あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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唐辛子の食い過ぎで死ぬことはないよ (p420)

2009-04-17 00:08:43 | リヴィエラを撃て 再読日記
15日に紹介した、『新潮文庫 20世紀の100冊』(新潮新書)は、買いませんでした。
しばらく買ってなかったので、すっかり忘れてたのよ。新潮新書の内容の薄さを! (ページ数も少ないが)
新潮社が「新潮新書」を創刊する、と知った時にはかなり期待に胸を膨らませていたのだが、あっという間に胸・・・もとい、期待はしぼんでしまったことを、今更ながら思い出しますわ。

まあ、『黄金を抱いて翔べ』だけでも目を通して下さい。関川夏央さんにもっとページ数を与えてくれれば・・・と思いました。物足りないってば! 最後の一行には「なるほどな」と唸りました。

単行本版『黄金を抱いて翔べ』(新潮社)の再読は、GW前後にすると決めました。
その前に、これを完成させないとね。

2009年4月6日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年2月――《スリントン・ハウス》のp388から1992年2月――東京のp430まで。

今回のタイトルは、単行本だけにある手島さんがカレーを食べている時の言葉。単行本では二千円のビーフカレーですが、文庫は野菜、マトン、エビのカレーでした。


【マニアックなたわごと】

・跨線橋の銃撃戦・・・文庫では銃撃する前に、ジャックはリーアンに捕まり、M・Gが車のキーを渡してました。単行本ではケリーは撃たれて、その後に・・・。
双葉文庫版の解説者さんは単行本の銃撃戦がお好きだそうですが、私は好きではありません。ケリーがどうにも・・・ねえ? 好みの問題といえばそれまでですが。

・捜査二課の広田氏・・・単行本では「広田警視」と身分は手島さんと同じなので、お互いにくだけた喋り方。文庫では「広田警部」と格下なので、丁寧な口調。対する手島さんも丁重に喋ってました。


【今回の名文・名台詞・名場面】
手島さん好きなのですが、これでも文庫版の再読日記より大分カットしてるんです。

★自分を呼ぶジャックの悲痛な声が聞こえた。《伝書鳩》は若者に何か応えたいと思った。この列車の地響きが、今は自分をどこかへ運んでいく風の音のようだということ。たった今、晴れがましい光の降る《階段》が一つ、見えたこと……。 (p390)

ケリーの最期の場面。もちろん単行本と文庫で描写が違います。

★何のためのキリストの贖罪かと信心深い者なら言うだろうが、神の一声で救われるほど現実の人間の苦しみは甘くない。 (p398)

読むたびに考えこんでしまう、モナガンさんの手紙の一文。

★第一回目の訪日を終えて戻ってきたキムによれば、君の第一印象はとてもイギリス的で《食えなかった》ということだ。 (p399)

キムが手島さんのことを評する描写は、直接であれ間接であれ、意外なほど少ないんですよね。その貴重なものの一つが、これ。
キム視点の物語の描写は、1989年2月――《スリントン・ハウス》以降、出てきません。

★手島は、鏡の中に残った自分の蒼白な顔を見つめた。秘密を抱いた顔。裏切り者の顔だ、と思った。だが、口許に走った一本の皺に隠れているのは、ほくそ笑みとはほど遠い嫌悪とためらいだった。 (p408)

ここの手島さんの描写がたまらなく好きなの~。単行本と文庫もそのままなので、嬉しいわ。

★背後に響く規則正しい靴音が、何か呪文のようだった。それが手島の頭を、ひたひたと叩き続けた。そのリズムの狭間から、ひと足ごとに死んだイスラエル人青年の呻き声が地から湧き上がってきた。手島を信じ、手島なら自分を危険な目に遭わせることはないと信じて、快く仕事を引き受けた《エイブラム》の、苦悶に満ちた『なぜ』が耳に響いた。
死者の声。姿のない殺人者の気配。尾行者の靴音。それらを吸い込んでいく街の闇は途方もなく深かった。
 (p416~417)

ここも単行本と文庫で変わっていませんね。

★「手島さんは、そう言いながらひとりで走っているじゃありませんか……。ウィーン・フィルの公演だって、はっきり言って何かある。……もう少し用心すべきです」
自分はひとりで走っている。そうかも知れない。真実や死者の名誉のため、と言えば聞こえはいいが、それは直接の動機とは言いがたかった。些細なことではあるが、日々傷つけられてきた自分自身の誇りに対して、こんな形でしか応えることが出来ないというのが、一番真相に近いのかもしれない。だが、それこそ人に言うべきことでもなかった。
 (p420)

坂上さんの助言が、単行本と文庫で違ってますね。

★「ああ……」と呟きを洩らした。「手島さん?」
「ええ……」
手島の驚きも構わず、ダーラム侯はその優美な美貌をゆるめ、肩で溜め息をつき、乱れた髪を軽く指先で整えると背筋をすっと伸ばした。そうしていきなり、「私とシンクレアを見張ってらっしゃるの?」ときた。
「いえ……」
「あなたのことは《ギリアム》から伺った。あのヨークシャー豚と文通しておられるんですか?」
「いえ」
「そう。それは結構。あなたがイエスと応えたら、唾を吐くところだった」
 (p426)

ダーラム侯と手島さんのご対面シーン。
単行本・・・「ええ……」 「「見張ってらっしゃるの?」ときた。」
文庫・・・「そうです」 「「見張ってらっしゃるのですか」と尋ねてきた。」
ここのダーラム侯の描写は、単行本であれ文庫であれ、ダーラム侯が苦手な私には珍しく、ツボだ。動作の一つ一つで、ダーラム侯の性格が手に取るように分かるんだもん。凄いなあ、高村さん。


「預かり賃いくら?」「一時間百ポンド。ちゃんと預かれよ」 (p361)

2009-04-13 00:12:38 | リヴィエラを撃て 再読日記
先ほどまで「レッドクリフ」放映中でしたが、一度映画館で見ている母が、あれこれと喋りかけてくるのでその度に気がそがれます。
「曹操は周瑜の妻の小喬が欲しいから戦を起こしてんな」
・・・いや、本当に女一人(この映画では大喬はいないことになってる)欲しいがための戦としたら、曹操の価値が大暴落や・・・と私は思いますが、如何?


2009年4月4日(土)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年2月――《スリントン・ハウス》のp330からp388まで。こんなところで読み止めか~!

今回のタイトルは、単行本だけにあるジャックとケリーの会話。『黄金を抱いて翔べ』の北川兄と幸田さんの会話を彷彿とさせる・・・。


【マニアックなたわごと】

前回と同じく、1989年2月――《スリントン・ハウス》は、細かい部分が全て違うといっても過言ではありません。物語自体は変わってませんが、表現や言葉が違いがありすぎる。
ああもう、なんかめんどくさくなってきたな(笑) 単行本と文庫を読んでいただくのが最も手っ取り早いんですけどねえ・・・。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★要するに、恋狂いよ。どうしようもないじゃないの。 (p331)

単行本だけにあるサラの独白。・・・そうか、貴女も恋狂いか。

★リーアンは、十年前、ウー・リャンが帰らなかったとき以来の無力感に陥った。呆然自失したケリーの傍らで、機械のように正確に敵の車を射撃したジャックの、初めて見たテロリストの姿も、もはや知らない男だった。男には、肉体とは別のところに彼らを呼ぶ声があるのだと、ふと思った。もしそうなら、私はどうやってジャックを呼べばいいのだろう。 (p334)

事故現場を見つめるリーアン。ここも単行本と文庫で違っています。

★ジャックは追いかけ、肩を並べて歩いた。ジャック自身は考えていることもあったが、その場はとりあえず何も言わずに従った。《伝書鳩》と息を合わせていることが、今は何より必要だ。
初めて会ってから約一ヵ月。信じられないほど短い日数で、自分の一部のようになってしまった男の肩だった。この巨体が、自分に残された最後の現実のような気がした。リーアンと取り替えることはできないが、この男とともに歩いて悔いはなかった。
 (p355)

違いますねえ。文庫では、この前にケリーがリーアンと似ている女性のことを話したのですが、単行本にはありません。ついでに、ケリーがジャックに「リーアンか、《リヴィエラ》か、この俺か」と選択を問う場面も、単行本にはありません。

★「人はみな生まれたときに、自分の階段を上り始めるんだ。 (中略) 僕の階段には《リヴィエラ》がいた。アルスターにたまたまブリットがいたように、《リヴィエラ》がいた。それだけだ。いずれにしろ長い階段のどこかで、僕は必ず《リヴィエラ》に会うよ」
「その階段て、どこまで続くんだ」
知るか、というふうにジャックは首をすくめた。
「多分、あの世のまだずっと先まで。僕は死んでも階段を上り続けるし、《リヴィエラ》もそうだ。
 (中略) 父もそうだろう。最近、僕の階段というのはそういうものだという気がしている。僕の父も父自身の階段のどこかで、ウー・リャンに会ってるよ」 (中略)
懺悔の階段。《伝書鳩》は個人的にそんなことを思った。だが、自分にはそんなものはない。これまでと同じく、最後の最後までむかつくほどの嫌悪が燃えたぎっているだけだった。 (中略)
何百年も自分の土地で血を流し続けてきたジャックらと違い、他人の土地で、他人の歴史に介入してきた自分たちに、ジャックのような諦観や懺悔が生まれるのは三百年、いや千年早いだろう。 (p376~377)

ここは好きな場面ですが、文庫はより一層書き込まれてますね。

★俺は憤怒の塊だと思いながら、《伝書鳩》はその実、そのときは穏やかに目を糸のように細くしてジャックを見つめていた。不思議なことに、世界の片隅で出会った一人の若いテロリストの顔の中に、長い間自分の目には見えなかった故郷の姿が見えたのだった。 (中略)ジャックの顔は、血を流すことの愚かさを、無意識であれ知っている顔だ。血にまみれた後に、それを知った顔だ。 (中略)
この若者はいつか東京へ行き、《リヴィエラ》に会うことがあるかもしれないが、
おそらく《リヴィエラ》を自分の手で殺すことはないだろう。《伝書鳩》はそう予感した。流さなければならない血なら、自分の血を流す方を選ぶだろう。それが、この若者が自ら歩くことを選んだ階段の未来だ。ただし《リヴィエラ》に、このジャックの流した血の意味が理解できるかどうかは、分からない。
 (p377~378)

ここも違いは多々あるのですが、一箇所だけ挙げると
単行本・・・「流した血の意味」
文庫・・・「達した諦観の意味」
これでは受ける印象が違うなあ・・・。

★詠嘆でも開き直りでもなく、一抹の自嘲をこめて、M・Gはひしひしと自分の頭のファイル棚の軋みを感じた。こうしてみると、国家の大義よりも身にこたえるものがたしかにある。それが、自分の六十年の人生の、今の結論だった。 (p379)

文庫版の再読日記では挙げてなかったこの部分。それでもちょっとの違いがあるわけでして。
単行本・・・「たしかにある。」
文庫・・・「たしかにあると、認めざるを得なかった。」

★「テロリストは捕まったら、本人も家族も地獄なの。死んだ方がマシの日々になるのよ。だからどこまでも逃げるのよ。……でも、私に言わせれば、生きて話し合っていくことの方がずっと大変なのは当たり前だわ。テロリストはみな、楽な方へ走っているだけの大バカ者よ」 (p382)

このリーアンの言葉、文庫で丸っきり変わってます。何で変更しちゃったんだろう・・・と思わず問いかけてしまう。

★金庫を見つけたら手が疼く泥棒と同じく、行為の意味や結果より、行為そのものが自分たちを呼ぶ。そういうとき、自分たちの身体に満ちてくる力や気力や、どうしようもない至福感は、ほとんどセックス以上なのだ。これを、リーアンに説明するのは不可能だった。
愛するリーアン。何かをやる前というのは、こういうものなんだ。僕も《伝書鳩》も、際限なく膨らんでいく奇妙な夢想に包まれている。そこではすべてが予定調和のように収まるべきところに収まり、現実の困難や不可能はすべて何ものでもなくなる。奇跡が待っているような気さえする。明日は永遠に続き、船は無数にあり、港もいくらでもある。そして階段は、この世と彼岸の境もなくどこまでも続いている。そこで必ず《リヴィエラ》に出会うと信じたら、今からの数十分は、ほんの一服のようなものなのだ。
そう、その階段のどこかで僕はまた君に会うだろう。その日まで、君を待ち続けているだろう。僕の希望に終わりはない……。
 (p385)

文庫ではギュッと凝縮され、多少内容も変わっている部分ですが、単行本はこの通り、かなり長いです。特に(ジャックから見た)ケリーの心境が文庫と異なってますね。文庫のケリーは諦観の色が濃いんですが・・・。


「最近のジュースはやけに酸っぱいね」 「それが酸っぱけりゃ、砂糖入りのを飲みな」 (p314)

2009-04-12 00:19:33 | リヴィエラを撃て 再読日記
2009年4月3日(金)の『リヴィエラを撃て』 は、p299から1989年2月――《スリントン・ハウス》のp330まで。

朝からスリントン・ハウスの濃い出来事を読むのは、胃がもたれるなあと思っていたのですが、意外と堪えずにすみました。
例えるならば同じ材料で調理して、煮込み時間が違うとでも言いましょうか。単行本があっさり味だとすれば、文庫はこってり味という感じ。単行本が口の中がもさもさしているならば、文庫はピリピリ、キリキリしているような雰囲気。


【マニアックなたわごと】

この1989年2月――《スリントン・ハウス》は、細かい部分が全て違うといっても過言ではありません。(以下、少々ねたばれしますが隠しません。ご注意)

例えば今回のタイトルに挙げた、単行本だけにあるM・Gとケリーの会話。こういう軽口の叩き合いが、文庫ではことごとくカットされてます。テンポがよくない、と思われたのでしょうか。切羽詰った状況でこんなことを言えるのが、この二人らしいと思うんだけどなあ・・・。

文庫では(一部の方々に)有名なダーラム侯の発言と、シンクレアさんとのキスシーンも、単行本ではシンクレアさんがダーラム侯の頬を張り飛ばしてました。単行本のシンクレアさんは、多少辛抱が足りないか?
ロッジでのレディ・アンを交えた一件、文庫ではこれまた非常に名高い、レディ・アンが拳銃をシンクレアさんにくわえさせるシーンもない。
文庫での数少ないダーラム侯の見せ場、《リヴィエラ》の名を告げる場面も、単行本はレディ・アンになっている。
ジャックとリーアンのベッドシーンの描写も違う。ジャックの心理も180度に近い違いがある。

キリがないなあ。ここでやめておこう。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★「酔ってるな、あんた……」
「別に」と首を横に振って、シンクレアは蒼白な顔に硬い笑みを見せ、アルコールの匂いのする溜め息を吐いた。「酔うというのは、こういうものじゃない。私はもう何年もほんとうに酔ったことはない」
 (p304)

単行本・・・「酔ってるな」 「別に」 「見せ、アルコールの匂いのする溜め息を吐いた。」
文庫・・・「酔ってるのか」 「いや」 「見せた。」
あら、こんなに違ってたのか。シンクレアさんの返答だけに気を取られていたわ。それに限っていえば、私は文庫の方が好きですね。「いや」は静かな肯定という感じで。「別に」は事実を指摘されて、拗ねてる感じがする(苦笑)

★「昔の勇気はどうなさったの。あなたは情報部の命令一つで、私をひっかけるために自分の身体を売ることが出来た人でしょう。侯爵は心までお賭けになったけれども、あなたが賭けたのは身体だけでしょう。その意味ではあなたは冷徹なスパイでしたわ。ただしあなたはその一方で、危険の意味をはき違えたか、分かっていなかったか、どちらかですわね。それともただ、ほんとうのおバカさんなのかしら」
「バカなのだろう」
 (p307~308)

単行本・・・「昔の勇気はどうなさったの。」 「バカなのだろう」
文庫・・・「さあ、昔の恥知らずな勇気はどうなさったの。」 「どちらでもない」
「恥知らず」の有無で、レディ・アンがシンクレアさんをどう思っているのか、より一層感じ取れるなあ。しかもあっさりと「バカ」と認めるシンクレアさんは、個人的にはイヤだ。

★ジャックは、澱んで動かない空気に二つの心臓の早い鼓動が伝わっていくのを感じ、一方でそれが絶えたときのことをぼんやりと想像した。死が、ただこの心臓が止まるだけのことなら、残るのは静けさだ。路傍であろうがこの長椅子の上であろうが、支社にはこの静けさだけは保証されている。その静けさは多分、惜しさも恨みも悲しみもすべて吸い込んでしまう、深い空洞のようなものだろう。悲惨なのは生きて残された者だが、それならば、自分と一緒に行くかどうかを、リーアンは自分で選ぶ権利があるはずだ。 (p316)

ここのジャックの心理描写の表現は、単行本と文庫で異なりますので、おヒマな方は要確認。特にジャックが最後に願ったこと。
単行本・・・「自分と一緒に行くかどうかを、リーアンは自分で選ぶ権利があるはずだ。」
文庫・・・「自分はリーアンを連れていきたい、一人残してはおけない」
リーアンの意思を尊重したいと思う単行本。リーアンと一緒にいたいと願う文庫。どちらも分かるなあ・・・。

★「失恋の保険はかけてなかったわ」 (p322)

単行本だけにあるサラの台詞。洒落た言い方なので好きなんだけど、文庫ではカットされてしまい、友人に対してケリーと似ても似つかぬ男性との失恋話をでっち上げてました。
ひょっとしてBGMは「失恋レストラン」?(サラの友人がフレンチレストランを経営してるから・笑)


ウィスキーと、ケンカなら売った覚えはある (p290)

2009-04-03 00:04:30 | リヴィエラを撃て 再読日記
2009年4月2日(木)の『リヴィエラを撃て』 は、p253から1989年2月――《サラ・ウォーカー》のp298まで。
文庫では、上巻を読了したことになります。

就寝前にロンドンの地図を眺めるのが、最近の習慣になってます。やっと聖ボトルフス教会の場所が分かった!(鈍いよ) ペチコート・レーンもこの付近にあるはずですが、「俗称」なので正式名称が分からん・・・ぬぬぬ。地図が小さすぎる~。 

今回のタイトルは、ダーラム侯に「それほどの恩を売ったのか」と尋ねられたジャックの返答。文庫では「想像に任せる」になってます。・・・これ、ジャックの軽口だよね?


