「駅路」の存在を考えるとき、日本書紀は天武天皇のために書かれたものではないという説を実感します。
駅路とは日本最古の幹線道路網です。
天武天皇の時代、藤原京を起点として東北から九州までの総延長6300キロに及ぶ道路が整備されたようです。
日本書紀にはそんなことは記されていないのですが、考古学の進展で判ってきたものです。
幅が最小でも6メートル、最大30メートル超の道路で、後世、江戸幕府が整備した五街道さえも凌ぎます。
小さな丘など躊躇なく切り崩し、道を一直線に通しているといいます。
この駅路は天武天皇による「列島改造」で、中央政権・律令国家を目指して造られたのだそう。
そして律令制の終焉とともに平安時代中期に廃絶されました。
日本書紀が天武天皇のために書かれたものであるならば、こんな大事業を書かないはずはありません。
東北から九州まで道路を整備するのには、一体全体どれほどの労力や費用がかかったことでしょう。
日本書紀は天武天皇が「力」のある天皇であったことを記したくなかったとしか思えません。
天智天皇は白村江で敗れた翌年に水城を築いています。
対馬~九州北部~瀬戸内海~畿内へと防衛体制を整えるための山城を築きます。
その次の代の天皇が、全国ネットの幹線道路を造るというのも不思議に思えるのですが。
日本書紀に書かれていることのうち、どれくらいが本当のことなのでしょうか。
本当の重要な歴史のうち、どれほどのことが日本書紀に記されていないのでしょうか。
例えば「東日流外三郡誌」の内容が正しい歴史を伝えているとは思っていませんが(正しい歴史が含まれているとは思っています)「偽書」とは何ぞやと考えさせられます。