今は芸人やタレントなどの芸能人、ニュースキャスター、女子アナなど、テレビ局の謳歌する天下である。かっての映画人は影が薄いが、それでも、芸人、タレントの上りは映画の世界に出ることだなのだろう。
「映画界も含め芸能界はやくざな世界である。新聞界、出版界、放送界もやくざな世界である」この言葉は、解る人には解るが、解らぬ人は百万言費やしても解らぬ。
「堅気の世界」の人間は、「やくざな世界」の人間の言動に係りあってはならぬ。あからさまに表に出さず心中秘めて軽蔑し差別する根本姿勢を維持せねばならぬ。それが世間を真っ当にする第一歩なのかもしれないと考える。
本来「堅気の世界」と「やくざな世界」との間には刻印のごとくクッキリとした境界線がある。それぞれの世界に存在するものは、同じ物であっても質は全く異なるのである。しかし、今はその境界が曖昧になってきている
我々は、テレビの前でどんな格好をして見ても構わない、なぁ~に好きな時に途中で便所に行ったってかまわない。飯を食いながら箸で指差して好き勝手に批評しバカにし笑おうとても構わない。電波という空間を隔てるものがあるからテレビの中で動いている奴は平気でいられるのだ。目の前でやられて我慢できるか、でも我慢してやらねば芸人じゃなかろう。芸人は堅気のしないことをして許されるべきものなのだ、代わりに後ろ指さされる。堅気とは桁の違う稼ぎができるのだ。ただし同じ金でも、我々と彼らが稼ぐ金は全く別物なのだ。
だからこそ、そういう世界の人間は、あれやこれやと権威付けたがるのだ。我々を恐れいれさせたがるのだ。
千両とっても役者は乞食、錦着て布団の上の乞食かな、である。
時代が変わっても、人間世界の本質は変わらぬのである。
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