【マニアックなたわごと】

・ケリーとサラの描写・・・が、何か微妙に違うんですよね。文庫の方がしっかりと書き込まれてるなあ。

・アーヴィがキムに吐いた捨て台詞・・・が、単行本にない! お金は投げつけてるけどね。

・ダーラム侯とジャックの会話・・・二人の雑談部分が、単行本と文庫で、えらく変わってる。

・《リヴィエラ》と《ギリアム》の再会シーン・・・単行本は「《ギリアム》は引きつった微笑みを浮かべた。」 文庫は「《ギリアム》は虚空を仰いだ。」 微笑む《ギリアム》は気色悪い(苦笑)


【今回の名文・名台詞・名場面】

★「こういう女と道で出会ったら、一歩下がってよけるぜ、俺は」 (p262)

単行本・・・「よけるぜ」
文庫・・・「よけるな」
語尾の違いで印象も変わるという好例。

★自分が気づかなかったことに、ジャックが気づいた。どこまでも濁ることのないテロリストの神経が察知した危険は、遅かれ早かれ、ほぼ間違いなく現実の危険になる。だが、当惑したのは、何者かが手を伸ばしてくるかもしれないという事実より、起こりうる事態を予想しながら、ひたすらここまでつき進んできた自分の無謀さだった。人を巻き込み、危険にさらしたあげくに、今のところ何一つ得たものはない……。 (p277)

単行本・・・「人を巻き込み、危険にさらしたあげくに、今のところ何一つ得たものはない……。」
文庫・・・「人を巻き込み、危険にさらしたあげくに、今のところ何一つ得ていないのは、まさに自分の敗北だった。」
文庫の方が、ケリーの自責の念が滲み出ていますね。

★ケリーはいつもこうなのだ。不安なときに微笑む。人に心配をさせないために、自分の不安を自分で慰めるために、この人は笑う。おかげで、自分も相手の笑みに応えて淡々とやり過ごす術を身につけたが、こういう当たり障りのない関係も時と場合による、とサラは思った。危機は危機、不安は不安なのだ。そのときのための連れ合いであるはずだが、まだそれほどの危機でないのか、あるいは互いの気持ちがそれほど深くないのか、あるいは互いに自分は自分と思うしかないほど歳を取り過ぎたのか、ケリーはいつもこんなふうで、自分もこんなふうなのだった。 (p277)

★いつものことだが、実にてきぱきとして有能で、細かい神経が働き、男にはマネの出来ない勤勉さだった。そして、その勤勉さに嫉妬を覚える男は、ただの怠け者だということだった。あるいは、女を独占したいだけのマザコン。《伝書鳩》はサラの背筋を指でなぞり、爪を立てた。 (p280)

変更箇所はかなりあるんですが・・・。
文庫の「夜ぐらい女を独占出来る人生でサラに会いたかった、と思った。」の表現が好きなのに! マザコンって、ケリー、あんた・・・。

★この住まいも、そこの主も、遠からず去っていくものだということは、初めから分かっていた。サラだけではない。あの女。この女。この世に執着するものを持たないつもりで、すべてをやり過ごしてきたのだ。故郷。母。妹。その他もろもろ。
だが、何も残っていないはずのこの図体が、やけに重いのはどうしたことだ……。思いがけない踏ん切りの悪さに気が滅入りながら、《伝書鳩》は一瞬、自分の胸を探ろうと悪あがきを試みた。サラ。少し長く付き合い過ぎたのだろう……。
 (p281)

★そうだ。俺もサラにいろいろなものを貰った。慰め。楽しみ。悦び。そうだ、少し長く付き合い過ぎたのだ……。 (p282)

★『……希望は、消えたかと思うとまた現れ、現れるとまた消えてしまいます。しかし、希望があろうがなかろうが僕が生きていけるのは、君もどこかで生きていると思うからです。かつて君にしてあげられなかったことを、一つでもしたいと思うからです。僕は大きな罪を犯した人間ですが、君を愛することは誰にも咎められません。世界のどこかで、僕は現れては消える希望を諦めず、君と再び会える日を待っています。その日には終わりはありません……』 (p285)

ジャックがリーアンに宛てた遺書ですが、この冒頭の部分(希望は、消えたかと思うとまた現れ、現れるとまた消えてしまいます。)が、ネット上の「名言集」のサイトやブログに取り上げられているのは、どういうこと? 一部分だけ取り上げられたら、歪曲されてしまうんではなかろうかと、ちょっと危惧してます。
ジャックの、もう後がないという切羽詰った状況を把握してないと、どうしてジャックがこれを綴ったのか理解できないんでは・・・? そして、ジャックが希望を捨てていないことも。

★「あんたには自分の意思があり、自分の意思でモナガンに会う勇気もある。俺もジャックもだ。みな、自分の意志で動いている。今俺が話をしたいのは、自分の意思で動ける人間だ」 (p288)

単行本は「俺もジャックもだ。みな、自分の意志で動いている。」がありますが、文庫では削除されてますね。キムとの対話では「モーガン」と呼んでいたケリー、いきなりジャックと呼ぶのは不自然と思われたか?
更に微妙に違う部分。
単行本・・・「自分の意思で動ける人間だ」
文庫・・・「自分の意思で動く人間だ」

★「ま、君には分からないだろう。僕とシンクレアはドーヴァー・ソウルの目なのさ。一対なんだが、あんなにくっつき合ってるのに、決して出会うことがない。僕がどんなに悲しい思いをしたか、彼には分かっていないんだ。僕が怒り狂ってることもな」 (p290)

単行本にしかないダーラム侯の台詞。

★リーアンは強い娘だ。自分よりはるかに強い、とサラは思った。
サラは二十年分くらいの嫉妬と後悔と絶望を味わいながら、それでも最後は、潔くリーアンとジャックの二人を祝福することに決めた。そうしなければ、自分が救われなかった。歳を取りすぎたと逃げ、この娘のようにどこまでも恋人を追わなかった自分が救われなかった。でも、ケリーも悪いのだ。ケリーも私を追わなかった。追ったかもしれないが、私には分からなかった。
 (p297)

★ケリーを愛していた。あの目も声も、あのどでかい図体のすべてが愛しかった。考えてみれば互いに、「愛してる」と囁きあったこともなかった……。 (p298)


あはァ……あなた方はどなたかと人違いをしておられますよ。私はシンクレアという者です。 (p204)

2009-04-02 00:41:01 | リヴィエラを撃て 再読日記
2009年4月1日(水)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年2月――《ノーマン》のp195~p252まで。
そうそう、この章は手島さんの登場に始まり、手島さんの登場に終わってますね。だけどこの時点では手島さんは蚊帳の外。

行きも帰りも電車か遅れたため、前半の最大の山場、1989年2月12日を読了できました。今回はたくさんのキャラクターが入れ替わり立ちかわり、名言・名場面が多いです。取捨選択が辛い・・・。
仕事? 相変わらずヒマです。ああ、読書したい・・・。

今回のタイトルは単行本にしかないシンクレアさんの台詞です。人、食ってるな。


【マニアックなたわごと】

今回読んだところでは、文庫版と違っている部分が多々ありました。全部挙げていたらキリがないので、印象に残ったものだけピックアップ。

・「どこの二枚目だ、あれ」 (p204)・・・手島さんを見たケリー・マッカンの呟き。文庫にはありません。お手すきでしたら、こちらも参照して下さい。

・コマーシャル・ストリートで殺害されたウォッチャーの名前・・・単行本では「K」、文庫では「グレアム・デニングス」。

・憎悪は? ある。怒りは? ある。殺したいか? 分からない。・・・が、単行本にない! ああ、ここのジャックの自問自答が、私は好きなのよ~。

・ボディマイクを取り付けられていたシンクレアさん・・・単行本にしかありません。これをつけたままでパイプオルガンの演奏は、非常にやりにくかったんじゃなかろうか。だから文庫では削除されたと思われます。

・ジャックに再会して涙を流したシンクレアさん・・・これも単行本にしかありません。ついでに握手もしていない。

・サー・ノーマン、僕は生まれ変わりたい。いつの日か、どこかであなたと出会いたい。(以下略)・・・が、単行本にない! こんな感動的なモノローグも、単行本になかったとは・・・。

・ジャックの酔っ払いの理由・・・文庫では男に誘われて50ポンド貰って飲んだ、とありましたが、単行本にはありません。

・シンクレアさんの母親の名前・・・単行本は「レディ・モード」、文庫は「レディ・モーヴ」。念のため双葉文庫で確認しても、後者でした。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★あれから三年、鋭い刃にサビがついているような、この独特の白けた表情は相変わらず。アルコールは切れたが、湿った花火はいつまた火がつくか分からない。 (p197)

危うさの残る、キムの描写。
単行本・・・「相変わらずだ。」
文庫・・・「相変わらずだった。」

★この男が膨張の仕事に就いて三年。水が漏れそうで漏れない隠微な器が、そろそろ出来上がりかけていた。若さと老練。女好きのする端正な外貌と剛直な筋金。繊細と無機質。両極端が接点を見つけようとしている。 (p199)

これもキムの描写。好き。

★シンクレアは、その昔、十五の子供には決して見せることのなかった十全な姿を現していた。四十を越えた今、かすかに老いの影が加わったその相貌の、圧倒的な美しさにジャックは目を見張った。まるで、何かが一瞬その顔に映ったかのようだった。 (p213)

かなり変わってる部分です。
単行本・・・「四十を越えた今、かすかに老いの影が加わったその相貌の、圧倒的な美しさにジャックは目を見張った。まるで、何かが一瞬その顔に映ったかのようだった。」
文庫・・・「なおも稀有なピアニストであり、四十を少し越えてさらに美しい相貌に磨きのかかった一人の男であり、子供には読み取ることの出来なかった青い瞳の奥には、スパイがいた。」

・・・ちょっと待て! 四十越えて「老いの影」って・・・シンクレアさんに対してなんて失礼な! (書いているのは同一人物、高村さんだってば)

★「サー・ノーマン……」
「サーは要らない」
 (p214)

ここも変わってる~。これが二人が交わした最後の言葉って、ちょっとあっけないわよ!
文庫では、
「私は、君の許しは乞わない。君をずっと愛している」
「僕も今は殺人犯です。サー・ノーマン、あなたのことは生涯忘れません……」
「サーは要らない……。私も君を忘れない」
と、一応は会話になってます。

★エードリアン・ヘアフィールドとの四十年は、ネクタイに似ていると思うことがある。片方は結ばれているが、片方はばらばらで、解くと一本につながっているのだ。 (p240)

何度読んでも、ここの表現は秀逸ですよ。これだけで、この二人の関係の複雑さが仄めかされてるんだから。

★後に七代ダーラム侯をついで青年実業家となった男と、ピアニストになった男が、その後の人生において歩んだ道は、思えばすべてウィーンの家に帰る。互いの埋めがたい距離を埋めようとした理由。そのために選んだ道。払った犠牲。残ったもの。 (p240)

★「……大きな声を出すな!」
「じゃあ、飲めよ。最初にフィアン(恵安)を連れてきたのは君だ。責任を取って飲めよ! 最初に彼女を抱いたのは君だ! 僕のベッドで……!」
 (p243)

ここは微妙に違う。珍しくシンクレアさんが怒鳴ってる。
単行本・・・「……大きな声を出すな!」 「フィアン(恵安)」 「責任を取って飲めよ!」
文庫・・・「大きな声を出さないでくれ」 「フイアン(恵安)」 「責任を取って飲め!」

★「ノーマン……」
「動くな!」
二人の目が一瞬出会ったとき、エードリアンは一瞬、数十年分の酔いが一気に醒めたような表情でシンクレアの目を見つめ、慄然とした。ウィーン時代から今日までの四十年、おそらく一度も見たことのないシンクレアの目の色と輝きであったからだ。四十年知らなかった別人の顔が、仮面を外すように現れていた。淡々とピアノを弾き続ける男の横顔には決して現れることのなかった、激情の顔だった。
 (p246)

ここもかなり変わってます。変わりすぎなので、文庫は割愛。ただ、
単行本・・・「ノーマン……」  「動くな!」
文庫・・・「ノーマン、君は矛盾したことを言ってる!」  「静かに」
という違いだけは、挙げておきましょう。

★「エードリィ。僕は死ぬまで君の友だ。だが一方で、人にはそれぞれの心の領域がある。ほかの誰も立ち入ることの出来ない、自分だけの心のページがある。君にもきっとそういうページがあるはずだ。お互いに、そこには立ち入らないでおこう……」
「今さら何を言うか。すべてを分け合った後で、何を言うか……」
ウィーンのあの家で、片方はピアノを弾きながら、片方はボールを蹴りながら、互いの心を窺いあった一刻一刻が、こうして自分たちの人生を刻んだのは事実だ。だが、すべてを分け合ったというのは、事実ではない。
 (p246)

★四十を越えた今、シンクレアは自分の心身にしみついたすべての愛憎の歴史を、それなりに受け止めることが出来た。浄化への強い希求はたえず巡ってくるが、自分の欲望で汚れたそれらのページはみな、一面では愛しかった。
今日、ペチコート・レーンで思いもかけなかったページが一枚残っていたというのは、幻想に過ぎなかった。かつて、欲得も肉体の感情もない、決して汚れることのない名前を一つ、自分のページに記していたと思ったのも幻想だった。この世のつながりを越えた、無心と無垢のページのあった少年の名前を一つ、自分はこの手で汚したのだ。ジャック・モーガン。君の父親を殺した《リヴィエラ》と共謀した者が、ここにいる。
 (p247~248)

ここもだいぶ変わってますね。文庫ではだいぶ長いので、これも割愛します。

★なぜ警察を辞めたのか。なぜメアリーと別居しているのか。俺はメアリーを必要としているのか、いないのか。この仕事が、いったい俺は好きなのか、嫌いなのか。そうした迷いは多くは一過性のものであり、結論を出さずに通り過ぎるのが賢明な道だと、人生は教えていた。だが、あれかこれかの結論を迫られない賢明な人生の、この虚脱感はどうしたことだ。 (p251)

路傍に座り込んだキムの所在なさ。こういうくたびれ具合が、同情を呼び起こすのかなあ・・・。


うちの先生をバスに乗せる気か! (p170)

2009-04-01 00:11:34 | リヴィエラを撃て 再読日記
2009年3月31日(火)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年1月――《伝書鳩》のp155から、1989年2月――《ノーマン》のp195まで。読了。

今回のタイトルは、某県議会議員団の秘書が手島さんに怒鳴った一言。こんな台詞、しょっちゅう言ってるんでしょうかね、議員秘書さんは。

私にしては珍しく、ほぼリアルタイムで更新できている今回の再読日記。
世間では年度末だの春休みだの、何かと多忙らしいですが、私はひまです。仕事、あらへん。こんちきしょう。掃除するのも飽きたわよ。
今日なんて、上司が近場の得意先へ向かった間、単行本を読んでたもんね。しかし腹の立つことに、30分で帰ってくると思ったら、約1時間半後に帰ってきた上司。もっと読み進めたやんかー!

