2007年2月17日(土)の新版『神の火』 (新潮文庫) は、下巻p186からp272まで読了。
今回のタイトルは、ボリスの台詞。過去の島田先生もそれにお付き合いしたって・・・!? いやあぁぁぁ~! そんなもの食べられるのか!?
今回分は非常に辛く、苦しい・・・。でも、やらなきゃ。逃げられない。
【今回のツボ】
・ボリスと島田先生のやり取り・その2 ハロルドさんと島田先生のギスギスした対話と違い、棘はあっても温かい、毒はあっても効き目がないような(笑)会話なのは、お互いにある一線まで心を許せていたからだろうなあ、と思う。
・良ちゃんと島田先生のご対面。 ・・・としか、言葉が濁せない。
・山村勝則と島田先生の対話。 「何で!?」と思われるかもしれませんが、今回の再読でここの山村さんに同情してしまった・・・。「高村さんはどんなキャラクターにも愛情を注いでいる」といわれる所以が、ここにも現れているということでしょうか。
・島田先生を救助した際の日野の大将の行為。 いや、人工呼吸をしたり、顔を叩くのは分かるんですよ。早く意識を取り戻さないと、命に関わることだから。だけど、何で瞼を吸う!? そんなに目玉に執着してるのか!?
(実際は先生の閉じた瞼を目にして、眠らないように吸ったという、無意識の行為だと思うが)
・島田先生と日野の大将の音海偵察。 たった二人でここまで徹底してやれるってのは、二人のあらゆる能力が常人より遥かに高いということだ。まったく凄いとしか言いようがない。
【『神の火』 スパイ講座】
フィルムの現像は、これもスパイ教育の必須科目だった。 (文庫版下巻p253)・・・たしか森村泰昌さんの『空想主義的芸術家宣言』(岩波書店)だったかなあ、高村薫作品について述べられていた部分がありました。(もちろん、扮装(?)も。のけぞること請合う「合田雄一郎」の写真と、「合田雄一郎論」が語られておりますよ・・・)
その中に、この島田先生のフィルムの現像をする場面が取り上げられていて、手順の描写が正確なのに驚いた、というような内容が記されてました。
【今回の名文・名台詞・名場面】
★そして島田は、なすすべのないソヴィエト社会主義の敗北を感じ、ほんとうに冷戦構造が崩れていくという実感を持った。冷戦に代わる新たなパワーゲームの幕開けと主役の交代の、まさに狭間に自分や山村や江口が呑み込まれていく、という実感を持った。すでに新たな幕は開いており、時代はまさに変わろうとしているのだ、と。
自分や江口が生きてきた時代の最後のときが迫っている、と島田は心底納得した。これは、過去に引きずられた最後の旅なのだ。 (文庫版下巻p195)
旧ソ連が崩壊あるいは解体した頃、私は大学生でした。西洋史の講義もとっていたので、担当教授がかなり熱心に詳しく説明されていたのを思い出します。専門の時代や地域やテーマが違えども、不動と思われていた巨大な存在が瓦解していく事実を目の当たりにして心を動かされないのでは、「歴史」を選んだ学者・専門職に就いた人間としては、失格ではなかろうか。
★すべての科学技術は本来、その運用に当たって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったというのか、そう思い至ると、島田は回復不能の懐疑の闇に陥った。 (文庫版下巻p199)
元技術者としてこのように考えること自体、島田先生の変化がここでも分かるというもの。ここは先生の思考を借りた、高村さんの思考でもあるようにも思えますね。
★「ボリス! パーヴェルは裏切り者じゃない! 日本の原発を見たかっただけだ! 日本へ原発を見に来ただけだ! 信じてやってくれ! その子を国へ連れて帰ってやってくれ! 故郷へ埋めてやってくれ! 死の灰の降った土にその子を埋めたら、そこからきっと花が咲く! 血の花が咲く!」 (文庫版下巻p208)
