あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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何を考えてるの、いやな子 (下巻p330)

2006-03-27 01:37:58 | 晴子情歌 再読日記
2005年9月30日(金)の 『晴子情歌』 は、第四章 青い庭 下巻のp310からラストまで読了。

晴子さんの手紙・・・淳三さんの死の前後の出来事。彰之への最後の手紙。
彰之の回想・・・第二北幸丸に乗船する前、晴子さんと過ごした日々を思い返す。
彰之・・・行方不明になる足立。松田とトシオの諍い。美奈子さんからの手紙。徳三さんへの電話。晴子さんからの最後の手紙。七里長浜へ。

***

登場人物  登場した書籍や雑誌名
どちらもなし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★かうしてやつて來る死の直觀をくつがへすことを望まなかつた私は、結局薄情だつたのかしら。死にゆく本人より自分のこゝろを救ひたかつただけかしら。いづれだらうと構ひはしませんが、人が死ぬと云ふ行爲とそれを見守ると云ふ行爲は一對の大仕事です。 (中略) 胎児を産み落とすやうに死を産み落とさうとしている人間も。それを見守るしかない人間も恐ろしく不思議な時間のなかに置かれて、しばし現世からは切り離されます。 (p311)

淳三さんがいよいよ危なくなった場面。晴子さんの「死にゆく人」への眼差しは、同様のものが上巻にありました。晴子さんの母・富子さんが亡くなった場面です。

★しかしそれでいゝのです。最後の山へ向かふ險しい道中、この私を含めた全部の人間から解放されて自由になり、ひとりで私たちの知らない土地や人間と出會ふ淳三の時間を、誰が非難できるだらう。私だつて死ぬときは最後に誰のことを思ふのか分からない。それはきつと貴方だらうと思ふけれども、そのときになつてみなければ分からないことだし、實際にそれを知るのはこの私だけで、生きてゐる者の誰も知ることはない、それこそ人生最後の最大の自由、開けてお樂しみの最後の袋と云ふものです。 (p313~314)

晴子さんが今まで巡りあってきた幾多もの死に対する視点というのは、どうしてこうも一筋の光明が差し込むような明るさがあるんでしょうか。
何故だか私はこれを入力していて、幸田さんや島田先生を思ったり、キムや合田さんを感じたりしました。

★ものを見る絵描きの目は徹底的に自由であり、その抽象が何をどう変形させようとも、それを眺める者の目に入り込んでくる限り、傾いた大地も波うつ青も空を穿つ穴もたしかに存在するのだった。否、〈存在した〉というべきだったか。「青い庭」はあり、それを産みだした淳三の目に彰之はいまになってやっと入り込み、母と同じようにそれを見ていたと言っても、曲面を描いて閉じた庭から届くその光は、数十日も数百日も昔に発せられた光だったからだ。 (p327~328)

淳三さんが描いた「青い庭」に、入り込んだかのようなデジャヴを覚えた彰之の心境。直接の血の繋がりはなくても(実際には叔父と甥)、この二人の関係は、晴子さんという存在があってこその「父と子」なのだなあ、思った次第です。『新リア王』 で描かれている「父と子」とは、また違った関係に昇華していく「父と子」も、確かにあるんですね。

★寝巻の上に半纏を引っかけた母は、少しうつむき加減の姿勢で、昼間彰之が耕した畝の間をゆっくりと行き来していたが、その目が足元の苗を見ていたかどうかは定かではなかった。ときどきもたげられる頭は台所裏の藪椿を仰ぎ、東のヒマラヤ杉を仰ぎ、かと思えば北側の海のほうへ振り返り、また足元の土へ落ちていく。月明かりしかない庭は、ほとんど草木のかたちも失われたセピアかモーヴか、コバルト青の闇の濃淡のはずだったが、その姿を眺めていた数分、母はいま「青い庭」を見ているのだと彰之は思い、自分もまたほんの短い間にしろ、その同じ庭の波うつ青を見ていたのは確かだった。そこにいた母は、ここ数日の生身の不安定さから解放された何者か、あるいは「青い庭」のなかに帰った何者かのようであり、そその周りで時空はまたひそやかに曲がり、モーヴの闇がごうと鳴った。 (p332)

一つ前の引用は「青い庭を巡る父と子」の描写でしたが、これは「青い庭を巡る母と子」についての描写です。淳三さんが眺め、描いた絵そのままのような晴子さん。絵の中に永遠に閉じ込められた晴子さんを、彰之は見ています。
一方の晴子さんは、まるで別れを惜しむかのごとく、「青い庭」の存在を確かめているようです。

★これを読んで思うところがあるかどうか知りませんが、考えごとをしていて海に落ちて死ぬなら、死になさい。 (中略)
貴方という人はせっかく外の世界で自由に生きていながら、どこまで福澤の男に似たら気がすむのだろう!
貴方はきっと何も知らないのだとお母さまは貴方を庇いますが、私は晴子お母さまが不憫です。貴方の薄情が悔しくてたまらない私の気持ちが貴方に分かりますか。彰之さん。
 (中略) 米内沢の家には帰って来るな。 (p345~346)

ネタバレ部分は避けて引用しました。不自然な部分があるのはお許し下さい。
しかしこの美奈子さんの手紙は、含むところがたくさんありすぎて・・・。この手紙で、彰之に対して溜飲が下がったという方は、結構多いのではないでしょうか。私もここですっきりとしました。
この再読日記を始めた頃に、「彰之は蹴っ飛ばしたい」と私は意見表明(?)しましたが、この手紙の内容で特に強く思うようになったのです。

ところで、「福澤家の男」の特徴って厄介なものですね~。『晴子情歌』 『新リア王』 と続けて読んでみたら、改めてその厄介さが分かります。


さて、以下は晴子さんの最後の手紙。

★この前、私は淳三の臨終前の数時間について、死を産み落とさんとする最後の險しい登山だと貴方への手紙に書いたと思ふのですが、夢のなかで淳三がそれは少し違ふよと云ふのです。死へ向かふとき種々の苦痛はあるのだけれども、幸ひなことに身體の徑の全部がそれに關はり集中するために、自分の意識のはうはもはや餘計なことは何一つ考へずに濟むのだ、と。人生の最後に許されたその心身の輕さは何かと比べるやうなものでもないが、少なくともぼくは最後に、生命とは何と狡猾でうまく出來てゐるものかと思つたよ、と。 (p348~349)

★それからまた私は夜明けまでざわざわひうひう鳴りわたる風音を聞き續けましたが、そのときの私の半睡の身體も、あるいは淳三が云ふ生命の集中に一寸近いものだつたか。何一つ思ひ巡らさない生命の輕いと云ふよりは茫洋とした薄明るさが私に教へるのは、細胞一つの營みの單純さ、規則正さ、緩慢さと云ふものです。またこゝに横たはる私のなかで、生命は私がわざわざ時計を持ちだしてその時間を計ることもない、この意識で知る必要もない或る集中、或る無限や極限、或る靜止と云つた豫感だけ呼び覺まし續けるのですが、生命がさう云ふものであるなら、この私の意識や感情も同じやうに無限定で無明であってもいゝ。 (p349)

★最後に、さうして草木も槌も空氣も鮮やかに新しい庭に立つてゐたとき、この私を捉へてゐた心地は或る歡喜だつたと云つておきませう。貴方がときどきこの家や庭や、この母の周りに殘していく、壯健な男子の聲と眼差しと匂ひの歡喜です。 (p350)

「女の一生」という、平凡だけど単純な言葉では到底片付けられない、晴子さんの生き様。「歓喜」と言い切り、生きている喜びを淡々と綴る晴子さんの想い。澄んだ空のような清々しさと明るさが、ひしひしと感じ取れる最後の手紙。時が経つにつれ、じんわりと沁み込んでいくような静かな静かな感動を、私は覚えたのでした・・・。


いよいよラスト、七里長浜の彰之です。「七里長浜を見た時に、これを書きたいと思った」 という高村さんの声が思い出します。
しかし取り上げるのは今回は見送らせて下さい。読み手それぞれに心に残る描写があるでしょうし、高村さんの肉声を耳にした以上、「全て取り上げるか、あるいは取り上げないか」のどちらかしかないと思うので。(全て取り上げたら、私は死ぬ思いを味わうでしょう・・・)

★――――そうだ、これはおまえに尋ねても無益な話だ。母はなぜ歓喜するのか、母はひとりでどこへ行こうというのか。俺はいまは、観音力に頼もうとは思わないのだ。 (p354)

これほどはっきりした、しかも否定的で強く明確な意思を表明した彰之は、初めてではなかろうか。

★俺はひとりだ。母もひとりだ。――――お母さん。 (p356)

この一文を取り上げるのをさんざん迷いましたが、これははずせないな、と思い直しました。『晴子情歌』 を締めくくるにふさわしい一文であることは、論をまたないでしょう。

母も自分も「ひとり」だと認識することが、どれほど悲しくて寂しいことか・・・。彰之が万感の思いを込めた「お母さん」という呟きは、「母」という存在から誕生した誰もが、(母を亡くした人ならば)かつて懐いた思いであり、(母が健在である人ならば)これから懐くだろう思いだろうと推測されます。
(私の母は健在ですので、推測の域を出ないんです)

高村作品の最後は、「これ以外にない」と断言できるほど、締めくくりの文章の描写が秀逸です。この最後の部分で、じわじわと静かな感動の波が打ち寄せてくる感覚と、いつまでも続く余韻の両方を、私は読むたびに味わっています。多分、これからもそうあるでしょう。

***

・・・終わりました。もう永遠に終わらないかと思いましたよ~。
残り2つの引用を取り上げたら終わり、という時に、入力がパーになってしまって真っ青になりました。幸い、メモ帳にそれ以前の分をコピペしたのが残っていたので、再入力はほとんど免れたんですが・・・。

今の心境は感無量と言うべきか、脱力感と安堵のため息が混ざったような感覚と言うべきか・・・。
昨秋から延ばしに延ばして引きずっていた宿題がまた一つ、片付いたのでホッとしていることは確かです。

愚痴を兼ねた(苦笑)総括記事は、いつかやりますが、ここまでお読みいただいた皆様、お付き合いいただいた皆様、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。


東映ヤクザというより日活ポルノ (下巻p281)

2006-03-05 23:34:52 | 晴子情歌 再読日記
2005年9月29日(木)の 『晴子情歌』 は、第四章 青い庭 下巻のp280~309まで読了(したことにしておいて・・・キリがいいから) 短いですが、今回も見逃せない部分がいっぱいですよ!

彰之・・・松田との会話から、晴子さんの隠された過去を知る彰之。トシオとの会話。
彰之の回想・・・上記によって、晴子さんの言動を回想する彰之。(←そのまんまやん)

非常に個人的なことですが、今回のタイトルはもう一つ候補があって、どちらにするかさんざん迷ったのでした。
その候補は同じページのトシオの台詞、「お兄さんがた、あたしは女を捨てました」
(たったこれだけで3か月も悩んだということは、決してありませんから・・・ええ、ありませんとも!)

もう既にお気付きでしょうが、「晴子情歌再読日記」の各記事のタイトルは、小説の本題・重要な内容とあまり関係なさそうな部分、あるいは微苦笑を誘うような部分を、意図的にピックアップしております。(さっき眺めてみたら、そうでもないのもありますね・・・)
「微苦笑」というと、どうしてもトシオの台詞を選んでしまう。「お兄さんがた」を選んだら、またもやトシオの台詞になってしまいますから、今回は止めたのでした。

***

登場人物
なし。

登場した書籍や雑誌名
『ひかりごけ』(武田泰淳) 日本推理作家協会が編んだアンソロジー 『推理作家になりたくて』 第三巻「迷」 で、高村さんが取り上げた作品でもありますね。ちなみにご自身が選ばれた短編作品は、「みかん」 でした。
『空想より科学へ』(エンゲルス) ・・・こんな難しそうな本、よく読んだよね、晴子さん・・・。
『サロメ』(オスカー・ワイルド) 
『サド侯爵夫人』(三島由紀夫)
上記2つの戯曲は、トシオの台詞に出てきます。トシオはギリシア悲劇も演じていました。しかも全て女役で・・・。


★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★不条理なのは松田という存在そのものか、それとも松田を自分の目のなかに棲まわせる自分かと、彰之は何度も考える。 (中略) それ以上の何があるか。好奇心ですらない、この衝動はいったい何だ。ただでさえすっきりしない水路に新たな淵を生みだして、そこに見知らぬ男一人棲まわせ、眺めている自分こそ何者だ。 (p282~283)

松田さんに再三、「あんたに似た女を知っている」と言われ続けた彰之。そりゃ気にならないはずがありません。
ところで後半の文章、官能的だなあと思ったのは私だけ? 「高村作品男性キャラクター同士の法則」(←何それ?)に当てはめたら、意外としっくりくるんですよね~。

余談ですが、彰之は「松田某」と繰り返していますが、彼のフルネームを覚えていますか、皆さん? 「松田幸平」ですよ。

★言葉が爆発する――――。ここに至るまで何ひとつ言い当てたこともなく、父や母や自分自身の周りをぐるぐる巡りながら溶け出し、折り重なり、腐敗ガスを発してきた言葉が煤を上げて燃え出し、爆発する。その爆発はいまだに少しも明晰でない額の奥の水路に引火し、そこにひそむ淵の一つ一つがさらに爆発する。たとえばとある日曜日に青森駅前に立った中学生の、学生ズボンの下ですかすかするひ弱な二本の脚が帯びていた微細な興奮や不安の言葉。市場の人ごみのなかに母の日傘やワンピースを見るとき、その脚をかすかに震わせて駆け上がってきたふわふわ、ざわざわする自意識の言葉。その周りに降り注ぐ駅や市場や連絡船の喧騒と混じり合い、響き合いながら漂っていた過剰な言葉の全部が爆発する。むしろいまや、一つ一つの瑣末なかたちが見分けられないような渾然を目指して爆発し、溶解する――――。あるいは、長年不確かに振動し続けてきた言葉の塊が壊れ、崩れ落ち、外へ向かって放射されるだけのことかも知れなかったが、ある種の発散か嘔吐のようでもあるこの心地は、これこそ〈暗いすがすがしさ〉だと彰之は思った。いったいこんな衝動を自分はどこで知ったのだと驚くような、いまや自分が自分のようではない、破壊的に軽々とした暗いすがすがしさだった。 (p287~288)

