古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

小豆島は塩土島①

2020-08-06 13:07:20 | 歴史

瀬戸内海に浮かぶ小豆島は古代には「あずきしま」と呼ばれたといいます。

 

「あずき」といえば、出雲の「阿須伎(あずき)神社」にアジスキタカヒコネは祀られています。

出雲国風土記には三十九社もの阿須伎神社があったと記されています。

アジスキが訛りアズキになるのであれば、妄想は膨らみます。

小豆島はアジスキタカヒコネと関係しているのではないでしょうか。

 

しかし現在の小豆島にはアジスキタカヒコネとの関連は見当たりません。

小豆島の阿豆枳(あずき)神社は、島の祖神・大野手姫を祀っています。

古事記の国産みの段で、伊邪那岐命と伊邪那美命により「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「大野手比売」(おおのてひめ)が生まれたと記述されています。

大野手姫とは「大鐸姫」(おおぬてひめ)でしょう。島の中には大鐸という地域もあります。

小豆島は大きな鐸を司る姫神が統べる島だったと思われます。

鐸は「さなき」あるいは「さなぎ」ともいいます。現在の小豆島が属するうどん県・讃岐は「さなき」からの地名でしょうし、同じく香川県の瀬戸内海に浮かぶ猫の島・佐柳(さなぎ)島も鐸からの地名でしょう。

応神紀において小豆島と「いや二並び」と歌われた淡路島からは松帆銅鐸など、銅鐸が多数出土しています。

小豆島からも銅鐸が出土しており、大野手姫とは大きな銅鐸のお姫様だったと考えらえます。

 

もし鐸が鉄鐸であるならば、諏訪との繋がりが生じてきます。諏訪大社の神宝「さなぎの鈴」は鉄鐸です。

大野手姫が島外で唯一祀られているのが福井県の「須波阿須疑神社」であり、タケミナカタとともに祀られていることは偶然にしては面白いと思います。

大野手姫が鉄鐸の姫というのも、有りなのかなと感じます。

 

 


鞆と勾玉と応神天皇

2020-08-03 10:54:59 | 歴史

応神天皇は古事記では大鞆和気命(おおともわけのみこと)、またの名を品陀和気命(ほんだわけのみこと)、

日本書記においては誉田別尊(ほむたわけのみこと)と記されています。

生れたときに、腕に鞆のような筋肉が備わっていたのでそう名付けられたとあります。

鞆とは弓射の際に左手首内側につける皮製の武具であり、この誕生譚は胎内に居ながらにして国の統治者となるような神聖な生まれであることを表していると解されています。

 

応神天皇を祀る八幡神社の神紋は巴紋です。巴の起こりは鞆を図案化したもので、元々は鞆絵であるという説があります。巴紋は応神を祀る八幡神社にふさわしい神紋でしょう。

また巴の形は勾玉にも似ています。勾玉を図案化したものが巴であるとの説もあります。

この応神天皇が鞆のような筋肉を持って生まれたという誕生譚は、応神天皇が勾玉と繋がりの深い一族の生まれてあることの暗喩ではないでしょうか。

敦賀の気比大神・去来沙別神(いざさわけのかみ)と名を交換したというエピソードを持つ応神天皇、越の国との繋がりを強く感じます。

 

そういえば応神の母、神功皇后にも鞆に纏わる話が残されていますね。

広島県福山市の名勝地 鞆の浦は、神功皇后が鞆の地を訪れ、身につけていた武具の高鞆を社に奉納されたから「鞆」と呼ばれるようになったといいます。

鞆の浦に沼名前(ぬなくま、或いは ぬなさき) 神社があることを考えると、ヌナはイコール翡翠であり、「鞆」とは勾玉の形からついた地名なのかもしれません。

応神の父であろう武内宿禰の後継氏族である蘇我氏も翡翠と関わりが深いようですし、やはり神功皇后も応神天皇も、「ヌナ」と関わりが深いように思います。