引き裂かれてしまった良ちゃんへの、島田先生の魂の叫び。前回分で「花が咲く」と期待した良ちゃんの才能は、ついに身もつけず、開花することもなく、死という名の新たな種になり、血の花を咲かすことになるのか・・・。
余談ながら、私がイメージする良ちゃんの花は、向日葵です。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの映画「ひまわり」のイメージも刷り込まれてしまっているのかもしれませんが。(女が男の消息を訪ねて一面のひまわり畑で再会した時は、男には妻がいたという場面。「ソ連=ひまわり」という非常に単純な図式・笑) それを差し引いても、良ちゃんには大輪の向日葵のように笑っていてほしいと思うので・・・(別に小輪の向日葵でもいいんですけど) 太陽に真っすぐ向かい、追いかけ、逃げることない健気な姿が、良ちゃんに重なるの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/6a/c3f9a8d5a349028baa189da14c332d82.jpg)
というわけで、イメージ画像を挿入してみました。私のパソコンに最初から入っていたものです。
★ハロルドが最後まで隠し、ボリスも言葉を逸らせ、江口も婉曲に臭わせはした決定的な事柄が一つあった。あと数時間、あるいは数十時間のうちに、十中八九この海で命を落とすことになる男がそこにいた。どうしても目を逸らすことが出来ずに、島田は山村の姿を見つめた。国家の巨大な利害が絡み合う迷路を、ここまで来て遂に渡ることの出来なかった老人一人は、島田には他人ではなかった。山村は未来の江口であり、自分なのだ。 (文庫版下巻p212)
ここと、次に挙げた部分で、私は山村さんに同情してしまった。当人も薄々分かっているんだろうけれど、もう何ていっていいのか、かわいそうでかわいそうで仕方なくって・・・。
★つい数日前まで、東京の議員会館と国会を往復して、あっちで檄を飛ばし、こっちで論陣を張り、マスコミに噛みついていた山村勝則という政治家は、山村の一部ではあったが、あくまで一部だったのだと島田はつくづく考えた。戦前あるいは戦中に左翼思想に目覚めた青年は、やがて現実の体制の毒針に刺されて分裂し、社会理念を掲げる理論家の顔、党を支える裏の顔、政治家としての表の顔を持ったが、そのどれもが一部であって、山村という個人はきっとそのどれでもなかったのだろう、と。 (文庫版下巻p212)
ある政治家の公と私、表と裏。政党は違えど、『新リア王』 (新潮社) の「政治家」福澤榮という人間のある一面は、この辺りまで遡ってくるのかなあ。
★狂気や聡明さや、なにがしかの決意など一切をぶち込んだ坩堝のような漆黒の目は、島田の言葉を拒み、驚きや疑念や当惑といった揺れを呑み込んだ。日野は毛布か出してきた手を伸ばし、島田の瞼を撫でた。「この目が見るもんは俺も見てやる」と日野は呟く。 (文庫版下巻p225~226)
良ちゃんを失って、ようやく日野の大将を見据えることが出来るようになった島田先生。それにしても大将の「島田浩二の目玉二つ」への執念は、凄いですねえ。
★装備。その言葉一つで、昨夜から生まれかけていた胎児は産み落とされたのだった。島田は、おぼろげに自分でも想像していた新生児を目の当たりにして震撼した。
音海原発へ行く。計画を立て、しかるべき装備を整えて行くのだ。事柄の生産性や正当性、価値、社会性、値段、一切何もなく、ただ行くのだ。音海原発へ。 (文庫版下巻p226)
良ちゃんの死と日野の大将の言葉が結びついて、島田先生から生まれたもの。
★原子力が二十世紀の知恵か。日野の特異な記憶力に驚きつつ、「原爆と原発は違う」と言葉を返した。日野は「被曝する側にとっては同じや」とそっけない返事をした。 (文庫版下巻p234~235)
