最近つくづく身にしみるのが、過程の喪失です。
たとえば、プリンターに紙を差し込んで
パソコン画面のプリントと言う文字を押すと印刷されるのが普通で
その結果があるのは当然です。
物に付いている柄が、印刷であれ、染めたものであれ
その結果があるのは当然で、そこまで物が出来た過程は
存在しないのと同じです。
定年退職をむかえた団塊の世代の人たちが辿って見てきた
基礎的な形から現在に至るまでの過程は
理解の過程で、その結果しか見ていないと、なぜそうなってきたのか
基礎的なものが欠落していて、応用には出来ないのではないかと
恐怖すら感じます。
たとえば、紙を裁断する機械があって、何センチ四方に切りたいと
タッチパネルを押して入力して紙を差し込むと、希望する形に出てくる。
現在でも、昔の印刷業者の方から貰い受けた、ギロチン型の裁断機
を使っていますが、紙をセットして万力で抑えて、てこの原理で
刃を下ろすと切れます。これが例えば自動化されているだけでも
その構造までは分からず、結果そうなるものだと言う認識しか残らない。
誰かが言ってました、
「生きている魚をさばこうとテレビのタレントがガタガタ震えながら涙流しながら
切っていた」「あ~最近って生きてる魚って触ってないよな」
いまでもそうだけど、機嫌を悪くしたのか、なかなか直らない機械が
あって、その調子がどうしても分からない時、イライラして
「なんで、壊れへん機械作ってくれんかったんや!」
と言ったことがあったけど
「壊れん機械は、誰にも直せん機械や」
と笑われたことがあります。
あ~そうやな。なかなか言い方難しいけど
大きな過程の距離、恐怖すら感じます。
たとえば、プリンターに紙を差し込んで
パソコン画面のプリントと言う文字を押すと印刷されるのが普通で
その結果があるのは当然です。
物に付いている柄が、印刷であれ、染めたものであれ
その結果があるのは当然で、そこまで物が出来た過程は
存在しないのと同じです。
定年退職をむかえた団塊の世代の人たちが辿って見てきた
基礎的な形から現在に至るまでの過程は
理解の過程で、その結果しか見ていないと、なぜそうなってきたのか
基礎的なものが欠落していて、応用には出来ないのではないかと
恐怖すら感じます。
たとえば、紙を裁断する機械があって、何センチ四方に切りたいと
タッチパネルを押して入力して紙を差し込むと、希望する形に出てくる。
現在でも、昔の印刷業者の方から貰い受けた、ギロチン型の裁断機
を使っていますが、紙をセットして万力で抑えて、てこの原理で
刃を下ろすと切れます。これが例えば自動化されているだけでも
その構造までは分からず、結果そうなるものだと言う認識しか残らない。
誰かが言ってました、
「生きている魚をさばこうとテレビのタレントがガタガタ震えながら涙流しながら
切っていた」「あ~最近って生きてる魚って触ってないよな」
いまでもそうだけど、機嫌を悪くしたのか、なかなか直らない機械が
あって、その調子がどうしても分からない時、イライラして
「なんで、壊れへん機械作ってくれんかったんや!」
と言ったことがあったけど
「壊れん機械は、誰にも直せん機械や」
と笑われたことがあります。
あ~そうやな。なかなか言い方難しいけど
大きな過程の距離、恐怖すら感じます。
初心者なのでわからないことがあればまた、教えて下さい。
近所でブログはじめてくれてうれしいです。
お互いモチベーション上げていきましょう!