長い引用になりました。端折ろうかと迷ったんですが、ここは彰之が「爆発した言葉」を発言した直後の描写で、かなり重要な部分だとも思いますので・・・。(どういう言葉だったのかは、ネタバレになりますので取り上げません)
平たく言えば「爆弾発言後の、発言者が味わっている感情」の描写なのですが、それを高村さんは1ページの約2/3を費やして表現されています。彰之の10代から現在の30代にかけての時間を一気に遡り、あるいは一気に駆け上がるかのような、そんな「爆発する言葉」の余韻。
しかし、これを耳にした松田さんの心境を察すると、何と言っていいのやら・・・。

★言葉は彰之の口から放射されては溶けだし、混じり合い、言い当てたいと思った中心はそのつどむしろ彼方へ遠ざかるのだったが、爆発する言葉のあとに来る〈暗いすがすがしさ〉とは、ひょっとしたら元の言葉の塊にはもう関係ない、こうした何かのむきだしの生理か身体の感情のことだったかと思った。 (p291)

「爆発する言葉」の発言者・彰之は、その言葉は取り戻せないし、取り返せないことを、この時感じているわけですね。言わずにはおれなかった彰之の気持ちも、解ります。だけどこの虚しさは何なのでしょう。
「言霊」という言葉が日本にはありますが、「爆発する言葉」は言った者にも聞かされた者にも、どちらの魂にも突き刺さる、後味の悪い、苦いものになっているのでしょう。

★そう言って蠢く肉の声はいまは彰之のなかに深くもぐり混み、剛直な男の肉をも微動させ、緩んだり締まったりしながら二つの肉を混じり合わせていくのだったが、母にしろほかの誰かにしろ、そんなふうに自分の肉の奥深くで人ひとりの存在の重力を感じるなど、これまでになかったことだった。彰之は一瞬、三百日も読み継いできた長大な母の手紙のなかに自分が沁み入り、行間に偏在する母の重力を自分の肉に吸い込んでいるような感覚のなかにいて、その鮮やかさにあらためて驚いた。言葉にして語られずとも、行間のどこかにいたに違いない四十歳の母が、自分の肉と一つになってまざまざと感じられることに驚き、自分に分かるはずのない四十の女のなにがしかの波動が、錯覚であれ自分の肉を共振させていることに驚き、人について何かを思うことの、この異様な集中がとりもなおさず自分をどこかへ運んでいくような怖れに押し流されながら、どれもこれも自分の人生に何かの奇跡が起こっているのだと思った。 (p297)

高村作品に頻繁に登場するキーワードの一つ、「重力」を取り上げてみました。彰之が母の晴子さんと「同化」してしまう描写が秀逸ですね。
晴子さんの手紙が、文字通り彰之の血肉となっていくこの場面。晴子さんと彰之の関係は「母と息子」であることは周知。だけどここに、それすら超えた「女と男」、「一個人と一個人」の関係も窺えます。

★「ね、笑えるでしょ。何でも破壊するのがカッコよくてさ、それでエロだのグロだのと言ってられるいい時代さ、ほんと」
「ぼくの世代には、君らの破壊は露骨すぎて退屈だよ」
「うひょ!」
トシオは一つおどけた奇声をあげて通路を立ち去っていったが、最後に出入口のところから「だったら退屈でないものを教えてくれよ!」と、甲高く尖った声を張り上げた。
 (p308)

「トシオについては改めて取り上げる予定」と、以前の記事に添えてありましたので、ここでやります。
「何で彼の名前だけは、カタカナ表記なんだろうか」と疑問を抱いたことは、ありませんか? 苗字は「小比類巻」と凝っているのに(苦笑)

私見ですが、高村さんは「漢字を当てはめることが出来なかった」のではないでしょうか。
「カタカナ表記」の持つ意味は多種多彩にありますが、トシオの場合は「記号」を表しているのではないでしょうか。
では、何の記号なのか。「トシオと同世代の人たち」・・・だと、私は思いました。

上記の引用からもお解かりのように、彰之の時代からしても、トシオの世代は既に「不可解」のようです。それを明示するためにもトシオというキャラクターの存在は必要だったろうし、かといってトシオのキャラクターが特異というわけでもない。だけど「トシオの世代」を描くためには、記号化するのが的確かもしれない。記号化すると、「不可解」という何となくもやもやした雰囲気が、醸し出されるからです。その裏に隠れた意図で、「カタカナ表記」にするしかなかったんでは・・・と、今回の再読で改めて感じたのでした。
(念を押しますが、以上はあくまで私見です。皆さんの解釈は違って当然だと思っておりますので・・・)

第ニ北幸丸の乗組員の中の「世代間の違い」は、彰之を筆頭として、足立、松田、トシオのキャラクターを通して随所に見事に描かれています。「恐れ入りました」と言うしかない。

★既成の価値観の破壊は、破壊というまた新たな価値観を産みだしているに過ぎないのだと言っても、そういう旧世代の言葉自体がもはや通用しない、なにがしかの自己完結の世代がいまや出てきているのだろう。折々のばか笑いやグロテスクに仕込まれたトシオの毒は、自分たち旧世代の皮膚を蚊のようにちくちく刺しながら、ゆるやかな麻痺はたしかにもう始まっているのだろう。彰之はぼんやりとそんなことを一つ考え、新しい時代の新しい孤独のかたちを思い描いたそのとき、彰之は少し前から自分の肉をざわっ、ざわっと震わせている単純な振動の正体をやっと捉えたと思った。或る感情。これ以上分割出来ない、単細胞生物のような〈寂しい〉の一声。 (p309)

さて、また一つ新たなキーワードが出てきました。<彰之シリーズ> (・・・と誰も呼んでいないようなのですが、もうこのように名付けてもいいですよね?) を通しての、重要なキーワード。(第三部でも、恐らく出てくるだろうと予想しておりますので)
『新リア王』 (新潮社) 下巻のラストページにも、福澤榮のキャラクターを通して、同じ言葉が登場しておりました。

★種々の理由はもはやあるような、ないようなであり、ざわっ、ざわっと鼓動のように打ち寄せてくる波があるだけだったが、その、鈍く冷えた振動の一揺れ一揺れが自らを押し包むもののない、孤独な各々の肉の声だと思った。自分自身のこの肉と、そのなかにもぐり込んで響き合う母や初江や、そのほかの全部の肉が、種々のささやかな思いを削がれたり捨てたりするたびに各々小さく収縮し、一人きりでため息を吐く声だと思った。彰之はいま、ばかみたいにすっきりとして寂しかった。 (p309)

「爆発する言葉」を発した後に残るのは、己の肉体しかないのでしょうか。


今回引用した部分のほとんどで、否が応でも連想されたのは、『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社) の合田さんの台詞でした。

「多分、私は今生まれたばかりで、何もかも怖いのだと思います。こうして生きていることが。ひとりの人間のことを昼も夜も考えていることが。人間は、最後は独りだということが……」 (『LJ』下巻p437)

彰之が感じ、体験したこと。母であり女であり個人でもある晴子さんと同化したこと、孤独や寂しさを感じたことにも、通じるのではないかと思いました。

***

約3か月ぶりの、このカテゴリ更新でした。じっと耐えて我慢して、ずっとお待ちして下さった皆様に、謝る言葉が見つかりません・・・。

あと1回で終わる予定。(ひょっとしたら、総括の記事を入れるかもしれません)
だって3月中旬か下旬に再読を予定している、『リヴィエラを撃て』(文庫版) が控えていますからね。これは出来るだけ日数を空けないように、更新していきたいと決意(だけは)しておりますから(笑)


俺はだんだんお前が嫌いになってきたど (下巻p251)

2005-11-28 00:16:11 | 晴子情歌 再読日記
9月28日(水)の 『晴子情歌』 は、第四章 青い庭 下巻のp243~280まで読了(したと思うけど・・・)

彰之の回想・・・死んだ福澤遥の思い出。
彰之・・・松田が三井の三池炭鉱で働いていた話を聴く彰之。
晴子さんの手紙・・・珍しく今回読了分には登場しません。第四章に晴子さんの手紙は、3回しか登場しないんです。ああ、今回は入力変換が楽だわ~(笑)

漁船に乗っている頃の彰之って、「友達」または「親友」と呼べるような存在が、おりませんね。・・・何でだろう? 学生時代にはそれなりにいたとは思うけれど、懐に飛び込めるような友の存在、受け止めることの出来る友の存在が、全く見えない。(アッキーの学生時代がもう10年遅かったら、いじめられっ子だったかもしれん・笑)
それに近い存在が、多かれ少なかれ影響を受けただろう、従兄の遥や従姉の公子かもしれません。その遥の死。彰之はどんなふうに受け止めたんだろうか。

***
登場人物  登場した書籍や雑誌名
ともに目新しいのはなし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★思えば、自分や従兄の渾然が堅固な世界に馴染まず、自らの望むかたちを知らないのは当たり前であり、いざ壁が取り払われたとたんに所在を失うのも当たり前であり、それこそが放浪する半身の正体だった。そして、そう思い至ったときだ。かつてこの従兄の後ろに輝いていた解放の予感はもう微塵もない、と彰之が自分に呟いてみたのは。この二十五歳の従兄のなかに、自分はもう一人新たな福澤の男を発見しただけだと呟いてみたのは。それは一つの喪失に違いなかったが不思議に少しも重くはなく、却って肩か背中のあたりが軽くなった感じがし、しばし自虐的な心地よさも覚えたほどだった。しかしほんとは、そんな心地もまたなにがしかの摩擦熱だったか。突然、彰之はなおも引き寄せられるように従兄の顔に見入り、何度か臓腑がびくりと縮む感じを覚え、地穴がちりちりする感じを覚えては茫々と考えたのだった。そうだ、俺はこの従兄がどうしようもなく好きだ。しかしこんな感じなら、あの初江には百倍も感じたはずだ、と。 (p251)
しばらく疎遠にしていた遥と、最後に会った時の彰之の回想の一場面。
ちょっと以前のネタバレも含みますが、最も仲の良かった「従兄」の遥ではありますが、彼が好きなのは彰之の母・晴子さん。つまり遥は、彰之を通して晴子さんを見ていたわけです。そのことに彰之は気付いていたし、遥も彰之が気付いたことを知って、離れていったわけです。
福澤家の女たちとは全く違う雰囲気や気質を持った、「魔性の女」(笑)の晴子さん。何で福澤家の男たち(婿入りした男も含めて)は、こんなにも晴子さんに惹かれてしまうものなのか・・・。あ、上巻の野口家の男たちもそうだったなあ。

★しかし彰之はさらに想像する――――。わずか十坪の菜園と雑木しかないただの庭を、淳三はあるとき突然局面にしてみせ、母はその淳三の目のなかにもぐり込むようにしてそれを見る。淳三はやがて次々に木々や垣根を傾かせ、ヒマラヤ杉を消し去って庭を閉じ、それを眺める母は思う。相手の説明がなくとも、二人だけの閉塞した年月を生きてきた母には分かるのだ、局面を描いて閉じた「青い庭」は互いの姿が十分に見えない自分たち夫婦の庭だと。かろうじて人間二人を引き寄せておくだけの僅かな引力を持つ一方、それ以上の強い力は働かない小ささの庭。それぞれ一定の距離を置いたままほとんど出会うことのない伴侶の庭。なにがしかの情愛や執着や、たまに諍いも、そこではまるで空気の振動のように伝わり、絵の中では風に姿を変える。あるいはまた、そこには夫婦であることの困難や種々の充足や欠落が複雑に溶けだし、それが青や緑の深い穴になる。母は自分はただ眺めていただけだというが、それはまさしく父母が二人で目配せのようにつくりだした庭だ。そしてここへ来て、母は初めて淳三のその庭に姿を探してみることをし、淳三は淳三で、自分の庭のなかに初めて奇跡のように晴子の姿を描く――――。 (p259~560)
息子の知らない「父母」であり「夫婦」である淳三と晴子さんが、ここにいますね。母の送ってきた手紙をずっと読んできた彰之は、ここに来て初めて「母」という存在を見失い、解らなくなったんじゃないかという気が、私はします。

★「学習と理念が闘争を動かしていたというのは、半分イエスで半分ノーだ。向坂の学習会は支部や分会の指導で俺も何十回も参加した。博打とケンカしか知らない中卒の人間に『資本論』を教えてくれるような場所は、日本中探しても三池くらいだ。それだけでも三池労組はすごかった。尤も俺に分かったのは、何も生産していない学生の行動より、生産を止めることが出来る労働者の行動は力があるんだというぐらいだども。問題はマルクスでない。俺たち坑夫に学習をさせたのが何か、だ。それはいまでも分からんが、俺の気分はそうだな、谷川雁の詩にあるだろう――――<六月/財布はすっからかん。割れもせぬ革命の手形をしのばせ、ばくちに負けたすがすがしい顔で>――――続きは何だったかな。<俺は歩道の奥、爆発する冷たい水を飲んでいる>――――そんな感じだった。どうせ一人者だったし給料が出たら博打で、巻けたら質屋通いで、爆発する冷たい水を飲んで唯物論を勉強するんだ」 (p270)
さて今回のメイン、松田さんと彰之の会話が始まりました。彰之は聞き役に徹してますが、この二人の会話は下巻の中でも、いやひょっとしたら、『晴子情歌』 の中で最も重大な部分だと私は密かに思ってます。(他の高村作品の書評・感想に比べて、『晴子情歌』 は圧倒的に数が少ないから・・・。誰も言ってないと思うので、控えめに「最も重大な部分」と書いておきます)

ここで「向坂」と出ているのは、向坂逸郎のことです。(後で調べよう・・・。谷川雁も。どちらも何者かは、私は知らない・苦笑)

余談ですが、「三池炭鉱」で思い出されるのは、保育園の時に夏祭りに備えてお稽古した盆踊り・・・ですね(苦笑) 「花笠音頭」と共に「炭坑節」を踊りました。とっくに振り付けは忘れましたけど、歌は覚えてますよ。
♪月が~出た出た、月がァ~出たァ~、ア、ヨイヨイ♪ 三池炭鉱のォ~、上に~出たァ~♪ あ~んまり~、煙突がァ~高い~ので~♪ さァぞ~や~お月さ~ん~、煙たァ~かろ~、さのヨイヨイ♪ (多少違うかもしれませんが) ・・・と書けばお分かりでしょう。・・・今思うと、渋い保育園だなあ・・・「オバQ音頭」も踊ったっけ? (←年代バレます)
だけどこの音頭、炭坑閉鎖の後は象徴や名残りとして残っているのが、皮肉と言えば皮肉かも・・・。

