日本書紀には「倭の奴国王」も「邪馬台国・卑弥呼」も「倭の五王」も「阿毎多利思比狐」も誰も記されていません。
何故書かれていないのでしょうか。
日本書紀が書かれたころには奴国王や卑弥呼については分からなくなっていたとしても、アメノタリシヒコが誰か分からなくなっていたはずはないでしょう。
中国に跪いてきたことを書きたくなかったとしても、アメノタリシヒコのことなら書けるのではないでしょうか。
アメノタリシヒコについてはわざと誰のことだか判らなくしていますよね、確信犯ですよね?
諸説ありますが、一体アメノタリシヒコって誰ですか?
誰のことも書いていないのに、日本書紀は卑弥呼のことだけは神功皇后かもしれないと匂わせます。
卑弥呼とは「日本」の歴史においてそれほどに重要な人物なのでしょうか?
卑弥呼の系譜に繋がっていない王家などあり得ないというような。
また匂わせる対象として、なぜ神功皇后だったのでしょうか。
神功皇后では年代的な矛盾もあり、匂わせる対象としてだけであれば、むしろ箸墓に眠るヤマトトトヒモモソヒメこそ相応しく感じます。
何も匂わせなければ天照大神=卑弥呼と素直に考えられるのに…とも思います。
神功皇后と卑弥呼を同一人物かもしれないと思わせる必要性は何?
例えば九州の女酋が卑弥呼を名乗って魏に朝貢していたとしても、書かなければいいじゃありませんか。
他の朝貢については書いていないのですから。
で、魏志倭人伝には記載のない三韓征伐を神功皇后の功績としてうたいあげる…。
・・・何故?