宗像大社の伝承では「宗像の子は住吉で孫は宇佐」なのだといいます。
子である住吉とはアジスキタカヒコネではないかと私は考えています。
孫の「宇佐」とはもちろん、八幡総本宮・宇佐神宮の祭神を指すのでしょう。
宇佐神宮一之御殿に祀られるのは「八幡大神」であり、八幡大神とは応神天皇のご神霊であるとされています。
「宇佐」とは応神天皇のことを指すのでしょう。
応神天皇は、第14代仲哀天皇と神功皇后の間に生まれました。しかし、仲哀天皇の崩御から十月十日後に誕生していることから、父親が仲哀天皇であることを疑問視されています。
仲哀天皇は橿日宮で神託を無視して急死します。仲哀天皇に神罰を与えた神のうちの一神が、くだんの住吉神です。
また大阪の住吉大社の伝承によれば、仲哀天皇が亡くなった晩、神功皇后と住吉大神は「夫婦の秘め事をした」のだといいます。
つまり、住吉大社にも住吉の子は宇佐(応神)との伝承が残っていることになります。
仲哀天皇が亡くなった晩、現場に居合わせたのは、神功皇后と武内宿禰だったと古事記には記されています。
武内宿禰は、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇までの5代に亘る天皇に仕えたという伝説的忠臣です。三百歳の長寿を保ったと語り継がれる竹内宿禰には、老人のイメージがあります。
一方住吉大神は、別名「塩土老翁」(しおつちのおじ)と呼ばれ、老人だと考えられています。
武内宿禰は住吉大神と重ね合わされ、住吉の子は宇佐という伝承は、応神天皇は神功皇后と武内宿禰の間の子であることを隠し伝えてきたのでしょう。