感覚の間隔

家族、仕事、友人、知人から街中での知っている人、知らない人・・・そこでの自分の、自分との「カンカク」はどうなんだろう

久しぶりの献血

2022-01-31 19:58:45 | 日記
用があって出かけた先で、献血をお願いする人が目にはいり、用事をすませた後、献血ルームに行った。

献血するのは大学生以来かと思ったら、データが残っていて、その後も献血していたらしい。

約16年ぶり。社会人になってからもやっていたんだ、自分。

こんな昔の記録が今も残っていたのも驚きだった。

400ml献血を今は受け付けているとのことで、それを了承し、その後いくつかの健康チェックを口頭およびタブレットで回答。

こういった問診形式は最近の病院でも取り入れられていたので違和感はなかったけど、文面から悩むこともあって、そこはスタッフに聞くことで進めるから、やっぱり情報端末と人的スタッフはセットが安心する。

以前は献血前に言われた記憶がない水分摂取も促されたのは、以前が献血車であったからだろうか?。

400mlの献血も以前より早く終わって、自分のからだが献血に抵抗がないことにちょっと自信がついた。

献血ルームは、もっと閑散としたイメージをもっていたが、この状況でも献血ベッドは全て埋まっていた。

自分が医療従事者であるけれど、そこに直接関与しない仕事にいるなかで、献血という場所で行われている医療行為に関わった自分が、そこに居心地のよさを感じた献血時間だった。

今の社会情勢も含めて、看護師さんには、
ありがとう
というしかない。

これからは継続して献血していきたいと思った今日。

左腕の採血で刺された部分は少しヒリヒリするが、それも今日あった出来事の証しと思うとわるくない。

痛みは嫌なイメージが多いが、今はそれが今日の結果として、よい痛みと感じている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

変異

2022-01-29 11:06:06 | 日記
異なるものに変わる のか

変わった結果異なる のか

この2年で、コロナウィルスが教えてくれていることのひとつは、

生き延びるために変わること
異なることで生きる場を見いだすこと

ひとの進化も振り返ってみれば変異を経ていまに至っている

人類の進化の歴史をみると、変わっていった種がいまに生き続け、そうならなかった種は地球から消えてしまった


いまの自分にどのくらい変わる要素があるかとみれば、それはかなり低いだろう

一方で、「異なるものに変わる」意識を持ち続けることは出きることだと思う

変化をしない安定は、一定の安心をもたらすが

固定された安定のため、ひとたび崩れそうになると、安心を保つことが目的になってしまう


変化はその逆

つねにふさわしい居場所を求めるゆえに、一時の安心をもたらすが、
そこが目的ではないから、またふさわしい居場所に移っていく、柔軟な安定性
敵や壁も多いが、時としてそれをも取り込んだり寄生虫のように共生することもある

変異は生きていくために必要な要素

人はこれからどのくらい変異していけるだろう

技術、情報、信仰といった、自分達を便利にするものを産み出しているが、
それは固定された安定の世界


柔軟な安定性をを求めるため、
変異意識を持つ続けるように

自分が出きることをしていきたい