★「三池の闘争が原則論のための原則論だとか、闘争のための闘争だとかいう批判があったのは知ってる。博打には<負け>があるが、労働運動にはそれがない。そこでは<負け>は<継続>と言う。<処分>は<差別>と言う。<打開>は<妥協>。会社の担当者を取り囲んで吊るし上げるのが<交渉>。ピケを張って、第二組合側のやくざと殴り合うのが<闘争>だ。労組が教えてくれたそんな言葉が全部言い換えだったことぐらい、俺にも分かる。だども、俺たち坑夫に見えていた世界は、そんな批判では説明ではない何かだった。全学連の連中にもこれだけは分からなかったはずだ。労組は労組だ。俺たちの労組だ。だから、ずっとこれでいいんだと自分に言い聞かせてきたんだば。爆発する冷たい水を飲むというのは、きっとそういう感じだろう。労働運動の原則も実践も、外国は知らんがこの国ではどうしようもなく暗い。割れもせぬ革命の手形といやつを抱えていることの暗さが、あんたに分かるか。暗くてすがすがしい、というのが分かるか。徹底的に希望の一つもない、すがすがしい暗さというのが」 (p273)
松田さんは彰之よりも一回り以上は年上なので、平成17年(2005年)現在(生きていたら)、70歳後半ですか・・・。この年齢に近い男性は私の身近にはおりませんので、何ともコメントしづらいものがあるんですが・・・(苦笑) 足立さんとはまた違った「やりきれなさ」は、(表面上のこととはいえ)感じ取ることは出来ますね・・・。

★(略)「だども、何度も言うが、労組が悪いんでない。三池労組には、間違いなく俺みたいな半端者にマルクスを教える力はあった。俺の探している言葉がそこにはなかっただけだ」
「どんな言葉ですか」
「それが分かったら苦労するか。足立だってそうだ。他人にも自分にも説明できないものが人のなかにはある。たとえば、俺はいま無性にあんたの頭に石を一つ投げつけたい気分に駆られているんだども、こんな気分をどう言うんだ、え?」
 (p276~277)

★「おい、まだ真面目に聞いているのか。俺はあんたに石を投げたい気分だと言ったんだぞ。理由はねえけども、ボコッ、だ。ボコッ。あれは言葉ではない。人を半殺しにする音は音ど。そんなことも知らねえで、真剣に闘争しろと言う連中の言葉とは一体何なのだ? 百万の言葉を習っても人ひとりの骨の音は実際に聞かねば分からねえ。それが言葉というものの正体だ。いくら積み重ねても言葉は言葉だ。戦前もそうだったし、戦後の安保も三池もそうだった。右にも左にも、あるのは過剰な言葉だけだ。戦前は戦地へ兵隊を送り出した言葉。戦後は労働者に米の代わりに配給された言葉、言葉、言葉だ。希望の言葉。社会正義の言葉。人間の言葉! ところが、いいか若ェの。言葉というのは過剰になると爆発するんだ。三池で少しばかりそういう言葉を学習して、最後の最後に、あのときは物を言う幹部の口に急にこん棒を突っ込んでやりたい気分になった。これは文字通りの意味だぞ。それで頭を冷しに博打をしに行ったんだ、俺は。どうだ福澤さん、こんな話をまだ聞きたいか」
「言葉は爆発する――――。なるほど、そうかも知れない」
「何を感心してやがる」
 (p277~278)
上記二つの引用。前半の引用を読まないと後半の引用も解り辛いかと思って、取り上げました。つまり重要なのは、後半の引用です。『晴子情歌』 中、最大の重要なキーワードと目していい言葉が、ここにあります。

   「言葉というのは過剰になると爆発する」 「言葉は爆発する」

・・・この解釈は、読み手一人一人がすべきことだと思います。今の私には、無理です(逃走) 「爆発する言葉」ってどんなものなんだろう・・・。


古びた漆器でも磨くか、テレビと心中するしかないことでせう (下巻p231)

2005-11-20 21:22:47 | 晴子情歌 再読日記
9月27日(火)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 から 第四章 青い庭 下巻のp211~243まで読了(したはず。もしかしたら違うかもしれないけど)

彰之・・・足立、松田、トシオと、各世代の話をじっと聞いて考える彰之。その合間に初江のことを思い出す・・・。
晴子さんの手紙・・・第四章から約30年の時を越え、手紙は現代(昭和50~51年)の出来事が綴られるようになります。
淳三が肺炎にかかり入院。その原因は晴子さん自身にあるという。谷川巖の乗った船が転覆し、いてもたってもいられなくなり、釧路へ向かう。しかし何も出来ず、帰宅。その時淳三は肺炎にかかっていた。入院中も絵を描くことをやめない淳三に、晴子さんは、この庭に私がゐてもいゝぢやない、と呟く・・・。

***

登場人物
江藤勝久 美奈子さんの子供。名前だけ登場。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
今回はなし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★松田は無表情に首をひと振りして「躁のみんながおかしいか、鬱の俺らがおかしいかだ」と呟いていき、居室からは「どっちもおかしいのに」というトシオの嗤い声が返ってきた。
「だって躁も鬱も自慢するようなものじゃないでしょう。松田さんは鬱かも知れないけど、だから何なのさ。戦争だの炭鉱だの考えて、一歩も前に進まないで生きてられるんなら、それでいいじゃん」
 (中略) 「ぼくらの世代は何も考えることがなくても、世界の方がどんどん前へ進んでいくんだ」 (中略) 「楽しくて狂っていて、最後は血を見るってやつ。こういう感じ、福澤さんには分からないよね」 (p214)
相も変わらずのトシオ節、炸裂してます。彰之より数歳年下のはずだから、平成17年(2005年)現在は、50~55歳あるいは55~59歳に属するのですね。ふーん、こんな考え方を持っていたのか。それともこれは、トシオの考えが特殊なのか?

★「吾ァも松田もたしかに一歩も前に進まねえで生ぎでるども、なして進む必要あるか。そたらこど言ってるがら居場所がねえんだ、子どもや孫に嫌われるんだてカガァは言うけども、したて吾ァ何か悪いこどしたか。戦争には負げたども、吾ァどおめたちのために戦争に行った。吾ァ兵隊はみな万歳三唱で送りだされだんだじゃ。それが、戦争に負げたら戦争が悪がったて言われる。頭コ垂れて帰ってきたら、もう戦争の話ァええでばて言われる……」 (p215)
足立さんの言葉。・・・重いです。ズシンときます。こういうやりきれなさを描くと高村さんは絶品なんですが、これは重い。「何が正しくて、何が悪いのか」なんて、時代時代によって価値観が逆転してしまうことがある。「戦争」が、その最たる例だ。足立さんの言葉から、そのとまどいが垣間見れることと思います・・・。次の言葉も、とても重くてとても悲しい。

★「おめは分がらねえと思うが、吾ァど兵隊は家族や御国のために鬼になったんでね。敵兵ば殺す奴は殺した。殺せねえ奴はどうしても殺せねがった。吾ァ、米兵も保田も殺したいから殺した。吾ァには初めから鬼が棲んでいだんだじゃ。それだげど。それが悲しいど」 (p217)
「鬼」。高村さんはこの世代の男たちを描く時、この言葉で表現されることが多いようです。『レディ・ジョーカー』 の物井清三さんを思い浮かべた方も、たくさんいらっしゃると思われます。

★何が苦しいと云つて、身體を壊した淳三のこゝろ細さがいやと云ふほど傳はることであり、私の骨に響くそれがこの期に及んでなほも愛情や親しみとは違ふ、たゞぢりぢりするやうな生命の振動であり續けてゐることでした。これまであらためて考へたことはなかつたけれども、かうして淳三と私はたしかに夫婦であることの感情の正體を互ひに突きつけられてゐることでした。美奈子や貴方が獨立して以来、この小さな家で長く暮らしてゐるうちに、知らぬ間に互ひのこゝろの覆ひも擦り切れ、剥き出しになつてみれば、淳三と私は二つで一つの蝶番のやうで、少しでも動くと互ひにギシギシ傷み、熱を持つのです。二人で生きてゐても、互ひに一人でゐる以上に孤獨であることの、何とざわざわしてゐることでせう。これはどこまでも淳三と私の間だけに通ふ感情の一端に過ぎないけれど、三十五年を經ても人間同士の暮らしと云ふものは少しも穏やかにならない。おそらく淳三も、それが「苦しい」と云つたのかも。 (p228~229)
「縁」や「偶然」や「瓢箪から駒」という言葉でしか言い表されない、晴子さんと淳三の結婚。二人の過ごした長い年月と日々の暮らしは、到底読み手の私たちには図りかねるところではありますし、「子ども」として一緒に暮らしていた美奈子さんや彰之にも、分からないところではあると思うんですよね。この晴子さんの描写から、読み手はあれこれ想像するしかありません。

★筆を握つてゐる時の淳三がゐるのは常に畫布のなかの自分の青い庭であり、そこに豫定外の何かのかたちを付け加わることが是か非かと云ふ目をしてゐただけだけれども、さう云ふとき、淳三にとつてこの私は一體何者だつたのだらう、と。面と向かつて何も云はない淳三は。自分を二日間置き去りにした私をどう思ひながら、その姿を自分の庭に描き加へたのだろう、と。
淳三と云ふのはこんな人。三十年も一緒にゐたのに、未だ妻である私にこんなことを考へさせてゐる人。否、本人が骨に響くほどの痛みを感じたのは分かるのだけれども、同時にそれを繪畫へのなにがしかの追求のなかに解消してしまふことで自分だけを救ひ、外に向かっては「苦しい」と云ふ一言しか云はず、結果的に生身の私に無言の痛苦を與へる人。そのことを本人が知つてゐるのか知らないのか、つひに私には分からなかつた人。その本人が描いた當の繪のなかにゐる無名の女をかうして眺めてゐると、庭の茫々とした青の一部のやうで心底うつくしいと思つて涙が出たり、三センチのあまりに小さい私だと思つて悄然としたりです。
 (p242~243)
淳三の描く絵に、私がゐてもいいぢゃないと呟いた晴子さん。それを受けて、初めて淳三は自身の描いた「青い庭」に、晴子さんを描きました。『晴子情歌』 の中でも、屈指の名場面。
しかし私が取り上げたのは、その後の部分です。

ちょっと状況説明。晴子さんは淳三を置いて、谷川巖の消息を確かめに家を空けました。帰宅したら、淳三は肺炎に。入院しても絵を描くことを止めない淳三。それを見て晴子さんは「自分を描いてほしい」とお願いしたのです。淳三は三センチほどの晴子さんを描き加えました。 

入力してみて初めて気付いたんですが、晴子さんの絵を描き加えたことは、淳三のささやかな願いを体現したものでもあったかもしれない、と。
名ばかりの夫とはいえ、自分を置いて内緒で家を出た晴子さんが「二度と戻ってこないのではないか」という不安が、晴子さん不在の間、淳三になかったとは言い切れません。「二度と出て行くな」という思いを隠して、「自分の描く庭=淳三と晴子さんが暮らした家」に晴子さんを閉じ込めておきたかったのかもしれません。それが「三センチの晴子さん」になったのだ、と。絵の中に閉じ込めてしまえば、どこにも行くことが出来ませんものね。晴子さんがそれに気付いていたのかどうかは、読み手次第。「淳三と云ふのはこんな人」ですからね・・・どうでしょうね?

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

男の子だつたらチルチル、女の子だつたらミチル (下巻p192)

2005-11-07 00:51:42 | 晴子情歌 再読日記
9月26日(月)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp169~211まで読了(のはず)

晴子さんの手紙・・・勝一郎が倒れる。勝一郎の死。榮との一夜。戦争の終わり。身ごもり、彰之を出産。淳三の帰還。(時期としてはここに書くのがふさわしいかと思うので・・・。既に上巻に書かれてありましたが、晴子さんの弟・幸生は知覧から特攻で出撃して戦死。妹・美也子は東京の空襲で死亡)
彰之の回想・・・初江との別れ。その思い出。

というわけで、福澤彰之の父親は福澤榮なのでした。

***

登場人物
ここまでくると、目新しい人はいませんね。わざと紹介していない人たちもいたんですが・・・。ここで紹介しておこうか。
福澤優、福澤肇、福澤綾子、福澤貴子 福澤榮・睦子の子供たち。つまり彰之とは異母兄姉。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『菜根譚』 中国の古典でお馴染み。晴子さんが勝一郎さんの就寝前に読んであげた本。晴子さん曰く、抹香臭いお説の漢文で、まさに人間同士の諍ひや呑み食ひの欲望などを實しやかに諭す内容 (p181) ・・・だそうで。 
『南總里見八犬傳』(滝沢馬琴) 彰之がお腹にいた時に読み聞かせた晴子さん。・・・胎教に『八犬伝』ですか・・・。私はダイジェスト版と、山田風太郎版で読みました。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★かう云ふ文明の利器は、弱つた人間に自分の身體の代謝が衰へていくのを知らせることなく、仕合はせに温めながらそいつをゆつくり殺すのだらう、ですつて。 (p169)
電気毛布についての淳三の言葉。

★私が水で我慢してくれと云ふと、榮はあの白と黒がくつきりした目を見開いて私の顔にまじまじと見入り、そこはもう大人の男女ですから、あァお茶の話ではないのだとやうやう思ひながら、私も暗がりの榮の顔に見入りました。あの短い時間、私は多くのことを一度に考へたやうな氣もするし、結局何も考へなかつたのかも知れません。思へば、決して私が待ち望んだことではなかつたけれども、敢然と拒否しなかつたのも私です。いざ起こつてみると、男女が肉體を觸れ合うと云ふのは少女のころからずいぶん小説の中で想像してきたものとは違ふ、燃えるやうな感じでも心臓が破裂しさうな感じでもない、ごそごそぐつぐつして少々滑稽な、不器用な何ものかでした。昔私の母富子が云つたことですが、この子宮に菌絲が植ゑられ、そのうちキノコが生えてくると云う實感はあながち嘘でなく、一寸した驚きもありました。しかしそんな感覺も、私の身體の中に豫め備はつてゐた信號のやうでもあつて、ほら、かう云ふものだと身體のはうが頭にへたに違ひない。そして頭のはうは、なほも何だか騙されたやうだと思つてゐるのですが、だからと云つてとくに失望もしない。初潮は獨りで迎へる孤獨がありましたが、こゝにははさう云ふ孤獨はない。満たされたと云ふより、獨りでないと云ふ感覺が私には少し胸が詰まるやうだつた、そんな感じの経験だつたと云つておきませう。 (p187~188)
長い引用になりましたが、これが晴子さんと榮が共有した一夜の出来事です。晴子さん、えらく冷静だなあ。三十歳そこそこの自分の息子に教えるというのもどうかねえ、とは思うのですが(苦笑)、まあ、そこはそれ、人それぞれということで・・・(逃)

