あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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……時間通りに来いよ。俺が居眠りしないように  (単行本版p441)

2007-11-26 00:06:32 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
2007年10月19日(金)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、五  結実のp391から六  収穫の最後まで読了。つまり全て読了。
ほぼ当初から見込んだとおり、事件が終了する10月20日までに読み終えることが出来ました。

今回もタイトルは悩んだわ・・・。前回と同じく、困った時の義兄頼みで、義兄の台詞を。

【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★「私らは、そういう物の考え方はしません。一枚嘘のカードが出てくると、残りも全部嘘だと考えます」
「一枚正しいカードが出てきたときは?」
「残り全部、やはり嘘だと考え、一枚一枚めくっていきます」
 (p400)

おおお、さすが刑事・合田雄一郎! これが何で私生活に活かせんのだ・・・(小声)

★ひどい運命ね……と真知子は声に出して呟いた。
死にたい私は死ねなくて、やっと治ってこれから生きなきゃならないあんたは絞首刑よ。六人も殺して。罪の意味が分かったときには、あんた死んでるのよ。六人も殺して。ひどい運命ね……。
 (p408)

入力してみて気づきましたが、マークスくんには「罪」とはどんなものなのか、恐らく理解出来ていない、分かっていないと思う。

★《一一〇番》という女性の応答が聞こえると、突然、臓腑をしぼられるような悲嘆に襲われて絶句してしまった。真知子は受話器を手にテーブルに平伏した。
「水沢を許してほしい! お願いだから……!」
 (p408)

真知子さんの悲痛な叫び。もう、これしか言う言葉がないよね。

★「法律は庶民感覚がなくて守れるものか」 (p410)

・・・今となっては信じられない、若かりし林原氏の発言。もしも加納さんが耳にしたら、「その通り」と頷いていそうだ。

★自分も、あるいは加納も、なぜ山へ登るのか。(中略)
闇の圧力に耐えられない耳に幻の歌声が響き、熱の針のように感じられる寒さが凍った皮膚を刺し続け、判断力を失った頭にこの世のものでない絵姿が浮かび続ける、そうした山中の夜、興奮と鈍麻がくりかえし交代する中、自分がまるで別人になったような感じを懐く。
下界で生きているときには思いもよらない発展、爆発、開花を感じる。それは恐怖にも歓喜にもつながるような、不安定な精神状態だが、それこそが麻薬のように自分を吸い寄せるものに違いない。
 (p425)

★殺人こそ犯すことはなかったが、情念の発作という意味ではそれに近い様態は、何度もあった。理由のない無言の憤怒、不安、陶酔がくり返し押し寄せ、加納とは真夜中にいきなり殴り合いを始めたこともある。互いの首に手をかけたこともある。
かと思えば、底雪崩の轟音が下ってくるのを聞きながら、ぼんやりと二人で坐ったまま動かず、《俺たち死ぬぞ》と笑っていたこともある。そのあと雪崩の爆風に吹き飛ばされて、互いの姿がしばし見えなくなると、突然激しい憎しみが走り、次いで《愛してる》と思った。憎しみ、愛していると感じたのは、雪と山と寒さと恐怖と、世界と加納のすべてだ。そうしたことを、これでもかというほどくり返しながら、岩稜が天に向かって続く限り、またひたすら登っていく。
 (p425)

★山々に感応する者の心身は、あの五人の男たちがそうであったように、大なり小なり傍目には分からない隠微な暗い底を持っているのだろうか。狂気と一体の解放の予感に引かれて山へ登る人間がいるとしたら、この自分もその一人かもしれない。 (p425)

長い引用になりましたが、上記3つの引用。登山をしている人間でなければ、到底出てこない表現であり、世界観ではないでしょうか。この作品は、登山をする人間たちの隠微な部分を知らしめた作品でもありますね。

★「現実的であると同時に厭世的で、自己陶酔的で、限りなく献身的で利己的で、且つ……繊細なところが」  (p429)

お蘭の名言。これを単行本版『マークスの山』の中で、一番の名台詞に推挙する方も多いと思われる。
なのに私は未だにそらんじることが出来ない・・・覚える気ないんだろうか?(←多分)

★貴代子に未練がある、加納祐介に未練がある。それだけの事実であリ、権力や自分の社会的立場とも無縁な、個人の話だった。終わったのか終わっていないのか、結論を出さずにいることも含めて、そのまま受け入れたかった。何にも侵されない個人の領域を、自分に閉ざす理由はない。 (p429~430)

ここの部分の合田さんの加納兄妹へ対する想い、文庫版との違いがはっきり分かりますね。文庫版では「未練」なんてなかったでしょ、合田さん?