【マニアックなたわごと】

・ダーラム侯の暗号名《フィリス》の由来・・・2つ候補があるんですが。
その1。この本なんですけどね、アリストテレスがお馬さんになって、女性を背中に乗せている図があったんです。その女性の名がフィリス。このフィリスは娼婦らしいと言われてますが、あくまで推測の域を出ません。ダーラム侯はどちらかといえば、レディ・アンを背中に乗せているようなイメージがあるのですけど(苦笑) ダーラム侯の素質からすると、スパイとしての役割は、「レイヴン」(大鴉。女をたらしこむ男性スパイの隠語)ではないかと思われるので、あながち否定はできないかも、と思っている。
その2。アイルランドの作家、ジョナサン・スウィフト(『ガリヴァー旅行記』で有名ですね)の詩から。「Phillis, Or, the Progress of Love」というタイトルの詩があるそうな。「フィリス」がアイルランドと関係してるとなると、これかも知れない。長い詩なので、誰か翻訳して下さい~。

・ジョージ・F・モナガンの名字・・・アイランドの地図を見ていたら、「モナガン(MONAGHAN)」の州(あるいは郡)があって驚いた。そう、私は今の今まで地図を見たことがなかったので、全く知らなかったのでした。無知って恐ろしい。
キャラクターの大半の名前が、アイルランド所縁であるというのが、改めて裏付けられたような気がします。

・キム・バーキンの地の文の表記・・・この人だけですよ、「キム」と「バーキン」の表記が出てくるのは。このため、高村さんのご贔屓キャラはキムではないか、と推測したこともありました。
使い分けの明確な基準があるのかどうかは私には未だに分からないので、どなたか教えて下さい。


【今回の名文・名台詞・名場面】
『リヴィエラを撃て』を初めて読んだ頃は、キムがあまり好きではなかったんですが(キムが好きな方、すみません!)、読み返すたびに徐々に愛情が増してきましたよ。むしろ同情を呼び起こすキャラクターかも・・・(苦笑)
罪滅ぼしというわけではありませんが、今回はキムの描写を多く選んでみました。

★シンクレア。その名前は、ジャックの胸の奥の、決して汚れることのないページにあった。そのページを開くたびに、静かな幸福感を味わう。自分にとって、このピアノとピアニストがそういうものだということを、誰も知らないのが心地好かった。 (p156)

蛇足だけど、シンクレアさんだってそうだったのよ、ジャック。

★「なあ、モーガン。一緒に《リヴィエラ》を撃とうぜ」
《リヴィエラ》を撃つ。とごかに新たな地平が広がり、轟々と空がざわめくような気がした。自分を呼ぶ《リヴィエラ》の声が、これほど明瞭に響いたことはなかった。ジャックはジーパンのポケットの中で、焦げた鍵の破片を握り締めた。この八年、押しとどめられてきた血栓が、遂に破れたのを感じた。
《リヴィエラ》を撃つ。茫々と高鳴る胸で、ジャックは無言のままグラスを掲げた。《伝書鳩》は、絶品の笑みを見せてそれに応じた。
 (p164)

単行本だけにある描写なので、取り上げました。

★思うに、テロリズムの《嘘》とは、自己矛盾の嘘ではない。個人の罪を歴史の運命で置き換える《嘘》であり、歴史を私物化する《嘘》だ。 (p167)

★もう一人は同じ《5》でも、ジャケットの下のホルダーにピストルが入っていることの多い、寡黙なトラブルシューターだった。モナガンが待っていた男だ。 (p179)

文庫版の再読日記で取り上げそこなったキムの描写。「寡黙なトラブルシューター」、ですか。

★現場に出ているC13の中には、その男のかつての同僚が何人か含まれているが、一番のライバルだったジェンキンズも気づかないほど、男はかつての面影を完全に消し去り、保護色のように目立たない外貌を作っていた。髪を染め、サングラスをかけ、昔は見たことのなかったスーツ姿になっているせいもあるだろう。その屈めた背はひっそりした感じだが、それでもかつての剛直な神経はどこかに残っているようだ。 (p180)

単行本と文庫で違うのは、最後の部分。
単行本・・・「残っているようだ。」
文庫・・・「残っている。」

★未だ若々しさの残っている口許を固く引き締めたまま、男は早口にそれだけ言った。情報提供はモナガンが依頼したものだったが、理由の如何にかかわらずその要請に応じた男の心境が、ひどく複雑なものだというのは、モナガンには痛いほど分かっていた。男は生来の生真面目さでそれを無器用にあらわにし、自分自身に腹を立てているような顔で目を逸らせ、背を向けた。 (p180)

★M・Gは、部下に対する感情的な評価は避けるのが常だった。あるべき方向へ導ける確立で言えば、キム・バーキンは確率は低くはない。頭の中身は多少混乱しているが、最低限、危険なものは入っていない。かつて九年間モナガンの下で鍛えられた警察官根性は、正しい意味で生きている。いろいろな意味で、まだ若過ぎるというだけのことだ。M・Gはそう思った。そうした見方は、M・G自身にとってはほかの誰にも与えたことのない好意的なものだったが、そんなことは本人には言うつもりもなかった。 (p184)

言ってやってよ、M・G! キムは舞い上がりはしないだろうけど、少しは荷が軽くなるかもしれないから。

★キムは三十六になる。地元のパブではサングラスを外しているために、かろうじて身をもち崩すまでには至っていない、整った清潔な顔貌を人目にさらしていた。見る者によっては、若さの名残を留めた危うさが優しい印象になり、実にチャーミングな男盛りではあった。 (p186)

キムの描写では、ここが一番好きかな。「チャーミングな男盛り」でKOですわ。

★だがその名も、ピアノの音も、今日の死者の姿も、リーアンのおぼろな顔も、今はどれも、叩いても響かない闇に漂っているように感じられるだけだった。一方では、そうした虚脱感ほど危険なものはないと、殺人者の本能が教えていた。闇の底で魂が怒鳴っていた。殺せ。殺せ。殺し続けろと。 (p188)

単行本と文庫で違うのは、最初の部分。
単行本・・・「だがその名も、」
文庫・・・「シンクレアの名も、」

★「シンクレアは《ギリアム》を裏切ってきた人なのだな……?」
「……ジャック。これだけは忘れるな。スパイは、どっちに転んでもスパイだ」
 (p195)

単行本と文庫で違うのは、以下のとおり。
単行本・・・「シンクレアは《ギリアム》を」  「……ジャック。」
文庫・・・「シンクレアは、要は《ギリアム》を」  「ジャック。」
細かいって? まあ、いいではありませんか。


若い男に目尻を下げるような経歴の奴じゃないぞ (p148)

2009-03-30 23:40:47 | リヴィエラを撃て 再読日記
2009年3月29日(日)と30日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、1989年1月――《伝書鳩》のp104からp155まで読了。

29日は髪を切りに出かけたので、電車に乗ってる15分だけ読めました。記事にするだけの分量がなかったので、30日分とまとめます。

今回のタイトルは、IRA幹部が調べたケリー・マッカンの経歴についてのまとめ(何じゃそれ) 離婚暦2回、浮名流した女性多数って・・・つまりサラ・ウォーカーが最後の女、か(「みちのくひとり旅」じゃないけど) このことはサラも当然知ってるでしょうが、女性としてはいい気がしない。サラのことだから割り切ってるでしょうけど。
 
タイトルは出来るだけ文庫版の再読日記のタイトルと同じものを選ばないように心がけてます。


【マニアックなたわごと】

・ジャック・モーガンの能力・・・昨日今日と読んだところでは、これはその筋の組織が、喉から手が出るほど欲しい人材ではなかろうか、という気がしてなりません。もちろんその筋の組織でなくてもいいんだけど(苦笑) 非常に高く、そして理想的な能力を備え、仕事や目的をきちんとこなしてますよね。別方向に活かせれば良かったのに、と惜しまれてなりません。

・ゲイル・シーモアの勘違い・・・が、単行本にない!(ジャックがシンクレアさんの囲い者だった、ってヤツ) それじゃあ、どう判断して「(ジャックは)恋狂い」発言が出たんだろう・・・?

・ダーラム侯夫妻の離婚の危機・・・「今年に入って三回目」・・・って、この時点でまだ1月20日なんですけど? ほぼ毎週のように報じられてるってことか。


【今回の名文・名台詞・名場面】
今回は、ほぼ文庫版と同じになったかも・・・と思いきや!

★信用は実績でしか得られない。実績とはつまるところ、誰よりも勇敢で、誰よりも戦果を挙げ、誰よりも献身的であることだった。すなわち、最初に飛び出し、最初に撃ち、最後に撤退すること。よく耐え、よく守り、よく働くこと。 (p110)

★テロリストは本来、みな裏切り者だ。大儀のために人殺しに出かけて、最初に守るのは自分の命だ。そうして毎日組織を裏切り、自分を裏切り、愛する人を裏切っている。 (p115)

あらら? これ↑って文庫にもあったのに、取り上げてなかったのか、2006年当時の私? 

★シーモアは、テロリズムの矛盾を生きてきた男だ。死を再生と言い、不可能を可能と言い、後退を前進と言い続けてきた男が、最近はちらりと、その自分の語法を裏切るようなことを言う。作戦のまずさを指摘するという偽善を、平気でジャックに施す。二律背反をアルコールで溶かし、皮肉で攪拌して、分離しないうちに飲めという。欺瞞と毒気と、少し情も入っているシーモア・カクテルだ。 (p184~185)

文庫版にも記しましたが、ここの表現、好き。皮肉が利いていて、なおかつお洒落な感じ(そうか?)

★慎重と優柔不断の間には明らかに境目がある。ぐずぐず考えるより、短い時間で正確に考えるのが実戦の基本だった。 (p128)

★テロリズムの嘘。テロリストであることそのものの嘘。その嘘をつき通すことが、テロリズムの大原則だった。それを破ることことがすなわち、テロリストの廃業になる。それがジャックの結論だった。 (p150)

★この憐れみの選択は、もっともシーモアらしい結論だった。憐れみが最大の屈辱になり、最大の処罰になることを知っている男の、ジャックに対する復讐だった。長年不実と嘘を共有してきたジャックが、自分ひとり、嘘をつき通すことを拒否したその裏切りを、最も痛烈に浴びせられたシーモアの、これが返答だった。 (p152)

★「テロリズムの矛盾は、テロリストの命だ。それがいらないって言う奴は、黙って頭をぶち抜いてやってもよかったんだがな。ちょいと気づかせてやりたかったのさ。俺たちには、外の世界に居場所はないんだということを。そして、外の世界はもっと嘘と裏切りに満ちているということをだ」 (p152~153)

★元来た道を引き返していくシーモアの背は、虚勢もない、アルスター一の豪傑のあるがままの姿だった。テロリズムの矛盾と嘘を引き受けて、アルスターに立ち続けていく背だった。ジャックはシーモアの勝利をあらためて感じた。肯定も否定もしないが、シーモアは間違いなくアルスターの男だった。自分もアルスターの男だが、シーモアとは違う道を歩くだけだ。 (p153)

ここは文庫では、ジャックが屈辱にまみれていて、単行本のように割り切っていません。


緊張すると屁が止まらなくなる男がいた (p99)

2009-03-29 01:16:01 | リヴィエラを撃て 再読日記
28日(土)の夜7時のねえねちけえニュースの天気予報で、千鳥ケ淵の桜の映像が流れてましたね。15秒もあったかどうか、でも嬉しいわ。
(警視庁にいると仮定して)合田さんも見たのかなあ。

2009年3月27日(金)の『リヴィエラを撃て』 は、1981年1月――《シンクレア》のp71から、1989年1月――《伝書鳩》のp104まで読了。

今回のタイトル、シリアスな場面ばかり続くので選ぶのに苦労しました。gooブログはタイトル入力が必須なのもので。


【マニアックなたわごと】

・走るシンクレアさん・・・これも想像しづらいんですよね。しかし私はこの方を、一体どのように思ってるんだろうか(苦笑)


【今回の名文・名台詞・名場面】
期せずして、単行本と文庫の違いばかりを挙げつつあるような・・・。

★中でも陰影の深い『ハンマークラヴィーア』は、シンクレアの指の下で鬱々と燃える火のような感じだった。和音のちょっとした響き、ペダルの切り方や最初のタッチに、その日の精神状態が覗いている。シンクレアは、昨日から少々ご立腹だ。 (p72~73)

違うねえ・・・。

★こうして過ぎていく怠惰な時間は、何も解決せず何も前進させることがないという意味で、フォールズに流れていた時間と同じだった。シンクレアはピアノを弾き、自分はそれを聴く。どちらも今は、自分たちが腐っていくための時間を過ごしているのだとジャックは思った。
だが、シンクレアの目にはいつも密かな光があり、それはこのソナタのように、いずれ火花を散らして立ち上がる予感を秘めている。だが、自分は?
僕には何もない。
 (p73)

違うねえ・・・。

★「サー・ノーマン。あなたは勇気のある人だ」とシーモアの慇懃な返事があった。
シンクレアは「勇気はないが、忍耐はあるようだ」と軽く応じた。
 (p75)

違うねえ・・・。

★シンクレアが駆け出してくる。ジャックは血の滴る拳を振りかざして「裏切り者に死を!」と叫んだ。シンクレアに抱かれ、何か声をかけられながら、ジャックは叫び続けた。
「裏切り者に死を! 《リヴィエラ》に死を!」
 (p94)

これも違うねえ・・・というのだけではあまりに素っ気ないので、何が違うのかと補足すれば、抱きしめられてるジャックの恐れやときめき、といった描写がないんです。

★ジャックは草はらに立ち、歩き出す前に、もう一度ロウアー・アーンの湖を眺めた。雪煙に覆われた湖面は、濃い灰色だった。一面の草とともに湖岸がうねり、鳴り響いて闇の湖面に谺していた。ジャックの耳にはそれらの一つ一つのピッチが聞こえ、何重もの旋律の中から立ち上がる主旋律が聞こえ、渾然とした和声や倍音などのすべてが親しく溶け合った。それらの音と一つになった自分の身体が、勝手に湖へ、湖へと行こうとするのを感じた。湖の精気を浴びて死に、その水底に沈みたいという欲望は、こうして一人この土地に立つとき、いつも抗しがたくジャックを捕らえた。
そうした夢想は、自分の百分の一の現実すらないが、ある意味では現実そのものも、今ではしっかりと見据えるのが難しいようなものになっていた。額の裏、頭の芯、首筋、胸、腹、手足のすみずみに実感がなく、虚ろな空洞のようだった。作戦のあとは、とくにそうだった。そういうとき、耳に手を当てて聞こえる草や風の音だけが、かろうじて自分を誘ってくれる。ほかには人間はもちろん、獣や鳥すら、自分を呼んでくれる声はなかった。
 (p104)

まるで「ジャック版・人間のいない土地」みたいだ。(本家本元は幸田さん)
長い引用になりましたが、ここは文庫版の再読日記では取り上げなかったのですが、今回読んで、心惹かれたので取り上げました。(但し文庫との相違は確認してません)
再読してると、たまにこういうことがあります。そこが再読の醍醐味の一つ。

★リチャード・パトリック・アンブロシウス・モーガン。二十三歳。アルスターに残っている四十人足らずのIRA活動家のうち、最も優秀な狙撃手。よく使い込まれた銃のように、無数のキズがあり、艶やかに輝き、滑らかに動き、研ぎ澄まされて美しかった。 (p104)

単行本・・・「研ぎ澄まされて美しかった。」
文庫・・・「研ぎ澄まされていた。」
どうして「美しかった」を省いたんでしょうね。不要と判断されたのでしょうけど、確かに有るのと無いのとでは、締まりが悪いというか・・・。
しかしジャックが好きな方々には、不本意な変更かもしれませんね。


失礼ですが、私はこれからこのズボンで母の通夜へ行かなきゃならないんですが (p69)

2009-03-28 01:02:06 | リヴィエラを撃て 再読日記
再読日記は毎回、タイトルをどれにしようかと選ぶ楽しみと苦しみがあります。
今回のタイトルは、単行本だけにあるサー・ノーマン・シンクレアの台詞。

2009年3月26日(木)の『リヴィエラを撃て』 は、1978年3月――アルスターから、1981年1月――《シンクレア》のp71まで読了。


【マニアックなたわごと】

・自転車に乗るシンクレアさん、スパーリングをやるシンクレアさん・・・なぜか想像しづらい、想像できない。


【今回の名文・名台詞・名場面】
文庫版の再読日記を見てみたら、そろそろ単行本と文庫で違いが現れてますね。
一例挙げると、シンクレアさんの「ダーラム侯を憎みつつ愛してる」云々の台詞が、単行本にはありません。
ダーラム侯登場から退場の辺りはそこそこ変わっているので、見比べてみると面白いと思いますよ。
今も逡巡してるのですが、文庫と同じ部分を取り上げるのはどうかなあ・・・と。よほど好きな文章や台詞でないと、取り上げないことにしましょうか。


