銅鐸がどのように使われてきたのか記紀には何も記されていません。
使用方法のみならず銅鐸そのものの存在が記されていません。
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸のうちには、たった2ミリの厚さのものが含まれているそうです。
これは現代の技術をもってしても再現できない、ロストテクノロジーだといいます。
銅鐸を当時国産していたのは確かなことなので、作っていた工人の青銅器職人としての腕前は相当なものだったと考えられます。
鏡についても仿製鏡=質が悪い とは一概には言えなかったと思います。
銅鐸は広い地域で一斉に姿を消します。
「鰭」を上下にして銅鐸を横たえ、多数を一度に埋納する際には「入れ子」にして…と各地で同じやり方で埋納されています。
何故埋められたかについては諸説ありますが、流行りが終わり廃れて消えていく感じではありません。
意識的にキッパリと手放しています。
銅資源としても貴重であると思うのに、銅鏡に鋳直されることなく埋められます。
鋳直されなかったことを考えると、やはり敵対勢力から隠したと考えるべきでしょうか。
銅鐸は、それを用いて祭祀を行う古い共同体を象徴する祭器だったでしょう。
古い共同体の神は、何らかの理由で棄てられてしまいました。
約500例発見されている銅鐸は、ほぼ偶然に発見されたものです。
青銅器が発見されなければ、出雲の国は「神話の中だけのお話」でした。
今後、思いもかけないところから青銅器が発見されるなら、それは銅鐸のはず。
棄てられた、忘れ去られた神の祭器が出土することを熱望します。