★「合田さん、山をよくご存知のようだが……」
「はあ。よく登ってました」
「やっぱり、そうですか……」
佐野は、三年前に初めて合田と出会ったとき、なぜか最初に連想したのがひたすら鋭く切り立った穂高連邦の垂壁であったことを思い出した。しかし今は、裾野がどっしりと広がり、なおかつ日本第二の高峰である北岳の伸びやかな雄姿の方が、似合っているかもしれないと思い始めていた。
 (p432)

「士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待つべし」という、『三国志』の呉の将軍・呂蒙の名言を思い浮かべてしまうような、佐野警部の合田さんへの瞠目ぶり。

★岩をよじ登る手足に、絶対的な無機物の冷たさが沁みていた。轟轟と鳴る空に生命の声はなかった。岩も雪もわずかな草苔も凍っていた。地球は温かい星だと、誰が言ったのだろう。生命の死こそここでは自然であり、生きている者こそ孤独だった。 (p438)

これも登山をしている人間でなければ、到底出てこない表現であり、世界観でしょう。

★合田は思い出した。この白峰三山の稜線に立つとき、東側に見えるのはいつも、どこまでも、空と光と、真正面に浮かぶ富士山頂の姿しかなかったことを。その手前にも背後にも、何もない。ここから望めるものは、日本一の富士一つだ。 (p440)

マークスくんは一瞬でも見ることが出来たんだろうか。せめて一筋の月明かりででも・・・。荒れた天候だったからダメか・・・。見せてやりたかったですね・・・。

この作品を読んで、北岳登山を実行された方々もたくさんいらっしゃるようです。登山が趣味の方々が、ブログで写真入りの記事をアップされています。それを拝見するのが、楽しみの一つ。
私は本日知ったばかりなんですが(苦笑)、毎日新聞の今夏の記事で、小説「マークスの山」の舞台、南アルプスの北岳を望むという、記者さんが訪ねる企画があったのですね。これって、東京版だけに掲載されたのですか?

★「祐介。頼みがある」 (p441)

何てことない合田さんの台詞ではありますが、実は悲愴な決意を秘めた呼びかけ。単行本版『マークスの山』で、唯一合田さんが加納さんの名前を呼ぶ場面なので、個人的に取り上げたかっただけでもあります(苦笑)
だけど合田さんも思い起こせば、「困った時の義兄頼み。あるいは苦しい時には祐介と呼べ」という無意識のパターンになっていることが多いですよねえ・・・。

★「なあ……正月登山は北岳にせえへんか」
《いいとも。ゆっくりゆっくり登って、日本一の富士を眺めようか……》
 (p441)

単行本版『マークスの山』を締め括る、合田さんと加納さんの電話を介しての対話。
長編の<合田シリーズ>は、ほとんどのラストで義兄がおいしいところをさらっていくよなあ。まったくもって、これほどおいしいキャラクターはおりませんよ!
現在の連載でも、ラスト近くで加納さんの出番を設けていただきたいです、高村さん!(切なる希望)


さて、単行本版p441全てが文庫版では影も形もなく削除されております。「何で!?」と驚愕・落胆された方も多々いらっしゃると思います。
もちろん私も惜しいとは思うのですが、上梓されてしまったならば、それはそれで受け入れるしかない。義兄の言葉を借りるなら、
「自分の腹に収める場所を見つけるだけだ」 (『LJ』下巻p352)
・・・ということです。

