あるタカムラーの墓碑銘

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幸田さんは、結婚しはらしませんの?  (小説新潮 1990年10月号 p150)

2016-05-15 22:39:14 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
ちょっと頑張って、もう一回分、更新します。

☆2016年(平成28年)5月13日の読書メモ☆

p141の下段~p161の中段まで。幸田さんとモモさんが襲撃された最中。


北でも南でも大差はなかった。末永の部分に立ち入るまいと、最初から決めていた。こいつらの駆け引きには、立ち入るまい。北も南も、右も左も関係ない。こいつらは、自分らにとってはただの《誘拐犯》なのだ。 (p142)

北だろうが南だろうが、国家はみんな嘘つきだ。 (p142)

土佐堀沿いを、ゆっくりと移動するジイちゃんの姿があった。夏の終わりに初めて見たのと同じ背、同じ柔らかな腕の動きだった。だが、以前、そこから発してくるように思えた秘密めいた力や、無言の語りかけはもはやなかった。幸田の目には、今、グロテスクな骨組の一つ一つが見えるだけだった。謎が解け、夢が消えると、何もかも、ただの下衆どうしの思い入れにすぎなかったかのようだった。 (p147)

幸田は護岸壁から身を離した。目を上げて空を仰いだ。そうしなければ、目の端から溢れそうになる洪水があった。二十九年間の憎悪は、今は何ほどのこともなかった。神父など、初めからどうでもよかったのだ。今はそれより、もっと別の感情が芽をふき、育ちつつあった。この老人には分かるまい。もはや人を愛することのない男には、分かるまい。 (p148)

前の再読日記では、モモさんだけへの愛かと思っていたようですが、今回初めて、モモさん、春樹、そして北川兄や野田さん、自殺したミエちゃんへの想いもふくまれているのかなあ・・・と感じました。
特にモモさんと春樹に対しては、今までの読書メモでも言及してますが、幸田さんの感情の変化が激しい。

「幸田さん、あそこへ行ってみようか……。」
モモは、フェンスの向こうの尖塔を指した。幸田は首を横に振った。あそこは遠い。絶対的に遠い。過去でも現在でもない、彼岸のように遠い、という気がした。
「……いつか、行こう。」
モモは静かに、だが、しっかりとささやいた。「いつか、行こう……」
 (p150)

何度再読しても、ここははずせない。

思えば、三日間に二度も死体を見たが、どちらも自分は当事者ではなかった。悲しいという感情はなかった。ただ、空白が開き、心臓が深くうねっていた。二度と見ることのない北川の奥さんの笑みと、二度と触れることもないだろう春樹の手。どらちも、夢だったような気がした。夢が覚め、希望が一つ消えただけだった。目覚めると、世界は黙々として暗く、終わりの時に向かって進んでいる足音が聞こえるだけだった。 (p152)

入力してて、ふと、『リヴィエラを撃て』のサラの事故現場を見たリーアンの感慨が浮かんできました。根底にある何ものかが、似ているのかな、と。

モモは最近、すっかり《モモ子》が板についてきた。ちょっとした京美人だ。以前のようによく笑い、笑うと一層きれいに見える。 (p155)

ついにモモさんに対する幸田さんの視線が「京美人」まできましたよ。しかし「京美人」って曖昧な雰囲気の単語ですね。「こうだ!」という定義がない。(ダシャレじゃないですよ)

まだ夜明けは遠かったが、闇は夏の頃よりずっと透明に澄んでいるような気がした。眠気も疲れもなく、筋肉も神経も異様に冴えていた。かつて経験した、どの大仕事の時の感じとも違っていた。八月の終わりに、あのビジネスホテルで話が始まった頃、パチンコ屋から消えたモモを捜し歩いていた頃、自分の足にへばりついていた魚の目は、どこへ消えたのか。あの、闇を穿つモモの目は、何の夢だったのか。路地や神父の姿はどこへ行ったのか……。 (p159)

そういえば当初、モモさんのことを「魚の目」と称してましたね。

「十六日まで、あと四日。もう何もすることがない」とモモは笑った。
俺もだ、と幸田は適当に答えたが、ふいに、やりたいことは一杯あったような気もした。大学に入って荻窪の家を出てから十年、見事に働きづめだった。学生の頃は学資を稼ぐのに精一杯で、卒業してからは休みなく働くことで、やっと自分の爆発を抑えてきた。特別に何かやりたいことがあったわけではないが、それにしても、人に自慢出来るような話の一つもない。
「俺のマンションに来いよ」と幸田は言った。モモは、軽くうなずいた。
 (p159)

「雑誌版」は「俺のマンションに来いよ」、単行本・文庫は「俺のアパートに来いよ」でした。

「十億の金塊か、モモか。どっちを取る? もう、モモにしてもらうことは全部してもらった……。もう、モモがいなくても決行はできるが、ジイちゃんがいなければ、エレベーターの細工は不可能だ。ジイちゃんを切ることは出来ない。」
「本心か? それでいいんだな……?」
「ああ。……モモに何かあったら、事が済んだ後で、ジイちゃんには首を括ってもらう。モモに何かあったら、絶対に許さない。俺も生きていけない……。」
「じゃあ、このままいくぞ……。」
そうつぶやきながら、北川は数秒、幸田の目を覗いていた。幸田は目を逸らせた。
 (p160)

幸田さんの「本心」が、最後の目を逸らせたところに凝縮されているようですね。

「幸田さん、許してくれ。出ていくひまがなかった。ちょっと押し入れに入っててくれ。頼む……。」
髪の長い色白の女が、ピストルを握り締めて立っていた。だが、その目はもう、朝まで見ていたモモの目ではなかった。どこか遠い国の、プロの殺し屋の目だった。
 (p160)