グサリときます。ホンマに日野の大将の言うとおり。身体が破壊され、死に至らしめることは、どちらも同じ。
★「俺は、人間というのは知恵つけた分だけ不幸になると思うとるさかい、良には、女の一人や二人抱いてから、もういっぺん考えろて言うた。……もしそのとき、あれが被曝しとることを知ってたとしても、応えは同じや。言うても無駄やったかも知れへんが」
そうだ、周囲が何を説明し、引き止めようとしても無駄だったことだろう。良はキエフの病院から逃げたときに、すでに物事を冷静に見つめる心の余裕を失っていたのだと、島田も今は考えるのだった。チェルノブイリの四号炉で傷ついた精神は二度と元に戻らず、被曝した身体だけでなく、理性を越えた恐怖が若い精神を痛め続けたのだと。良は原発を恐れ、原子炉の火を恐れ、恐れるものへ突っ込んでいこうとした。良を音海へ駆り立てたのは、病んだ精神の妄想や強迫観念だったに違いない。そう思うと、ひどく憐れだった。 (文庫版下巻p235~236)
・・・とてもそんなふうには見えなかったわよ、良ちゃん・・・。
★日野はその目を戻して島田の顔に据え直すと、「お前こそ、音海へ何をしに行くんや」と尋ねてきた。
「自分の造ってきたものを見に」
「見てどないするんや」
「人間の知恵のあさはかさを思い知るさ」 (文庫版下巻p236)
ここまで転回しますか、島田先生・・・。
★懐かしさではなく、ただ、自分が戻るべきところへ戻ったという感じだった。四半世紀前、自分はここで何かを落とし、音海と日野草介から去って、江口彰彦の懐へ入っていった。その前の時点へ、もっと違った人生の可能性がいくつもあった時点へ、俺はやっと戻ってきたのだと、そのとき島田は感じたのだった。知らぬ間に口許が緩み、涙腺が緩んだが、ボートを磯へ着けるためにボートフックを伸ばしていた日野には、見られずにすんだ。 (文庫版下巻p239)
島田浩二という男・その28。陳腐な言葉を借りれば「心のふるさと」というのでしょうか。私にとっての「心のふるさと」は、やっぱり高校生まで住んでいた家になりますかねえ。
★原子力は二十世紀の知恵か。その問いに、胸を張ってイエスと答えられなくなったときに、この自分の人生の終点が来たというのは、偶然にしても、よかったと島田は思った。少なくとも人間の知恵の過信や傲慢を捨てることが出来ただけ、迷いに迷ってやっと誠実さという小さな果実に手が届いただけ、自分はよかったのだと思った。 (文庫版下巻p247)
島田浩二という男・その29。それに気づくために、たくさんの犠牲を払い、たくさんのものを失いましたけどね・・・。
今回のタイトルは、ボリスの台詞。過去の島田先生もそれにお付き合いしたって・・・!? いやあぁぁぁ~! そんなもの食べられるのか!?
今回分は非常に辛く、苦しい・・・。でも、やらなきゃ。逃げられない。
【今回のツボ】
・ボリスと島田先生のやり取り・その2 ハロルドさんと島田先生のギスギスした対話と違い、棘はあっても温かい、毒はあっても効き目がないような(笑)会話なのは、お互いにある一線まで心を許せていたからだろうなあ、と思う。
・良ちゃんと島田先生のご対面。 ・・・としか、言葉が濁せない。
・山村勝則と島田先生の対話。 「何で!?」と思われるかもしれませんが、今回の再読でここの山村さんに同情してしまった・・・。「高村さんはどんなキャラクターにも愛情を注いでいる」といわれる所以が、ここにも現れているということでしょうか。
・島田先生を救助した際の日野の大将の行為。 いや、人工呼吸をしたり、顔を叩くのは分かるんですよ。早く意識を取り戻さないと、命に関わることだから。だけど、何で瞼を吸う!? そんなに目玉に執着してるのか!?