★シンクレアは全く若く、健康で美しかった。まだ三十そこそこだが、年齢と実像は全く関係なかった。六十に見えることもあり、二十に見えることもあり、笑みをたたえた顔ではさらに年齢が分からなくなるのだった。 (p62)

今更ですが、これはジャック視点のシンクレアさんの描写と思ってもいいんですよね・・・? いや、年齢が三十なのに、六十だの二十だのって、ちょっとひどくないか、と(苦笑)

★それでも、シンクレアのピアノが聞こえない日はないし、夕方ふらりと散歩に出るシンクレアの身なりも以前と同じく質素で、表情も変わらなかった。これほどの状況の変化があって、男ひとりの精神が何の影響も被らなかったはずはないが、シンクレアはいかなる憶測も受けつけない姿で、毅然として美しいままだった。
そういう事情であったからこそ、シンクレアの存在は今なお、ジャックにとって誰にも侵されない特別の世界だった。誰にも争えない魅力と、誰にも覗けない深淵のようなものがあった。そばにいるだけで、恍惚の身震いを覚えるような力に満ちていた。
シンクレアとともにいるときに感じる、この悦びを何と言えばいいか。シンクレアの引き出す音が、この世界を突き抜けて広がっていくとき、自分の全身に満ちわたる衝撃を何と言えばいいか。一言では言い表せないさまざまの思いが、渾然として深い霧になり、夢想の沼に垂れてくる。この気分を何と言おう。
リーアンならおそらく分かるだろう。二人で見ていたあの湖の霧だ。
この夢想の霧こそは、自由の徴であり、力だった。夢想の中で自分が解き放たれ、新しく生まれ出ていくのは、シンクレアのピアノの中では幻ではなかった。
 (p63~64)

ちょっと長いのですが、ここは好きなところなので。

★この男がシンクレアを『ノーマン』と呼び捨てにするその声の調子には、昨日今日のつながりでない特別な響きがあった。シンクレアの言葉も、《閣下》に対するそれではなかった。
シンクレアは変わらぬ静かな表情だったが、その目には明らかな怒りの色が浮かんでいた。滅多に見ることのない激昂の色だったが、それは密かに凍りついて、形にはならなかった。シンクレアは諦めたような微かな笑みを見せて、無言だった。
 (p66)

ここは文庫と違いがあるので、取り上げました。例に漏れず、文庫の方が凝縮されていますね。

★そういう時間がシンクレアにとってどういうものなのかは知らないが、シンクレアはときどき、近くも遠くもない、不思議な距離を置いてジャックを眺め、ぼんやりしていることがある。そうしてやがて、溜め息のような微笑みが漏れるのだが、それはどこか別の世界へ投げかけられた悲嘆のようにも見えるのだった。ジャックに投げかけられた笑みだが、決してジャックの手の届かない彼方へ落ちていく。そうしたシンクレアの眼差しを不思議に感じながら、ジャックの方は、謎がもたらす深い畏怖とともに、毎晩のようにこの部屋に通ってきた。 (p68)

もう一つだけ、相違点を挙げましょうか。
単行本・・・「謎がもたらす深い畏怖とともに、毎晩のようにこの部屋に通ってきた。」
文庫・・・「謎がもたらす好奇心のように、毎晩のようにこの部屋に通ってきたのだ。」
「畏怖」と「好奇心」では、ニュアンスがあまりにも違いすぎます。


『リリーちゃん』と香港で付き合ったことのある好色なビジネスマン (p26)

2009-03-26 00:29:30 | リヴィエラを撃て 再読日記
本日3月25日(水)より、単行本版『リヴィエラを撃て』 (新潮社) の再読を始めました。
文庫版の再読日記をざっと眺めたのですが、2006年のほぼ同時期(3/27)に読み始めてたんですね。月日の経つのは早いもんだ。

今回は単行本での再読です。前に単行本を読んだのは・・・えっと・・・(過去の読書記録をチェック中)・・・2003年の春!? 6年ぶりですか!? ひょえー。

『リヴィエラを撃て』の単行本と文庫に関しては、「あまり違いはない(らしい)」というのが、一般的な見解のようです。
が! 裏を返せば「細かいところでやっぱり相違はある」ということです。それらを逐一挙げるのは、キリがないのでやりませんけどね。




今回読む単行本の写真。付箋紙貼ってない状態は昨夜限りと思い、撮影しました。




前回読んだ単行本と並べて撮影。ちなみに一番大きなところで広さを測ってみましたら、今回の本は約3センチ5ミリ、前回の本は約7センチ5ミリありました・・・。
今回はこれ以上広がらないように気をつけて、付箋紙を貼るつもり。

再読日記ですが、今回はあまり気張らずに、楽にやっていこうかと。重厚な物語ですが、久しぶりの単行本の再読ですし、初めて読むかのような気持ちで読んでいきたいんです。
(いずれ作成予定の「キャラクター考察」の下調べも兼ねて)

それではいつものように、注意事項。
最低限のネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。よっぽどの場合、 の印のある部分で隠し字にします。

***

2009年3月25日(水)の『リヴィエラを撃て』 は、1992年1月――東京のp34まで読了。このペースだと、2週間以上は確実にかかりますね。

そうそう今回のタイトルは、キム・バーキンが手島修三さんの台本で一芝居演じたキャラクター設定です(意味不明?)


【マニアックなたわごと】
つまり他人がどう思おうが、私はここが気になるの! という部分です。

●レディ・アンの身長・・・おおよそ170センチとありましたが、これってヒールを履いて? それともプレーンな靴? 雪の降っている東京だったから、ブーツ?
今の時代こそ170センチの女性なんてざらにおりますが、1949年生まれのレディ・アンがこの身長って、かなり目立ちません?

●手島時子さんの「翻訳」の仕事・・・何を訳しているんだろうかと。学術書や専門書? 小説などの文芸書? 論文? 海外の雑誌の日本版? 意外なところでハーレクイン・ロマンス?(笑)
いや、手島さんの仕事が仕事だから、夫婦で過ごす夜の時間があまりに少ないと思われるので、ハーレクイン・ロマンスのようなラヴ・ストーリーでストレス発散してるのかな・・・と。ヒロインになりきって、ヒーローに恋したり、ときめいたりしてるかも知れない。


【今回の名文・名台詞・名場面】
文庫版と重複する部分が多いのは、これうもう、どうしようもありません。そこにどうしても「惹かれる」ということなのですから。ご了承下さい。私のコメントも最小限に抑えます(本当はなくてもいいんだけど ← 手抜きしたい下心が見え見え)


★私の四十年間の警察勤めの経験では、事件の大小は必ずしも犯意の大小には比例しない。厳粛に比例するのは、犠牲者の数だ。 (p4)

★手島は最後にもう一度遺体の顔を目に刻んだ。生前この緑色の眼球の見ていた世界がどんなものであったのかは知るすべもないが、すべての死はそれぞれの苦しみを表し、生きているものにその苦しみを移してくる。手島はいつもそう感じた。こうして自分の目で見つめた死者の顔はもはや、数日たてば忘れてしまう顔の一つには、なりそうになかった。死者の苦しみのために自分に何か出来ることはあるのか、ないのか。最低限、それを確かめるまでは忘れるわけにはいかない。 (p15)

★こうした生活に不満はなくても、それは個人の魂のレベルでは、充足とは別語だった。あえて言えば、自分の心身すべてにわたって、この二十年何か欠けていると思い続けてきた。大したものではない。単に靴下の片方のようなもの。二つ揃わなければ用はなさないが、別に片方でも死にはしない。そして、仮に二つ揃っても、色違いの、決して一緒に履けない靴下。二つの土地、二つの言葉、二つの文化は手島の中では、大人になってからの二十年、そういうものだった。
いや。そういうことを言い始めると、今履いている片方の靴下も、履いているという実感はなかった。それでもこの十三年、一応は国家公務員を務めてきたのだが。
 (p22~23)

★そのとき、日本の公務員住宅では標準的な、狭く薄暗い廊下にぽつんと立っていた男の第一印象を、どう言えばいいか。肉親の死に目に間に合わず、慌てて駆けつけた火葬場で、間違えて他人の骨を拾っている粗忽者の素朴な当惑。一方で、それに気づいた後も、悠然と演技を続けることの出来る冷徹な素質を、隠そうともしない、あるいは隠せないことによる当惑。二つの当惑が、完璧無比に訓練された情報部員の石の表情と、不安げな、未だ若さの名残りのある端正な顔にそれぞれ同居していた。とはいえ、男は実際、手島と同年代だったろう。 (p23~24)

★こういう笑みが現すのは、そのときの状況判断でも感情でもない。男の生まれ育った池から湧き出す水泡のように、自動的に現れるものだった。男の国にはいろいろな池があり、それぞれ発する水泡の形が違い、臭いが違う。男は、堅実な資産と教養と、中庸な社会感覚を身につけた保守的な中産富裕階級の出身と思われた。ただし、本人はそういうことには無頓着な方かも知れない。もちろん情報部ならば、左でもアナーキーでもあるはずはないが、育ちの良い木もさまざまな風雪でかなり傷ついているように見えた。 (p24)

★男は終始無言だった。縫合の跡も生々しい遺体を見つめる清涼なブルーの瞳には、長年ずっとそうだったのだろうと思わせる深い翳りがかかっていた。個人的な感情とは違う、はるかな祖先の記憶や、春夏秋冬の森や野の記憶がもたらす翳り。 (p26)

前後しますが、上記3つは手島さんから見たキムの描写。どうにもこうにも、くたびれた30代後半の男性(苦笑) でも、不思議な魅力も垣間見れますよね。それは高村さんの紡ぎ出される男性キャラクターの魅力だから・・・でしょうか。
実際キムがくたびれたように感じるのは、疲労度が増してたでしょうし、時差ボケもあったからでしょう。

★外事警察のガードの固さは一般市民に対してだけのもので、内部では猿の毛繕いよろしく機密を漏らし合うことで、結束を確認し合うような奇妙な風潮がある。 (p26)

キムに便宜を図ったことで、後に叱責受ける手島さん。自分の所属している組織だから、いやでも長所も短所も見えるんでしょうね。

★東京は、皇居の森と堀が象徴する不可視の都だ。一千万の民の知らないエイリアンが潜み、それを知っている一部の者どもの密かな目配せが霞ヶ関に飛び交っている。その目配せの一つを、計らずも課長の顔に見たように思った。
手島はそのとき、自分の受けた侮辱について考えた時間はほんとうに少なかった。負け惜しみではない。個人の領域に土足で踏み込まれるのに慣れなければ、この国では男は生きていけない。
 (p30)

このような高村さんの「男」の描写に、惹かれるよね。

★手島は七八年春のアルスターの景色を瞼に浮かべた。爆弾や投石やデモで騒然としていたベルファストを出てしばらく車で走ると、もうどちらを向いても無人の大地ととてつもない緑と驟雨だった。春の色には未だ遠かったが、なだらかな丘陵を覆う雨と霧の下に、滲み出すような緑が浮かんでいた。その色が、永遠の緑に思われた。
荒廃とは違う、歴史も人も死に絶えたような、ある種の絶対的な静寂というものを、そのとき初めて感じたのを覚えている。
 (p34)


いっそスワヒリ語か、タガログ語で話せよ (下巻p364)

2007-02-04 23:56:26 | リヴィエラを撃て 再読日記
手島さんの台詞なんですが、今振り返ると、これもちょっとした伏線だったのかしらん・・・なんて、深読みしすぎ? もっといえば、手島さんの発言の何もかもが、伏線に見えてきてしまう・・・。

2006年4月14日(金)の『リヴィエラを撃て』 は、下巻の1992年3月――終末のp362からラストまで。

 クライマックスですので、多少のネタバレもやむを得ません。未読の方は、ご注意下さいませ。隠し字も伏字も出来る限りしません。 


【今回の主な登場人物】
とはいっても、名前だけしか出ていない人もいるのですが、それを指摘するだけでネタバレになってしまいます。困ったもんだ。

手島修三
手島時子
坂上達彦
田中壮一郎
《ギリアム》
サー・ノーマン・シンクレア
アーノルド・バーキン
ジョージ・F・モナガン
リトル・ジャック



【今回のツボ】

・手島さんと坂上さんの会話。 重要なことが語られているし、いろいろ含んでいて、もう・・・。
・《リヴィエラ》と手島さんの対話。 今回のメイン。複数のキャラクターの意外な事実が暴かれていくのが、面白い。
・サー・ノーマン・シンクレアの○○。 ネタバレになってしまうので○○でごまかす。
・手島さんを待ち受ける運命、結末、そして一抹の希望。 ・・・としか書けないわ・・・。


【今回の飲食物】

・赤飯、初物のウドのサラダ、初物のタケノコの木の芽和え、ハーブソースのかかった鯛のポワレ、菜の花の煮浸し、ハマグリの潮汁、ミュスカデの白ワイン・・・手島さんの退院祝いに時子さんが作った料理。入力しているだけで、よだれが・・・誰か作って、食べさせて~(苦笑) 「ミュスカデのワイン」については、こちらのページがよろしいと思われます。
・石みたいな目玉焼きと、色の変わったほうれん草のソテーと、冷たいパン・・・手島さんがロンドンで入院していた時の病院食。形容がなければ、それなりの普通の食事なんですけどね(笑)
・ウィスキー・・・モナガンさんと手島さんが飲んだもの。
・オレンジのシュウェップス・・・リトル・ジャックが飲んだもの。「シュウェップス」については、こちらのページがよろしいと思われます。


***

【今回の名文・名台詞・名場面】  【登場人物の描写】
今回は二つまとめて。【登場人物の描写】のポイントは、日本人・手島修三さん。あるいは故国を失った手島修三さん。 私が手島さんに捧げる、最後の愛の証です。シクシク。

★「手島さん個人の心にまで立ち入るつもりはありませんが、同じ職員として、松野や倉田の顔を思い出すと、私は憤りで眠れません」
「彼らは、もっと上にある圧力の下で動いているだけだよ。彼らはただの歯車の一つだ。そしてその歯車に、僕は上手く噛み合うことが出来なかった……。今ははっきり言えるが、仮に僕の血が全部日本人であったとしても、きっと僕はこんな人間だったのだろう。公務員の質は国家が評価する。僕は多分、職業選択の道を誤った。だが、僕は僕にしか出来ない形で、出来る限りのことをしてきたつもりだから、それはいいんだ」
 (下巻p365~366)

坂上さんと手島さんの会話・その1。ホントに手島さんには、向いていない仕事でしたよ!(断言) こんな仕事をするには、手島さんは優しすぎるから~! 青木理 『日本の公安警察』 (講談社現代新書) を読了した今、余計にそう思えます。
「公務員の質は国家が評価する」の一文は、重いです。達ちゃんも食ってかかります。↓

★「国家が評価する公務員の質とは、何ですか。その国家が、国民の良識を欺くような不正と非道に加担しているんです。松野や倉田が歯車なら、私たちや一般国民は何なんですか。歯車に潰される虫けらですか」
「僕は虫けらでいい。神の前では一緒だ。僕は思うんだが、何が不正で、何が正義かを、誰が知っているんだろう。
 (中略) 僕たちは、生きて、生活して、死んでいくだけだ。その生き方には、いろいろあることを認めなければ、僕たちは最後には人間を創った神を恨まなければならなくなる」 (下巻p366)

坂上さんと手島さんの会話・その2。えらく達観してしまったかのような手島さん。この辺りの「思想」というか、「宗教的な」というものには、あえて踏み込みません。

★「あなたは多分、本心とは正反対のことを言っておられる……」
「要は、僕は自分が信じる生き方をするということだ。僕の考える正義は、僕個人の正義であって、君やほかの人の正義とは違うかも知れない。そういうことだ」
「あなたの良心と正義感は、私の道標なのです。信じて下さい」
 (下巻p366)

坂上さんと手島さんの会話・その3。うん、既に手島さんはあるところにまで達していると感じられます。最後の達ちゃんの発言は、手島さんには重くのしかかったかもしれません。

★「それから、上級職のキャリアを無駄にするな。権力は、ないよりはある方がいい」 (下巻p366)

手島さんが達ちゃんへ向けた餞別の内容の一つ。餞別よりは、訣別と言った方がいいかもしれない。でもねー、上級職のキャリアの誰もが、手島さんや達ちゃんのような人ではないかもしれませんしー?(←棒読みで読んで下さい)

★嵐はじっと過ぎ去るのを待ち、傷は黙って癒えるのを待つだけだ。 (下巻p367)

・・・今思うと、これも伏線ですよね・・・?