モモは首を横に振った。唇が少し柔らかくなり、悲しげな微笑が浮かんで、消えた。 (p160~161)

モモさんが最も綺麗なところ、美しい表情をしていたところ、もう何ものにも抗えないという諦観が生じ、せめて幸田さんだけは守ろうと決意した瞬間、でしょう。
こんなモモさんを見ては、幸田さんも冷静ではいられなくなるわなあ・・・。


明日で読了です。


幸田さん、おやつ。  (小説新潮 1990年10月号 p115)

2016-05-15 16:37:03 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
カステラのテンプレートを選んだのは、この春樹の発言のせいです。
『黄金を抱いて翔べ』らしい雰囲気のテンプレートを探しても、どうにもしっくりくるものがなくて、春樹が持ってきたカステラ、のイメージで。
ちなみに私は <カステラ銀装> のカステラが大好きです。盆暮れには必ず買って、食べてます。季節限定物よりも、定番のものがやっぱりいいですね。


☆2016年(平成28年)5月12日の読書メモ☆

この日は残業になり、電車の待ち時間の関係で読み進んで、p113の初め~p141の下段まで。春樹を誘拐した山岸のところにたどり着いた幸田さんたちのところです。


昨日も四年前も十年前も、等しい無関心と喪失と憎悪の中だった。四年前も、幸田は額に汗して働いていた。泥棒稼業のカムフラージュでも食う為でもなく、唯一、労働によって救われていたのだ。盆暮れの起伏も、季節も、希望も何もない泥の川を、それでもやっと流れてきたのは、自分の手足を黙々と動かし続けてきたからだった。 (p113)

若々しく尖った春樹の顔に、路地の臭いはなかった。世代の差か、環境の差か。船橋の高層住宅育ちの春樹には、コンクリートの清潔な空虚と、冷たい荒々しさが似合っていた。不毛だが眩しく、暗いが透明な砂漠のようだった。なぜか、それがふと、人間のいない土地に近いという気がした。無意識に、そんなことを思った。 (p115)

幸田さんのモモさんへの目線も変化がありますが、幸田さんの春樹への目線も変化がありますね。最初はどちらに対してもボロカスな言いようだったのに、だんだんと良い方向へと進んでいる。

それはね、モモさんも春樹も、「幸田弘之」と関わったせいだよ、幸田さん。あなたのおかげで、二人は変わっていったのよ。だけどそれに気付いてなさそうな幸田さん。

北川は、どんな時でも、風邪を引いてる人間を気遣って、温かいものを選ぶぐらいの神経を配る男だった。だから女にもて、男に好かれ、するつもりのなかった話もさせられる。 (p116)

幸田は大学に入って一人暮らしを始めるまで、鍋物の味を知らなかった。食ったことはあったが、一つ鍋をみんなで囲む旨さを知らなかった。今でも鍋を囲むとぎこちない感じが蘇り、あまり好きではなかったが、それでも関西の鍋はどれも美味で、旨そうに食う人間と一緒に食うのは、特に旨いと感じた。旨いものを食うと、自分が別の人間になり、別の人生を持っていたような気分になるから不思議だった。 (p116)

この時のお鍋料理はテッチリです。太融寺(たいゆうじ)で食べたとありますが、私も大学の卒業祝いで後輩たちにお鍋料理をご馳走になったのは、太融寺でした。
(太融寺は今ではすっかりラブホ街・・・。「ラブホテル」ではなく「ファッションホテル」と、より曖昧に呼ぶようになってるの?)

そういう形で、一つにつながった一つの人生の責任を取れることは、自分にとってむしろ望ましいことだという気もした。だが、そんなことになってほしくにいという北川の愛情も分かり、少し優しい気持ちになりながら、幸田は首を横に振った。
「いやだ。」
幸田は首を横に振り、北川の自分に向かってくる目を仰ぎ、そこに茫々として定まらない一本の帆の立ちゆく海を見、風に立ち向かい流される舟を思いながら、頭を垂れた。
「モモを売るのはいやだ。」
北川は、しばらく何も答えなかった。それから一言、「分かった」と言った。
 (p117)

「モモを売るのはいやだ。」の発言だけでは、どうにもしっくりこなかったので、前後も引用。 海と舟の表現が、後々つながってくるんだなあ・・・と感じましたことですよ。

幸田の目には、どこから見ても、オフィス街を駆けるエリートビジネスマンの野田だったが、仕立てのいい地味なスーツを微妙に着崩しているのが、印象的だった。社会への順応性と、外目に目立つ必要を感じない不遜な自信などが、複雑に入り組んでいる感じがした。 (p119)

幸田さんから見た「エリートビジネスマン」野田さん。ビジネスマンって誰でも、何か一枚、皮をまとっているものですが、幸田さんはホワイトカラーのお勤めをしたことがないはずなので、こういう観察になるんだろうなあ。

モモは、黙ってしばらく地図を見ていたが、やがて「とにかく潜ってみよう」と言った。
「あまりいい感じではないが、とにかくやってみることだ。ぶつかってみなければ先に進まない時には、ぶつかってみるしかない。一歩進んで、何もなければもう一歩進む。何かあるようなら退く。その内、裏切り者が尻尾を 出すさ。」
モモは、ゆったりとそれだけ言った。長い経験が物語る落ち着きがあった。
 (p125)

モモの笑顔が見えた。幸田も笑みを返した。やったぜ、という気分だった。 (p128)

何てことない場面かもしれませんが、こんな二人が、今回読んでいてちょっと印象に残ったのもので。

いつものように、観察する気も起こらなかった。昨日からすでに、世界も自分も変わってしまっている。世界は、春樹を誘拐したやつらの気配と臭気で一杯になり、もはやそれしかなかった。 (p139)