しかし、この削除された理由は明白です。単行本版『マークスの山』が出来上がった時点では、『照柿』 と 『レディ・ジョーカー』 の構想が、白紙状態だったと思われるから。
ひょっしたら合田雄一郎という刑事の物語は、『マークスの山』ただ一作限りだったかもしれないからです。

続編の構想がないまま、単行本版『マークスの山』を作り上げた可能性の方が、断然高い。
そうでないと、『マークスの山』 と 『照柿』 と 『レディ・ジョーカー』 で、整合性がない部分が少しあることの説明がつかないんですよね。

単行本版p441では・・・ちょっとネタバレしますが・・・ただ一人残ったあの人を、とことん追いかけるという決意を、合田さんはしています。この一作限りで終わったとしたら、それはそれでいいのですよ。物語の終わりとしては、何の不思議もない。
また、正月の登山を北岳に、というのもどうでしょう? 合田さんとしては、事件のけじめをつけるという意味と、弔いという意味と、改めてこの事件を振り返ってみたいという意味が、含まれているような気もするんですよ。

だけど「刑事」として新たな事件に追われる身としては、一つの事件に立ち止まっていることは、許されないことでしょう。合田さんも 単行本版『照柿』 で義兄に言っています。
「それは違う。登山は、退いても何も減らんやないか。刑事の仕事は、一つ退くたびに、確実に何かが減っていく」
「何か、というのは」
「地歩みたいなもの……かな。手柄や地位の話やない。休みなく一歩一歩固めていかないと、己が立つ場所もないような感じだ。事件というのは、毎日毎日起こるからな……。退きたくても退く場所もない。せめてホシを追うことで、自分がやっとどこかに立っているという感じだ……」 
 (単行本版『照柿』p252~253)

だけど私たちはこの後に、『照柿』 と 『レディ・ジョーカー』 があることを、知っている。合田さんが登場する作品があり、彼の生き様や遭遇する事件があることを、知っている。現在の連載作品にも登場していることを、知っている。

ならば単行本版p441は、文字通り「蛇足」なわけです。<合田シリーズ> として続いていくことを知っていますから、文庫版で削除されても、何もおかしくはない。
文庫版では削除された代わりに、他の新しい場面がいくつか加わっていますから(それもまたおいしいですから)、両方楽しめる。それも良しということで、よろしいではありませんか。

***

これで マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記 は終わりです。お付き合いありがとうございました。
時間を置いて、マークスの山(単行本版改訂後) 再読日記 や、中断している マークスの山(文庫版) 再読日記 も、再来年くらいにやりたいですね。(「来年」の間違いではないので悪しからず)

さて、これまた滞っている神の火(新版) 再読日記   神の火(旧版) 再読日記   李歐 再読日記 のいずれかをやらねば・・・。
「舞鶴地どり」もやり残している・・・。

ああ、宿題、たまりすぎ!


平成元年の夏に玄関のマイセンの花瓶を割った男です  (単行本版p355)

2007-11-14 00:43:15 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
2007年10月18日(木)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、五  結実のp341からp391まで読了。

いよいよ佳境。
今回分の内容では、「お蘭には負けたぜ」 の部分よりも、もっと凄まじい改訂がされている部分がありました。恐らくここが単行本版最大の修正部分ではなかろうかと睨んでいます。
p342~p345です。改訂前の単行本と改訂後の単行本を所有されている皆さま、ぜひ比べてみて下さい。

改訂後の単行本で読んだ時の記憶がうっすらと残っている私は、文庫版でのこの同じ部分は、「ああ、ペコさんの台詞が林係長になってるな」という程度の感じ方でしたが、今回実施した改訂前の単行本での読書では、「えー? こんなんやったっけー?」と不思議に思い、ここだけはその日のうちに、改訂後と見比べました。

・・・改訂前の方が、分かりにくい。唐突過ぎて、分かりにくい。おまけに合田さんがこれでは、全然優秀ではありません。刑事としては下の下になってしまいます(←そこまで言うか) これは高村さん、書き直すはずですよ・・・と素直に納得してしまいました。

