研修会場で、たまたま聾話者の方とワークすることがあった。
街では見かける手話での会話、
それは、自分が直接会話をすることはなかったので、音のない会話を静かに見ている、そんな「その他大勢」の一人。
音声で聞こえる会話は、こちらに音が入ってくるので、話している人を見なくても会話は届いてくる。
今日初めて聾話者の方と、手話通訳者を介して会話する機会に巡り会って、思ったこと。
自分は最初手話通訳者の顔を見て、相手の言葉を聞いていた。
音声は手話通訳者から届くから👂。
でも途中気づいたのは、相手の方は手話通訳者に伝えながらも、自分をチョクチョク見て「話して」いるってこと👀。
当たり前のことだと、これを書いている今は思うけど
その時は、僕は誰と会話しているのだろうとプチ混乱した💢。
外国人の方と通訳を介して会話したことはあって、その時は通訳の方も時々見ながら、主には話しての外国人の方を見て話し、聞いている。
音声を発しない聾話者との会話で、自分が手話通訳者を主に見ながら話しを聞いているのは、本当の話者の声を聞いていない「会話なき会話」をしているのだ
気づいた、とても失礼なことををしている自分😔
そこから、相手の方の顔を見るように聞いて、話す
音声は届いていないだろうけど、相手の方の伝える気持ち、自分の話す気持ちを伝えるように
短時間の会話だったけど、今日一番の学んだこと
音声という見えない記号
手話通訳者を介して届く声
それは受け手の自分に届けるための一つのツールであって、
理解することにはなっていなかったと整理する。
その後は、相手の方と会話している感じになった
相手の方にも、今日の出会いが新鮮だったと伝えたら、私もです、と言ってくれたので
最初よりは届いたかなって思う。
声と気持ちを届けて初めて「会話」になるんだって!!