【実在のこと、あれこれ】

☆「百万人の英語」 (p115)……ある世代までは知っているであろう、今はもうない英語番組の雑誌。北川兄が紀伊國屋書店で立ち読みしているフリをしていた。


ゴリラと気がおうてしもうて、檻の前を動かしませんねん  (小説新潮 1990年10月号 p104)

2016-05-15 00:30:16 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
☆2016年(平成28年)5月11日の読書メモ その3☆

読書メモその3はp112の最後まで。


国島のぼっちゃんは、目撃者としては最悪の部類だった。何か得策か考える知恵ももなく、決断力も度胸もない上にノイローゼと被害妄想とくれば、脅しも理屈も無用だった。 (p92)

「野田」の名字は、たぶん大阪のJRや阪神の駅名「野田」か、その地名からとったのかと思っているのですが、この「国島」は、「柴島」(と書いて「くにじま」と呼ぶ)の地名からとったんじゃないかなあ・・・と、最近思うようになってきた。

幸田はいい歳をしてうつぶせに寝る男を何人か知っていたが、どの男にも嫌悪を感じた。 (p93)

前にもこのブログのどこかで記したのだが、大昔に読んだ、タイトルも作家名も忘れた少女漫画で「誰かが言っていた うつぶせに寝るのは 恋をしている証拠だと」の台詞だけ、強烈に印象に残っている。
幸田さんは男がうつぶせに寝ることの、何が気に食わんのだろうか・・・?

飛躍は、確かに想像していたよりずっと穏やかだった。大して切羽詰ったとも思えない理由で、壁を一つ越えると、そこにあったのは、これまでと何も変わらぬように見える街だった。何もなく、何も変わらず、怖れも感動もなく、ただひたすら不快だった。 (p94)

壁は越える為にあり、鍵は開ける為にあり、警備は破る為にあった。 (p96)

まるで泥棒の基本心構えみたい・・・って、まあ幸田さんたちは、これから泥棒をするんだけどさ。

「へッ、死んでもいいっていう人間の言うことか。」
「だが、これには人間が絡んでないから楽しい。誰の命令でもないし、思想も理念も何もない。生まれて初めてだ、こんなに好き勝手やってるのは……。」
 (p99)

……幸田さん。俺は、あのオリーブの枝の譬え話が好きだ。不信仰の故に切り捨てられた枝と、そこへ、信仰の故に接ぎ木された枝の話だ。《もし、神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、代わりに接ぎ木された枝を惜しむこともないだろう》とパウロは言った。
幸田さん。うまくは言えないが、俺たちは切り捨てられた枝だと思う。やがて憐れみを受け、救われ、接ぎ木される為に、今、切られた枝なのだと思う……。
 (p100)

「雑誌版」のみにある、単行本・文庫では「心の話」と変更された部分。
聖書には明るくないので、どのような状況でのエピソードなのか、まったく分からず。誰か教えてくださいませ。

その不快な、息の詰まるような春樹の思いが体中に染みた。シートに押さえつけられたまま、幸田は振動に未を負かせ、春樹と共に無言の叫びを発した。バルブの開閉やスパークの不規則で断続的なリズムは、いつの間にか、自分の感情や生理にぴったり寄り添っていた。すべらかなものとは無縁の、不穏なリズムだったが、自分の耳にはどこまでも柔らかかった。モモの手より、はるかに身近だった。 (p102)

そうだ。ああいう手も、言葉も、自分には馴染まない。優しげに打ちひしがれた眼差しには、自分は応えるものがない。そうだ、モモさん。あんたの言わんとしていることは、俺には通用しない神の国の言葉だ。《すべて、悪を行なう者は悟りはない》という言葉が、詩篇の中にあったろう? あの通りだ。俺は、自分の魂を救う為に生きているんじゃない。そんなヒマはないんだ。息をしているのが、精一杯だ。俺も、春樹もだ。貴様だってそうじゃないのか……? (p102)

「幸田さん。何でもいいから早く仕事がしたい……。毎日、そればっかり考えてるんだ。何か一発ぶっ放して、パッと終わりにしてしまいたい……。」
「俺は違う……。以前は断ち切ることばかり考えてたが、今は違う。いろんなものを引きずったまま、どうやって生きていくか考えてるんだ。どうやって、自分を引きずっていくか……。」
「俺はいらねえよ、こんな人生。」
「だからって、捨てるところもないのが人生だ。どこかへ、自分を引きずっていかなきゃならないんだ。」
「あんたは、それが出来る人だ。俺はだめだよ、きっと……」
 (p103)

「なあ、幸田さん。あんたいつもうわのそらな感じがする。」と春樹はささやいた。幸田が黙っていると、春樹はさらに続けた。「幸田さん、俺は今日からガキをやめる。あんたが目を離せないワルになるよ。」
「今でもワルのくせに。」
「まだまださ。」
 (p103)

ワルの手。幸田は笑った。春樹も笑った。他愛ない初々しさと、苦々しさが混じった複雑な好意の目を感じた。 (p103)

帝国カーリットだろうが、共同溝だろうが、小さいという気がした。福富の十億の金塊も、モモも、国島も小さかった。目の前に垂れ下がっている、巨大な睡魔の闇に比べれば。その闇の彼岸の、人間のいない土地に比べれば。 (p105)

やっとここで「福富」の名前が出てきましたので、ちょっと説明。そう、「雑誌版」では「福富銀行」なんです。
これは昔、実在した大阪の地方銀行「福徳銀行」の名前をもじったもので間違いないでしょう。
『黄金~』より数年後、福徳銀行も5億円強奪された、未解決事件がありました。このせいなのかどうか知りませんが、合併されて「福徳」の名前は消えました。