「だったら引用しろ!」という話ですが、重要なネタバレになるので出来ません。悪しからず。
あまり重要でないネタバレなら出来ますが(笑) お蘭の病欠届けに関しての、ある部分。ペコさんと合田さんの会話です。
【単行本版 改訂前】 多分、28版までこうなっている。(私の所有本は28版)

★「皮膚炎で寝ているというのは、ほんとか」と吾妻が囁く。
「ほんとや」
 (p345)

【単行本版 改訂後】 恐らく、29版以降はこう変更されている。(私の所有本は77版)

★「お蘭の奴、またジンマシンか」と吾妻が囁く。
「ああ」
 (p345)

万が一、版数が異なってましたら、ご一報下さいませ。あるいは内容が違うという場合も、無いとは言えません。更に改訂が行われている可能性があります。
・・・一体どこまで、改訂に改訂を重ねているのだ、単行本版は・・・。


話は変わって、今回のタイトルの由来は、p267を引用すれば分かるはず。

《(前略) その家の玄関で、猫にひっかかれたあんたが、マイセンの花瓶をひっくり返して、あとでうちの署長が陳謝しに行ったってやつだ、ハッハッ》 (p267)

どうやら合田さんは、猫にも犬にも好かれないタイプの人間らしい。
ちなみに犬の場合↓

寝ている間に犬に小便をひっかけられたらしい臭いがした。 (p234)

これは公園で居眠りしたあなたが悪いですよ、合田さん。加納さんの財布や身辺を気にかけるより、ご自身の財布と身辺をまず省みましょうね。

それにしても今回分も、引用しにくい部分ばっかり・・・。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★人を愛している女はそういうものだ。男が隠していることを、本能のように見抜く。 (p346)

そのことを合田さんは、貴代子さんで経験しました。
女性の観察眼と勘の鋭さは、男性にはやはり脅威みたい。

★日々雑多な事件を見て鍛えられてきたはずの神経が、ちょっとしたことで軟化し、揺らぎ始めるのはいつものことだった。警察の関知しない領域の深さを覗いて戸惑い、無為に足が止まる。『そうであるべきだ』と加納などは言うが、足を止めて得るものは現実には何もない。加害者も被害者も捜査員も、誰も救われる者がないのが犯罪だと、水戸街道を歩きながらひとりごちた。 (p354)

ここの合田さんは、単行本版『照柿』 や <七係シリーズ>の合田さんへと、繋がる何かがありますね。(文庫版『照柿』の合田さんは、ちょっと別もののような気もする)

★「お前……俺より救いがたいな。俺がサドなら、お前はマゾだ」吾妻は鼻先でにやにやして、「変態は二人も要らんぞ」と一蹴した。 (p365)

ペコさん・・・あなたって人は・・・。冗談じみた発言でも、自覚しているだけペコさんのほうが上手か?

★腹の底が少し疼いた。人に対する甘さは生来のものか。いや。日々自分自身が誰かから受けている労りや慰めを、折にふれて人に返していかなければ、荷が重いのだ。それだけのことだと思った。 (p367)

合田さんの感慨。こういうがんじがらめ状態で複雑な合田さんも、私は好きです。

★「不倫の話か……」 (中略)
「不倫の話やないか」  (中略)
「つまり夫婦不仲と不倫の話やないか」 (p369)

不倫話に過剰なほどの嫌悪感をむきだしにする合田さん。ペコさん曰く、
「お前の一番苦手な話だということは分かっているが、辛抱して聞け」 (p369)
・・・だそうで。『照柿』も、もう少しで当事者になるところでしたしね。
つまり合田さんに嫌がらせをするには、不倫話をすればよいのだな!(笑)

★まともな答弁は期待するまでもない代わりに、こちらにもまともな証拠はない、反則も嘘も互角の頭脳戦だ。
「こいつは、もうゲームだぜ」
吾妻は可愛い目をぎらつかせて囁き、合田もつられて「そうだ」と囁いた。職務の感覚では渡れない赤信号も、渡るなら、堪忍袋の緒が切れている今が潮時だ。
 (p374)

いよいよ臨戦態勢を固めたペコさん&合田さん。


というわけで、「マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記」、手抜きしつつも(←こらこら)、ついにここまで来ました。まだ道のりは長いような気がしていたのですが、不思議。
あと一回で終わります。 


我が道を行く義兄殿に負けた  (単行本版p306)

2007-11-11 23:59:25 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
朝日新聞 アスパラクラブのモニターアンケート、今回の回答テーマは「年賀状」でした。(このアンケート回答発表は2週間後です)
設問の一つに「年賀状の数が減った理由は?」とあり、その選択肢に中に「虚礼と思うようになった」というのがありました。言わずもがな、『マークスの山』での加納さんの最初の手紙を思い浮かべたのは、私だけではあるまい。
ちなみに私は、この選択肢にチェック入れました(笑) ここでチェックしなきゃ、義兄ファンではない(そういう問題か?)

***

2007年10月17日(水)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、四  開花のp298から五  結実のp340まで読了。

今回のタイトル、ものすごく悩みました。深刻な内容が続いているし、合田さん関連で笑えそうなところが、あんまりなかったのでね・・・。困った時の義兄頼み。

ところで皆さまは、「義兄」を何と読んでらっしゃいます? 「ぎけい」? 「あに」? 
私は、ごっちゃです。オフで喋る時は「加納さん」以外に、「ぎけい」 「あに」、ちょっとおちゃらけて「おにいちゃん」(←相撲取りかよ)とごちゃまぜ。
ところが本を読んでいる時は、ほぼ100%「あに」です。今回のタイトルの場合、「ぎけいどの」よりは「あにどの」の方が、しっくりしません?

どうでもいいことかもしれませんが、皆さまはどう読まれて、あるいはどう呼んでいるのか、ふと気になったのでした。

それにしても『マークスの山』での、「加納」と「加納祐介」の表記の度合いは、かなり高い。「義兄」よりも多い。
『照柿』 『レディ・ジョーカー』と進むにつれ「義兄」の表記が増えていく・・・。特に『レディ・ジョーカー』なんて、9割は「義兄」表記ですもん。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★そこでしばらく保留音になり、また別の声が《今、どこだ》と穏やかに尋ねた。同僚検事の手前もはばからない、いつもと同じ加納祐介の声だった。噴き出しかけていた罵声が引っ込み、我ながら呆れ返って受話器を取り落とすところだった。 (p303)

・・・ここの合田さんには、微苦笑を誘われる。

★自分行動はよく分からなかった。同僚の前で平然と電話に出る可能の神経も神経も分からなかった。 (中略) 怖くてたまらないときに、電話を入れるところはどこでもよかったのだが、よもや身内の警察にはかけられなかっただけだった。加納の声は聞きたくなかったと、勝手なことを考えた。 (p303)

合田さんへのツッコミ・その1。そりゃあ自分で自分の行動が分からないんだったら、加納さんのことも分からないでしょうよ。
その2。「身内」でない検察へ電話かけたら、最も近い「身内」が電話に出てしまったわけですもんね。ご愁傷さま。
・・・その2はツッコミになってへん。

★佐伯の死は、半分は自分が招いたのだと、合田は唯自分に対して認めた。他人に対して認める気はなかった。 (p305)

この合田さんを「誇り高い」ととるか、「頑固」ととるかで、あなたの合田さんへの感情の度合いが量れます(ホンマかいな)

★加納祐介の姿があった。合田の足が自動的に回れ右をするより早く、加納の声が「雄一郎!」と呼んだ。
加納は手招きをし、悠然と合田の袖を引いて、同僚検事たちの前に引き出すやいなや、「俺の義弟だ」と言った。「合田雄一郎。捜査一課の固い石だ。今後ともよろしく頼む」
 (p305)

常識的に考えたら、普通は紹介しないでしょう。「検事」である男が、「刑事」でかつての「義弟」であった関係の男を。・・・どうも義兄の思考は良く分からない。

★加納は、《またな》と片手を挙げた。合田も片手を挙げた。《俺も正しいし、お前も正しい》そう言いたげな毅然とした目をよこして、加納は背を向けた。 (p306)

「正しい」というのは、難しい言葉ですよね。「検事として正しい」加納さんと、「刑事として正しい」合田さんと。どちらの立場であっても「正しい」のでしょうけど、相対する立場であっては、公に認めにくい。「正しい」の反対は「間違っている」のだから。両方「正」ということは、まずありえないのだから。
あれ? ・・・どこかの哲学者の思想にあったっけ、これ?

