古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

弥生時代の奈良盆地

2020-11-24 19:02:11 | 歴史

弥生時代の奈良盆地は豊かだった、中西遺跡や秋津遺跡の水田跡を見るにそう思います。

奈良県御所市の中西遺跡と隣接する秋津遺跡では、弥生時代前期に少なくとも4万3000万平方メートルもの水田が広がっていたことが判明しています。

弥生時代前期における国内最大規模の水田跡であり、九州地方のものよりも規模が大きいのです。

ちゃんと灌漑施設も備わった水田だそうです。

この地では縄文時代にはクリを管理し利用していたのですが、地下水位が上がって荒れ地となったため水田として利用するようになったのではないかとの見解を橿原考古学研究所が示しています。

 

また奈良県磯城郡田原本町の弥生の環濠集落、唐古・鍵遺跡を見てもやはり豊かであったと感じます。

全国からの土器が出土していますし、半島との交流もあったようです。

青銅器の鋳造炉が出ており、銅鐸の主要な製造地であったと考えられています。

秋津遺跡からも唐古・鍵遺跡からも糸魚川産の翡翠が出土しています。

 

ヤマト政権の政権中枢が纏向におかれたのは、大和にその中心となる勢力があったから。

私は最近は素直にそう思うようになりました。

纏向前夜、大和には大きな勢力があったように考えます。

 

神武天皇が娶ることとなった姫蹈鞴五十鈴姫の父親は大物主神(事代主神とも)で、母親は摂津三島の三島溝杭の娘とされます。

姫蹈鞴五十鈴姫は在地勢力の娘だと考えられます。

とすると、この姫の名前が気になります。

たたら、いすず、どう考えても製鉄勢力の姫様ですよね。

纏向前夜の畿内は「鉄欠乏」だったという有力な説があります。

神武天皇が実在するかはおいておくとして、なぜ初代天皇が娶る在地勢力の姫が製鉄を連想する名前を持っているのでしょうか。

本当に弥生終末期の畿内に鉄は少なかったのでしょうか。