【実在のこと、あれこれ】

☆中森明菜 (p108)……幸田さんと野田さんがカーラジオで臨時ニュースを聴いていた後に、リクエストで名前が出てきた。曲名は分からず。
私は彼女が全盛期の世代なので、やっぱりいろいろと思い入れはありますね。彼女の曲で好きなのは、代表曲で挙げられるものとは違う、地味な曲かもしれない。
シングルになった曲では「サザン・ウインド」「SOLITUDE」「愛撫」、アルバムに収録されている曲では「燠火」「CROSS MY PALM」、某CM曲で使用された「MODERN WOMAN」が好きですね。


漬物石が自分で動き出したのだ。  (小説新潮 1990年10月号 p86)

2016-05-14 00:47:23 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
☆2016年(平成28年)5月11日の読書メモ その2☆

読書メモその2、今回も少ないですが、p90の中段まで。今回のタイトルが困りましたよ、ええ。
5月11日の読書メモは、3回分にします。


中之島の偵察がない日まで浮浪者をやろうという気持ちは、どこから起こってきたのか。考えると、ジイちゃんを見る為だという気がしないでもなかった。だからといってそれ以上の意味はなく、決して、何かを意識的に考えているというのではなかった。ただ、見ているだけだった。忍耐と屈従の動きが、ジイちゃんの手足を通して滑らかなリズムに変わるのを、ただ眺め続けた。打ちのめされ抑圧された貧しい肉体の中から、穏やかに柔らかいものが発散するのを眺めた。 (p80)

幸田が、「どうだ?」と顔を向けると、モモは青白いのっぺらぼうを緩めて微笑んだ。最近、時々そんな表情を見せることがある。この世から切り放された彼岸に、一つぽっかりと浮かんでいるような感じの、不思議な笑みだった。 (p81)

相変わらずモモさんを「のっぺうぼう」と思いつつ、少しばかり表情らしいものが浮かんできたモモさんにも気付く、幸田さん。

幸田は改めてモモの顔を見たが、そこにはやはり、何の表情もなかった。あの独特の親しい感じは、夜明けの薄闇の中で二人で街を嗅ぎ回っている間にだけ生まれ、日の出と共に消えるのか。そうしてモモはいつも、明るくなっていく日差しの中で、再び何者か分からなくなってしまう。  (p84)

幸田さん、モモさんと親しくなりたいのか? だけどモモさんに拒絶されていると感じてるのか? だけど幸田さんもモモさんが精神的にまいってるときに近寄ってきたら、拒絶したやん? あなたたち二人のリズムとタイミングの合わない様子は、不協和音みたい。

春樹は最近、少し顔つきが変わったようだった。相変わらず表情のない顔に、ゲスっぽい意地の悪さが覗いていた。気短で、いかにも容赦がなく、ビリビリ神経を尖らせている目だった。それが、時々自分に向かってくるのは気付いていたが、幸田はあえて無視した。春樹の生命の信号は、自分には切実で生々し過ぎる感じがしたし、伸びきったゴムの頭には重荷で煩わしかったからだ。 (p85)

ゲス・・・!? 今年(2016年)の流行語大賞の筆頭候補じゃないか?(正確には「ゲス男」だと思われる) ・・・と、独りで密かにウケてました。ごめんよ、春樹。

北川は冷静ではなかった。冷静に見える時は、十中八九、冷静ではなかった。北川は、誰よりも積極的に人の能力を買い、評価し、使う男だが、いったんその信頼が裏切られた時の怒りも、それなりにすさまじい。だが同時に、骨までえぐっても諦めないのが北川で、幸田の見たところ、北川はまだ、決して匙を投げたという表情ではなかった。《いろいろ考えた》というのは結局、《今一度ね望みをかけた》ということだった。 (p87)

もし北川がいなければ、自分が殴りたかったという感じはあった。もはや、暴力を受けるのも加えるのも、どちらも大差はなかった。どちらも容赦なく興奮していた。獣があえぎ、勃起し、血が飛び散った。耐え難い肉体の臭気が立ち上った。この土地の人間という人間が、この六畳間にひしめいているような臭いだった。
人間のいない土地!
 (p88)

「俺は、これだけは言える。モモさん、あんたは生きたいんだ。生きたいから、目撃者をどうこうって考えるんだろう? だったら、生きれるようにしろ。どうやって生きるか考えろ。生きて、決められた仕事をしろ。いいな!」
 (p88)

北川兄の、極端な鞭の後にキツイ飴・・・とでもいうべきか。


【実在のこと、あれこれ】

☆「背教者ユリアヌス」 (p81、p85)……辻邦生さんの代表作のひとつ。新装の文庫で出てほしいと待っているのだが、未だに気配なし。読まれないのは非常にもったいない。何とかならないですか。出版されたら、確実に一人は購読します。私です。


臭いメシ食う仲間や。アハ、ちごうた。かんにんな。  (小説新潮 1990年10月号 p69)

2016-05-13 00:12:27 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
☆2016年(平成28年)5月11日の読書メモ その1☆

2016年(平成28年)5月11日は、p65の中段~p112の最後まで読了。 この日の朝も、電車で急病人がいたらしく、最大20分近く遅れていた。おかげさまでたくさん読めました。

読書メモその1は、単行本・文庫の(一)の区切りにあたる、p80の上段まで。今日は残業になったため、22時過ぎにパソコン立ち上げましたの。疲れた身体に鞭打って、ちょっとでも入力します。少なくてすみません。


モモはみじろぎもせず、北川の誘導に乗る様子もなかった。もうその顔にサングラスはなく、あの、冴えないのっぺらぼうの真ん中に、ひたすら透明な茶色の目が二つあるだけだった。 (p67)

幸田さんから見て、未だに「のっぺらぼう」と表現されているモモさん。

幸田はもっとよく見ようとして、無意識に目を凝らした。すると、水の面に思いがけない反射が起こり、ちらりと光って、またすぐに消えた。一瞬の内に、何かの波長が合ったのだ。その翻った水の底に、紛れもない醜悪なものを見た、と幸田は思った。 (p69~70)

野田さんが幸田さんとモモさんをジイちゃん家に連れてきた際、幸田さんがジイちゃんの顔を観察したときの描写。

野田によれば、ミエちゃんという娘は美人ではないがグラマーで、男を喜ばせるタイプの女だということだった。三重県から一人で大阪に出てきているのでミエちゃんと呼ばれている娘は、 (後略) (p72)

こんなニックネームの名付けられ方はイヤだ! と誰もが思うであろう、ミエちゃんの名前の由来。例えば、私の場合に当てはめるならば、大阪に住んでいるから「オオちゃん」か「サカちゃん」か?