★どこからかふつふつ湧いてくる聲が「生きてやる」と云ひます。「私の子どもを産んでやる」と云ひます。 (中略)
私の子ども。このお腹の中で動くものゝ氣配は外の世界の何ものも受けつけない、福澤も、榮さへももはや關係ない、孕む私の中だけにありました。 (p191)
榮との過ごしたたった一夜の結果が、晴子さんの妊娠。つまり彰之を身ごもったということ。一説に「妊婦さんは世界で一番美しい生き物だ」とあります。晴子さんの、全身から溢れ出す叫びに近い、しっかりとした強い言葉と決意。これが「母」になろうとする女性の、真の強さと性根の座った覚悟というものなのか・・・。

★それを眺め上げたとき、私にやつて來たのは自分の身が二つになつたと云ふ感覺、私と云ふ固體が二つに細胞分裂したと云ふ直觀でしたが、私にとつて美奈子と貴方が違ふのはこの一點です。だからどうだと云ふのではない、善し惡しでもない永遠の一點。云ふなれば、私という存在がこの世に殘した動かしがたい一歩のかたちを自分で目の當たりにする感覺。そのつど、あらと云ふ小さな驚きや放心があり、一抹の孤獨がかやつて來る、ある種訣別のやうでもある不思議な距離の感覺。これが私の子どもと云ふ感覺だと云つたら、男の貴方は戸惑ふでせうか。 (p194)
昭和二十一年三月二十三日、晴子さんは彰之を出産しました。その名前の由来は? ↓

★貪欲で、強情で、早くも人間と云ふ魂への深い執着と關心を覗かせる。この子はきつと恐ろしく聰明で過敏で情深い人間になるわ。 (中略) 私は思ひます。かう云ふ子には明敏な強い字と優しい響きの字を併せた名前をつけよう。それで、二日考へて決めたのが貴方の名前、「彰之」です。 (p195)
「彰」という漢字が、高村さんはお好きだそうです。(対談かインタビューで、読んだ覚えがあります) 確かに、高村薫キャラクターには「彰」の名を与えられた人物が多い。ちょっと挙げてみましょうか。
  江口彰彦  『神の火』
  吉田一彰  『わが手に拳銃を』 『李歐』 
  根来史彰  『マークスの山』 『レディ・ジョーカー』 
・・・何だか一筋縄ではいかない人物ばっかりやん・・・。

★あのころ、ぼくは君に何も望んでいなかった。君も、自分には自分の夢や人生設計があると言った。それがどんなものかぼくは知らなかったが、何であったにしろ、大学院に進学してもその先は分からないぼくのような学生とも話ではなかったはずだ――――。 (p199)
彰之が良く見る夢の中での叫び。初江にあてたものとようやく当人にも分かったそうですが(苦笑)、すごい言葉ですね、これ。こんな冷たい熱のこもった、低温度の言葉を吐かれたら・・・ 上で引用した晴子さんの思いと相反してるよ、アッキー。

★彰之はただ憎悪を募らせ、青森行きの前に決着をつけなかった男も悪いが、ついてくる女も女だという侮蔑を新たにしたものだった。そこに少しの後悔も自責もなかったのは、一旦気持ちが冷めたが最後、人間の感情の針はゼロでなくマイナスに振れるものだという証明のようだったが、しかし、彰之は思うのだ。あの二十一歳の男が知らなかったのは、たんに男女にはこんなこともあるという割り切りや覚悟だけだったか、と。 (p200)
初江と別れる決意をした彰之ですが、彰之が愚図なのかあるいは情けをかけたのか、それとも初江が強かなのかあるいは鈍感なのか、ズルズル・ドロドロの関係にまでたどり着いたようです。・・・そして結局は、まるで貫一・お宮(『金色夜叉』)のような別れ方をするハメに・・・。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

酒より、軍艦マーチのほうが効くと思うけど (下巻p162)

2005-11-03 23:31:15 | 晴子情歌 再読日記
9月25日(日)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp133~169まで読了(のはず。外出したので、往復の電車で読んだ記憶がある)

・・・この記事を半分くらいまで作成中、操作ミスで入力がパーになってしまいました・・・ ショックのあまりふてくされて寝ようかと思いましたが、やり直します。もう一度旧字体を入力しなおさないとアカンのか・・・。

晴子さんの手紙・・・召集の二日前、淳三は晴子さんと結婚するという手紙を書き送り、大揺れの福澤家。結婚式。その夜のひととき。出兵する淳三。谷川巖が出兵前に晴子さんを訪ねてくる。
彰之・・・甲板長・足立がルソン島へ出兵した時の話の続きを聞かされる彰之。松田との会話。トシオとの会話。
彰之の回想・・・杉田初江と過ごした日々。

***

登場人物
杉田初江 彰之が大学生の頃に付き合った女。上巻に出ていた高倉絢子の後に付き合っていたと思われる。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
今回はなし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
今回はちょっと多いです。もう一度やり直すことになって、半ベソ気味・・・。

★この私がそれなりに日々生きてきたと云つても、その思ひは福澤の誰とも共有されるものではないのだらう、と。この土間にゐるのはまさに、探せばどこかに必ずをり、忘れてしまへばそれだけのことでもある「ハル」と云う名の何者かだ、と。 (p121)
結婚式の朝、台所で支度をしている福澤家の女たちを見ての、晴子さんの感慨。急な話とはいえ、福澤家の三男・ろくでなし(笑)の淳三の選んだ嫁は、奉公人の晴子さん。福澤家にとっては、所詮は「よそ者」なのですね。

★火を眺めてゐると、こゝろとも身體ともつかない未分化で茫洋とした何かの情動が募つていきます。燃えてゐるのは、長年この暗い臺所の漬物石のやうに何者でもなかつた私の無念が半分、何かしら生まれようとしてゐる淳三への思ひが半分だらうと思ひましたが、愛情とは違うその感情を何と呼びませうか。いゝえ、一人の人間が私にとって何者かになることの感情と云ふよりは、その人を私の何者かにすることの意思であつたかも知れない。それは結婚と云ふ形も、生活も愛情も未來も何も關係ない、たゞ私の中に湧きだした何かの刹那の欲望であつたのでせう。そこにたまたまゐたのが淳三と云ふことです。 (p127)
送別を兼ねたささやかな宴会の後、淳三の洗濯物を竈の残り火で乾かしている晴子さん。この「残り火」に重ねた晴子さんの描写はすごく好きです。晴子さんの中で、何かが終わった証を暗示しているかのよう。火を見つめながら自分の心情を仮託するところなぞ、何だか万葉から平安の時代に詠まれた和歌が、思い出されませんか?

★一人の人間がある日戰地へ行くと云ふのも、それを送り出すと云ふのも、尋常な経ではゐられない異様な出來事です。しかしそんなときでも生きるのが上手い人と下手な人がをゐるもので、淳三は明らかに後者でした。 (p127)
晴子さんから見た淳三。そんな淳三と過ごす夜、晴子さんはいろんな話を持ちかけたり、五目並べをしたりと、召集前の淳三の気を紛らわせようと努めたのでした。

★そのとき淳三は一寸不思議な表情をしてをりましたが、あれはまるで私の顔や道端や野邊地のさらが全て透明になつてその向かうが見えると云つた、ぽつかり開いた穴のやうな清々した顔でした。あるいは未だ半分も形になつてゐない人生や、繪や、野邊地や、家や人間の全部から自由になつた短い解放感があつたのかも知れません。――――いまもその話をしたら、淳三は一言云つただけでしたけれど。もし人生に訣別する顔でもしたのなら、まだ戰争の姿を知らなかつたと云ふことだ、と。 (p132)
翌朝早く家を出た淳三さんと、握り飯を持って後を追いかけた晴子さんとの別れの場面。

★さて、かうして何もかも過ぎ去つたと一時は考へた私でしたが、現実は逆で、谷川巖が激しい息づかひを立てゝときともなしに私の傍らにゐると感じるやうになつたのは皮肉なことでした。數へで二十三歳の私は未だ男女のことを知らず、生來それほど欲望が強いはうではなかつたと思ひますが、それでも日夜私の中のどこからか聲がして、この身體に觸れてほしい、愛撫してほしいと云ひ、その都度若々しく逞しい男の手や固く締まった腰や鋭く白い首筋を思ひました。最後に見た巖の手や肩や腰の形を一つまた一つ舐めるやうに思ひだし、幻想の爐で熱し熔かし續ける私はもう幾らか頭が變になつてゐたのか、あの巖の赤々と艶やかな肌を食らふ夢を見るのです。 (p135)
召集がかかった谷川巖が訪ねてきた後の晴子さん。たった一日違いで、晴子さんは巖の知っていた「野口晴子」ではなく「福澤晴子」になってしまった・・・。まさに「運命のいたずら」。名ばかりの夫・淳三とは全く正反対の巖が現れたことは、晴子さんの中の「女の性」に再び燃え上がる何かを投与されたものなんでしょうか。

★「(略) 喉乾がして、息もたえだえにして倒れながら走っている吾ァ、一人ど。重機一門と一つにるなって骨と皮の二本脚で走ってる吾ァ、世界の果てまで一人ど。兵だァ一人で生ぎて一人で死ぬ。怖いものも、したいこどもない。吾ァ一人だ……。そうだ、あのとき吾ァ虫になって蓑ば被って、小さく小さく固まって冬眠する夢ば見だ……」
「一人」というのは、前近代的なあらゆる錯誤をかき集めて築かれた日本陸軍の、自分もまた「一人」という意味か。あるいはその軍隊の崩壊を目の当たりにしている、寄る辺ない兵隊「一人」か。
 (p142~143)
足立さんの話と、それを聞いての彰之の感慨。足立さんの話は、読んでいて重くて辛いものを感じますが、目を背けることは出来ません。眼前で起こっているかのような表現力が、あまりに優れているから。さすが高村さん! でございます。

★そうして、何だか自分の腕のほうが思いがけない磁石に引かれているような感覚に陥るとき、彰之はふと自分が女をひっかけたのではなく、自分こそ女の張りめぐらせた磁場にひっかかったのだという不可解な閃きにとらわれたものだった。内気でおとなしい、目立つほどの容姿でもない女一人、想像もしなかった何かの磁力線を発して男の皮膚を捉え、共振させている――――。 (p147)
初江という女を彰之から見ると、こんな感じだそうで。これはほんの一部分の引用ですが、こういう「内気でおとなしい」女性の底の深さと暗さを、学生だった彰之はまだ知ることはありません(苦笑)

★「悲惨な記憶でも、ですか」
「何が悲惨かは足立が思うことだべ。俺は最近よく思うど……。戦争だろうが何だろうが、何十年も繰り返し繰り返し、こころの中で戻っていくものがあるというのはいい。あんたはどうだ? 俺には、それがない。これは家族も子どもも関係ない、自分のこころの話だ。足立に会って分かったのは、そういうことだ」
 (p165~166)
彰之と松田さんの会話。次の彰之とトシオの会話と比較するのも面白いかもしれません。

★「みんな、懲りないよね」という例の拍子抜けした声が聞こえ、「何が」と彰之が適当に応えると、「戦争とか、炭鉱とか、二百カイリとか」という返事が返ってきた。
「懲りないというのは、どういう意味だ」
「だって戦争に負けて、炭鉱が潰れて、今度は海まで取られて。いい加減やられっ放しだってのにさ、それでもみんな生活に追われて走り回って、泣いて笑って、燃え尽きて、はい終わりって感じ。躁もいいとこだ。……去勢された牛って、肉質が良くなるんだって。知ってる?」
「君らの世代はどうしたいんだ」
「煮ても焼いても食えない肉になるよ、たぶんね……」
 (p167)
彰之とトシオの会話。トシオの台詞を入力するたびに、「面白いなあ」とつくづく感じてしまいます。今回のタイトルもそう。
しかしアッキーは、この頃から既にお坊さんの素質というか資質というか、そういう特徴を無意識に発していますね。全く世代の異なる足立さん、松田さん、トシオの話を聞き、対話をしているのですから。宗派や信仰は違えども「聖職者」と呼ばれる人たちには、備えていないといけないものの一つ。それは「他人の話を聞く、聞き上手でなければならない」ことだと、私は思っているので。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

シュールレアリズムを嫌ふのは退屈だからであり決して體制に迎合してゐるのではない (下巻p100)

2005-10-30 23:06:40 | 晴子情歌 再読日記
9月22日(木)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp74~113まで読了(・・・であってると思う)

晴子さんの手紙・・・福澤勝一郎の秘書だった、熊谷嘉一の葬式。勝一郎が代議士を突然辞め、てんやわんやの福澤家。淳三が東京で懇意になった女性が、女の赤子・美奈子を押し付ける。淳三に召集令状が来る。・・・などなど。
彰之・・・甲板長・足立がルソン島へ出兵した時の話を聞かされる彰之。

今回読んだところは、男女の戦争に対する感覚の違い、視点の違いがポイントの一つでしょうか。出兵して戦争の何たるかを、心身ともに味わわざるを得なかった足立さんの話。その戦地へ向かう男たちを送り出す立場の晴子さんや、その周辺の女性たちの話。だけど、どちらも「戦争の話」なのですね。

***

登場人物
復習もかねているので、上巻で登場した人物名もいます。

熊谷嘉一 福澤勝一郎の秘書。「代議士」の「秘書」ねえ・・・。今思うと、『新リア王』 の遠い遠い、非常に遠い伏線になってるんだろうか・・・と思ってるのは私だけかもなあ。

福澤美奈子 上記の簡単なあらすじにも書きましたが、美奈子さんは淳三さんの娘ではあっても、晴子さんの産んだ娘ではありません。(上巻の人物紹介の時には、それは書いていません) 実の母親の名は不明で、昭和20年3月に死亡。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『レイテ戦記』(大岡昇平) 今もロングセラーを続ける、太平洋戦争・フィリピン戦線の記録文学。・・・私は未読。未読の作品、多いなあ・・・。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
文庫版『ローマ人の物語』 の今期分の読了と、『新リア王』 発売に絡んで、政治関連の文章にどうしても目がいってしまいます・・・。