(実際は先生の閉じた瞼を目にして、眠らないように吸ったという、無意識の行為だと思うが)
・島田先生と日野の大将の音海偵察。 たった二人でここまで徹底してやれるってのは、二人のあらゆる能力が常人より遥かに高いということだ。まったく凄いとしか言いようがない。
【『神の火』 スパイ講座】
フィルムの現像は、これもスパイ教育の必須科目だった。 (文庫版下巻p253)・・・たしか森村泰昌さんの『空想主義的芸術家宣言』(岩波書店)だったかなあ、高村薫作品について述べられていた部分がありました。(もちろん、扮装(?)も。のけぞること請合う「合田雄一郎」の写真と、「合田雄一郎論」が語られておりますよ・・・)
その中に、この島田先生のフィルムの現像をする場面が取り上げられていて、手順の描写が正確なのに驚いた、というような内容が記されてました。
【今回の名文・名台詞・名場面】
★そして島田は、なすすべのないソヴィエト社会主義の敗北を感じ、ほんとうに冷戦構造が崩れていくという実感を持った。冷戦に代わる新たなパワーゲームの幕開けと主役の交代の、まさに狭間に自分や山村や江口が呑み込まれていく、という実感を持った。すでに新たな幕は開いており、時代はまさに変わろうとしているのだ、と。
自分や江口が生きてきた時代の最後のときが迫っている、と島田は心底納得した。これは、過去に引きずられた最後の旅なのだ。 (文庫版下巻p195)
旧ソ連が崩壊あるいは解体した頃、私は大学生でした。西洋史の講義もとっていたので、担当教授がかなり熱心に詳しく説明されていたのを思い出します。専門の時代や地域やテーマが違えども、不動と思われていた巨大な存在が瓦解していく事実を目の当たりにして心を動かされないのでは、「歴史」を選んだ学者・専門職に就いた人間としては、失格ではなかろうか。
★すべての科学技術は本来、その運用に当たって完全という言葉は使えない人間の所産に過ぎないが、いったん壊れたが最後、周辺地域が死滅するような技術の恩恵を、人間はどれほど受けてきたというのか。原子力は、人間にどれほど必要な代物だったというのか、そう思い至ると、島田は回復不能の懐疑の闇に陥った。 (文庫版下巻p199)
元技術者としてこのように考えること自体、島田先生の変化がここでも分かるというもの。ここは先生の思考を借りた、高村さんの思考でもあるようにも思えますね。
★「ボリス! パーヴェルは裏切り者じゃない! 日本の原発を見たかっただけだ! 日本へ原発を見に来ただけだ! 信じてやってくれ! その子を国へ連れて帰ってやってくれ! 故郷へ埋めてやってくれ! 死の灰の降った土にその子を埋めたら、そこからきっと花が咲く! 血の花が咲く!」 (文庫版下巻p208)
引き裂かれてしまった良ちゃんへの、島田先生の魂の叫び。前回分で「花が咲く」と期待した良ちゃんの才能は、ついに身もつけず、開花することもなく、死という名の新たな種になり、血の花を咲かすことになるのか・・・。
余談ながら、私がイメージする良ちゃんの花は、向日葵です。ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの映画「ひまわり」のイメージも刷り込まれてしまっているのかもしれませんが。(女が男の消息を訪ねて一面のひまわり畑で再会した時は、男には妻がいたという場面。「ソ連=ひまわり」という非常に単純な図式・笑) それを差し引いても、良ちゃんには大輪の向日葵のように笑っていてほしいと思うので・・・(別に小輪の向日葵でもいいんですけど) 太陽に真っすぐ向かい、追いかけ、逃げることない健気な姿が、良ちゃんに重なるの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/6a/c3f9a8d5a349028baa189da14c332d82.jpg)
というわけで、イメージ画像を挿入してみました。私のパソコンに最初から入っていたものです。
★ハロルドが最後まで隠し、ボリスも言葉を逸らせ、江口も婉曲に臭わせはした決定的な事柄が一つあった。あと数時間、あるいは数十時間のうちに、十中八九この海で命を落とすことになる男がそこにいた。どうしても目を逸らすことが出来ずに、島田は山村の姿を見つめた。国家の巨大な利害が絡み合う迷路を、ここまで来て遂に渡ることの出来なかった老人一人は、島田には他人ではなかった。山村は未来の江口であり、自分なのだ。 (文庫版下巻p212)
ここと、次に挙げた部分で、私は山村さんに同情してしまった。当人も薄々分かっているんだろうけれど、もう何ていっていいのか、かわいそうでかわいそうで仕方なくって・・・。
