2005年9月30日(金)の 『晴子情歌』 は、第四章 青い庭 下巻のp310からラストまで読了。
晴子さんの手紙・・・淳三さんの死の前後の出来事。彰之への最後の手紙。
彰之の回想・・・第二北幸丸に乗船する前、晴子さんと過ごした日々を思い返す。
彰之・・・行方不明になる足立。松田とトシオの諍い。美奈子さんからの手紙。徳三さんへの電話。晴子さんからの最後の手紙。七里長浜へ。
***
登場人物 登場した書籍や雑誌名
どちらもなし。
★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
★かうしてやつて來る死の直觀をくつがへすことを望まなかつた私は、結局薄情だつたのかしら。死にゆく本人より自分のこゝろを救ひたかつただけかしら。いづれだらうと構ひはしませんが、人が死ぬと云ふ行爲とそれを見守ると云ふ行爲は一對の大仕事です。 (中略) 胎児を産み落とすやうに死を産み落とさうとしている人間も。それを見守るしかない人間も恐ろしく不思議な時間のなかに置かれて、しばし現世からは切り離されます。 (p311)
淳三さんがいよいよ危なくなった場面。晴子さんの「死にゆく人」への眼差しは、同様のものが上巻にありました。晴子さんの母・富子さんが亡くなった場面です。
★しかしそれでいゝのです。最後の山へ向かふ險しい道中、この私を含めた全部の人間から解放されて自由になり、ひとりで私たちの知らない土地や人間と出會ふ淳三の時間を、誰が非難できるだらう。私だつて死ぬときは最後に誰のことを思ふのか分からない。それはきつと貴方だらうと思ふけれども、そのときになつてみなければ分からないことだし、實際にそれを知るのはこの私だけで、生きてゐる者の誰も知ることはない、それこそ人生最後の最大の自由、開けてお樂しみの最後の袋と云ふものです。 (p313~314)
晴子さんが今まで巡りあってきた幾多もの死に対する視点というのは、どうしてこうも一筋の光明が差し込むような明るさがあるんでしょうか。
何故だか私はこれを入力していて、幸田さんや島田先生を思ったり、キムや合田さんを感じたりしました。
★ものを見る絵描きの目は徹底的に自由であり、その抽象が何をどう変形させようとも、それを眺める者の目に入り込んでくる限り、傾いた大地も波うつ青も空を穿つ穴もたしかに存在するのだった。否、〈存在した〉というべきだったか。「青い庭」はあり、それを産みだした淳三の目に彰之はいまになってやっと入り込み、母と同じようにそれを見ていたと言っても、曲面を描いて閉じた庭から届くその光は、数十日も数百日も昔に発せられた光だったからだ。 (p327~328)
淳三さんが描いた「青い庭」に、入り込んだかのようなデジャヴを覚えた彰之の心境。直接の血の繋がりはなくても(実際には叔父と甥)、この二人の関係は、晴子さんという存在があってこその「父と子」なのだなあ、思った次第です。『新リア王』 で描かれている「父と子」とは、また違った関係に昇華していく「父と子」も、確かにあるんですね。
★寝巻の上に半纏を引っかけた母は、少しうつむき加減の姿勢で、昼間彰之が耕した畝の間をゆっくりと行き来していたが、その目が足元の苗を見ていたかどうかは定かではなかった。ときどきもたげられる頭は台所裏の藪椿を仰ぎ、東のヒマラヤ杉を仰ぎ、かと思えば北側の海のほうへ振り返り、また足元の土へ落ちていく。月明かりしかない庭は、ほとんど草木のかたちも失われたセピアかモーヴか、コバルト青の闇の濃淡のはずだったが、その姿を眺めていた数分、母はいま「青い庭」を見ているのだと彰之は思い、自分もまたほんの短い間にしろ、その同じ庭の波うつ青を見ていたのは確かだった。そこにいた母は、ここ数日の生身の不安定さから解放された何者か、あるいは「青い庭」のなかに帰った何者かのようであり、そその周りで時空はまたひそやかに曲がり、モーヴの闇がごうと鳴った。 (p332)
一つ前の引用は「青い庭を巡る父と子」の描写でしたが、これは「青い庭を巡る母と子」についての描写です。淳三さんが眺め、描いた絵そのままのような晴子さん。絵の中に永遠に閉じ込められた晴子さんを、彰之は見ています。
一方の晴子さんは、まるで別れを惜しむかのごとく、「青い庭」の存在を確かめているようです。
★これを読んで思うところがあるかどうか知りませんが、考えごとをしていて海に落ちて死ぬなら、死になさい。 (中略)
貴方という人はせっかく外の世界で自由に生きていながら、どこまで福澤の男に似たら気がすむのだろう!