★戰後は事有るごとに勝一郎の英斷を褒め、政治家こそ誰よりも人としての筋を通さねばならぬと云のが口癖でありました。軍人でなくとも當時政治に關はつた者はみな等しく大政翼贊を止めることが出来なかつた一點において、恥を知るべきであり、そんな者がどんな顔をして新しい國の公職につけるのかと云ふわけです。でも、これは大筋において眞實ではなかつたし、戰前の勝一郎の辭職の決斷が實際にはそんな悲壯な話でなく、正一郎と嘉一さんが示し合はせて當時の時局を悠々と利用したと云ふはうが正しいのは、故人たちが一番よくご存じだつたはづ。 (p75~76)
熊谷嘉一さんのお葬式に参列した晴子さんの回想。「あら~、立派ね~」と思ったら、ところがどっこい「政治家の強かさ」というのを思い知らされる部分です。

★キヨさんがつひに最後まで知らなかつたのは、生前の勝一郎が實は大家の傳統など屁とも思はない現實家だつたことかも知れません。かうして書いてをりますと、あらためて澤の男性には各々自らの風土に抗ふやうな血が少しづつ流れてゐるのを痛感させられますが、各々のやり方で野邊地と云ふ土地をいまなほ少しづつ捨て續けている中の、貴方もたぶんその一人であるのでせう。 (p88)
旧家で大家(おおやけ)で代議士の地位まで獲得した福澤家ではありますが、政治家から事業家へと転身を遂げつつある夫・勝一郎さんのことを、妻のキヨさんは苦々しく思っていたのです。

★私は「ほら、生まれた!」と話しかけながら、そのとき冴え冴えと考へてゐたのは、子どもはこの世に一人で生まれてきて、母親もまた一人で産むのだと云ふことでした。しかしまた同時に、それもいゝぢやない、私は一人で生まれてきたのだから、また一人で子どもを産むんぢやないと思つた、その直觀がどこからやつて來たのかは分かりません。 (p90)
榮さんの妻・睦子さんが次男の肇さんを産んだ時の、晴子さんの心境。その後の出来事を何となく予感していたのかもしれませんね・・・。と、思ったら・・・↓

★そのとき突然この子が欲しいと云ふ思ひに襲はれたのを覺へてゐます。男性はいづれみな戰爭へ行つてしまふのであれば結婚など少しもしたくないが、どうせこんなふうに子どもたちを抱くのなら、澤の子どもではない自分の子どもを抱きたいとと云ふ氣が起こつた、あのときの何か性急なぢりぢりするやうな感情は、まるでこの身體のどこかで起こつた激しい蜂起のやうでしたが、女の身體には男性よりも先づ、未だ生まれてゐない子どもへのなにがしかの豫感や欲望が備はつてゐるのかも知れません。 (p96)
晴子さんの予感が当たった場面・その1。引き取ったばかりの美奈子さんがタミさんのお乳に吸い付く姿を見て、突然思った晴子さんの心情。これは母性本能の一つの形でしょうか。

★そのとき個々の戦列の細々とした時系列の周りに残ったのはむしろ、日時や地名や部隊名などの記述を至るところで呑み込んでいく、深い穴のような闇だった。その闇を穿っているのは、名も知らぬ山で谷で無数に発せられ、いまはもうその痕跡を拾うことも出来ない下命の一つ一つであり、最後にはそれも届かなくなった沈黙であり、残された混乱であり、混乱さえ消え失せた離散であり無名の死であり、そうして記録されることの無かった部分のあまりの多さこそ、末期の戦場だというものだと彰之は考えたものだった。 (p107~108)
かつて『レイテ戦記』を美奈子さんと読んだことを、足立さんの話を聞いて思い出す彰之。その時に感じたことが、足立さんの話からも同じ匂いとして嗅ぎ取れるのでしょう。

★そこからは海は見えねんだども、海の光が空に映って、どこを向いでも空気も樹も草も真っ白に光ってるんだじゃ。そこでは動くものも、聞こえるものもね。ときどぎ塹壕の淵にアリやトカゲが這ってくるど、何か嬉しぐなって吾ァじっと見る。兵隊の時間とはそただものど。敵艦隊が沖に現れるのは一時間先か百日先か、そだこどは分からね。一日何十回も時計ば見るのは、それしか見るものがながったすけ、何時何分でもよがった。いつでもよがった。敵がいつどんなふうに来るのか、兵隊ァまんず考えだりはしねえものだ。兵隊に分がるのは、そのとぎがいつかは来ることだけだば、吾ァ眼ば開けで掩蓋の外の光ばじっと見る。日が沈むころ、壕の土も椰子も赤々となって、その赤が海の方へゆっくり降りていぐのを見る。沖の夕日なしてあたら大きいかと思うほど大きがったものど。あれが沈んでいぐとぎ、吾ァ眼ば何か訴えるんだども、それで何かを考えだという覚えもね。夜はまた月や星コ飽きるほど見で、吾ァ眼もわんずか鎮まる心地がしたども、夜が明けだらまた光の海がある。 (p109~110)
長いですが、足立さんの語りから一部分引用してみました。俗に言う「下っ端の一兵卒」だった足立さん。恐ろしく長く退屈な一日。しかし紛れもない戦場での一日。いつか来るだろう「そのとき」を待つ時間の、平凡でいて静か過ぎるほどの一日。勇ましく激しい戦闘だけが、「戦争」ではないし「戦場」でもない。それが彰之も感じた「闇」であり、「末期の戦場」なのだと思います。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

おでんーおでんー熱々のおでんが煮えてるよー (下巻p55)

2005-10-26 00:25:53 | 晴子情歌 再読日記
9月21日(水)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp35~74まで読了(・・・ということにしておこう)。

晴子さんの手紙・・・二・二六事件とその後の諸々の事件。和子の結婚。
彰之・・・第二北幸丸の漁は、まだ終わらない。甲板長・足立の不眠症を巡っての漁船員のいざこざなどが、彰之を不快にさせる。
彰之の回想・・・従兄・遥との思い出。初めて女性を知った彰之。

彰之の時間軸はバラバラなので、今回から分けました。

今回読んだところは、腐女子が喜んだであろう唯一の場面がありましたね・・・(苦笑)
それを抜きにしても、恐らく遥兄さんは 『晴子情歌』 の中で人気は高いと思われます。

しかし、何で彰之の初体験の描写より、遥兄さんが彰之に××している描写の方が、官能的に感じられるのでしょうね~?(そう感じるのは、私を含めて女性だけかもしれませんけど)
その違いは、「読み手の想像を奪うような詳細な描写」の有無でしょうね。前者は事細かく書かれており、後者は時には読み手の想像に委ねているかのような表現で抑え、時にはホントに突然ドキッ! とするような官能的な一文が現れる。
ここを敏感に感じ取るか否か。但し過剰に拡大解釈してはいけません。ほどほどが肝心。
感じ取ってもズバッと言い切るのは、品がありませんことよ?(←アンタに言われたくない)

***

登場人物
今回も復習をかねて、上巻に登場した重要人物をもう一度ご紹介。

福澤遥 福澤徳三・和子の三男。彰之の従兄。遥の兄姉は、聰一・貴弘・喜代子。・・・合田唯一郎さんの元妻・貴代子さんと一字違いですね・・・。

幸子 彰之が高校生の頃に下働きしていた加工工場で知り合った少女。彰之の初体験の相手。しかしその当時は、遥の恋人でもあったらしい・・・。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『北越雪譜』(鈴木牧之) ここにも出てくるか・・・。今さら言うまでもない、高村薫作品では非常に有名な作品。(・・・でしょ? 何か文句がございまして?) 判らない方は、『レディ・ジョーカー』(下巻) を読め!
『或る女』(有島武郎) 初子の夫・敏郎が読んでいたと、結婚前の和子さんが愚痴をこぼしていた。
『コギト』 雑誌なのかな? 『みづゑ』 と並んで登場していたから、そう思ったの。そういえば、『みづゑ』 って、まだあるんですね(『みづえ』 という表記でしたけど)
新潮文庫の『伊藤靜雄詩集』 今もあるのかなあ・・・? この中の「河邊の歌」 という詩を、淳三さんは晴子さんに送っています。
創元選書の『伊藤静雄詩集』 これも今もあるのかなあ・・・? これは晴子さんの本だったが、いつのまにか遥が盗んでいた本(苦笑) 『わがひとに與ふる哀歌』 という詩の一節 《放浪する半身》 が今回の重要なキーワード。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★今日の私たちは、かの蹶起が具體的な政變や權力の奪取を目的とせず、従つてそのやうな計畫性も持たず、昭和維新招來の先鞭とならんとする精論抽象論の色濃い行動であつたと聞かされてゐますが、さうであつたのなら私などはなほ、あの時代に青年たちの精を驅り立てた國體と云ふものゝ形の無さ、日本精や理想主義の依據するところにも軍隊や戰爭の方便にもなり得た、昏い霧のやうな形の無さを痛感させられます。あの霧の正體はいまなほ私たちには見えません。 (p38~39)
二・二六事件のその後の展開に対しての晴子さんの心情。
暗殺を擁護するわけではありませんが、暗殺後に起こるだろう展開を何にも考えずに、行き当たりばったりで「暗殺を実行すれば、何とかなる」と思っていただけというのは、あまりにバカらしい。「こうすれば、ああなる」という予測や検討をしないのなら、やらないほうがマシ。かくして「殺すつもりじゃなかった」というお定まりの言葉しか残らないというわけだ。
二・二六事件は、「対話と思考の停止」を如実に示した事件。「話せば分かる」と言っても、「問答無用」でおしまい。・・・これは恐ろしい。

★従弟を押し倒してその腹や尻を撫でながら見下ろしてくる遥の目は、不思議な感じだった。 (中略) そうだ、そういえば小さいころから遥はたしかにときどきこんな表情をしていたのだと突然思い至りながら、彰之は目を見開き続けた。従兄の剛く固い手指の下で彰之の身体が訴えているのは怒りであったり、裏切られたような悲しみであったりしたが、それよりもっと深い血と血の共振のようなものを感じると同時に、従兄と親しく暮らした年月の上に薄暗い紗が一枚降りていくような眩暈に見舞われながら、彰之はこれは何だろうと考えたりしていたのだ。 (p67~68)
『晴子情歌』 中、最大の官能的な場面。 これについてはノーコメントで押し通す。

★彰之は自分の憎悪の底にある名状しがたい痛いような熱を感じ、これは何だろうと自問したのもそのときだった。それは額の奥や皮膚や肉や骨のいたるところで何かの激しい振動を発しており、まるで憎悪という中性子をあまりに多く引き寄せた不安定核が一度にベータ崩壊を起こしている熱のようであり、人間が生まれて在ることの暗がりを飛び回る、形にならない無数の言葉の熱のようであった。 (中略) 十七の身体で激しく振動していた憎悪の熱は、それこそ不安定核が崩壊するようにして生まれ出たばかりの新しい感情の雲だったのだ、と。憎悪から生まれ出た雲は愛情と名付けてもいいが、何かしらいつも薄暗い情動をともなっており、そのためにまた新たな憎悪へと移っていかざるをえない。それこそ物心ついて以来自分が常に親しんできた感情の本態だったのだ、と。 (p73~74)
福澤家の男たちや、上巻で登場した野口家の男たちは、彰之を通して晴子さんの面影を見ているそうで・・・。例に漏れず、遥兄さんもその一人。それに気付いた彰之を襲った衝撃が、この部分の描写に当たります。
こうして入力してみると、『晴子情歌』 の下巻の中で、最大の一文の前触れのような部分でもありますね・・・。

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

ではこれからハルさんとお呼びしますわね (下巻p12)

2005-10-23 22:08:27 | 晴子情歌 再読日記
9月20日(火)の 『晴子情歌』 は、第三章 野辺地 下巻のp35まで読了(・・・ということにしておこう)。

怠けてる私が悪いのですが、どれくらいの分量を読み進んだのか、すっかり忘れてしまいました。 まあ、何となく、ボンヤリと、かろうじて、覚えている・・・と思いたい(苦笑)
日数は覚えていますが、下巻を読みきるのにかかった日数は、実質9日。(1日分の分量はバラバラですが) 今回を含めて、9回で下巻を語ろうというわけです。
(注:後日修正。日数を数えなおしたら、8日でなく、9日かかってました・苦笑)

まあ、今年中には晴子情歌再読日記はやり終えます。(←今年中!?)

晴子さんの手紙・・・衆議院議員・福澤勝一郎の家へ奉公に出た晴子さんは、「ハル」と呼ばれるようになる。複雑な家庭事情と、ひと癖もふた癖もある福澤家の面々にも驚く。
彰之・・・ようやく仮眠を取った彰之は、福澤本家の住まいを思い出していた。

***

登場人物
復習をかねて、福澤家の一族を連ねてみましょう。

福澤勝一郎 晴子さんが奉公にあがった時の福澤家当主。衆議院議員。
福澤キヨ 勝一郎の妻。

福澤初子 勝一郎・キヨの長女。
福澤敏郎 初子の夫。婿入りしている。初子との間に子どもはない。カナという名の愛人がおり、弘子・百合・茜の三姉妹をもうけ、三人とも福澤の籍に入れた。

福澤榮 勝一郎・キヨの長男。この当時は父・勝一郎の秘書を務めている。
福澤睦子 榮の妻。

福澤啓二郎 勝一郎・キヨの次男。この当時は学生、後に外交官。福澤公子の父。
福澤範子 啓二郎の妻。旧姓が不明・・・出てたっけ?