《初めに金塊ありき》という言葉で北川は始めた。《初めに金塊ありき》というヨハネの福音書の冒頭をもじったものだった。
「初めに金塊ありき。金塊は我々と共にありき。我々の結束は肉の欲によらず、人の欲によらず、ただ金塊によって生まれしものなり。ただし言っておくが、頂戴するのは五百キロ、十億円分だ。一人頭、二億。割に合わないと思う奴は、ここには集まっていないと信じる。以上。」
 (p73)

計画とは、取り掛かる前はいつも長い道のりに見えるが、やり出したら時を忘れるものだということを、幸田は知っていた。そのために、みんなやるのだ。 (p80)


【実在のこと、あれこれ】

☆内村鑑三 (p73)……キリスト教思想家、文筆家その他もろもろ。モモさんが読んでいた本のタイトルは記されてない。私も読んだことがない。

☆森有正の『ドストエーフスキー覚書』 (p73)……内村鑑三の次にモモさんが読んでいた本。2012年にちくま学芸文庫から再販されたので、私も読みましたよ。難しかったですよ。でも、面白く感じたところもいくつかありましたよ。だから『白痴』を読もうと思ったのよ。
(亀山郁夫さん、続きはまだですか~? 最終巻が出ると分かった時点から読もうと、待ってます。一気に通して読んでしまいたいので)

森有正がパイプオルガン奏者としても相当な腕前だったということは、「春秋」2016年4月号の「日本オルガン小史」 を読んで初めて知りました。

☆ケネディ (p78)……アメリカ第35代大統領、ジョン・F・ケネディ。ケネディ暗殺の現場写真について、北川兄と野田さんが言い合いっこしていた。
良くも悪くも、「アメリカの悲劇」というものの一翼を担った存在ではありますな。(本人がどのように思考していたかはどうあれ)


どこから来たか分からねえから、桃太郎のモモ  (小説新潮 1990年10月号 p40)

2016-05-12 00:01:12 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
☆2016年(平成28年)5月10日の読書メモ その2☆

2016年(平成28年)5月10日は、p24~p65の中段まで読了。(表紙はp22・23)
その2は、p65までの読書メモ。モモさんの住まいの見張りをしながら、煙草を握りつぶす幸田さんのところまで。

今さらですが今回の再読日記は、「人物描写」を特に取り上げています。


必要以上に野田が神経質にならないように、わざと話を大まかな方向に向けているのは、北川の細心な気遣いの一つだった。それが北川という男だ。周到な計算や、我の強さの下に、生来の細やかなものが覗いている。 (p38)

それに比べれば、自分は単純だなと幸田は思った。幸田には探られるような腹もなかった。事の正確さと可能性しか判断の基準にならない自分には、答えはいつもイエスかノーしかなかった。人を信用したこともない代わりに、本質的に疑ったこともなかったのではないか。 (p38)

幸田さんの感情や思考の振り幅というものは、両極にあるのか、はたまた狭いほどド真ん中なのか。

「(前略) いいか、お二人さん。この話は、とにかく楽しくやる。面白くなきゃあ、やる意味がねえんだ。勿論、成功しなきゃ話にならねえが、細かいのと細心なのとは違う。俺は細心にはやるが、細かいのは好かねえ。だから、今度の話もでっかくやる。俺は決めてるんだ。」 (p39)

モモについては、予想というものが全く立たなかった。イエスにしろノーにしろ、つつけば血が出るのは覚悟していた。それも悪くはなかった。生温い肌の触れ合いより、血を見る方がいい。 (p41)

手放しの感じのする笑みでハンサムな顔の輪郭がくずれると、雑多な生活感が野田の周りから臭い立つようだった。 (中略) どれもこれも、当り前の生活の臭いだが、自分の皮膚や毛穴には何ひとつひっかかるものはなかった。 (p42)

頭の芯が、茫々としていた。今は、昼間の暑さもリフトの唸りもアサヒビールの煙突も、何ひとつ自分の体に染み残っているものはなかった。 (中略) それらの一つ一つが生々しい質感を持ち、指の中で、目の中で、額の中心で、渾然と絡み合っているのを感じた。 (p42)

自分゛が乗っているのだということは、自分自身分かっていた。あの土佐堀川沿いに立つ建物は、自分の腹の中心に座っていた。動かし難い巨大な石の塊にふさわしい重さと固さだった。幸田は、それが消えないことを祈った。そうして何かに占領された肉体は、しばらくは力に満ち、ある一つのリズムさえ持つからだった。神経はよく働き、目も耳も冴え、普段は見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる。まるで、世界が一瞬鮮明な姿を現わしたかのようになるのだ。 (p42)

「ヘッ、走り屋に思想も糞もあるか。下らねえ。」
それにしても、大銀行とパチンコ屋の取り合わせは笑わせる。共通項はずばり《金》だ。人民の、人民による、人民のための金。
 (p44)