貴方はきっと何も知らないのだとお母さまは貴方を庇いますが、私は晴子お母さまが不憫です。貴方の薄情が悔しくてたまらない私の気持ちが貴方に分かりますか。彰之さん。 (中略) 米内沢の家には帰って来るな。 (p345~346)
ネタバレ部分は避けて引用しました。不自然な部分があるのはお許し下さい。
しかしこの美奈子さんの手紙は、含むところがたくさんありすぎて・・・。この手紙で、彰之に対して溜飲が下がったという方は、結構多いのではないでしょうか。私もここですっきりとしました。
この再読日記を始めた頃に、「彰之は蹴っ飛ばしたい」と私は意見表明(?)しましたが、この手紙の内容で特に強く思うようになったのです。
ところで、「福澤家の男」の特徴って厄介なものですね~。『晴子情歌』 『新リア王』 と続けて読んでみたら、改めてその厄介さが分かります。
さて、以下は晴子さんの最後の手紙。
★この前、私は淳三の臨終前の数時間について、死を産み落とさんとする最後の險しい登山だと貴方への手紙に書いたと思ふのですが、夢のなかで淳三がそれは少し違ふよと云ふのです。死へ向かふとき種々の苦痛はあるのだけれども、幸ひなことに身體の徑の全部がそれに關はり集中するために、自分の意識のはうはもはや餘計なことは何一つ考へずに濟むのだ、と。人生の最後に許されたその心身の輕さは何かと比べるやうなものでもないが、少なくともぼくは最後に、生命とは何と狡猾でうまく出來てゐるものかと思つたよ、と。 (p348~349)
★それからまた私は夜明けまでざわざわひうひう鳴りわたる風音を聞き續けましたが、そのときの私の半睡の身體も、あるいは淳三が云ふ生命の集中に一寸近いものだつたか。何一つ思ひ巡らさない生命の輕いと云ふよりは茫洋とした薄明るさが私に教へるのは、細胞一つの營みの單純さ、規則正さ、緩慢さと云ふものです。またこゝに横たはる私のなかで、生命は私がわざわざ時計を持ちだしてその時間を計ることもない、この意識で知る必要もない或る集中、或る無限や極限、或る靜止と云つた豫感だけ呼び覺まし續けるのですが、生命がさう云ふものであるなら、この私の意識や感情も同じやうに無限定で無明であってもいゝ。 (p349)
★最後に、さうして草木も槌も空氣も鮮やかに新しい庭に立つてゐたとき、この私を捉へてゐた心地は或る歡喜だつたと云つておきませう。貴方がときどきこの家や庭や、この母の周りに殘していく、壯健な男子の聲と眼差しと匂ひの歡喜です。 (p350)
「女の一生」という、平凡だけど単純な言葉では到底片付けられない、晴子さんの生き様。「歓喜」と言い切り、生きている喜びを淡々と綴る晴子さんの想い。澄んだ空のような清々しさと明るさが、ひしひしと感じ取れる最後の手紙。時が経つにつれ、じんわりと沁み込んでいくような静かな静かな感動を、私は覚えたのでした・・・。
いよいよラスト、七里長浜の彰之です。「七里長浜を見た時に、これを書きたいと思った」 という高村さんの声が思い出します。
しかし取り上げるのは今回は見送らせて下さい。読み手それぞれに心に残る描写があるでしょうし、高村さんの肉声を耳にした以上、「全て取り上げるか、あるいは取り上げないか」のどちらかしかないと思うので。(全て取り上げたら、私は死ぬ思いを味わうでしょう・・・)
★――――そうだ、これはおまえに尋ねても無益な話だ。母はなぜ歓喜するのか、母はひとりでどこへ行こうというのか。俺はいまは、観音力に頼もうとは思わないのだ。 (p354)
これほどはっきりした、しかも否定的で強く明確な意思を表明した彰之は、初めてではなかろうか。
★俺はひとりだ。母もひとりだ。――――お母さん。 (p356)
この一文を取り上げるのをさんざん迷いましたが、これははずせないな、と思い直しました。『晴子情歌』 を締めくくるにふさわしい一文であることは、論をまたないでしょう。
