の前に来たからと言って、食糧として殺された自分の子供の屍肉を食らう母親はいない!』との友人の一言が、私の胸の奥深くにストンと落ち、『そうだった!自分の子供の生命(いのち)を殺して喰らっていたのは私だった!』と、不殺生に目覚める。
■肉食を断ってからの『生理的反応』
2006年1月1日から「不殺生菜食者」を目指し一切の肉食を断つ、・・が実家で過ごすお正月。
大好きな数の子や海老の煮つけ、ブリの照り焼きにかに鍋やしゃぶしゃぶ等など、みんなでお節や鍋を囲む中、ほとんどが食べられないものばかり・・・。
もちろん、食べたい反応は起きるけれど、決意は固く目の前にあるこの大波を乗り切った。
いきなり拷問的な出発だったが、返ってこれが良かったのかとも思う。
■「不殺生菜食者」となって第一の『生理的反応』
毎日あれこれ試行錯誤しながら「不殺生菜食者」の道をヨチヨチと歩み始める。
3ヶ月ほど経った頃、体調に変化が現れる。
すっぽりと全身プールに入っているかのような感覚になり、耳の奥が水中にいるような水圧を感じるような状態で、とても違和感があり気持ち悪かった。
その期間中は、いつも水の中に耳が浸されているよう(耳に水が入っているよう?)で、聞こえにくく人と話がしづらかった。
最初は正直ちょっと動揺し戸惑ったが、『禊(みそぎ)』(=海や川の水で体を清め、罪や穢れを洗い流すこと)の状態が、私に起きているのではないかと解釈。
俗に言う『毒だし』効果が起きていて、今までの肉食で蓄積された毒素が、これをもって洗い流されているのではと思えた。
実際、今現在これまでに同じような現象は起きていないし、その時から私の体はよりクリアになった。
『食に関して調和すると、本来の肉体に戻る、自然な体に戻る』のだと、私は強く実感した。
■「不殺生菜食者」となって変化した『生理的反応』
焼き魚やスルメ類など、食べたいなあ~と不意に反応する匂いは今だある。
しかし、一番初めに驚いたのはこの「臭い」に対する変化だった。
肉食を断ち『禊』を通過した頃から、「肉の臭い」がたまらなく鼻について「臭い!」と感じるようになった。
しかも並行して、肉などを包丁で切るという行為が、何とも言えない感覚に変わってしまい出来なくなった。
もちろん、手に取ることさえかなりの苦痛・・・というか、もう出来ない。
『生命(いのち)』を切り刻むなんて、食べるための『子供の屍肉』に触れるなんて・・・、私にとって「肉」は、もはや『食べ物』ではなく『死骸』である。
以前は好きだったから揚げも、お祭りの夜店などでこの臭いが漂ってくると、「ウッ!」となって遠巻き早足で通り過ぎる始末。
【本当に肉食をやめたら分かる「死骸の臭さ」】
【本当に肉食をやめたから変わる「生命(いのち)」に対する生理的反応】
これらの『生理的反応』に導かれ私は、「不殺生菜食者」としての自己を完璧に確立して行くのでした。
関連内容:
「不殺生菜食者」になった理由①『母性』
「不殺生菜食者」になった理由②『地球意識』
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅰ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅱ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅲