神無月がくるたびに思い浮かぶ妄想があります。
諏訪の神が日本一、格式の高い神なのではないのかと思うのです。
旧暦10月には全国の神々が出雲に集まり、そのために他の地では神が不在になります。
諸国では神が不在だから「神無月」で、出雲では神がたくさん集うので「神在月」というとの俗説があります。
出雲大社では神在月に例年、八百万神をお迎えしてお見送りする神在祭がとり行われます。
神々が出雲において様々な会議をなさるのだそうで、例えば「誰と誰を結婚させるか」という縁結びもこの会議で決められます。
その出雲と同じく旧暦10月が「神在月」なのが諏訪です。
諏訪に他所からの神様が集まるわけではありません。
諏訪の神様が出雲の会議に出向かないため、諏訪には神がいらっしゃるまま。故に神在月です。
なぜ諏訪の神が出雲に行かないのかについては諸説があります。
出雲の国譲りにおいてタケミナカタは最後まで抵抗し諏訪の地まで追い詰められ、諏訪から出ないことを条件として許されたので、諏訪から出られないのだという説が有力です。
私が気になる説は、諏訪には巨大な龍神さまがおられ、あまりにも大きいので動くにも大ごとなので会議にでなくてもよくなったという伝承です。
私は諏訪の神様が大きいというのは、神としての格が高かったことを意味し、出雲神のほうが格下だったのではないかと疑っています。
格上の神様に足を運んでもらうわけにいかないと人々が考えたから「諏訪の神は出雲に出向かない」という話ができたのでは?
越、出雲、北部九州は「日本海ネットワーク」で繋がっていたと考えられます。
その大元がひょっとして諏訪だったのではないでしょうか。
縄文時代に栄えた諏訪が大元で、気候の寒冷化によりその勢力が越→出雲→北部九州へと進出していったのでは。
北部九州から安曇氏が諏訪へやって来たのも、神話の中で出雲のタケミナカタが越を通って諏訪へ逃げ込んだのも、始まりの地である諏訪に戻ってきたのではないのでしょうか。
持統天皇が勅使を派遣し「須波神を祭らしむ」でいますし、天武天皇も遷都するつもりだったのか副都なのかはさておき、三野王を信濃に遣わし都とする土地を探させています。
何か諏訪は特別な土地の気がしてなりません。
でも出雲や越との繋がりを考える上で、特に四隅突出型墳丘墓の広がりを思うに諏訪が一番なのは妄想でしかないか・・と例年思うのです。