母も自分も「ひとり」だと認識することが、どれほど悲しくて寂しいことか・・・。彰之が万感の思いを込めた「お母さん」という呟きは、「母」という存在から誕生した誰もが、(母を亡くした人ならば)かつて懐いた思いであり、(母が健在である人ならば)これから懐くだろう思いだろうと推測されます。
(私の母は健在ですので、推測の域を出ないんです)
高村作品の最後は、「これ以外にない」と断言できるほど、締めくくりの文章の描写が秀逸です。この最後の部分で、じわじわと静かな感動の波が打ち寄せてくる感覚と、いつまでも続く余韻の両方を、私は読むたびに味わっています。多分、これからもそうあるでしょう。
***
・・・終わりました。もう永遠に終わらないかと思いましたよ~。
残り2つの引用を取り上げたら終わり、という時に、入力がパーになってしまって真っ青になりました。幸い、メモ帳にそれ以前の分をコピペしたのが残っていたので、再入力はほとんど免れたんですが・・・。
今の心境は感無量と言うべきか、脱力感と安堵のため息が混ざったような感覚と言うべきか・・・。
昨秋から延ばしに延ばして引きずっていた宿題がまた一つ、片付いたのでホッとしていることは確かです。
愚痴を兼ねた(苦笑)総括記事は、いつかやりますが、ここまでお読みいただいた皆様、お付き合いいただいた皆様、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
***
※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。
晴子さんの手紙・・・淳三さんの死の前後の出来事。彰之への最後の手紙。
彰之の回想・・・第二北幸丸に乗船する前、晴子さんと過ごした日々を思い返す。
彰之・・・行方不明になる足立。松田とトシオの諍い。美奈子さんからの手紙。徳三さんへの電話。晴子さんからの最後の手紙。七里長浜へ。
***
登場人物 登場した書籍や雑誌名
どちらもなし。
★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
★かうしてやつて來る死の直觀をくつがへすことを望まなかつた私は、結局薄情だつたのかしら。死にゆく本人より自分のこゝろを救ひたかつただけかしら。いづれだらうと構ひはしませんが、人が死ぬと云ふ行爲とそれを見守ると云ふ行爲は一對の大仕事です。 (中略) 胎児を産み落とすやうに死を産み落とさうとしている人間も。それを見守るしかない人間も恐ろしく不思議な時間のなかに置かれて、しばし現世からは切り離されます。 (p311)
淳三さんがいよいよ危なくなった場面。晴子さんの「死にゆく人」への眼差しは、同様のものが上巻にありました。晴子さんの母・富子さんが亡くなった場面です。
★しかしそれでいゝのです。最後の山へ向かふ險しい道中、この私を含めた全部の人間から解放されて自由になり、ひとりで私たちの知らない土地や人間と出會ふ淳三の時間を、誰が非難できるだらう。私だつて死ぬときは最後に誰のことを思ふのか分からない。それはきつと貴方だらうと思ふけれども、そのときになつてみなければ分からないことだし、實際にそれを知るのはこの私だけで、生きてゐる者の誰も知ることはない、それこそ人生最後の最大の自由、開けてお樂しみの最後の袋と云ふものです。 (p313~314)
晴子さんが今まで巡りあってきた幾多もの死に対する視点というのは、どうしてこうも一筋の光明が差し込むような明るさがあるんでしょうか。
何故だか私はこれを入力していて、幸田さんや島田先生を思ったり、キムや合田さんを感じたりしました。