福澤和子 勝一郎・キヨの次女。福澤遥の母。
福澤徳三 和子の婚約者、後に夫。福澤家に婿入り。この時は結婚前で、山岡の姓だった。

福澤淳三 勝一郎・キヨの三男。この当時は学生。

鳴海安次郎 福澤家の大番頭。
ミツ 福澤家の女中頭。
タエ 福澤家の女中。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)

『どんぐり小僧』 晴子さんが幼い頃の彰之の枕元に置いた漫画本。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
今回の煽り文句は「福澤家の一族」しかありませんね(笑)

★私たちが聞いてゐたのは、たんに兄弟の反りが合はないと云ふのでなく、國家の計を論じる頭腦と政治を與る頭腦がかくも違ふと云ふのでもない、何か家の床や土間や壁に根を下ろしたやうな憎惡の振動でした。それは云はゞ、兄弟姉妹が助け合はなければ生きていけない市井の家族が永遠に持たないだらう種類の憎惡だつたのは確かですが、あるいは家そのものゝ壓力やその背負ひ方の差が、さうして兄弟の間で互ひの人格への憎惡に轉化されてゐたのでせうか。 (p20)
栄と啓二郎の諍いの場面を見てしまった晴子さんの感慨。「福澤家の一族」を知るには、最も適した所だと思うので、引用。
多分、『新リア王』 でもこのような「憎悪」が出てくるでしょうねえ・・・。

★私は「ハル」と自分に呟いてみます。もう「晴子」でない「ハル」は、一體何者なのでせう。 (p25)
怒涛の福澤家での初日が終わっての晴子さん。この時から生涯を終えるまで、「ハル」という名の女性として、福澤家との関わりが始まったといっても過言ではありませんね・・・。

★私はあァこれが政治家の家なのだと目を見張ることしきりでした。一言で云へば、それは市井の康夫がずつと云々してきた政治や外交や徑濟の施策や理念とは別の、何かまつたく違ふ力學と論理の營みでありましたし、政治家になると云ふことと、政治家が議會で發言したり決議したりする結果としての政治の姿は、まつたく別の次元の事柄なのだと云ふことを、私はこの間に、わづかながら知つたやうな氣もします。 (p32)
死んだ父の康夫さんからいろいろ聞かされてきた事柄とは、全く違うことにとまどう晴子さん。「政治家の家」というものを目の当たりにしたこの衝撃は、初めて別世界へ降り立ったような、カルチャーショックに近いものがあったと思われます。

全くの余談ですが、前回亡くなった野口康夫さんの私個人のイメージは、
フグタマスオさんをもうちょっとやつれさせて、朗らかさを抜いた感じ
です。(お願い、石は投げないで~!)
イメージを固定させるのも悪いかと思い、康夫さんが生きている間は、黙っておこうと思ってました・・・。

さて、皆さんの康夫さんのイメージは?(と逃げる)

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

貴方、晴子さんに似ていると言われるでしょう? (上巻p353)

2005-10-17 23:08:01 | 晴子情歌 再読日記
9月16日(金)の 『晴子情歌』 は、第二章 土場 上巻p338~p376まで読了。つまり上巻読了。

晴子さんの手紙・・・土場へ戻った晴子さんの元に届いた電報は、父・康夫の死亡の知らせだった。弟妹を東京の祖父母や伯母の元へ帰し、晴子さん自身は衆議院議員・福澤勝一郎の家へ、奉公に出ることになった。
彰之・・・第二北幸丸で、いよいよ不眠不休に近いスケトウダラ漁が始まった・・・。

ひーん、上巻読了してから1ヶ月も経ってしまった・・・。『新リア王』 発売までには、何としてでも下巻を・・・終えられるんだろうか?(不安) 

***

登場人物
今回もめぼしい人の登場は、なし。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
今回もめぼしい書籍の登場は、なし。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★吾が船頭になつたら、晴子さんに苦勞はさせね。
巖はそのとき、不器用に低く吐きだすやうな聲で確かにさう云ひました。
 (p347)
谷川巖、実質の結婚の申し込み!?
康夫さんの葬儀が終わった翌日、康夫さんからもらった萬年筆を晴子さんに返さねばと思って、やってきた谷川巖の台詞。・・・これってやっぱり、プロポーズですよね!
さて、晴子さんはどうしたのでしょうか?

★たつたいま觸れたばかりの巖の手だけをぼんやり見てゐますと、そのときになつて急に、康夫の遺骸を運び草を積んで燃やしたのだらう巖のその手が激しく切なくなつたと云ふか、あるいは目の前の若々しくうつくしい一つの手が、いまとなつては世界に殘つてゐるたゞ一つの實體であるやうな氣分になつたと云ふか。あるいはまた、この一ヶ月餘りの不確かな鈍い心地が一氣に何かの鋭いかたちを持つたとでも云ふのでせうか。私はいきなり巖を殘して家へ驅け戻ってしまつたのでした。ばかですね、こゝろと反對のことをしてしまふのだから。それで家へ歸ってから喉がをかしくなるほど泣きましたけれど、女が泣くときには大抵、肝心の理由はすでに不確かになつてゐるもので、そのときも最後は、そもそも何が悲しかつたのか自分でも分からなくなつてゐたのだらうと云ふ氣がします。 (p347~348)
晴子さんのおバカさん! 心だけじゃなくて、行動も正反対やないの! 泣くなら巖の胸に飛び込んで、思いっきり泣きなさい~! ・・・と私が地団駄踏んでも、後の祭り。

★「結局、躁ってやつだよね」と鼻先で唄うように言った。「誰の話だ」と彰之は一寸聞き返し、トシオは「甲板長たち、みんな」と言い、彰之が返事をためらううちにもう一言、「日本じゅうが躁でポップで、何もないよ、いまの時代」と続いた。
「東京で演劇をやってたと聞いたけれど、演劇も躁でポップだったというわけか」
「まあね。要は退屈してるんでしょ、みんな。ぼくら、とりあえず叫んだり唄ったりしてみたけどさ。何もないよ、やっぱり。漁船に乗ったら少しは違うかと思ったけど、結局大人が一番退屈してるんじゃない。ぼくらはまだキリギリスになれるけど、大人はせいぜいアリを演じるしか能がないだけでさ、結局どっちも躁ってやつでしょ」
「さあどうだろう……」
「あ、いまぼくのこと嗤ったでしょ? いいですよ、別に。ぼくらは小指を噛むの噛まないのって世代じゃないし。退屈しているだけだし。『銭ゲバ』、最高だし」
「嗤ってないよ」
 (p370)
かなり長い引用ですが、トシオと彰之の会話。多分第二北幸丸で、この二人が一番若い世代になるのでしょうか。若いといっても、時代は昭和五十一年ですが・・・(苦笑)

トシオのキャラクターは、まるで「記号」のようにも思えます。日本人で本名をカタカナで表記されている高村作品のメインキャラクターって、ひょっとしてこれが初めてじゃありませんこと?
「記号」という意味としてはちょっと不適切かもしれませんが、トシオは、私のような年齢の読み手の手助けになるようなキャラクターとして、配されているように思えるんです。カタカナ表記ってのがミソ。どこにでもいるような、当時の世間一般の平均人物像という感じがするんです。

無知をさらしますが、私は書籍でも「小説」というジャンルはあまり読んでいない方です。ある小説には、カタカナ表記されている人物が結構あるようですが、そういうのは、なぜか読んだことがない。無意識に抵抗があるみたいなんです。まるで小説のためのキャラクター、まるで顔のない記号のようなキャラクターのような気がして・・・。
その点から、トシオを「記号」みたいだなと思ったようなのです。
トシオについては、下巻でも考察していくことでしょう。

今回、ちょっと蛇足の解説します。
小指を噛むの噛まないの・・・「小指の思い出」という歌謡曲があります。この会話の前に、 あなたが噛んだ小指が痛い  とトシオが唄っていたのでした。

銭ゲバ・・・これ、何のことかさっぱり分かりませんでした。(だから私は大阪万博の時には生まれてませんってば~) goo辞書で調べたので、転記します。
俗に,金銭への強い執着を揶揄(やゆ)していう語。
〔「ゲバ」は武装闘争の意のゲバルトの略。ジョージ秋山の同名の漫画以来,用いられるようになった〕

分かったような、分からんような。 ・・・もしかして、すでに死語なのでしょうか?

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

上巻、何とか終わりました! バンザーイ

「鼻くそ丸めた仁丹」 (上巻p324)

2005-10-10 23:55:04 | 晴子情歌 再読日記
9月15日(木)の 『晴子情歌』 は、第二章 土場 上巻p298~p338まで読了。中途半端ですが、仕方ない。

彰之は、誠太郎から谷川巖の事を聞かされる。
今回の晴子さんの手紙では、鰊漁の詳細が綴られている。それがひと段落着いた後、晴子さんは巖に誘われ、幌で遊ぶというひとときを過ごす。その後、康夫さんたち兄弟と巖はカムチャッカへ発ち、晴子さんは土場へ戻る・・・。

上巻では、この辺りが読んでいて一番楽しかった♪ 晴子さんの初々しさとときめきと恥じらいに、読み手の私も一緒に同化したような感覚を味わいました。暴言吐くことが許されるなら、久しぶりに「乙女」になったような感じでした・・・(笑)

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登場人物
今回はめぼしい人の登場は、なし。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
今回はめぼしい書籍の登場は、なし。作家名は出てますが、作品名が出てないので。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★女も子どもも自然の惠みに胸躍らせて我先に濱に出、腹を滿たしたい一心であれ些細な贅澤の欲望であれ、それらは自らの身體の限界まで働くことゝ一つになつて、疲勞困憊も苦痛も経の麻痺もみな、或る獨特の穏やかな姿をしていたのは確かでした。尤も、鰊゛獲れさへすれば誰もが應分に潤ふ仕組みが目の前にあつたと云ふ意味で、誰一人不幸な者のゐない鰊場の漁撈はどこか麻薬のやうなところもあつたのかも。 (p313)
晴子さんのこの描写は、「労働の原点」という感じがしますね。

★まるで人間鰊。番屋に入つて來た彼らの姿に私は噴きだしてしまひ、さうしたら谷川巖がこちらを見てニッと笑ふのです。大漁だつたらほかにはもう何も要らないのだと云ひたげな、實に嬉しさうな顔は、齒ばかりがたゞ眞つ白い。それこそ漁師の顔と云ふものでありました。 (中略) しかし、目に焼きつかせた巖の笑み一つだけでも胸が熱くなるやうに感じましたから、當分はこれで燃料の補給が出來たと云ふもので、私はもう十分に仕合はせな氣分でした。それにしても、こんなふうに自在に軽やかに自分のこゝろを滿たしてしまへるのは少女の特技と云ふものです。 (p314)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その6。私もふと、初恋の人と過ごした日々を振り返ってみますと(笑)、その人とひと言喋るだけでも嬉しかったり、クラス替えで分かれてしまって悲しかったり・・・と、ひと言ひと言、一挙手一投足を思い浮かべてしまいます。ほんわかとしたものが、心身を満たしていきます。私と同じ年齢になったとはいえ、今でも瞼に浮かぶのは、小学生・中学生の頃の人なのです。やっぱり女性にとって、「初恋」は特別なもの!

さて、今からの引用に関する私の戯言とツッコミは、寛容で寛大な心でもって、お読み下さいますようお願い申し上げます。

★あの巖青年が突然後ろに立つて「晴子さん」と私の名前を呼ぶのです。一間ほど離れたところにぼそりと突つ立つて、笑顔のずつと手前の初々しくこはゞつた顔をして眞つすぐ私を見てゐるのは、ほんたうに巖でせうか!
おそろしく眞面目な表情で次に巖が云つたのはかうでした。いまから羽幌へ遊びに行かうと思ふんだども、一緒に行かねえか――――。
 (p321)
きゃ~、デートのお誘いよ~♪

★かう云ふことが人生にはほんたうに起こるものだから、私はこの歳になつてもアンナ・カレーニナが驛で運命の人と出逢ふ場面が好きなのに違ひない。男女の間に起こることは後から考へるといつも唐突で、ぶつゝけ本番で、可笑しいくらいの流されやうで、何度思ひ返しても慣れてしまふと云ふことがありません。 (p321)
手紙を書いている時だからこれだけ冷静に分析している晴子さんですけどね・・・。
全くの余談ですが、「アンナ・カレーニナが驛で運命の人と出逢ふ場面」を私が初めて知ったのは、河惣益巳さんの 『ツーリング・エクスプレス』 で、ソ連を舞台にした、「ロシアン・エクスプレス」 というマンガからでした。・・・実はこの話のイメージ・アルバムも持ってます(笑) 「運命の舞台」というタイトルで、アンナ・カレーニナとヴロンスキーが駅で出会った時の名台詞入り(もちろんロシア語)という、非常に凝った作りの曲でした。

★片や私のはうは棒立ちのまゝ突然自分の身に起こつたことの整理がつかないでをりました。遠くから眺めてゐるだけのときは身體の中に自分ひとりで自由に飼つてゐたものが、突然聲も匂ひも質量もある男性と云ふかたちになつて出現してみると、私と相手の間に立ち現れたこの時空の全部が、實はまつたく未経験のことだつたと氣づかされます。 (p322)
ほーら晴子さん、やっぱり冷静じゃありませんね。

★そこへ巖が走り戻つてきて、マツさんにうんと云はせた、私の父の許しも貰つてきたと息を切らせて云ひ、初めて齒を覗かせて子どものやうに得意氣に笑ふ。あァやつぱり私はこの人が好きです。 (p323)
巖を好きだと、ついに認めました、晴子さん!

★巖はもうずつと大人のやうに働いてきたとは云へ、生來好奇心が強く、金魚でも藥でも知らないものでを覗き込んでゐる間は私のことを一寸忘れてしまふらしいのが、私には何か好ましくも感じられ、さうだわ、口數の少ないのがいゝのだわと勝手に思つたりするの。 (p324)
晴子さん、それはね、「あばたもえくぼ」というんですよ。(←外野の余計な声)

★私たちはどちらも時を忘れて何事か語り合ふやうな言葉を持たず、それでも少しも不足でなく、かと云つて一緒にゐるだけでいゝと云ふほど敍情的でもないこれは戀なのだらうかと、私のこゝろはなほもあいまいです。 (p325)
ああんもう、晴子さんのおバカさん! それを「恋」と言わずして、何と言うの!?

★しかし、ときどき巖の聲や匂ひにふいと針が振れるやうにして身體のはうが僅かに熱を持つてくる、その感じは自分がたしかに以前とは違ふ生き物になつたことゝ相等しく思はれ、さう云へば私はもう子どもを産めるのだと云ふ思ひと一つになつて、あるいし少女の夢想ではない、まさに康夫の云つた生物學的な秘の反應である戀に踏みださうとしてゐたのかも知れない。 (p325~326)
晴子さん、心の準備はOK! 一方の巖は?