★「たしかにそうだ。でも、人生はいつも不変というわけじゃない。自分でもどうしようもない力が働くことがある……」 (下巻p370)

「子供がほしい、養子をもらいたい」と言った手島さんに戸惑った時子さん(←そりゃそうやろ) その理由を述べる手島さんの発言。何の変哲もない台詞のようにみえますが、何度も読み込むうちに、これも伏線なのかしらん? と思ってしまう・・・。「どうしようもない力が働く」というのは、手島さんがイギリスで体験してきたさまざまな出来事をさしているだろうことは、想像に難くない。


続いて、手島さんと《リヴィエラ》の対話なのですが、ほとんどがネタバレになってしまいます。気になった部分だけピックアップ。


★「理由というほどのものはない。こうした話は、何十年も積み上げられてきた事実や感覚に基づく直感だよ。しかし、こうしてときには、長年そうだろうと考えられてきたことが、突然そうでなかったと気づかされることもある。これも直感だ」 (下巻p390~391)

《リヴィエラ》の発言。年季の入った百戦錬磨の元外交官の直感は、鋭いものがありますが・・・。この直後にとんでもないことが続けて発言されましたが、ネタバレになるので潔くカット。

★田中はたしかに知らないのだろうと、手島は思った。シンクレアが《ギリアム》への復讐を決めた長い歴史も。復讐のために自分の身を削った日々も。シンクレアはどこに頼まれたのでもなく、自分ひとりで裏切りの道を歩いたのだ。 (下巻p393)

サー・ノーマン・シンクレアの真の評価が下されたかのような部分。初めて読んだ時は、ここで頭を殴られたかのような衝撃を受けましたわ。本当の「鍵」を握っていたのは、この人だったのか、と。何という人なんだ、と。
「ピアノ」という武器ですっかり魅了してしまった手島さんに、バトンを渡すことになったシンクレアさんも、ここまで理解を示してくれる人間がいたことは、本望でしょう・・・って、前回も書いたな、これ(苦笑)

★「私の父は、あなたと同じ大学を出た一介の学者です。しかし父は、日本の外交については、あなたとは全く違う考えを持っていました。父は、日本の外交はパワーバランスと経済効果を計算する初歩の段階でさえ、常につまずいていると認識していました。過去の歴史の清算を怠った外交に、勝利も栄光もない、と。アメリカやイギリスの傲慢なアジア外交を笑う資格は、日本にはありません」 (下巻p397)

《リヴィエラ》に向かって最後に放った手島さんの言葉。これはイコール高村さんの思考と読みとってもいいでしょう。まあ、それに一矢を報いようとした男が、ひょっとしたら某作品の李歐なのかもしれませんが(苦笑)

★実際、手島は意識があるうちに、幾度もこう考えた。《リヴィエラ》はもはや何ものでもない。彼らについて、何も応えることはない。多くの命が虚しく消えた彼方で、現実の世界は着実に働き続けただけだ、と。死者を追う旅はすでに終わり、そこには何もなかったのだ、と。 (下巻p399)

手島さんが《リヴィエラ》を追ったのは、《リヴィエラ》によって運命を狂わされた人たち、《リヴィエラ》にかかわったがために命を落とした人たちから、託されたものの強さや、真相を知りたいという思いなどを知っているからに、他ならない。
やっとゴールに辿り着いた手島さんを待ち受けていたのが、コレ、ですか・・・。ウギャーッ! と叫びたくなりますよ(苦笑) 何でこんな目に遭わなきゃならないの・・・。

★手島は初めて顔を上げると、「Leave me alone」と一言、低く言い放った。 (下巻p400)

「ほうっておいてくれ」と日本語で言わず、英語で「Leave me alone」。何でもないことのようにみえても、奥は深い。何故ならここで、手島さんは「日本語」を喋れなくなってしまったからだ。極論、日本人であったはずの人間が日本語を話せないということは、「日本人」ではいられないということ。
「Leave me alone」・・・これにはもう一つ、深い意味が含まれている。何人もの人間が追って来た《リヴィエラ》という謎。リレーのバトンを最後に渡されたアンカー・手島さんが辿り着いた結論が、「ほうっておいてくれ」。つまり《リヴィエラ》は触れるべき事柄ではなかったし、触れても価値のある存在ではなくなったということ。
その虚しさと空しさに気付いた手島さんが発した言葉が、「Leave me alone」。これしか言えなかったというのが、悲しい。
そのことは、次の台詞↓でも分かると思う。

★「追求する価値のない真実はありますが、追求してはならない犯罪はありません。私たちはただ、力か及ばなかっただけなのです。キムが生きていたら、きっとそう応えたでしょう」 (下巻p406)

「《リヴィエラ》=追求する価値のない真実」と切り捨てている手島さん。その兆候は、坂上達ちゃんとの会話にも、ちらほら見えていましたね。
更にここは、キム&テッシーファンは見逃せませんね。手島さんが唯一、「キム」と言った部分です。(キムが生存中は「バーキン」と呼んでいた) せめて生きている時に一度くらい、お互いに名前を呼び合ってほしかったですね・・・。

★『手島修三の日本での十四年間は、母国語を勝ち取り、奪われた、一人の日本人の不本意きわまりない戦いの歴史でした』 (下巻p407)

達ちゃんがモナガンさんへ送った手紙。手島さんはキムやシンクレアさんの隠された深い部分まで理解を示していましたが、手島さんにもそういう人物がいたことは、幸せなことです。・・・ちょっぴり苦いものが去来する、ささやかな幸せではありますが。

★「この子が大きくなるころ、このアルスターはどんなふうになっているか、誰に分かりません。テロは続いているかもしれない。あるいは、もうどんな声も死に絶えて、この土地はひたすら沈黙するばかりになっているかも知れない。でも、子供は希望です」 (下巻p407)

「子供」という希望を信じている手島さん。これももちろん、高村さんの思考なんでしょう。

★その柔らかい笑みの下に、傷を癒す希望がたしかに芽生えているのを、モナガンは見た。子供は誰であれ、傷つき汚れ果てた大人をどこかへ救い出し、導いていく天使に違いない。 (下巻p408)

手島さん、すっかりお父さん。ジャックとリーアンにとってもそうだし、キムにとってもそうだったはずの、「子供」。今は手島さんにとって、リトル・ジャックがそういう存在なんですね。

★「この子がどんなふうに考え、どんな道を選ぼうと、本人の意思を尊重するのが、私たち養父母の努めですが、育てる者としては、ジャックがこのアルスターに残って、真に勇気ある人生を送ってくれたらと願っています。この国境地帯の静けさは、平和の静けさではない。ここに住む人々の沈黙は、口を開いたら血を流さなければならない、苦しみの沈黙です。これ以上、人が人を殺さないための、最後の尊い選択かもしれません。しかし、沈黙は疲労と終焉の道でしかない。この子の父は、武器によってこの沈黙を破ろうとしたが、この子には、テロリズムよりもっと勇気ある道を選ぶよう、対話を選ぶよう、そして決して黙することのないよう、教えるつもりです。
しかし、そういう勇気は、一人の人間を愛することから始まるのかも知れませんね……。この子の父がリーアンを愛したように。もしそうなら、リトル・ジャックはまず恋をしなきゃ……」
 (下巻p408)

手島さん、最後の言葉。手島さんの新たな戦い(というと語弊があるかもしれませんけど)が始まっているのですね。一人の子供を育て上げるという、父親としての戦いが。
個人的希望としては、リトル・ジャックの「恋のお相手」(笑)は、キムの遺子であってもらいたい。つまりキムの娘ですね。・・・無茶な話だな(苦笑)
もっと欲を言えば、キムの遺子は、双子の兄妹または姉弟であってもらいたい。そして某日本の某兄妹と某刑事との間に繰り広げられたような、愛憎の物語を展開してほしい(爆)

余談ながら、『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社)で合田さんも読んでいた、ロジェ・マルタン・デュ・ガール 『チボー家の人々』 (白水社)「エピローグI・II」を、昨年の今頃読んだ際に、突如 『リヴィエラを撃て』 のこの場面を思い出しました。例によって、あくまで私見ですが、これは高村さんにとっての『チボー家の人々』へのオマージュなのかもしれないな、と。

『チボー家の人々』のエピローグに、主人公の一人ジャック・チボーの遺子、ジャン・ポールが登場するのですが、ジャックの兄・アントワーヌは、ジャン・ポールの行く末を案ずるわけです。自分で育てたいと思うのですが、第一次世界大戦のせいで病魔に侵された身では、どうすることも出来ません。戦争が終わっても平和は長続きせず、再び不穏の芽が育ち始めるかもしれない情勢の中、ジャン・ポールにチボー家の血を委ねなければならないアントワーヌの不穏と危惧が、繰り返し描写されています。ジャン・ポールが成人した頃に、第二次世界大戦が勃発。その時ジャン・ポールは、どういう道を歩んでいるのか。父・ジャックと同じように、反戦活動をしているのか。あるいは違う方向へ進んでいくのか。アントワーヌの死で終わる物語なので、それは想像するしかない。

だけど、もしもアントワーヌが育てていたなら・・・と想像を広げると、ひょっとしたら手島さんのような育て方をしていたのかもしれないなあ・・・と思ったわけです。ジャン・ポールの実父ジャック(Jacques)も、リトル・ジャックの実父ジャック(Jack)も、無念な死に方をしていますし。綴りは違えど、どちらも「ジャック」(←こじつけっぽい? それとも偶然?) 加えてジャン・ポールを育てたかったアントワーヌの無念も、高村さんは手島さんに仮託した・・・わけではないかもしれないけれど、でも、もしかしたら・・・と、ちょっぴり思ったんです、はい。上手く表現できませんが。
これはあくまで私見、と念押ししておきます。ごめんなさい。でも、書かずにいられなかったんです。

★消え去った車のあとを追うように、再び鋭い雨が落ちてきた。地を叩く驟雨でたちまち聖堂の姿もなくなり、町は消え、一面の水しぶきと、それを覆う深い沈黙が流れた。
これが春の雨だとは。何という土地だろう……。
 (下巻p409)

これで終幕、とばかりに降る激しい雨。雨のカーテンの向こうに手島さんは消えていき、こちら側にいるモナガンさんと読み手は、その姿を見送るばかり・・・。
物語は終わりました。願わくば、手島さんが時子さんとリトル・ジャックと共に心安らかに暮らし、リトル・ジャックが無事に成長しますように・・・。

***

約10か月かけた「リヴィエラを撃て再読日記」も、これでおしまい。長い間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

次は「神の火再読日記」です。


僕の根気もこのぐらい長けりゃいいんだが (下巻p321)

2007-01-16 01:07:56 | リヴィエラを撃て 再読日記
「リヴィエラを撃て再読日記」の更新をひたすら待ち続けてらっしゃる方のために、このキムの言葉があるような気がします(苦笑) 更新滞っていて、本当に申し訳ございません・・・。
だけどここまでくると、微苦笑してしまう台詞や文章って、あまりないんですよね・・・。

2006年4月13日(木)の『リヴィエラを撃て』 は、下巻の1992年3月――終末のp311からp362まで。

 死にゆくキャラクターがどんどん出てきますので、多少のネタバレもやむを得ません。誰が死んだのか知りたくないという未読の方は、ご注意下さいませ。隠し字も伏字もしておりません。 

【今回の主な登場人物】

ジョージ・F・モナガン
キム・バーキン
手島修三
《ギリアム》
サー・ノーマン・シンクレア
M・G



【今回のツボ】

・キム・バーキンと手島修三。 これはやっぱりはずせません。
・手島さんの父・手島博士(はかせ)。 念のため「ひろし」と読まないように(笑) 名前は不明。ついでながら、イギリス人の妻の名前も出てこない。ロンドン大学の教授で(これは上巻に出てます)、近代政治史の研究が専門。
ネタバレ。 手島さんが後ほどあんなことになった遠因は、ひょっとしたらこの人の教育にあったのかもしれない・・・。 
・手島さんの妹・エマ。 四歳年下で、グレーの瞳の持ち主。ウィンブルドンに夫と暮らしている。(「ウィンブルドン」開催時は賑やかになるので、大変だろうな~) 結婚後の苗字は不明ですが、旧姓は「手島エマ」、逆にすれば「エマ・テシマ」。韻を踏んでますね(笑) 妹が結婚する際に、兄の手島さんにも某義兄のような葛藤があったんだろうか? 花嫁の父もかなり複雑らしいが、花嫁の兄や弟も、それ相応の複雑さを抱く・・・らしいので。
・M&G商会で、キムが折り曲げたマット。今回の最大の「主役」は、これでしょう!


【今回の飲食物】

・ウォッカ・・・チップスを食べているキムが飲んだもの。
・チップス・・・本文では「チップス」とだけありますが、もちろんロンドン名物(・・・でしょ?)のフィッシュ&チップスのことでしょう。気を利かせてキムに買ったテッシーですが、うっかりして塩とヴィネガーをかけてもらうのを忘れた。それを律儀に食べるキムが、いいですね~♪
某大手百貨店で、何年かに一度「英国展」というのが催される時があり、そこで出品されていたフィッシュ&チップスを食べたことがあります。最初は二人を見習って塩とヴィネガーをかけずに食べ(苦笑)、あとでかけたものを食べました。うん、やっぱりかけた方が美味しいですね~。ヴィネガーは思ったよりもあっさりしてました。塩とヴィネガーなしで食べたキムは、えらい。さすが英国紳士!

***

【登場人物の描写】

キム・バーキンが乗り移った手島さん。(←何やそら) まあ・・・短いながらも、濃くて強くて深くて太い繋がりがあったという証でもあるわけですからね・・・。

★そのころ、手島の頭は、キムが考えようとしていたこと、キムがやろうとしていたことがそっくり乗り移ってきたかのようになっていた。ともに過ごした三日間の間に、キムは驚くほどの多くのことを手島に与えた。とくに、死ぬ寸前まで手島に語り続けたきむが、最後に語った意見の一つは、謎にもっとも近いところまで達していたのかもしれなかった。 (下巻p342)

★壁紙の下にある隠し物のことは、手島は誰にも話していなかった。今はまだだめだ、用心してくれ、とキムがどこかで囁いていた。キムが残した光磁気ディスクは、今はキムの命であり、声であり、手島を支えている唯一の力だった。 (下巻p342)


【今回の名文・名台詞・名場面】

★キムが手島に「あれが《ギリアム》だ」と耳打ちしていた。 (下巻p312)

周知のように、手島さんは《ギリアム》と十数年も前に対面しています(望んだことでないにしろ)。それをキムには話していないことが、ここで分かりますね。
・・・そりゃ話せんわ。せっかく築いたキムとの友情と信頼も、おシャカになりかねないし。キムなら話せば分かってくれるだろうけど、変なしこりが残ったらお互いに辛いしね。言わなくて正解。
ところで《ギリアム》の遺体を見た手島さんは、何か感じることがあったのか? 一切描写されていないので、想像するしかありませんが、次の引用↓からすると、屁とも思っていないようです(笑)

★犯罪というのは感情的なものだ。犯す者も捜査する者も、それぞれの感情につき動かされる。手島は、シートから垂れたシンクレアの手を見た瞬間に、自分の大地が揺らいだのを感じた。動かない蝋のような五本の指とともに、あのブラームスのすべての音が死んだのだと思うと、とりかえしのつかない喪失感が足元を包み、それは際限なく広がり続けていた。手島は、現場にいたはずのもう一台の車が残した痕跡を拾いながら、同時に自分が、もう微かにしか残っていないあのピアノの音を拾っているのを知っていた。一つでも二つでも、拾わずにはおれなかった。 (下巻p319)

《リヴィエラ》を巡る一連の事件へ導いた男・《ギリアム》の死よりも、偉大なるピアニスト、サー・ノーマン・シンクレアの死がこたえている様子の手島さん。ここの描写は手島さんの無念の思いがひしひしと伝わってくるので、とても好き。シンクレアさんもこんなふうに悼んでくれる男がいてくれたことを、嬉しく思ってくれているといいなあ・・・。

★「最後に何か食ったの、いつだっけ」 (中略)
「土曜の夜に、ここでスコッチを飲んだ」と手島は応えた。
「そうだったな……。ひどい生活だ。今年になって、ずっとこんなふうだ」
「よく生きている」
「この穴ぐらで生きているのは人間じゃない。人間の僕は三年前にくたばって、どこかへ行っちまった」
「今は不死身の禁欲主義者か」
「とんでもない。ヴィネガーを忘れたチップスを恨んでいる男さ」
 (下巻p320~321)