それにしても、質素なセーターとジーパンに、流行遅れのショルダーバッグをひっかけた恰好は、貧相で弱々しく、何が哀しくてこんなに冴えねえのかという感じだった。上背はある方だが、何度見ても顔の特徴がはっきりしないのっぺらぼうだった。表情がないせいだ。なまりのない言葉も、動きのない顔の筋肉も、人工的で土地や生活の臭いがなく、幸田は直感的に《偽装だな》と思った。 (p45)

幸田さんから見たモモさん。幸田さん、ボロクソやん・・・。この時点のモモさんはスパイ&殺し屋だから、しょうがないんだけどね。
これがだんだんと良いほうへと変化して、「京美人」までいってしまうので、幸田さんの変化を楽しみつつ追いかけていきましょう。

モモとの付き合いは、初めから不純だった。モモと自分をつないでいる糸は、幸田には初めから見えていた。決して興味も感心もあるわけではなかったが、偶然から始まった関係は、生きるための本能的な駆け引きのように、はっきりと自分の生理を刺激していた。戌が、よそ者の臭いを本能的に求め、かぎつけ、闘争の環境を作り出すように、自分はモモの臭いをかぎ付けたのだ。 (p46)

いい歳をした一人前の男に、何の初々しさか。改めて考えると、下らないと思うが、モモを見るたびに、ちょっと胸を打たれるものがあった。冬眠から覚めたクマじゃあるまいし、何がそんなに嬉しいのか。それほど、晴れやかに楽しげに笑う。 (p46)

モモの笑顔は、自分の足の裏に貼りついた魚の目になり、いつの間にか、切り離せない生活の一部になっているのを感じた。もっとも、その魚の目は日増しに固くなってはいたが、まだ殆ど痛みもなかった。時々何かの拍子に、ハッとする程度だった。まだそれほど鋭くない、うずくような熱を持っていただけだった。しばらくすると、いつの間にか消えてしまっていた。 (p47)

幸田さんから見たモモさんの描写を並べてみましたが、モモさんに対する幸田さんの振り幅も、プラスマイナスが激しい気がする。持ち上げたと思ったら否定して、貶めたと思ったらまたもや否定。何なんだ、幸田さん。

止まった指先が、何か弧を描くように台のガラスを撫でた。放心すると、人間はいろんな癖が出るものだが、こいつは指絵を描くのか。不思議な感じだった。弧は一つにつながって円になり、それを真っ二つに断ち割る一本の直線が引かれた。 (p50)

補足すると、「台」はパチンコ台、「こいつ」はモモさんのこと。

煙の向こうで、獣の目がじわりと輝きを増したようだった。北川の、獲物を狙う本能の輝きだった。幸田は、ともかく感心した。この目があるから、怒りも昇華する。北川でなければ、ぶん殴っているところだろう。 (p52)

春樹が事務所から出てきた。手に、バールを一本持っているだけだった。春樹は、闘いに臨む肉体になっていた。筋肉が緩み、神経は萎え、本能だけが目覚めている、ある独特の空白状態だった。
かつて何度か、自分もそういう経験をした。人並み以上の体格ではなかったから、ケンカはいつでも苦手だったが、一旦、暴力にさらされた肉体と精神の惨めさを覚えると、体の方が自然に殴り合いの仕方を学んだ。恐怖はあるが、恐怖を律する神経が奮い立つようになった。春樹も、すでにそれを知っているようだった。
 (p57)

だが春樹は、どちらへも足を踏み出さなかった。左右から距離を詰めてくる男らを見ているようでもあったが、神経のほとんどは、内環状を流れる車と、行きかうマシンに向かっているのを幸田は見抜き、《へえ……》と思った。 (p57)

春樹の描写では、上記2つ挙げた、この辺りが一番好きです。爆発する前の、感情を溜めに溜めたギラギラ感、とでもいえばいいのか。幸田さんのみならず、北川兄もこういう時期や経験があったと思われますね。

幸田は、そう言うが早いかドアに手をかけたが、北川の手の方が早かった。幸田は掴まれた手を振りほどこうとしたが、北川が力をこめてきたその手は、ビクともしなかった。こうしてこれまで、北川という男はいつも、幸田の壁を踏み越えてきたのだった。人の領域を犯し、侵入してくる北川の威圧感は、暴力と君臨の同義語だった。しかもそれはいつも、緩急自在の呼吸と、熱砂のような吐息が一緒だった。。幸田は反射的にそれを怖れ、用心し、普段は忘れているが、思い出すと憎悪が噴き出した。 (p63)

すると、北川はやけに柔らかい目で、またにやにやした。
「俺には分かってるよ。軽い、軽いと言いながら、何一つ軽くないのがお前なのさ。そういうのが好きだがな、俺は」
 (p64)

モモが捕まればよいと、本気で考えた。そうしてモモが消え、この四ヶ月あまりの月日が立ち消える時のことを漠然と思いながら、幸田はただ、もくもくと双眼鏡を覗き続けた。
そうして、二つのレンズを覗きながら、無意識に、闇を穿つ二つの醜悪な穴を探していた。いつの間にかその穴を共有し、一緒に逃げ、走り、呪っていた。人殺しの興奮と欲情に巻き込まれていた。
幸田は、吸いかけのタバコを素早く手の中で握り潰し、血の気を降ろした。寝ている春樹に気付かれずに、自分を処理するにはそれしかなかった。
 (p65)

ホンマ、幸田さんて極端やわ。


【実在のこと、あれこれ】

☆桑原武夫 (p39)…作家、フランス文学者。本を読んだことも、翻訳した本を読んだこともない。すみません。 ただ、個人的な印象では「翻訳家」のイメージが強いのだが、ジイちゃんが読んでいるのは翻訳した本ではないでしょう。

☆「ランボー3」 (p64)…シルベスター・スタローンの<ロッキー>シリーズと並ぶ、彼の代表作シリーズでしょうね。 しかし私は<ロッキー>シリーズも<ランボー>シリーズも観たことはない。 スタローンで観たのは、シャロン・ストーンと共演した「スペシャリスト」。いかにもアメリカらしいアメリカの理論で進むハチャメチャな内容でした。(うろ覚え&棒読み)