★尤も、巖のはうは思ひどほりに行かず内心きつと苛立つてゐたか、當惑してゐたか。それなら一言好きだと云つてくれたらよいのに、それも云はないのが巖らしく、ならば私も默つてるわと思ひしばらくすると、今度は私のはうが可笑しくなつて噴きだしてしまひます。すると巖も笑ひ聲をかみころさうとして失敗するのでしたが、夕暮れの下でもその齒は鋭いばかりに白い。あァ私はやつぱりこの人が好きです。 (p326)
ああんもう、巖のおバカさん! 「好き」と言葉に出せないなら、行動で示しなさい! ぎゅっと抱き寄せるだけでいいのに~! あとは本能のなすがまま!(←ちょいとアンタ)

・・・今回はこの辺りを読みながら、私は内心でツッコミを入れつつジタバタしていたのでした・・・。
だってもう、じれったいんだもん! でも、そのじれったさが「初恋」の醍醐味でもあるわけで・・・。はふ~、疲れたけど楽しかった♪(笑)

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。


貧しくとも果敢な心持ちだけは、まるで北海道のアンナ・カレーニナ (上巻p263)

2005-10-04 00:09:48 | 晴子情歌 再読日記
9月14日(水)の 『晴子情歌』 は、第二章 土場 上巻p255~p298まで読了。

今回は晴子さんの手紙のみ。父・康夫さんと一緒に、羽幌・初山別の鰊場で賄い婦として働くことになった晴子さん。漁場での仕事、働く人々、初恋の人・谷川巖との出会い、そして初潮を迎える・・・。

***

登場人物
野口八重 昭夫さんの奥さん。元は江差の花街一の芸妓。子供は四人。長男・卓郎、次男・誠太郎、三男・精司、長女・幸代
麻谷利一郎 建網二ヶ統の大親方。 
マツ 晴子さんの同僚の賄い婦。
谷川平次郎 谷川巖の父親。
「小使ひ」さん、「閻魔」さん、「鳶」さん、「勘定」さん、「三日月」さん、「水筒」さん、「三杯」さん 漁場で働く人々に、晴子さんが内緒で名付けたあだ名。その由来は本文を読んでくださいね。(逃)
千代子 晴子さんが「北海道のアンナ・カレーニナ」と称した、羽幌で見かけた女性。親方の四男・麻谷一總を追いかけてやってきた。 

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『地方主義篇』(士幸次郎) 
『淺草紅團』 
『憲法撮要』(美濃部達吉) 
今回は知らないものばっかりや~。美濃部達吉の名は辛うじて、微かに記憶があったような気が・・・。
『淺草紅團』 は、第一章 筒木坂 に作品名では出てきませんが、淺草紅團の弓子は何とまァ刺激的だらうとわくわくしたり (p64) と、晴子さんの手紙で出てました。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
異体字の変換には多少は慣れたとはいえ、今日から異体字をマウスの手書きで探して、変換するようにもしてみました。これが結構、ヒットしてビックリ。今までの私の苦労は一体・・・。

★すでに自分自身が眼前の風景とは隔絶されてゐるやうな孤立感と云ふか、自分で決めたこととは云へ未知の世界へ旅立つ心もとなさと云ふか。あるいはまた、時化た海邊で波にさらはれて自分は死ぬのかもしれないと云つた、根も葉もない感傷も少しはあつたと云ふか。そして、それらのすべての感傷を凌駕する歓喜が隠微な觸覺をいっぱいに伸ばしてゐたと云ふか。 (p258)
土場を旅立ち、新しい土地で働くことを決めた晴子さんの心境。高村さんの文体の特徴も良く出ている部分だと思うので、取り上げてみました。

★もしもこれが戀だつたのなら想像してゐたものとずいぶん違ふし、それは輪郭もないのに或る魂を成し、うつくしくも醜くもない、或る膜のやうに私の鼻腔に満ちてきた何ものかだと云ふほかありません。さうして私は小説の女主人公たちのやうには出來てゐない自分を發見した小さな驚きのなかで、一寸立ちすくみ、目を見張つてゐたのです。 (p274)
谷川巖と初めて会った時の、晴子さんの心境。えらく淡白な感じがしますが・・・。客観的にかつ冷静に綴っている手紙だから、仕方ないのかなあ。

★當面の困難はあつても、そこそこ食べていける限り、自分の生きる道に迷ひのない人生と云ふのがかくも隱やかで明朗なものかと、私はいつも眼を見張るやうな心地でした。歡喜にも失望にも疲勞にも意氣込みにもはつきりした輪郭があり、それらを區切るのは健康な眠りで、朝はつねに新しい。單純な生き方ほど生命にとつて望ましく、精にとつて健やかなのだと強く感じた私は、自分も出來ればそんなふうに生きたいと思ひ、日記にさう云ふ意味のことを書いたのを覺えてゐます。 (中略) 理解でもない善意でもない生きることそのものゝ單純さを、私は欲しい、と。 (p278~279)
現代を生きる私には、ちょっと胸を衝かれる部分。太陽が昇れば起きて働き、太陽が沈めば仕事をやめて休む。こういう規則正しくも単純な生活が、今の私にはどうしても出来ないからなあ・・・(この記事の投稿時刻は何時になるんでしょ?)

★孵化した幼蟲が初めて世界を見るのと違ひ、初潮を迎へた少女は自らの突然變異を見届けるやう運命づけられた祕密の生き物です。 (p290)
取り上げておいてなんですが、この部分に関してはノーコメント。ほとんどの女性が経験することですし、思うところはまさに人それぞれですから。

★後年、若い淳三を眺めていたときにも考へたことでしたけれど、政治家でも勞動運動家でもない康夫や淳三のやうな人間は、社會を動かす力も抵抗する力も持つてゐない代はりに、政治や言論の只なかにゐる人たちには聞こえない、未來の不幸の足音がぼんやりと聞こえたのです。 (p293~294)
康夫さんの持っていた新聞を見て、思うところのあった晴子さんの心境。康夫さんが聞いていた「不幸の足音」は、「關東軍、満州國、國体明徴、小國民」だったようです。

★潮騒しかない闇に静かに包まれながら、康夫はしばらくマメだらけの自分の手を眺めてゐたかと思ふと、昔は農夫や車夫の手を見てさぞ痛からうと思つたのだが、ほんたうは痛むのは手ではなく心のはうなのだと云ひました。しかしこの痛みは實に活き活きしてゐて、これまで知らなかつた感情やものゝ感じ方の鮮やかさにぼくは始終驚いてゐるのだ、と。 (p295)

★人は妙な虚栄榮や能書きさへ捨てれば、それぞれ或る種の昆蟲や動物のやうに固有の匂ひを發してゐて、その匂ひ同士にまたそれぞれ凹凸があつて最適な組み合わせと云ふものが初めから決まつてゐるに違ひない。小説家があれこれ尤もらしく理由をつけたり装飾しようとしてきた一目惚れの正體は、實は本人たちも知らない生物學的な自明の反應かも知れない。かうして番屋の男女を見てゐると、とかく人が理屈つぽく戀に悩むのは、自分が自然界の生物の一つであることを忘れてゐるからではないかとぼくには思へてきたのだ。人は自然に生きるのがいゝ。痛いものは痛く、汚いものは汚く、狂ふときは狂ふのがいゝ。 (p296)

★さうして、康夫が何かを發見しようと、漁夫や農夫たちの單純で強靭な生はたぶん、私や康夫の手中にはない何ものかであるのでした。折々に別の生のありやうを幾分か感じ取ることは出來ても、人にはそれぞれ自分と重ね合はすことは出來ない斷層が豫め備はつているに違ひないのです。 (p297)

上記3つの引用。読了した今になって振り返ると、これが康夫さんと過ごした二人きりの語らいの時間だったようです。
晴子さんにとっての康夫さんは、父であり、男であり、教師であり・・・そして読み手を驚愕させるほど鋭い観察眼と、冷静(時には冷酷)な眼差しで、客観的に康夫さんを手紙で描いている晴子さん。
一方の康夫さんにとっての晴子さんは、娘であり、女であり、生徒であり・・・ちゃんと一人の人間として晴子さんを見て、対等に真摯に向き合おうとしている姿勢。晴子さんが羨ましく感じてしまいます。
そういう姿勢を崩すことなく貫いている康夫さんを、晴子さんはちゃんと分かっていたのかなあ・・・?

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

福澤さん、どこかで会ったこだねえか…… (上巻p233)

2005-09-25 23:46:04 | 晴子情歌 再読日記
13日(火)の 『晴子情歌』 は、第二章 土場(どんば) 上巻p217~p255まで読了。

同僚のことが次々と判明していく彰之。甲板長・足立は出兵して生き残ったこと。松田は三井三池の炭鉱で働いていたこと。そんな松田に、彰之は「どこかで会ったこだねえか……」と尋ねられる。
晴子さんの手紙は、連絡船に乗って青森から北海道へ向かう様子が描かれていた。
また彰之は、江差にいる野口の親戚を訪ねていた。

***

本作が読みにくい理由の一つは、彰之の時間軸がかなり前後しているせいもあると思います。このせいで、あらすじも書きにくい(苦笑)
第二北幸丸に乗っていても、彰之の思考は小学生だったり、中学生だったり、高校生だったり、大学生だったり、また一年前のことだったり・・・と変幻自在に飛んでいくからです。

登場人物
西谷 第二北幸丸の漁撈長。この人も多分、名前は出ない。

谷川巖 名前だけ紹介。直接出てくるのは次回から。晴子さんの初恋の人。
野口誠太郎 晴子さんの従兄。康夫さんの次兄・昭夫さんの息子。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『美徳のよろめき』(三島由紀夫) 彰之の少年時代、美奈子さんがテーブルの下で見せびらかした本。・・・三島由紀夫にこんなタイトルの作品があったのか・・・。恥と無知をさらすが、私は三島由紀夫を読んだことはありません。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★イカにとって、自分を押し包む海のある圧力や光線に満ちた広がりも、種族の記憶も、時間も、何億年もの間、その平衡胞の暗黒から脳に伝わる波動そのもの、何かしら全方向に揺れ動き続けるもの、自分を逆らわせ泳がせるものと一つであったはずだ。
しかしまた、その波動が神経のすみずみを鈍く覚醒させながら運んでいくのは、何かしら毅然とした自分自身の運動の感覚であったり、そこから解き放たれた記憶の断片であったりし、その間にも新たな刺激を受容すると、反応した器官はそれぞれ信号を伝え合って、イカは一瞬のうちに全身の筋肉繊維をたぎらせる。色素胞を激しく開閉させ、外套腔の海水を噴射させて浮上し、あるいは降下する――――。
 (p217~218)
第二章 土場 は、彰之にとってはイカで始まりイカで終わります。その象徴として、まず最初にこれを選んでみました。しかしイカの動きをここまで描ききるとは・・・さすが高村さんでございます。 

★そもそも自分についてそんなに明晰に知つてゐる人間がゐるでせうか。人が何かをするときに必ずしも自分の意思を正確に知つてゐるわけでもないのは、カレーニナがよい例です。 (中略) しかしまた、カレーニナは見知らぬ力に動かされていく自分かに怯えもしましたが、同時に歓喜もしたのであり、だとすれば先を見通すことの出來ない世界の何に戸惑ふことがあるでせう。もちろん、この私の人生にそんな運命的な力がやつて來るかどうかは誰も知らないことでしたが、その時の私は確かに幸でも不幸でもなく、少しばかりの氣負ひとともに、丁度清涼と暗の境目くらゐのところにゐたと云つおきませうか。私の身體全部が何かしら過剰な力に滿ち、いまにも放電しさうなほど一杯に帶電してゐるのに、額の奥に廣がつていく眞つ暗な海はしんと鎭まつてをり、その暗さが針になつて誘ふ麻痺は何だか質量も重力もない透明さなのです。 (p243)
連絡線に乗り込んだ野口一家。その時の晴子さんの心境が綴られています。アンナ・カレーニナの心境に重ね合わせてしまうところが、「ああ、女の子なんだな~」と思えて、微笑ましい。(実際は「微笑ましい」場面ではありません。ありきたりの表現を使えば、「期待と不安が入り混じった状態」でしょう)
だけどね、「女の子」の「想像力・空想力」って、はかりしれないものなんですよ~。一方の「男の子」の場合は「想像力・空想力」ではなく、「妄想」だと思われます(大笑) ・・・いかがでしょう?

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

カミサマに子作りに勵めと云はれたんだな (上巻p211)

2005-09-21 22:43:16 | 晴子情歌 再読日記
12日(月)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p168~p215まで読了。つまり第一章読了。張り切って参りましょう~。

今回は全て晴子さんの手紙。筒木坂での生活。タマちゃんの死とツネちゃん一家の失踪。土場で鰊漁をすると決めた康夫さんは、一家をつれて筒木坂を旅立っていく・・・。

***

今回の登場人物と書籍の備忘録・・・の前にひと言。今回読んだところで、『シートン動物記』の、傳書鳩の話 (p170)と出てるんです。ひょっとして、『リヴィエラを撃て』 の《伝書鳩》 というのは、ここからとられたのかなあ・・・と思った次第。

登場人物
今回は目新しい人は登場せず。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『ガラス玉演戲』(ヘルマン・ヘッセ) ヘッセは知っていても、この作品は知らない・・・。
『コンゴ紀行』(アンドレ・ジイド) ジイドは知っていても、この作品は知らない・・・。
『寶島』 日本ではアニメの方が有名かな? これも親が子供に読ませたい本によく挙げられますね。私も持ってるけど、実は未読だ。
『少年倶楽部』 『少女畫報』 ある年代以上の人には有名な雑誌。
『アンナ・カレーニナ』(レフ・トルストイ) トルストイ三大長編の一つ。私は未読。ソフィー・マルソー主演の映画は観たので、大まかなストーリーは分かる。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★私はこれから何者になり、どんな異性に巡り逢ひ、どこへ出ていくのでせうか。大人になつた身體にはどんな感覺が備はり、世界はどんなふうに感じられるのでせうか。何も分からず何も始まらない時間の長さはじりじりするやうで、こんなにも穩やかに過ぎていく春の田んぼの眞つ只中で私は獨り、一寸不機嫌なのです。 (p172)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その5。大人と子供の間の時期には、良く空想したものです。・・・まさかこんなふうになってるとは・・・。(どういう意味かは、想像におまかせ・笑)

★いまも當地の海に出てゐるはづの父康夫のことを思はうとしてトロ箱の鹽鰊をぢつと見ました。するとい鰊の目玉もまた一齊に空をぢつと見てをり、初めて海から揚がつて空や人間を見た驚きがいまもまだ續ひていて、自分が死んだことも鹽を被つてゐることも氣づかないかのやうです。鰊たちの時間は止まつてをり、見てゐる私のことなど知らず、もちろん康夫のことも知らず、いまは自分たちは知らない土地にの春の空に見入るために目を開いてゐるのだ、邪魔をしてくれるなと云ふふうです。私は突然、鰊は聰明で孤獨な生きものだと思ひ、何だか鰊が好きになりました。 (p173)
晴子さんが「鰊好き」になったきっかけが、これ。筒木坂で過ごした春で、心に残っているのが、この出来事です。