チップスを食べながらの、キムと手島さんのたわいない会話。・・・これが最後のたわいない会話になってしまうとは・・・。

★愛する者を傷つけないために別れ、愛してくれる者を傷つけないために愛し、遠ざけ、キムは結局ひとりで逝ったのだ。 (下巻p338~339)

うわーん、キム~!
ここは何度読んでも、読むたびに うわーん、キム~! となる箇所です。胸にも腹にもズシンと響きます。キム・バーキンという男の生き様が、この一文で凝縮されている気がして・・・。うわーん、キム~! (←しつこい)

★「M・G。紹介したい男がいる。キムが最後に切羽詰まって、誰かに情報を残したかった気持ちは、君にはきっと分かるだろう……。君がキムにすべてを残したように、キムは可能な限りの情報をこの男に残した。手島修三だ。日本の警視庁から別件で正式に派遣されてきた優秀な捜査官だが、この肩書は必要ない。なぜなら、キムはこの手島を個人として信頼していたからだ」 (下巻p340)

モナガンさんの言葉。キムと手島さんの二人を見守っていたモナガンさんだからこそ出てきた重みのある言葉だし、手島さんにとってもこれ以上の賛辞はないし、キムにとっても不足はなく、本望でしょう。

★庶民出身の若い首相には、この国を深部で支えている支配階級の声は聞こえず、聞こえても理解できず、また無視するだけの気力と自信に溢れているのかも知れなかった。 (中略) ともかく、その健全しごくな市民感覚には、《リヴィエラ》を巡る複雑怪奇な暗部は興味の対象外であり、従って手紙の主の苦しみの声は、とうてい届きようもなかったのだ。ダーラム侯とて、一人の市民ではあったのだが。 (下巻p347)

ダーラム侯が不審な死を迎えた場合に備えて、前もって打った布石を巡ってのあれこれ。簡潔に言えば、ダーラム侯の「遺書」は誰にとってもはた迷惑なだけという、不発弾に終わるのですが(苦笑) だから私は「あんたは甘い!」と言い続けてきたんですよ、ダーラム侯・・・。
そんなダーラム侯とて、「スパイ」の前に「イギリス国民」であったわけで、ここで取り上げた部分は、物悲しさと憐れみが漂って仕方ない。
余談ながらこの時の首相は、サッチャーさんの次のメージャーさん。

★「その日本人は、死亡したうちの職員と親しかったようだが、親しさの度が過ぎていた」 (下巻p347)

キムの上司であるMI5の長官の発言。今回の中で、一番腹が立った台詞。あんたの発言でなけりゃ、嬉しい台詞になったのにー! あんたら上層部がそんなんだから、キムは組織内で信用出来る人間が出来なかったんよー! モナガンさんと手島さんしか、信頼を寄せられなかったんよー! キムを見殺しにしておいて、よくもまあぬけぬけと! キーッ!(←落ち着いて)

★「今夜は夫婦で、バーでゆっくり飲んでいけよ。僕の部屋の番号でつけておけばいいから」
「あら、シュウゾ。もう帰るの?」
「君たちの車、一時間だけ貸してくれ。ちょっと会いたい人がいるんだ」
「女性?」
「決まってるだろう」
「呆れた……。そんなお通夜みたいなネクタイで」
 (下巻p356)

手島さんと妹・エマの会話。ちょっとホッと出来る会話も、取り上げとかないと、この後が辛いので(苦笑) 一応、手島さんは喪に服しているはずだから、地味なネクタイなんでしょうけどね。もちろん、テッシーの行き先は女性ではありません(笑)
エマさんは「シュウゾウ」ときちんと発言できず、「シュウゾ」「シュウズ」になるそうな。

★キムは手島に何かを残したのだ。 (中略) それを回収することは、本来誰にも出来ないことではあったが、公人としては許されずとも、手島は個人の意思を通し、モナガンの立場を慮って沈黙を通し、自分がすべてをひっかぶって走っていた。モナガンは、自らは公の立場を優先しつつ、自分という個人がその裏で望むことを、手島にさせたということは分かっていた。 (中略) しかし、だからこそ、かつてと同じ後悔を再び繰り返すことだけは避けようと心に決めて、モナガンは今、管制室に立っているのだった。今度こそは、自分が走らせた男を、最後まで守り通さねばならなかった。 (下巻p358~359)

モナガンさんの思いと、それに応えるべく行動を起こした手島さん。「男は黙って・・・」のダンディズムを感じる場面ですね。

★最初のガラスが砕ける音が響いた。恐怖も興奮もどちらもごく少なかった。今はただ、一刻も早く中に入りたかった。キム・バーキンが待っている。 (下巻p361)

そうよ、待ってるのよ。手島さんを待ってるのよ。キムが「生きている」という証は、もはやM&G商会にしかないのだから!

★「やめろ」と聞こえた。何かの都合で中止させられるのかも知れないと思うと、手島は夢中でドアを開け放った。飛び込もうとしたとたん、端を折り畳まれたあのドアマットにつまづいて、一瞬よろめき、足が止まった。
手島は閃光を見、轟音を聞き、身体じゅうの穴をふさぐ圧力に叩き潰されて闇がなだれ落ちた。
 (下巻p361)

今回の最大の「主役」、キムが折り曲げたドアマットに、拍手! これが結果的に手島さんの命を救うことになりました。なかなか憎い演出です。
キム、前回であまりいい評価しなかったことを許してね。

★夜陰に輝く火の手が揺れた。 (中略) 黒煙を吐き、音をたてて燃えさかる火を目にしながら、手島は「バーキン!」と一声叫んだ。
手島は自分を掴む手を振り払い、這い出そうとし、力尽きて再び昏倒した。激痛の中で、自分が生きていることを感じたとたん、血にまみれたキム・バーキンの姿が炎と一つになった。浄化の火でもない終わりの火でもない、底知れない地獄の火だった。黙示録が預言した、あの火の池だった。たった一つの望みが絶たれた。もう終わりだ。手島はイギリスへ来て以来初めて、いや、生まれて初めて声を上げて号泣した。
 (下巻p362)

手島さんの叫びと号泣の理由は、今さら言わなくてもお解かりでしょうが、蛇足を承知でいたします。
キム・バーキンの残したもの、重要な情報が火に包まれて消滅したということは、キム・バーキンが「生きていた」という証も消滅したということ、今度こそ本当に、キムは「死んだ」のだと、既にこの世に「いない」ということを、否が応にも認めざるを得ないわけだから・・・。
ところで手島さんのイメージでは、キムは火の池地獄に堕ちたことになるのですか? それはちょっと、ひどくない?(苦笑) だけど手島さんもキムと共に、火の池地獄に堕ちているんですよね。一時的にしろ、キムが乗り移っていたわけだから・・・(←ホンマかいな)

***

ちょこちょこと張り詰めた息を抜くように、おちゃらけツッコミを入れたりしています。だんだんと展開が辛くなっていくので仕方ないのですが、ドロドロした悲愴感を少しでも緩和できたらいいな、と。
あと一回で、「リヴィエラを撃て再読日記」は終わります。終わりたいような、終わりたくないような・・・。


ゴミ収集車のケツとキスしてしまったのだ。 (下巻p268)

2007-01-01 00:05:31 | リヴィエラを撃て 再読日記
2006年中には無理と悟り、開き直る。この記事だけで、何度ブラウザ強制終了したことか・・・!

2006年4月12日(水)の『リヴィエラを撃て』 は、下巻のp265から1992年3月――終末のp311まで。

【今回の主な登場人物】
今回から、コメントなし。

手島修三
ジョージ・F・モナガン
キム・バーキン
《ギリアム》
レディ・アン
ダーラム侯エードリアン・ヘアフィールド
サー・ノーマン・シンクレア



【今回のツボ】

・手島さんとキム 徐々に「友情」を深めていく過程がいいのよね~。 
・レディ・アン。 これも後ほど徹底的に取り上げます。
・SAS。スペシャル・エア・サーヴイス(Special Air Service)の略。イギリスの特殊部隊。
私が初めて知ったのは、ジャック・ヒギンズ 『エグゾセを狙え』 (早川文庫NV) でした。フォークランド紛争を舞台にした物語。主人公のトニー・ヴィリアーズが有能なSAS隊員で、女王陛下の信頼も篤い。
(今思い出したが、この人の妻は敵方の主人公(アルゼンチン空軍の英雄)と恋に落ちて、最後には出奔してしまうんですよね。妻に出て行かれたというところでは、まるでイギリスの合田さん?・笑)


【今回の音楽】

 モーツァルトの二十五番のピアノ協奏曲 ハ長調・・・ダーラム侯と恵安(のちのレディ・アン)の結婚式に、シンクレアさんがロンドン交響楽団と共演した、ダーラム侯の好きな曲。
私はマルタ・アルゲリッチのピアノのCDで持っています。今回のBGM。このCDは偶然にもライヴ盤なので、第三楽章の終わりに拍手が入っています。きっとレディ・アン所有のレコードにも拍手が収められているはず。
モーツァルトのピアノ協奏曲の第二十番台の中では、かなりマイナーな曲らしいが、聴いてみるとそうでもない気がします。アルゲリッチも天才ピアニストだから、余計にそう思うのかもしれませんね。


【今回の飲食物】

・ウィスキー・・・キムとテッシーが飲んだ物。今さら何も言うまい。
・ウォッカ一瓶・・・キムが出かける間際に持ち出した物。これも何も言うまい。

***

【登場人物の描写】

キム・バーキンと手島修三の「友情」を育んでいく過程

★日本の警視庁から君が派遣されてくる。そう彼に伝えると、彼はすぐに目を輝かせ、次いで沈んだ表情になった。 (中略)
私には彼の二種類の表情の意味は理解出来た。キムは君の来訪を心から喜び、そして、同時に君がイギリスでさらされることになるだろう危険を案じたのだ。 (下巻p265)

これはモナガンさんの手紙から。このわずかな部分で、どれだけキムが手島さんを信頼しているのかが読み取れますね。

★モナガンはしばらく沈黙し、やがて微笑み、その微笑みはしばらく消えなかった。モナガンは今は少しプライベートな表情で、ハンドルを握る手島の横顔を見ていた。
「君のその言葉、アクセント、抑揚。昔のキムにそっくりだ」
 (下巻p270)

手島さんと初対面後、ちょっとしてからのモナガンさんの表情と言葉。それじゃ今のキムって、どんなんだろうか(苦笑)

★バーキンは初めてゆっくりと手島に相対し、にっこりした。あらためて固い握手をし、バーキンは安堵のような深い溜め息をついた。
「初めにお断りしておくが、お互いもう《ミスター》はなしにしよう。ここには《ミスター》と呼ばなければならないような人間は入れないことになっている」
「僕は、日本からあなたを探りにきた男だ」
「探ってくれ。代わりに助けてくれ」
「そのつもりで来た」
「素晴らしい。ほんとうに嬉しいよ」
 (下巻p274)

ここのやりとりはものすごく好きーっ!! 二人が改めて心から打ち解けた場面ですからね。

★ドアマットが折り返してあるので、手島は「なんだ、これは」と尋ねた。バーキンは笑った。
「考えごとをしながら、ぼんやりしていたらつまづくだろう? そうしたら、ハッとして我に返る。そのためにそうしてあるんだ。ときには、ドアで頭を打って閃くこともあるし」
「なるほど……。いいアイデアだな」
 (下巻p277)

・・・そうかあ・・・? 下手すりゃ大怪我したり、最悪の場合、死んじゃうかもしれないよ、キム?

★バーキンは、今や、警察の対テロ班の第一線で日々銃弾の下をくぐっていた男の顔になっていた。銃弾を浴びせられる興奮と、銃弾を浴びて初めて絞り出される闘争本能が習い性となっている表情や身のこなしだった。まるでハンドガンが身体の一部であるかのような。撃たれたら、撃ち返すのが反射神経であるかのような。多分、笑い出したのは手島の方が先だったが、バーキンも笑い出し、最後の方は、雪に埋まって二人で声を上げて笑いながら、散漫に撃ち続けた。 (下巻p283)

★それにしても、冷静な上に恐ろしい度胸だと感服せざるを得なかった。同時に、このバーキンは多分、人生にあまり執着をもっていない男なのだとふと感じ、手島はあらためてその清々とした横顔を眺めもしたのだった。 (下巻p284)

上記2つの引用は、手島さんから見たキム・バーキン。再会してほんの数時間で、ここまでキムを解るのか! さすがテッシー。

★アノラック姿のキムと手島の姿もあった。初めて写真を見たときにもそう思ったが、二人の男が実によく似ているのに、モナガンはあらためて感心した。もちろん顔貌は違うが、教養や性格や生活史と、運命の共通点がそうした印象を与えるのだろう。二人の男は、披露と寝不足で青ざめた顔をこちらに向けて、ともに似たような会釈をよこした。
「昨夜はこの森でSASに囲まれました。二人でいたから助かったようなものです」キムはそう言い、一晩のうちに何ものにも換えがたい仲になったような視線を手島に投げた。手島も控えめな笑みでそれに応じた。
 (下巻p300~301)

「一晩のうちに何ものにも換えがたい仲」・・・つまりこれも「刎頚の友」ということ。(文庫版『リヴィエラを撃て』の主要登場人物を参照) 決して過剰ないやらしい意味にとらないで下さいね。

★それが何なのかは、そのときはまだ、バーキンの頭の中では形になっていなかった。だが、その執念と集中力はいずれ、この獏とした砂漠から一粒の砂を拾い上げるに違いないと、手島は思った。時間が待ってくれるにしろ待ってくれないにしろ、捜査というものはひたすら続けるしかないのだ。 (下巻p307~308)

手島さんの、キムに寄せる絶大な信頼と確信の深さ。そして「警察」という職種に就いた者にしか解らない、捜査というものの難しさが解る部分です。


レディ・アン・ヘアフィールドの全て(後半) 前半はこちら にあります。全てといいながら、彼女が語っている内容はダーラム侯とシンクレアさんのことが大半。

★「侯爵の伴侶は私ではない。結婚式のその日から、一度もそうであったことはありません。侯爵は、ご自分の選ばれた人に最後の世話をしていただく権利をお持ちです」 (下巻p289)

名ばかりの「伴侶」レディ・アン。こんな発言をせねばならないとは・・・と多少同情してしまうのは、私も女だからか。
第四回「親鸞賞」 授賞式並びに選考委員と第四回受賞者の公開座談会のレポートで書き忘れたのですが、「高村さんはどんなキャラクターにも愛情を注いでいる」と発言された方がいらっしゃいました。それを耳にした時、「ああ」と腑に落ちました。言われてみれば確かに、どんなキャラクターにも高村さんの愛が感じられますよね~。きっと多角的な見方をされているからだと思うのです。
ちなみに私はレディ・アンは、嫌いじゃないですよ。

★「シンクレアは、受けた屈辱は忘れない人ですの。とくにイギリス人から受けた屈辱は。《ギリアム》に何か見落としていたことがあるとすれば、シンクレアがアイリッシュだったということでしょう」 (下巻p293)

シンクレアさんの父は大使も務めたアイルランドの外交官。だけど母のレディ・モーヴは、イギリス貴族階級に属するんじゃなかったの?(「レディ」の称号があるから) まあ、国籍が「アイルランド」という意味で言ったのならば、それはそれでいいんですけど。

★「侯爵の真意とは何です」
「シンクレア」そう応えて、レディ・アンは一瞬鮮やかな笑みを見せた。「シンクレアとの競争に勝ちたい一心。シンクレアを悔しがらせたい一心。シンクレアを打ちのめしたい一心。双子以上の絆でつながった男二人の憎悪が、ちょうどあのころは頂点に達していただけです」
 (下巻p294)

ダーラム侯とシンクレアさんの愛憎の歴史が、ここにも出現。というか、みんなにバレバレなのが、どうにかならんのか(苦笑)

★「モーガンという青年についてのシンクレアの思いは、ダーラム侯エードリアン・ヘアフィールドに対する見事な陰画でした。エードリアンとの絆と無縁の彼岸の絵を、シンクレアは自分の胸のうちに描こうとしたのですわ。美しく虚しい絵を」 (下巻p295)

ペチコート・レーンでジャックと再会し、別れた時のシンクレアさんの述懐が思い浮かびます。それを見抜いているレディ・アン、恐るべし!