★ものを見る絵描きの目は徹底的に自由であり、その抽象が何をどう変形させようとも、それを眺める者の目に入り込んでくる限り、傾いた大地も波うつ青も空を穿つ穴もたしかに存在するのだった。否、〈存在した〉というべきだったか。「青い庭」はあり、それを産みだした淳三の目に彰之はいまになってやっと入り込み、母と同じようにそれを見ていたと言っても、曲面を描いて閉じた庭から届くその光は、数十日も数百日も昔に発せられた光だったからだ。 (p327~328)
淳三さんが描いた「青い庭」に、入り込んだかのようなデジャヴを覚えた彰之の心境。直接の血の繋がりはなくても(実際には叔父と甥)、この二人の関係は、晴子さんという存在があってこその「父と子」なのだなあ、思った次第です。『新リア王』 で描かれている「父と子」とは、また違った関係に昇華していく「父と子」も、確かにあるんですね。
★寝巻の上に半纏を引っかけた母は、少しうつむき加減の姿勢で、昼間彰之が耕した畝の間をゆっくりと行き来していたが、その目が足元の苗を見ていたかどうかは定かではなかった。ときどきもたげられる頭は台所裏の藪椿を仰ぎ、東のヒマラヤ杉を仰ぎ、かと思えば北側の海のほうへ振り返り、また足元の土へ落ちていく。月明かりしかない庭は、ほとんど草木のかたちも失われたセピアかモーヴか、コバルト青の闇の濃淡のはずだったが、その姿を眺めていた数分、母はいま「青い庭」を見ているのだと彰之は思い、自分もまたほんの短い間にしろ、その同じ庭の波うつ青を見ていたのは確かだった。そこにいた母は、ここ数日の生身の不安定さから解放された何者か、あるいは「青い庭」のなかに帰った何者かのようであり、そその周りで時空はまたひそやかに曲がり、モーヴの闇がごうと鳴った。 (p332)
一つ前の引用は「青い庭を巡る父と子」の描写でしたが、これは「青い庭を巡る母と子」についての描写です。淳三さんが眺め、描いた絵そのままのような晴子さん。絵の中に永遠に閉じ込められた晴子さんを、彰之は見ています。
一方の晴子さんは、まるで別れを惜しむかのごとく、「青い庭」の存在を確かめているようです。
★これを読んで思うところがあるかどうか知りませんが、考えごとをしていて海に落ちて死ぬなら、死になさい。 (中略)
貴方という人はせっかく外の世界で自由に生きていながら、どこまで福澤の男に似たら気がすむのだろう!
貴方はきっと何も知らないのだとお母さまは貴方を庇いますが、私は晴子お母さまが不憫です。貴方の薄情が悔しくてたまらない私の気持ちが貴方に分かりますか。彰之さん。 (中略) 米内沢の家には帰って来るな。 (p345~346)
ネタバレ部分は避けて引用しました。不自然な部分があるのはお許し下さい。
しかしこの美奈子さんの手紙は、含むところがたくさんありすぎて・・・。この手紙で、彰之に対して溜飲が下がったという方は、結構多いのではないでしょうか。私もここですっきりとしました。
この再読日記を始めた頃に、「彰之は蹴っ飛ばしたい」と私は意見表明(?)しましたが、この手紙の内容で特に強く思うようになったのです。
ところで、「福澤家の男」の特徴って厄介なものですね~。『晴子情歌』 『新リア王』 と続けて読んでみたら、改めてその厄介さが分かります。
さて、以下は晴子さんの最後の手紙。
★この前、私は淳三の臨終前の数時間について、死を産み落とさんとする最後の險しい登山だと貴方への手紙に書いたと思ふのですが、夢のなかで淳三がそれは少し違ふよと云ふのです。死へ向かふとき種々の苦痛はあるのだけれども、幸ひなことに身體の徑の全部がそれに關はり集中するために、自分の意識のはうはもはや餘計なことは何一つ考へずに濟むのだ、と。人生の最後に許されたその心身の輕さは何かと比べるやうなものでもないが、少なくともぼくは最後に、生命とは何と狡猾でうまく出來てゐるものかと思つたよ、と。 (p348~349)