★つい数日前まで、東京の議員会館と国会を往復して、あっちで檄を飛ばし、こっちで論陣を張り、マスコミに噛みついていた山村勝則という政治家は、山村の一部ではあったが、あくまで一部だったのだと島田はつくづく考えた。戦前あるいは戦中に左翼思想に目覚めた青年は、やがて現実の体制の毒針に刺されて分裂し、社会理念を掲げる理論家の顔、党を支える裏の顔、政治家としての表の顔を持ったが、そのどれもが一部であって、山村という個人はきっとそのどれでもなかったのだろう、と。 (文庫版下巻p212)
ある政治家の公と私、表と裏。政党は違えど、『新リア王』 (新潮社) の「政治家」福澤榮という人間のある一面は、この辺りまで遡ってくるのかなあ。
★狂気や聡明さや、なにがしかの決意など一切をぶち込んだ坩堝のような漆黒の目は、島田の言葉を拒み、驚きや疑念や当惑といった揺れを呑み込んだ。日野は毛布か出してきた手を伸ばし、島田の瞼を撫でた。「この目が見るもんは俺も見てやる」と日野は呟く。 (文庫版下巻p225~226)
良ちゃんを失って、ようやく日野の大将を見据えることが出来るようになった島田先生。それにしても大将の「島田浩二の目玉二つ」への執念は、凄いですねえ。
★装備。その言葉一つで、昨夜から生まれかけていた胎児は産み落とされたのだった。島田は、おぼろげに自分でも想像していた新生児を目の当たりにして震撼した。
音海原発へ行く。計画を立て、しかるべき装備を整えて行くのだ。事柄の生産性や正当性、価値、社会性、値段、一切何もなく、ただ行くのだ。音海原発へ。 (文庫版下巻p226)
良ちゃんの死と日野の大将の言葉が結びついて、島田先生から生まれたもの。
★原子力が二十世紀の知恵か。日野の特異な記憶力に驚きつつ、「原爆と原発は違う」と言葉を返した。日野は「被曝する側にとっては同じや」とそっけない返事をした。 (文庫版下巻p234~235)
グサリときます。ホンマに日野の大将の言うとおり。身体が破壊され、死に至らしめることは、どちらも同じ。
★「俺は、人間というのは知恵つけた分だけ不幸になると思うとるさかい、良には、女の一人や二人抱いてから、もういっぺん考えろて言うた。……もしそのとき、あれが被曝しとることを知ってたとしても、応えは同じや。言うても無駄やったかも知れへんが」
そうだ、周囲が何を説明し、引き止めようとしても無駄だったことだろう。良はキエフの病院から逃げたときに、すでに物事を冷静に見つめる心の余裕を失っていたのだと、島田も今は考えるのだった。チェルノブイリの四号炉で傷ついた精神は二度と元に戻らず、被曝した身体だけでなく、理性を越えた恐怖が若い精神を痛め続けたのだと。良は原発を恐れ、原子炉の火を恐れ、恐れるものへ突っ込んでいこうとした。良を音海へ駆り立てたのは、病んだ精神の妄想や強迫観念だったに違いない。そう思うと、ひどく憐れだった。 (文庫版下巻p235~236)
・・・とてもそんなふうには見えなかったわよ、良ちゃん・・・。
★日野はその目を戻して島田の顔に据え直すと、「お前こそ、音海へ何をしに行くんや」と尋ねてきた。
「自分の造ってきたものを見に」
「見てどないするんや」
「人間の知恵のあさはかさを思い知るさ」 (文庫版下巻p236)
ここまで転回しますか、島田先生・・・。
★懐かしさではなく、ただ、自分が戻るべきところへ戻ったという感じだった。四半世紀前、自分はここで何かを落とし、音海と日野草介から去って、江口彰彦の懐へ入っていった。その前の時点へ、もっと違った人生の可能性がいくつもあった時点へ、俺はやっと戻ってきたのだと、そのとき島田は感じたのだった。知らぬ間に口許が緩み、涙腺が緩んだが、ボートを磯へ着けるためにボートフックを伸ばしていた日野には、見られずにすんだ。 (文庫版下巻p239)
島田浩二という男・その28。陳腐な言葉を借りれば「心のふるさと」というのでしょうか。私にとっての「心のふるさと」は、やっぱり高校生まで住んでいた家になりますかねえ。
★原子力は二十世紀の知恵か。その問いに、胸を張ってイエスと答えられなくなったときに、この自分の人生の終点が来たというのは、偶然にしても、よかったと島田は思った。少なくとも人間の知恵の過信や傲慢を捨てることが出来ただけ、迷いに迷ってやっと誠実さという小さな果実に手が届いただけ、自分はよかったのだと思った。 (文庫版下巻p247)
島田浩二という男・その29。それに気づくために、たくさんの犠牲を払い、たくさんのものを失いましたけどね・・・。