★「こうして侯爵がそこに横たわっておられるのは、私には、おろかな人生をお選びになった方の当然のお姿だとしか思えません。言いかえれば、少なくとも国家の機密に関わった責任あるお方の最期のだとは思えないということです」 (下巻p296)

レディ・アン、死せるダーラム侯に厳しい発言。だけど「スパイ」としてみるのなら、これは当然至極の発言かもしれません。前回、私が「甘い」と述べたダーラム侯の見通しの弱さを、レディ・アンはスパイとして断罪しているのですね。

★「この四十数年、侯爵の頭にあったのは、良きにつけ悪しきにつけシンクレアただひとり。これも一人の人間の一生ではございましょう。侯爵は、政治よりも愛に生きるべきお方でした。選択する世界を間違い、選択する伴侶を間違われたのですが、しんし侯爵にそうした間違った選択をさせたのは、この国です。この国の支配階級の、不可視の部分です」 (下巻p296~297)

名ばかりの「伴侶」であったレディ・アンにこんなこと言われているとは、ダーラム侯も情けない・・・!(苦笑)

★「奥方には個人の部分がないとおっしゃるのですか」
「この国にいる限りは、公には『ない』と申し上げましょう。私は五千七百万のイギリス国民に囲まれた一人の中国人スパイであり、永久にそうあり続けるでしょう。実はそうであったからこそ、私は日々、逆に自分が女であることを意識させられたのですが、これは個人的なことですから申し上げる必要はございません」
その最後の逆説は印象に残った。このレディ・アンは、この国に潜入して二十年、誰を愛することも自らに許さなかったことにより、誰よりも激しい愛の空白に耐えてきたのだろう、と手島は思った。レディ・アンは、シンクレアとダーラム侯爵が、長い反目の後に今は、もはや誰も侵せない二人だけの世界に戻っていったことを知っているのだ。自分の手がもはや届かない、不可視の世界へ去ったことを。
この女性がほんとうに愛していたのは誰なのか、手島は知りたいと思ったが、それは叶わぬ希望に終わった。
レディ・アンは、その強さ、義務感、残忍さ、ある意味での気高さ、純粋さ、情熱において、すべての男を圧倒し、ここに生き残った勝利者ではあった。
 (下巻p297)

長い引用になりましたが、ここまできたらレディ・アンに対してかけるべき言葉が見当たりませんね。全てのキャラクターに愛情を注いで描いてらっしゃる高村さんの「愛」が、垣間見えます。
ところでレディ・アンが「ほんとうに愛していたのは誰なのか」という手島さんの問いですが・・・。
  1.ダーラム侯
  2.シンクレアさん
  3.二人とも愛していた
  4.二人とも愛していなかった
  5.二人以外の誰かを愛していた

さて、あなたはどう思われますか?

★最後に、レディ・アンは清々とした謎の微笑みを浮かべて男二人をゆっくりと見渡し、「もう忘れて下さいませ」と呟き、立ち去った。 (下巻p298)

レディ・アン、最後の台詞。そして最後の鮮やかな残像。忘れられたらいいけれど、忘れられないことも長い人生の中でも、世の中にも、ゴマンとあるんですよ・・・。

ネタバレ。レディ・アンは、どうしてここまでダーラム侯とシンクレアさん自身のことを、キムと手島さんに語ったんだろうか。手島さんの正体は、同業者のよしみ(?)で気付いているはず。だけどキムは・・・? バーキン・パパのことは、当然知っているだろうけどなあ・・・。ただ、それだけの理由か? と、つい深読みしてしまいたくなる。(何度も読まなきゃ気付かないけれど) あるいは単純に考えなしで、誰かに胸の内を明かしてしまいたかっただけかもしれませんが。


【今回の名文・名台詞・名場面】
上記に全て盛り込んでしまったので、今回はなし。

後日追加するかもしれませんが、残り、あと2回で終わらせます。


目覚し時計を日本へ置いていこう。荷物が軽くなる (下巻p255)

2006-12-20 00:34:20 | リヴィエラを撃て 再読日記
2006年4月11日(火)の『リヴィエラを撃て』 は、下巻の1992年2月――東京のp225~p264まで。

今回のBGMはもちろん、ブラームス ピアノ協奏曲第二番変ロ長調 作品83です。夜に聴くのはご近所迷惑なので、パソコンに取り込んだものを聴いています。音質悪いけど、仕方ない。
この曲には通称や愛称がついていません。タカムラー視点としては、つけてみたくなるのも一考にして一興。

   《リヴィエラ》 (ベタすぎるか)  《哀悼》 《追悼》

・・・などが、すぐさま思い浮かびました。皆様のご意見は如何なものでしょう? 何かいいものがありましたら、ぜひ教えて下さいませ。


【今回の主な登場人物】

手島修三・・・新たな事実に吃驚仰天。
キム・バーキン・・・喋ったらいけないことまで喋ったよ。
《リヴィエラ》・・・今回の裏の主役。
サー・ノーマン・シンクレア・・・今回の表の主役
ダーラム侯エードリアン・ヘアフィールド・・・パートナーは心配症。
倉田・・・テッシーをいじめる上司、その1
松野・・・テッシーをいじめる上司、その2。
坂上達彦・・・部下は心配症。


【今回のツボ】

・シンクレアさんのブラームスのピアノ演奏。 後で重点的に取り上げます。

・ダーラム侯、シンクレアさん、キム、手島さんの過ごした一夜。 宝石よりも眩しいいい男たちのオーラに、圧倒されよ!

・手島修三さん♪ 呆れられようが、とことんやります。


【今回の音楽】

 ブラームスのピアノ協奏曲第二番変ロ長調・・・私が持っているのは「鍵盤の獅子王」ことウィルヘルム・バックハウスのピアノ演奏のもの。 これは強力にお薦めします! こちらで一部試聴できます。(Listenをクリックすると、Real One Playerで聴けます)


【今回の飲食物】

・スコッチ・・・ダーラム侯が手ずからグラスに注いでくれた。高村作品キャラクターって、食べるよりも飲む方が多いですね・・・。軽く食べなきゃ、胃が荒れるよ。

***

【登場人物の描写】

シンクレアさんの奏でるブラームスのピアノ協奏曲第二番の描写。 音楽を文章で、かくも鮮やかに描写しきった高村さんの力量に、読み手はひざまずくしかありません。

第一楽章 第一楽章で好きなメロディラインは、約2:15、約6:30、約13:46のところから約25秒間流れる部分です。特にピアノソロは「叩きつけ、抉り、掘り返す音」まさしくそのもの。

★重く鋭い爪が地の底を叩きつけ、抉り、掘り返す音だった。ほとんど鍵盤の左端に届く低音の重さは、大地を直に抉るとしかいいようがなかった。抉りながら、駆け登っていく火の爪だった。  (下巻p231)

★深さと広がり、重さと透明、轟音と静けさを一つにして、なお溢れかえるほどの深い響きに満ちながら、ピアノの重い爪は、光のすべてを再びうちに閉じ込め、ひたすら地の底を叩き続けて、オーケストラとともにコーダへなだれ込んだ。 (下巻p232)

第二楽章

★そのピアノの打鍵の重さ、激しさは、今は血を流しているのかと思うほどだった。これはピアニストの魂の声だろう。《リヴィエラ》に向けて発せられた激情だろう。これでもかと地の底から叩き出す音の重さは、二十年の歳月と怒りの重さに違いなかった。またその音の深さ鋭さは、悲しみのそれに違いなかった。ピアニストは眩しい氷の笑みをたたえて、怒り狂い、号泣していた。 (下巻p232)

第三楽章

★たっぷりと弦楽の重奏が流れる間、シンクレアは鍵盤に目を落として、ほかのどこも見ていなかった。やがて弦楽の対旋律の狭間に、極上のしずくの一滴が垂れるようにピアノの音が落ちていった。オーケストラは、ピアノのしずくに打たれて震え、悶え、さらにのびやかに旋律をつむいでいく。
その様は、五感を撫でるように美しさだった。シンクレアの指から落ちる音は、まさにしずくの響きを聴く思いだった。一滴一滴がどれも、ほんの一瞬の光を放って淡々と落ちていく。
 (下巻p233)

★ピアノは再びしずくになった。前よりもっとひそやかな一滴が、旋律の彼方に落ちる。また一滴。
それは事実、ほかに重なる音も、それに前後して続く音もない、高い単音だった。それが、ほんとうのしずくに聞こえた。シンクレアの魂から、一滴一滴しぼり出されて落ちていく。まさに、涙の音のようだった。
 (下巻p233~234)

第四楽章

★音のすべてが凛として整い、寸分の狂いもない。ほとんど現世のものでないすみやかさ、軽やかさ、明るさに包まれて、ピアノもピアニストも疾走していた。一楽章で地の底を叩きつけた指が、今は天を翔けている。 (下巻p234)

★初めからずっと変わらないシンクレアの笑みも、今は彼岸の輝きを発していた。そうして疾走しながら、ピアノはオーケストラを間断なく引っ張って、無限に続く扉を開き続け、一つ開くたびに光は増した。やがて、ピアノがコーダの扉をいっぱいに開け放ったとき、ピアニストは一瞬、そこから溢れ出た陽光を一身に受けて立ったかのように見えた。交響楽の大地からたったひとり立ち上がった、至福の、あるいは至高の王者のようだった。 (下巻p234)

これに付け加えるべき言葉は、ない。
そしてキムのこの台詞で、締めくくりましょう。

★「あの《リヴィエラ》に、こんな音楽を聴かせてやることはなかった……!」 (下巻p235)


【今回の名文・名台詞・名場面】
今回はかなりの部分を泣く泣く割愛しました・・・。

★「あなたは出てこれないのではないかと思った」とバーキンは囁いた。
「あなたこそ」と手島は応えた。
「上には内緒ですか」
「ええ」
「私も似たようなものだ」バーキンはそう言って、くすりと笑った。笑うと、なぜか学生のような感じになる。ダーラムとは違う階級の、楚々として笑い方だった。
 (下巻p226)

キムと手島さんの再会場面。ああ、私は二人の真後ろの席に座って、二人をそっと見つめていたいわ。(二人の前に座ったら、緊張のあまり、全身こわばってしまうだろうから。後ろの席なら、キムの金髪も手島さんの黒髪も眺め放題だもん)

★「東京で出会った勇敢なお二人に」とダーラム侯。
「奇跡に」とシンクレア。
「今夜のブラームスに」と手島。
「私たちがまた揃って会えますように」とバーキン。
 (下巻p240)

ここは『リヴィエラを撃て』の中で屈指の名場面の一つ。実際にこの場面を目撃したら、いい男たち四人のオーラにあてられ、煽られ、あまりの眩さにクラクラし、最後は気を失ってしまいそう・・・。

★「僕らは一つのゆりかごに放り込まれて育った。乳母車も哺乳瓶も一緒だった」とダーラム侯は笑い、シンクレアは「おかげで、互いに齢二歳で憎しみを学んだな」と応えて笑う。
「三歳で裏切りを学んだ」とダーラム侯が言えば、「四歳で殴り合いを」とシンクレアが応じ、「五歳で血判して永遠に裏切らないことを誓ったが、実行に移したのはほんの最近だ」とダーラム侯は笑った。だが、二人の男は過ぎた日々を懐かしむ目はしていなかった。すでに人生の多くの山を越してきた後に、今は最後に残った山を見据えていたのか。自分たちの先に続く道以外の何も見ていない二人の目にはまた、手島やバーキンの存在も遠かったのかもしれない。
 (下巻p240~241)

ダーラム侯とシンクレアさんの幼い頃の過去の日々が判明する貴重な部分。同じ幼馴染みでも、『神の火』の島田浩二さんと日野草介さんとはまた違ったタイプの、長く濃く、時には細くなったり太くなったりする絆が紡がれていたことが窺えます。

★「おかげで、今夜は素晴らしかった。あのブラームスを、日本の方々に聴いていただけただけでも幸運だった。今夜のブラームスは、ほんとうに素晴らしかった。それは、この男と私が一番よく知っている」 (下巻p242)

★「この男は今夜、多くの死者のためにあれを弾いた。だが、生きている者のうちで一番嬉しかったのはこの私だ。かつて私は《ギリアム》と《リヴィエラ》の陰謀にこの男を引きずり込んだ。この男の手は汚されたが、それでもなお世界最高のピアニストであることを否定出来る者は、誰もいない。それが私にとって、どんなに嬉しいことか。この男はピアニストであることにおいて、誰よりも真摯で果敢だった。私の誇りだ。 私のキングだ。私を騎士道へ立ち返らせてくれたキングだよ」 (下巻p242~243)

「ダーラム侯、シンクレアさんを大絶賛」の2つの引用。幼馴染みで従兄弟で雇い主とピアニストであることを差し引いても、どんな美辞麗句も虚しく響くような、ダーラム侯の心からの真情が発した想いと言葉が伝わります。

★バーキンはたしかに、以前とは比べ物にならない直截な物言いをしていた。一月に会ったときに、目や口許にかすかに浮かべていたためらいや苦悩の色を、今ははっきりとした形で見ることが出来た。以前より格別にくっきりした輪郭になったその顔は、紛れもない日一人の人間のものだった。
「手島さん、最初で最後の話をしましょう……」と、そのバーキンはあらためて語り始めた。
 (下巻p245)

この一夜のキム・バーキンは、MI5に属する人間であると同時に、「一個人」としての側面も見せているということですね。
「最初で最後の話」は、後の展開のネタバレにちょっと触れるのでやめますが、正直に言うと、この内容は私は不勉強なので、コメント出来ないというのが事実。何冊か関連書籍は買ってあるんですけどねー。読まなきゃねー。

★「ああ……」とダーラム侯の自嘲まじりの詠嘆が聞こえた。「その通りだ。私は彼女がスパイだと知っていて結婚した。だが、心底愛したのだよ、これでも」
「しかし、あなたはスパイの夫の役を、最後まで務められなかった」
「賛辞として聞いておこう」ダーラム侯は悲しげに微笑んだ。
 (下巻p251)

「えっ、ダーラム侯、レデイ・アンを愛してたの!?」とツッコミ入れたくなるような衝撃の台詞。まあ・・・シンクレアさんへの愛し方とは異なる愛し方なんでしょうが・・・レディ・アンの立場からすると、ちょっとねえ・・・。

★「しかし、私たちはあの工作に関わってきた張本人だし、私とノーマンは早くから、何らかの形で個人的な責任を取りたいと願ってきた。だが、それが許されないのも分かっている。私もノーマンも、情報部員としての責任や義務は逃れられない。しかし宣誓書には、人生の最後を個人として終わってはならないとは書いてないからね」 (下巻p252)

確かにそうかもしれませんが、やっぱりダーラム侯は甘いかな・・・と思わずにもいられないところ。

★「みなさん、この通り、私にとっては今はもう、この男しかいないのだ。この歳になると、心身ともにほんとうに波長の合う人間は、世界に一人か、せいぜい二人もいれば良い方になってくる。幸でも不幸でもないし、恋とも友情とも違うが、私に残された人生で、『お早う』とか『おやすみ』を言うことの出来る者は、不幸にしてこのダーラム侯エードリアン・ヘアフィールドだけなのだ。侯爵を不本意な形で失うようなことは、私自身が許さない」 (下巻p254)

★「私は自分の人生はピアノがすべてだったとは思っていない。あのジャック・モーガンにとって、テロリズムなど彼のほんの一部でしかなかったのと同じだ。私はピアノを弾かなくなっても、人間として与えられた義務がいくつか残っている。過去は、どのような形であれ清算しなければならない」 (下巻p255)

今宵一夜(←ベルばらか?)の、シンクレアさんの屈指の名台詞、引用2つ。ここのシンクレアさんの毅然とした態度と物言いは、ものすごく好きだ! サー・ノーマン・シンクレアという人間の、幸も不幸も、酸いも甘いも、喜怒哀楽も、全てが含まれている気がしてならない。

★「バーキン、あなたは今夜はよく飲む」
「失礼、今夜は特別だ」とバーキンは微笑んだ。「手島さん、ほんとうに特別の夜だ。さっき侯爵がおっしゃった通り、今夜はみな、普段は決して話せないことを話した。こんな夜は二度と来ない……」
 (下巻p258)

・・・何て不吉なキムの予言・・・。

★「もう一つ聞くが、君はキム・バーキンとどの程度親しいのかね?」
「ケンブリッジの同窓生として、会えば挨拶をし、世間話をする程度です」
「昨夜ひと晩一緒に過ごして、もう少し立ち入った話もしたのだろうと我々は考えているが」
手島は沈黙した。
 (下巻p260)

ここのテッシーの沈黙したことによる無言の返答が、私は好きだ! キムの評した《食えなかった》男の片鱗が、現れてると思うの。

★手島は、ダーラム侯やシンクレアがバーキンが感じている危険を、今度こそ自分も分ち合うときが来たのかな、と静かに考えた。 (中略) しかしそれが、一月の死者二人を悼む者が等しく負わねばならない危険だというなら、手島はすすんで負おうと思った。バーキンたちが三人で負担している危険も、四人で負担すれば、一人分の危険はわずかでも減ることになる。 (下巻p263)