★慶應二年にこの筒木坂に生まれたヰトは、土地に根を下ろして動くこと能はぬ一本の木が、自らの種の一つや二つくらゐは遠くへ散つていくのもよしと思ふ、云はゞ空々寂々の人生觀を深く壞いていた人であつたのかも知れません。 (p175~176)
晴子さんから見た祖母・ヰトさん評。後々分かることかも知れませんが、こういう部分を、晴子さんは受け継いでいるな、と感じられます。

★陰鬱と云ふやつはどこからか見えない魔力の食指を繰り出して、土間の外に垂れる雨音の一つ一つを次第に何か深遠なものに響かせます。 (中略) 内界と外界の間の一點で釣り合ふ世界の震へるやうな均衡と云ふか、緊張と云ふか。一分間も息を止め續けた果てに、窒息する寸前の私の前にあらはれる世界の、一瞬の屹立と云ふか。雨の音はさうして私の身體を刻み、沁み入って、どう云ふわけかうつくしいのです。ほとんど暗と云へるほどの板間の暗がりから眺める雨の、微光を孕んだ色合ひもまた、何色だとは云へない、色と云ふ色が水滴の一點に集まつて拮抗してゐるやうなうつくしさです。 (p176~177)
晴子さんの視線=高村さんの視線。ここの描写が何となく好きなので、取り上げてみました。

★大地に生きると云ふのは、父康夫が云ふやうな素朴な敍情に滿ちた天與の營みであるよりも、もつと積極的な才覺と果敢な欲望の話ではないのか。才覺や欲望を持たずぢつと耐へるだけの善良な人びとは、こゝではほとんど牛馬のやうに生きてゐるだけではないか。そんなことを思ひました。 (p187)
豊作・凶作に左右される農家についての晴子さんの見解。『レディ・ジョーカー』 の物井さんにも良く似た述懐がありましたね。

★私はタヱさんを眺めながら、毎度恐ろしい苦勞をして子を産み、その子を失つてはまた懲りずに孕み續ける女たちの營みや、暗がりで女たちを孕ませる男たちの後ろめたさの息遣ひを密かに嗅ぎ、ときに牛馬と變はらぬほど剥きだしであつたり、ときに奥深かつたりするそれらの情念が、こゝでは一つ一つの死さへ呑み込んでいくのだと思つたものです。いま思ひ返しても、さうして一人ひとりの繰りだす生命の振動や、土間や、夜などの溟さに押し包まれた死一つが、逆に透明なほど具體的で即物的で平明なものに感じられたのは不思議なことです。 (p193)
わすか一歳のタマちゃんが雨に濡れて死にかけている時のこと。母親のタヱさんは号泣し、晴子さんは見ていることしか出来ない。後に彰之を生んで、育てていく晴子さんにも、この情景や母親として共有するものが思い出されたことがあると、思う・・・。

★實のところ、ツネちやんと私の間に一體どれほどの差異があつたと云へませう。あつたのはたゞ僅かばかりのお金の差だけではなかつたのか。この土地で詩人になり思想家になりするやうな能力を持たない私たちにとつて、生命力とは、たゞ毎日ごが食べられると云ふことに過ぎないのではないか。 (p197)
ホントに、働いてみて分かる。お金の有り難さ。働いてお給料をいただかないと、最低限の衣食住も確保できないってことが・・・(苦笑)

★しかし康夫は云ふのです。飢ゑてゐない人間に飢饉と云ふものゝ全容は理解しようがないけれども、飢饉があることを知るのは大切だ。知ることによつて、稻の品種改良や郷藏の整備が進むからだ。戰爭があることを知るのも大切だ。内地にゐる人間は、兵隊さんの代はりに戰爭を終結させる道を考へる務めがあるからだ、と。それで自分たちに何が出來ると云ふわけでなくとも、漁師や農夫こそ新聞を讀んで自分たちの目とこゝろで世界を思ふことが必要なのだ、と。 (p206)

★今朝新聞を讀んでゐたとき、私はふと、この歳になった自分がかうして毎日新聞を讀むのは何の爲か、やはり應へられないことに氣づきました。貴方が遠洋へ出てゐるのでインドやアラビア半島の、記事を探したり、水産關聯の記事は熱心に讀むけれど、だからと云つてそれでこの私は何をしようと云ふのでもありません。強ひて云へば、私たち凡人は生きてゐる意味を自分ひとりで見いだすのは難しく、世界と少しでも繋がつてをれば物を考へたりもする。さうして幾らかは生きてゐる意味の代用にしてゐると云ふことでせう。 (p207)
上記二つの引用。私が毎日新聞読んだり、TVやネットでニュースを見るのは、何のためか。「知りたい」という思いがあるから。たとえ一過性の出来事であっても、「知らない」よりは「知っている」ことが、はるかに大事だと思うから。

★康夫にとつて私たち子どもは、もしかしたら永遠に出會つて間もない不思議な他者であり續けたのではないだらうか。 (中略) 康夫はそのときもおほかた娘の顔を鏡代わりに、父親であることの自明性について考へてゐたのです。 (p210)

★そして今度は私が、そんな康夫の顔を眺めます。取り替へることが出來ないと云ふ意味で父である一人の男性の顔は、娘にとつても不思議そのものです。 (p210)
上記二つの引用は、晴子さんが推測したであろう「父親としての康夫さん」と、そんな父親について思う「娘から見た康夫さん」の、一種の対比。この世に「父と娘の関係」はそれこそゴマンとありますが、康夫さんって、ホントに「父親」らしくないというか、「父親」を感じさせないというか・・・。そう感じる根拠は、下の引用で。

★生を信じない人間に來世は要らないが、片や生きる營みに忠實な魂は苦しみにも忠實であるから、さういふ魂は或る限界まで來ると、あたかも危機に瀕した経が自らを守るために失するやうにして來世を思ふのだらう、父母も兄夫婦もさうして生きてきたのだらう (p212)
康夫さんが晴子さんに語った言葉。今回のタイトルと、内容がちょっとリンクしています。「父親が娘に話す」というよりは、「教師が生徒に話す」ような内容だ。ま、康夫さんは元・教師ですしね・・・。

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

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・・・ついに一週間以上の時差がついてしまいました。今月中には下巻を読了できると思いますが、このペースでの更新だと完結はいつ・・・?(冷や汗)

表目、表目、表目、右上二目一度、かけ目、表目、表目、表目 (上巻p129)

2005-09-16 00:35:50 | 晴子情歌 再読日記
10日(土)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p123~p167まで読了。

第二北幸丸は出港。目的地に着くまで編み物をして時間潰しをしている彰之は、同室になった甲板長・足立から、松田が昔どこかで彰之を見た気がすると言っていた、と聞く。
晴子さんの手紙は、筒木坂での新しい生活が綴られている。父・康夫の両親、子供と奥さん、孫たち。そしてツネちゃん・・・。
母の手紙から、彰之は大学時代の思い出をよみがえらせて、回想する。

***

いろんな趣味・特技を持つ高村キャラクターは多いですが、今回は「編み物」ですか。最初に読んだ時、私はのけぞりましたよ(苦笑) だって編み物出来ないもん、私!
そういえば秋から冬にかけて、電車内や喫茶店・ファーストフードなどで編み物をしている女性が必ずといっていいほどおりましたが、携帯電話がこれほど普及すると、ちっとも見かけなくなりましたね。

***

これが意外と手間のかかる、登場人物と書籍の備忘録。自分でやると決めたんだから、仕方ない。

登場人物
足立 第二北幸丸の甲板長で彰之と同室。それなりに重要な人物だったりするが、名前は、多分出ない。『黄金を抱いて翔べ』 の名無しの野田さん状態、再び?

野口芳郎、ヰト 康夫さんの両親、晴子さんたちの祖父母。
野口タヱ 忠夫さんの奥さん。子供は全部で八人。筒木坂の家に残っているのは五人。名前が判っているのは、長男・武志、三男・秀行、次女・トキ、五男・平治、三女・タマ
ツネちゃん 隣家に住んでいる子でタマの子守をしている。弟妹三人。姉は名古屋の花街に酌婦として売られた。
野口昭夫 康夫さんの次兄。第二章の方が登場頻度は高い。

福澤公子 彰之の従姉。淳三の兄・啓二郎の娘。 
高倉絢子 彰之が大学生の時に付き合った武蔵野音大生。 

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『数学ジャーナル』  個人的には興味なし(笑)
『サルトル全集』 彰之が大学生だった時代、どうやらサルトル読まなきゃトレンディ(笑)ではなかったみたいです。ところで「実存主義」って、一体何なの?
『資本論』(カール・マルクス) 今さら言うまでもない。
『シートン動物記』 親が子供に読ませたい本によく挙げられますね。アニメになったこともあるし、子供時代に読んだ人も多いでしょう。本文にも出てくる「狼王ロボ」の話が最も有名。
『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン) 高村作品にしょっちゅう出てきますね。今回読んだ部分では、これに関する記述が晴子さん・アッキー共々、多かったです。再三書いてますが、私は中学生の時に読むのを挫折しました(苦笑) 大人の今なら読めるかな~?
(今回の例外:シモーヌ・ヴェーユの名も登場しておりました) 

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
今回はさんざん迷ってしまい、結局長い引用ばかりになりました・・・。

★そうだ、自分は反権力を掲げておきながら逮捕されたとたん福澤の名を頼った後輩を先ず嫌悪し、次いで頼られた福澤の名を嫌悪したが、そんなものは些細な感情だった、と。それよりも、全共闘各派の掲げた理念がどれも理念であることすらやめて、組織維持の硬直した行動原理にすり変わった六十八年の全部を自分は嫌悪したのだ、と。しかしそうだとしても、とにかく世界の状況を越えていこうとした連中の意思が、そうした悲惨な形で引き裂かれたことに突然言い知れぬ衝撃を受けた、あの直観はどこから来たのだろう。まさにあれこれの理念が死んだという直観。あるいは自分の生きてきた戦後の時間が死に、この先の地平に何もないのを見たという直観は。
彰之は自問したが答えはなく、代わりにやがて噴出する寸前だったはずの断末魔の言葉や理想の、いまは死んだ熱を呼び戻したとき、その場に参加しなかった者は何かを永久に失ったのだということは二十三歳の自分は考えたのだと思った。
 (p126~127)
かなり長いですが、省くのもどうかと迷いました。前回、「行動しなかったバカ」と自らを吐き捨てた彰之の真意が、これ。

★したども、夜更けにこゝさ坐つてお母(が)さまは<泣いだつた。吾ァお腹痛めた子どもば死なせて、有り難いと云ふしかねがつたお母さまが氣の毒で、吾も一人亡ぐしてるし、忠夫さんは樺太だし、お母さまととひと晩こゝに坐つてだねす。だども、吾ァまんづ何があつても有り難いとは云はね。朝晩、釋迦如来さまは拜むけども、亡ぐした子は諦められねもの。 (p147)
タヱさんの話。お母さまとは、満州で戦死した郁夫さんの遺骨を受け取った、ヰトさんのこと。戦争であれ病気であれ、「子供を亡くす」ということは、「母」である女性には、本当に悲しくて辛いこと。なのに、その「母」から生まれた男性は、どうしてこうも戦うこと、争うことが好きなのでしょうねえ・・・? 女性の「産みの苦しみ」を、知らないからか。

★私には音樂のことも、フランス精やドイツ精のことも分かりませんが、小説の中で或る輕薄なパリ娘がクリストフに云ひます。いつも何かに興味を持つてゐたくてたまらない、と。大學で難しい講義を受けると自分にはほとんど理解は出來ないけれども、それでも自分自身に云ひ聞かせるのだ、自分はこのことに心ひかれてゐる、あるいは少なくとも役に立つのだ、と。このいゝ加減な娘のほんの少し眞面目な思ひは、そのまゝ十代の私の思ひです。分かることも分からないことも一字一句も飛ばさず、少しづつ頁をめくつていくときの、何と明るい靄を見るやうなびであること。 (p148)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その4。そうですよね、本を読む喜びを知った時期は、こんなふうになるもんですよね、晴子さん。

★歴史に主体などなく、世界を知る絶対知や根源的な直観もないとなれば、私たちは何をもって世界を知るのか。貴方や私がこうして言葉を一つ話すたびに生成していく、中心のない、乱反射のような意味や価値の拡散が世界なのか、と公子は問う。 (p153)

★彰之がどうしていまさら『ジャン・クリストフ』なのかと問うと、公子は即座に、これを読んで涙を流した世代をどうやって越えていくかが、私たちの当面の課題だろうからだ、と応えた。歴史に主体はあるのか否か、あるいは中間というものがあるのか、自分たちにはまだ分からないけれども、マルクスやロマン・ロランや、あるいはドストエフスキーが人間というものを考えた、あの確固とした世界や人間の情熱と確信を私たちがもはや感じられないでいることは否定できない。だとすれば、ここに至った道筋を突き詰めつつ、私たちはかつてあった世界や歴史をとにかく越えていくしかないだろう、と。 (p154)
上記二つの引用は、大学生時代の彰之に多大な影響を及ぼした、従姉・福澤公子の言葉。公子さんはハーバードに在籍もしておりました。すごいな~。当時の学生は、こんなにも賢くて、難しい事柄を呼吸をするように考えたり喋ったりしていたのか・・・。
しかし彰之はうんざりしております。母・晴子、姉・美奈子、従姉・公子、当時の恋人・絢子と、彰之に所縁のある女性たちは『ジャン・クリストフ』を読んでいるからです。いったいどういうわけで女はロマン・ロランが好きなのだろうと訝った。 (p150) とありますから。・・・ホントに女性は『ジャン・クリストフ』が好きなのかしらん? いつかは読まねばなるまい。

★新しい人間。公子の口から放たれたそれは、まるでニーチェの言う超人のように聞こえ、その一瞬、目に見えない意思の気体が大気圏外へ向けて発射されたかのような漢字を覚えながら、彰之は唐突に公子は正しいと思った。なぜなら戦後民主主義といっても、戦争の責任も結果も与り知らない自分や公子の世代に、とにかく戦前の無力感を引きずった共産主義は共感しようもなく、もはや貧窮の実感もない東京にも、万国労働者の団結や新たな革命の呼び声が届くはずはなかったからだ。また一方、自己疎外とか実存とかいう言葉の中に一寸、理由もなく人間性の過剰を感じるような感性を備えた世代が来ている、それが自分たちだという漠とした認識を持ったのもそのときだった。 (p155)
もう一つ公子さんの言葉と思想、それに関する彰之の分析を取り上げてみました。彰之の大学生時代の雰囲気や、生きていた空気が嗅ぎ取れるかと思ったからです。

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。