メメの兄ちゃん!  (小説新潮 1990年10月号 p34)

2016-05-11 00:36:23 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
ダメモトで応募した某社のモニター本に当選してしまい、近々届いた後に読んで、レビューを書かなきゃダメなので、 (○ーレクイ●なんて口が裂けても) (でもタダで読めるし~) それが届くまでに何を読もうかと思案した末、「高村作品、再読すればいいや!」と思い立って、通称「雑誌版」と呼ばれている、『黄金を抱いて翔べ』 (小説新潮 1990年10月号掲載) を、今日から再読しています。

そう、第3回日本推理サスペンス大賞受賞作、高村薫さんのデビュー作です。

十数年前に、ある方のご好意により入手した際にバーッと一気読みし、何度か地どりした際に文章や地名の確認をし、映画化された時に「読み直すのもいい機会だ」と思いつつも「あまり引きずられるのもどうかなあ」と考え直して、ザッと目を通しただけで、精読らしい精読は初めてするような気が。

せっかくの機会なので、「読書メモ」という形で残していこうかと。
気になった部分を取り上げて、私の独断と偏見で料理していけたら、と思います。

但し、単行本版、文庫版、映画版との比較が目的ではないので、出来る限り最小限に抑える予定。 程よい按配で、記憶が薄れたり、抜けていたりするので、そもそも比較なんか出来ません。ですが、これも私の気まぐれで、どうなるか分かりませんけれど。

「雑誌版」をお持ちの方は、ご一緒に楽しめるかと思います。

「雑誌版」をお持ちでない方で、「欲しい! 読みたい!」という方がいらっしゃいましたら、十数年モノのコピーでよろしければ、差し上げますよ。 文字はそこそこ鮮明に読めると思います。
(<七係シリーズ>のご希望もありましたら、受け付けますよん)

ご希望の方は、サイドバーにある「メッセージ」から、送付先のご住所とお名前を教えてください。2016年5月末まで受け付けます。
すぐには対処できないかもしれませんが、それでもよろしければ、この機会に、ぜひ。


これを始めるにあたり、先程 黄金を抱いて翔べ 再読日記 を読もうと思ったのですが、あまりのヒドさにタブを閉じました。
ひどい。これはひどい。ブログを開始した初期の頃でもあるのを差し引いても、かなり端折ってるし、内容も浅い。はー・・・(ため息しか出ない)


それでは記録を残す前に、注意事項を。

1.掲載誌は「小説新潮」1990年10月号です。
2.引用部分の後に、雑誌のページ数を添えています。
3.雑誌掲載の書式は、導入部は2段組、それ以降は3段組です。めんどくさいので、これに関しては冒頭の読書記録以外、明記しません。
4.なるべく読んだその日のうちに更新できればと思いますが、時間と分量によって難しい場合もあり、1日分の読書記録をいくつかに分割します。ご了承ください。
5.当然のことながら内容に触れないわけにはいかないので、その点、ご注意ください。


☆2016年(平成28年)5月10日の読書メモ その1☆

2016年(平成28年)5月10日は、p24~p65の中段まで読了。(表紙はp22・23)
その1は中途半端ですが、p36までの読書メモ。野田さん登場のあたりです。

帰りに乗った電車が、遅れた特急通過待ちだの、その遅れのせいで貨物列車を先行させるだので、到着が15分も遅れたため、その分、予想よりも読み進む。


今でも、大学で地質学の研究員をしているのか、どうか。子供の頃から、自分よりはるかに従順で我慢強く、寡黙な努力家だった。 (p24)

モモさんから見た、お兄さんの描写。
何がビックリしたって、「地質学」の3文字よ。現在連載中の「土の記」の主人公も大学で専攻していたから。

堂島から土佐堀へ歩き、川沿いに京橋まで出ると、さらに大阪城公園を休みなく歩き回った。 (p25)

モモさんがお兄さんを連れ回す描写。 大阪に土地勘ある方はお分かりでしょうが、これは相当な移動距離ですよ。しかも徒歩なんて!

殺すより、殺される方が楽だ。いっそ、こいつのやりたいようにさせてやろうか。 (p25)

お兄さんを殺害する前の、ヤケクソなモモさん。

以上、導入部からの抜粋。単行本・文庫には掲載されていません。

双眼鏡の二つのレンズの中に、自分の目を感じた。自分の眼球と、そこから額の奥へ広がる神経の動きが分かった。こめかみがチリチリし、耳の付け根が微かに引きつっていた。《世界を見てる》と幸田は思った。 (p26)

この幸田さんは好きなので、単行本でも文庫でも再読日記した場合は、必ず取り上げますよ。

そもそも数十年も生きてきたというだけで、幸田には、年寄はみんな非凡に見えたが、とりわけ、何十年分もの下らない雑多な生活がそれなりの完成に到り、それなりの落ち着いた相貌になるというのが、理由もなく非凡なことのように思えた。そして、自分も歳を食ったら、あんなふうに《出来上る》のだろうかと、時々考えた。 (p26)

もっとも初めから、完璧に知らない街、知らない土地を見ているつもりではいた。たとえ十年住んだ街でも、必要が生じた時には、真新しい白紙に還して一から眺め直す。半分は慎重にやりたいからだが、半分は習慣だった。 (p26)

幸田さんの描写は結構好きなので(但し「好き」と「理解してるかどうか」は別物だ)、これ以降もいろいろと取り上げる予定。

それにしても、煩雑な都市を貫く川は、どこでも不思議に似通っている。叩き潰されていない唯一の尊厳のようなものがあり、人の手の届かない空白を作り出す。ヘドロやゴミの臭気さえ、川では見えない自由につながっているような気がした。 (p28)