ここです。私が手島さんに惚れたのは、ここを読んだ瞬間からです。「ああ、私はこの人をずっと好きでいられるな・・・」と、手島修三さんは私の中で、不動の位置を占めることになりました。それは今も揺らぎはしません。


お子さまはご遠慮下さい  (下巻p206)

2006-12-11 23:44:23 | リヴィエラを撃て 再読日記
2006年4月10日(月)の『リヴィエラを撃て』 は、下巻のp169から1992年2月――東京のp225まで。

私のごひいき、手島さんがようやく表舞台に帰ってまいりました。
手島さんが読み手にあまり人気がないという不幸(笑)の根源は、この間にジャックやらシンクレアさんやらダーラム侯やらにキムやらに、思い入れが移ってしまったからではないでしょうか。
かわいそうな手島さん。でもいいのよ、私がいるからね♪

【今回の主な登場人物】

ジョージ・F・モナガン・・・今回の手紙は、読み応えあり。
キム・バーキン・・・こき使われるのはつらいよ。
手島修三・・・中間管理職はつらいよ。
《エイブラム》・・・ダブルスパイはつらいよ。
倉田・・・イヤミな上司、その1。
《ギリアム》・・・手島さんへと忍び寄る魔の手。
坂上達彦・・・子煩悩なパパ。
松野・・・イヤミな上司、その2。
《エルキン》・・・やっと本物の登場。
手島時子・・・「父親が検事」ということは・・・?
ダーラム侯エードリアン・ヘアフィールド・・・今回の影の主役。


【今回のツボ】

・手島修三さんのすべて。 ・・・ノロけたいんか、私・・・。

・時子さんの父親の職業。 「高等検察庁検事正」・・・ということは、単行本版『照柿』 (講談社) では、加納兄妹の父・加納宗一郎さんの方が、位は上だったのですね。
(加納パパは検事総長を務めた。但しこの記述があるのは、単行本版『照柿』 (講談社)のみ。文庫版では、加納パパの名前も職業も記述がなかった。おまけに加納ママも鬼籍に・・・)


【今回の音楽】

 ブラームスの変ロ長調のピアノ協奏曲・・・ピアノ協奏曲第2番のこと。
 モーツァルトの『リンツ』と、ブラームスのホ短調の第四番・・・どちらも交響曲。本当なら、三月十日はこの二曲が演奏される予定だったが、ブラームスの交響曲をピアノ協奏曲に変更。


【今回の飲食物】

・野菜、マトン、エビのカレー・・・有楽町のスリランカ・カレー専門店で、坂上さんが手島さんにご馳走したもの。手島さんはマトンを食べて、あまりの辛さに火を噴いた。
・スタウト・・・自宅で手島さんが飲んだもの。黒ビール。

***

【登場人物の描写】

手島修三さん♪ 今回で、手島さんの公・私生活がかなり判明。

★第一回目の訪日を終えて戻ってきたキムによれば、君の第一印象はとてもイギリス的で《食えなかった》ということだ。 (下巻p174)

○田くん、キムに座布団1枚!(笑)

★「元気か? 何か困ったことはないか?」と手島は切り出した。いつも、そういう言葉で始めるのが手島の流儀だった。もっとも、日常的に身の危険にさらされている情報屋やスパイに対して、コントローラーがかけることの出来るささやかな気づかいの一つに過ぎなかったが。 (下巻p178)

手島さん、優しい~

★部下の坂上達彦の娘の中学入試の合格発表がある日だと、手島の手帳には書かれていた。上司や部下の冠婚葬祭はもとより、そうした私生活の話題に細かく気をつけて、円滑な人間関係を損なわないよう注意を払うことも、この日本では社会生活の一部だった。 (下巻p184)

手島さん、気配りの人。もしも21世紀だったら、下手すりゃ「個人情報が云々かんぬん」と言われそうだけど、職場が職場だからな~、いいんだろう・・・か?

★手島は、鏡の中に残った自分の蒼白な顔を見つめた。秘密を抱いた顔。裏切り者の顔だ、と思った。だが、口許に走った一本の皺に隠れているのは、ほくそ笑みとはほど遠い嫌悪とためらいだった。 (中略) ウィーン・フィルの三月公演の記事一つを手に、この東京でひとり身震いをしている自分は、いったい何者なのだと思うと、鏡の中の男はあらためて、痩せた頬を引きつらせた。 (下巻p187~188)

ここの描写は手島さんの内面が表現されていて、とても好き。高村作品男性キャラクターには、「鏡を見て、自省したり嫌悪を感じたりする」というパターンも多いですね。鏡はある意味、自分をさらけ出す。だけど鏡に映る顔は、皆が見ている顔ではなく、左右対称の別の顔。そこに自分の隠された内面が、暴き出されている・・・という感覚が、近いのかもしれません。

★この十三階では、浮世の阿鼻叫喚とは無縁の、形も匂臭いもない情報という名の妖怪を飼っている。そしてその世話係の一人は、未だに日本語に不安の残る、灰青色の目をした怪しげな日本人で、それが今、上司の部屋に忍び込んで、デスクの引き出しを荒らそうとしているのだった。 (下巻p191)

手島さんの仕事の本質の裏表。「情報」は大事だけれど、「人命」よりも大事なものか? 古今東西、国家レベルでは「情報」一つで生死を分けた例も、多々ありますが・・・。その「情報」に振り回された人間が、ここに一人。
余談ながらここが唯一、手島さんの目の色についての描写がある場面ですね。灰色と青色を混ぜた色と思えばいいのかな? (←そのまんまやん)

★妖怪を飼っている外事課は、いざというときに、何ひとつ動けないのだ。 (中略) 
同じ庁舎に住みながら、手島は実際、よほどの事情がない限り、自分がどこの所属の何者だと名乗ることもはばかられる立場だった。 (下巻p196)

「情報」を扱う外事課員が、「情報」に縛られる図式。自ら定めた法によって逃げることもかなわず、「法を為すの弊」と嘆息した商鞅(中国の戦国時代に、弱国だった秦を強国へ押し上げた人物)のようですな。(ちと違うか)

★手島は、これが自分の独断と不注意の引き起こした事態であることは分かっていたが、それは結果であって、一つの事案についての自分の関心の持ち方や、状況判断や、捜査の手法が、一人の人間の死を招くようなものであったことについて、当惑せざるを得なかった。どこが間違っていたのか、自分の発想のどこが、日本やアメリカの国益に反していたというのか、まったく分からないままだった。あるいは、開けてはならない歯を開けたのかとも考えたが、それでは開けてはならない箱とは何なのか。国益に鑑みて開けてはならない箱がある、というのは了解できるが、その箱のために、若い男女を虫けらのように殺したり、大事には関わっていない留学生を簡単に抹殺したりすることが許されるのか。そんなことがあってもいいものか、という気がした。 (下巻p197~198)

手島さん、優しい~ その2。だけどその優しい感情が、命取りなのよ~(じたばた)

★灰色の目だけが、何かを見据えるように見開かれており、その目に自分が見つめられているように感じたとたん、手島はあらためて、自分は開けてはならない箱を開けたのだと納得した。一週間前に自分の目がもう少し開いていたならと思うと、自然に涙が溢れてきた。死者の冷たい手を取って、自分の唇に押し当て、それが精一杯で、手島は部屋を出た。後ろから追ってくる大使館員が、「もう少し話を……」と言ったが、手島はもう応えなかった。 (下巻p200)

死者を悼む手島さん。以前もここで書きましたが、 私もこんなふうに手島さんに哀悼されたら本望です。

★背後に響く規則正しい靴音が、何か呪文のようだった。それが手島の頭を、ひたひたと叩き続けた。そのリズムの狭間から、ひと足ごとに死んだイスラエル人青年の呻き声が地から湧き上がってきた。手島を信じ、手島なら自分を危険な目に遭わせることはないと信じて、快く仕事を引き受けた《エイブラム》の、苦悶に満ちた『なぜ』が耳に響いた。
死者の声。姿のない殺人者の気配。尾行者の靴音。それらを吸い込んでいく街の闇は途方もなく深かった。
 (下巻p201)

手島さん、辛いなあ・・・。だけどここの描写も、すごく好き(←顰蹙買いそう) 後に手島さんが対峙すべき「なにものか」の一角が、現れた場面でもあるので。

★「ふざけるな」手島は顔を正面に向けたまま、低くした声ではねつけた。「私はあなた方と何かを約束した覚えはない。ふざけるな」 (下巻p203)

手島さん、ご立腹。ここが唯一、手島さんが「怒り」を発した場面ではなかろうか。手島さん、どこかの刑事さんとは違って、あまり大暴れしないし、めったに怒鳴らないし、どこまでも紳士的なのですよね。

★手島が公務員になったとき、一番最初に覚えたのが、対人関係における自己主張の仕方だった。相手が上司であれ部下であれ、相手の意向をよく読みとった上で、ともかく面と向かっての反論や拒否を避けることを学んだ。加えて階級社会での上下関係の厳守と、適度な愛想のよさも身につけたつもりだった。その結果どうなったかと言えば、時を置かずして、手島は自分が組織の中で完全に浮いているのを発見した。どこがどう間違っていたのか、理由については分かる部分も分からない部分もあるが、きわめて不本意な形で、手島は上司の欲求不満の捌け口になり、部下の不満の受皿になって、自分自身の主張はどこにもない、一種の緩衝地帯になってしまったのだった。そうして、課内の人間関係のバランスが取れているのなら、それはそれでよかった。しかしその一方で、長年叩き潰してきた自己が、最近は少しずつ頭をもたげてきているのを感じ、その発露の仕方は、自分でも危険だと感じるような不穏なものだった。書類上の国籍はあっても、自分がこの組織の中では永久に日本人としての信用を勝ち取れないことは早くから知っていたが、そんなところで、この先自分はずっと生きていくのかと、自問する日が多くなっていた。 (下巻p204~205)

長い引用になりましたが、ああ、悲しき中間管理職の手島さん・・・。だけどこの方もある部分では、どこかの刑事さんと似たり寄ったりの同類だったか・・・(苦笑)

★「手島さんは、そう言いながらひとりで走っているじゃありませんか。ウィーン・フィルの公演だって、はっきり言って何かある。僕はこのコンサートに行く気はありません。手島さんも、よく考えて下さい」
自分はひとりで走っている。そうかも知れない。真実や死者の名誉のため、と言えば聞こえはいいが、それは直接の動機とは言いがたかった。些細なことではあるが、日々傷つけられてきた自分自身の誇りに対して、こんな形でしか応えることが出来ないというのが、一番真相に近いのかもしれなかった。
 (下巻p208)

部下兼友人の坂上達ちゃんの忠告と、手島さんの心境。人知れず抑圧され、隠してきた手島さんの誇りの高さというものも、相当なものですね。でもいいの、こういう手島さんも好きなんだから。

★「いいじゃないの。あなたもヘマをやることがあるんだというのは大発見よ。私は、ひょっとしたら機械と結婚したのかと思ってたんだから」
「機械で稼ぎが悪けりゃ、言うことないな」
「そうねえ。清貧がいやなら公務員をやめろと父が言っていたのは事実かも」
 (下巻p210)

手島夫妻の会話、微笑ましいですね♪ ところが・・・↓

★そうは言うが、元高等検察庁検事正を父に持つ娘が結婚を決意した時点での相手は、現在ある手島のような男ではなかったのも事実だ。十年前の結婚式で雛壇に並んだのは、ともに若く美貌で優秀な理想のカップルだったのに。
手島がニヤニヤし始めたので、時子も一緒にニヤニヤした。
「あなた、今日はやけにハンサムよ」
 (下巻p210~211)

高村作品キャラクターで、自らとその伴侶を「美貌」と表現した人は、手島さんしかいないぞ(半分、冗談であったとしても) 李歐もシンクレアさんも加納さんも、口にしてないぞ。すごいなあ・・・。でも手島さんはハンサムよん♪ 二枚目よん♪ 時子さんも保証してるもん。ところで、単行本版『照柿』の加納パパは、来賓で出席したんだろうか? 仲人だったら、更にスゴイが。


【今回の名文・名台詞・名場面】
手島さんに力を入れたので、今回はそんなにありません。

★享年三十六歳。一面ではごく冷静で現実的な洞察力の持ち主であった《伝書鳩》が、《リヴィエラ》を巡る荒唐無稽の泥沼に足を取られた理由は、私には分からない。だが、八九年のロンドンを駆け抜けた男の姿が、今は亡い者の彼岸に吸い寄せられるような虚無に満ちていたとしても、私にはやはり、それを覆って余りある国家の腐臭の方が強烈に感じられた、《伝書鳩》の死だった。 (下巻p170)

《伝書鳩》ことケリー・マッカンの死についての、モナガンさんの述懐。何とかしてジャックを生かそうと努めた男の生き様と死に様、実は単行本版と文庫版では異なっています。個人的には文庫版の方が好み。

★何のためのキリストの贖罪かと信心深い者なら言うだろうが、神の一声で救われるほど現実の人間の苦しみは甘くない。 (下巻p173)

ジャックの死についての、モナガンさんの述懐。重い言葉だ。

★「子供がいなかったおかげで、私は大人になれたようなものよ。子供に逃避せずに済んだんだわ」 (下巻p211)

時子さんの言葉。こういう立場になって初めて、「大人」になる方法もあるのか・・・と目から鱗が落ちた。「子供に逃避」というのは、教育ママになり、子供の進路や就職が自分の思い通りにならないとグチグチ言い、その挙げ句に子離れ出来ない状態をさすのだろうか。

★「ああ……」と呟きを洩らした。「手島さん?」
「そうです」
手島の驚きも構わず、ダーラム侯はその優美な美貌をゆるめ、肩で溜め息をつき、乱れた髪を軽く指先で整えると背筋をすっと伸ばした。そうしていきなり、「私とシンクレアを見張ってらっしゃるのですか」と尋ねてきた。
「いえ……」
「あなたのことは《ギリアム》から伺った。あのヨークシャー豚と文通しておられるんですか?」
「いえ」
「そう。それは結構。あなたがイエスと応えたら、唾を吐くところだった」
 (下巻p217)

手島さん、ダーラム侯と邂逅。ここが「最も美しい」ダーラム侯でしょう。今までを振り返ると、ぐでんぐでんに酔っぱらってた姿しかありませんから。(ジャックと《ホワイト》で過ごした時も、優雅な格好ではあっても、しゃきっとはしてなかったし)
テシマニアとしては、《ギリアム》がダーラム侯たちに、手島さんのことをどう語ったのか、気になるところ。

★そうしてあらためて背筋を伸ばした男の顔は、手島が昔、大衆紙のカラー写真で見ていた天下の色男のものとはかなり違っていた。 (中略) 確かに今は、イギリスじゅうの美男美女を手玉にとって遊びまわっているような風情ではなかった。それどころか、その目線には、キム・バーキンと同じ諜報の世界に身を置いている者の特殊な神経がちらつき、それが身にしみついた貴族の風格や、この通りの美貌と合わさって間然するところがない。ウィリアム征服王の時代から、裏切りと策謀が伝統的にイギリス支配階級の専有であったことを、手島は今さらながらに実感した。 (下巻p219)

美しいダーラム侯・その2。しかしスパイとして培われた視線の険しさと、神経の鋭さも加味されている、厳しいもの。

★「モーガンという青年は、東京のアパートにサー・ノーマンのレコードを大切に置いていました……。それも、私が今夜ここへ来た理由の一つです」
「ああ……そういう話をしたら、ノーマンは今夜はもう演奏が出来なくなる。しばらくその話は彼には言わないでおきましょう……」
 (下巻p221~222)

心優しいダーラム侯。そりゃこんな話を聞かされたら、シンクレアさんは演奏せずに、《リヴィエラ》の首に手をかけてギュギュッと締め付けるんじゃなかろうか。ピアニストの握力は常人よりもものすごいから(軽く50~60キロはあると聞いたことがある)、《リヴィエラ》はすぐにあの世へ逝っちゃうよ?

★「何も。ノーマンはブラームスを弾き、田中はそれを聴けばいい。  (中略) そのときのピアノの音を、そして一九七二年十二月という特別な時期のことを、《リヴィエラ》は思い出せばいい。それだけです」  (下巻p223)

★「そうですね。《リヴィエラ》は、せめて発狂ぐらいしてほしいものです。もし、あの男に人間の血が通っているならば」  (下巻p223)

ダーラム侯、《リヴィエラ》を語る2連発。しかし・・・お貴族さまだから仕方ないのか、上品なちょっとした甘さも露呈していますな、ダーラム侯。