宗像がタケミナカタと関係していないと、住吉や応神天皇と諏訪が同体という繋がりが見えてこないように思います。
宗像がヌナカタであり、タケヌナカタと繋がっているのであれば、宗像の子である住吉、孫である応神天皇と諏訪が同体とされる所以がわかります。
また、アジスキタカヒコネが住吉なのであれば、アジスキタカヒコネの異母兄弟であるタケミナカタが諏訪や応神と同体とされてもおかしくはないと思います。
しかし、いま一歩踏み込みたいとも思います。
長野県佐久市に鎮座する佐久一之宮たる新海三社神社の伝承に興味深いものがあります。
新海三社神社はタケミナカタの子神である興波岐(おきはぎ)命を主祭神とする神社です。
西本社には誉田別命も祀られています。
この神社の伝承によると、タケミナカタが諏訪から日光二荒山の母神を訪れる途中、上野国貫前の女神と契り、興波岐命が生まれたというのです。
タケミナカタの母神は日光二荒山にいるのだというのです。
日光二荒山の母神とは、女峰山山頂にある二荒山神社別宮・滝尾神社の奥社に祀られている田心姫のことではないのでしょうか。
田心姫はアジスキタカヒコネの母神です。
であるならば、アジスキタカヒコネとタケミナカタは異母兄弟ではなく、同一神なのではないでしょうか。
アジスキタカヒコネの聖地である二荒山男体山頂遺跡から出土された鉄鐸が、日光二荒山神社宝物館に所蔵されています。
鉄鐸も二荒山と諏訪、つまりアジスキタカヒコネとタケミナカタの共通項です。