★それからまた私は夜明けまでざわざわひうひう鳴りわたる風音を聞き續けましたが、そのときの私の半睡の身體も、あるいは淳三が云ふ生命の集中に一寸近いものだつたか。何一つ思ひ巡らさない生命の輕いと云ふよりは茫洋とした薄明るさが私に教へるのは、細胞一つの營みの單純さ、規則正さ、緩慢さと云ふものです。またこゝに横たはる私のなかで、生命は私がわざわざ時計を持ちだしてその時間を計ることもない、この意識で知る必要もない或る集中、或る無限や極限、或る靜止と云つた豫感だけ呼び覺まし續けるのですが、生命がさう云ふものであるなら、この私の意識や感情も同じやうに無限定で無明であってもいゝ。 (p349)
★最後に、さうして草木も槌も空氣も鮮やかに新しい庭に立つてゐたとき、この私を捉へてゐた心地は或る歡喜だつたと云つておきませう。貴方がときどきこの家や庭や、この母の周りに殘していく、壯健な男子の聲と眼差しと匂ひの歡喜です。 (p350)
「女の一生」という、平凡だけど単純な言葉では到底片付けられない、晴子さんの生き様。「歓喜」と言い切り、生きている喜びを淡々と綴る晴子さんの想い。澄んだ空のような清々しさと明るさが、ひしひしと感じ取れる最後の手紙。時が経つにつれ、じんわりと沁み込んでいくような静かな静かな感動を、私は覚えたのでした・・・。
いよいよラスト、七里長浜の彰之です。「七里長浜を見た時に、これを書きたいと思った」 という高村さんの声が思い出します。
しかし取り上げるのは今回は見送らせて下さい。読み手それぞれに心に残る描写があるでしょうし、高村さんの肉声を耳にした以上、「全て取り上げるか、あるいは取り上げないか」のどちらかしかないと思うので。(全て取り上げたら、私は死ぬ思いを味わうでしょう・・・)
★――――そうだ、これはおまえに尋ねても無益な話だ。母はなぜ歓喜するのか、母はひとりでどこへ行こうというのか。俺はいまは、観音力に頼もうとは思わないのだ。 (p354)
これほどはっきりした、しかも否定的で強く明確な意思を表明した彰之は、初めてではなかろうか。
★俺はひとりだ。母もひとりだ。――――お母さん。 (p356)
この一文を取り上げるのをさんざん迷いましたが、これははずせないな、と思い直しました。『晴子情歌』 を締めくくるにふさわしい一文であることは、論をまたないでしょう。
母も自分も「ひとり」だと認識することが、どれほど悲しくて寂しいことか・・・。彰之が万感の思いを込めた「お母さん」という呟きは、「母」という存在から誕生した誰もが、(母を亡くした人ならば)かつて懐いた思いであり、(母が健在である人ならば)これから懐くだろう思いだろうと推測されます。
(私の母は健在ですので、推測の域を出ないんです)
高村作品の最後は、「これ以外にない」と断言できるほど、締めくくりの文章の描写が秀逸です。この最後の部分で、じわじわと静かな感動の波が打ち寄せてくる感覚と、いつまでも続く余韻の両方を、私は読むたびに味わっています。多分、これからもそうあるでしょう。
***
・・・終わりました。もう永遠に終わらないかと思いましたよ~。
残り2つの引用を取り上げたら終わり、という時に、入力がパーになってしまって真っ青になりました。幸い、メモ帳にそれ以前の分をコピペしたのが残っていたので、再入力はほとんど免れたんですが・・・。
今の心境は感無量と言うべきか、脱力感と安堵のため息が混ざったような感覚と言うべきか・・・。
昨秋から延ばしに延ばして引きずっていた宿題がまた一つ、片付いたのでホッとしていることは確かです。
愚痴を兼ねた(苦笑)総括記事は、いつかやりますが、ここまでお読みいただいた皆様、お付き合いいただいた皆様、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
***
※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。