北川という男は、大雑把な造りの童顔のおかげで、随分得をしている部分があるが、よく見ると、寝起きの間抜け面にも、油断ならない鋭さがちらちら覗いている。それでも、いつの間にか引きずり込まれているのは、その鋭さの並外れた輝きのせいだ。 (p29)

幸田さんから見た、北川兄の描写。・・・「童顔」だったのか、北川兄。

「福澤諭吉だったら、やる気はない。金塊だから、やるのさ。」  (p30)

北川兄といえば、この台詞。

それに比べて自分の方は、何もかもが固く、冷たく冷えていた。思考は機敏に回転するというより、一つところを旋回しながらどこまでも深く潜り込んでいく穴だった。何か考え出すと、世界はその小さな穴に向かって一気に収束し始める。周りが見えなくなる分だけ危険だが、一方では気が遠くなるほど冷静で無謀にもなれる。北川が自分を誘うのは、その無謀さを買っているのだろう。 (p30)

自嘲気味の幸田さんが、私は好きなのかなあ。(←知らんがな)

そこで起こる事件なら、そこにふさわしいやり方というものがあって当然だ。押し込み方も、脅し方も、逃げ方も、東京と大阪ではやり方が違う。無造作で、不細工だが奇抜で、どうしようもなく短絡的で衝動的だが、痛快無比の大団円。 (p30)

幸田は、都会も地方も田舎も、人間のいる土地はすべて嫌いだった。人間のいない土地を探していた。そういう土地が世界にはまだ残っているはずだし、そこで自分も人間を止める日を迎えるのだと決めていた。後一年で三十歳になるが、待つのもそれが限度だと思っていた。 (p31)

感慨はみじんもなかった。五歳で離れたその土地には、はっきりとした憎悪があった。新しい仕事の為に大阪へ移る決心をした時、住まいはこの地区以外に考えなかった。憎悪が必要だったからだ。生きるための仕事には、憎悪がなければならなかった。 (p32)

その辺で見かける同年代の連中と比べると、少し変わっているという気はした。目つきとか、表情のない目元は動物的で鋭かった。鈍重に見えるが、瞬発力があるに違いない伸びやかな手足をしていた。それらの何もかもが、動き方を知らないか、忘れたかのように固く、ぎこちなく、若かった。いつも一人で、誰とも口をきかず一人で息をしているのが、生硬で潔い感じもした。 (p33)

幸田さんから見た、春樹の描写。

「想像力がないんだろうな。取りあえず何かしてないと、自分が何やりだすか分からねえしな。 (後略)」 (p34)

幸田さんが春樹に向けた発言。

ただ北川という男は、傍目にはごく普通の男盛りに見えるのは事実だった。いや、普通以上の稼ぎがあり、エネルギーがあり、普通以上にもてるのは学生の頃からだった。だがそれ以上に、普通すぎるほど普通の、凡庸な生活臭を持っているのが北川なのだ。 (中略) 二重人格だというのではなく、家庭を作っている北川も犯罪に魅せられた北川も、どちらも本当の北川であり、どちらも本当の北川ではなかった。それは、幸田が直感的に思ったことだった。自分も北川も、その意味では似ていると言えた。本当は真実の自分がないか、あってもそれを認めようとしない万年モラトリアムのような臆病さが、自分らにはある。
それでも北川と自分の選んだ生き方には、結果的には大きな差ができていた。北川は何人もの女と付き合い、無数の友人を作ってきたが、自分は何も持たなかった。目に見える北川の生活スタイルは、自分にとっては、昔から違和感と関心の入り混じった複雑な異物だった。だから、同じ土俵で同じ事をやっていても、得るものと失うものが、少しずつ違っているのではないかという気もする。
 (p34)

「(前略) 人は見かけによらねえって言うだろ。こいつは嫌いなものはいっぱいあるくせに、好きなものが一つもねえんだ。可哀相なペシミストでさ。 (後略)」 (p35)

幸田さんを野田さんに紹介したときの北川兄の発言。

改めて野田という男を見た。プレイボーイには違いないが、ボルボを乗り回す男らしく、クセや自負の強さが鼻先にぶら下がっていて、ちょっと注意を引くものがあった。
相当に強い虚栄心と、それに対して唾でも吐きたい気持ちが自己矛盾を起こしているような危うさもあった。それを面白がっている風に見えるのが不思議な感じだった。自分を叩き潰して楽しんでいるのなら、こいつはマゾか。正直と言えば正直なのかもしれないが、結局気が弱いのかもしれない。そんな笑顔であり、声であり、物言いだった。陽気だが、ちょっと隠微に込み入っている。
 (p36)

余談ながら、初めて「隠微」の単語が出てきたところ。 まさかの野田さんをさしての表現だったのか・・・。

外資系のセールス。幸田は、思いついたままに答えた。本当は「遊び人」と答えたいところだった。 (p36)

野田の鼻先にぶら下がっている虚栄心の一つには、それなりの社会的地位が伴っているのか。だとすれば、自己矛盾もそれに比例して大きいだろうな、と幸田は思った。 (p36)

このように幸田さんから見た野田さんの描写を並べてみますと、「この二人、あわないんだろうなあ」と感じますね。

ちなみに野田さんの下の名前は雑誌版にも載っていません。残念でした。


【実在のこと、あれこれ】

☆ハービー・ハンコック (p36)……ジャズピアニスト。「処女航海」「ウォーターメロン・マン」「カンタロープ・アイランド」の曲は持ってます。日本では、某CMにも使用されていた「ウォーターメロン・マン」が最も有名でしょう。


ま、こんな感じでやっていきましょうね。
ノートに書きだすのも大変ですが、入力するのも大変です。