★合田は、周囲のざわめきをものともせず、欲も得もなくさらに半時間ほどうとうとした。何があっても寝られるのは、いっときの眠りで不快な思いを流すために自然に身につけた特技だった。 (p313)

そうだったんだ! そんな特技があったなんて、すっかり忘れてましたよ! ・・・というより、覚えていない(笑)

★合田は、自分の頭が鈍かったのだとは思わなかった。 (中略) もし、何かがあるとしたら、それは三年前に合田が代官山で見落としたかも知れない何かだった。 (中略)
自分の胸のうちで、合田はそれだけは認めた。 (中略)
そうは思ったが、それはすべて自分の胸の腹の底におさめた。問いただし、責めるべきが自分であることは嫌というほど分かっていたから、あえて沈黙を通した。 (p329)

中略ばっかりで申し訳ないのですが、ねたばれになってしまう部分があるので省きました。
ここの合田さんの貫き通した沈黙。ここも「誇り高い」ととるか「頑固」ととるか、あるいは両方なのか。・・・両方だろうな、うん。

★真知子のいるところに行きたかった。 (p340)

この時点でのマークスくんの唯一といっていい望み。うるるん・・・。
しかしこの場面の前の彼の行動が、かなり残酷だったのでね・・・。辛いね・・・。

頭も顔もそこそこなら、せめて清潔におしよ (単行本版p283)

2007-11-04 23:35:45 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
2007年10月16日(火)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、四  開花のp250からp298まで読了。

今回のタイトルは、合田ママの台詞から。前半部分の発言で物議を醸したことが、かつてあったかもしれない。
母親から見た合田さんは、「頭も顔もそこそこ」の息子ということ!?

まあ・・・10代では、男盛り溢れる魅力があるとは到底思えません。青年になる前の、特有の危うい魅力は、あったかもしれませんけれど(あくまで推測)
惜しむらくは、合田ママは男ぶりの増す20代後半から30代の合田さんを知らずに、早くお亡くなりになってしまったこと。(王子署で加納さんに会った夜明け前に、「十三回忌」の表記があったので、大学在学中に鬼籍に入ったと思われる)

もしもご存命なら、30代の合田さんを見て、何て言うでしょうね?
だけど母親というものは、息子が若かろうが年取ろうが、永遠に「息子」という存在なのだから、いつまでたっても「頭も顔もそこそこ」の息子としか思わないのかもしれない。


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】

★「物的証拠を挙げろ。うちの連中にもそう言ってる。証拠だ。証拠がないから、俺を刺したチンピラの供述も翻せないんだ。いいか、証拠というのはな、探したらいいというもんじゃねえ。ないんならないで、ゆすって追い詰めて、敵に落とさせるものだ」 (p281)

須崎さんの真っ当すぎるアドヴァイス。合田さんは苦笑と、余計な失言しか返せませんでした。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★ああ、俺は細かいことを考えられる頭が欲しかった……。 (p256)

マークスくんの悲嘆。ここは『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社)のヨウちゃんと、近い匂いを感じますね。

★破れた堪忍袋から、いろいろなものがじわじわ溢れ出していたが、合田の足は律儀に動き続けた。どうせ、それ以外の方法を知らないのだが。 (p265~266)

何度も記してますが、「刑事・合田雄一郎」の描写が好き。大好き!

★昨日あたりから、無愛想・孤独・突出の三大悪癖が、また少し頭をもたげてきている。スパイだのアカだのと呼ばれるたびに、集団から足が遠のき、ひとり離れていたくなるのは、ほんとうは、今やほとんど条件反射となった反応であって大した意味はなかった。 (p278)

無愛想でない合田さんは、合田さんでない。孤独でない合田さんは、合田さんでない。突出していない合田さんは、合田さんでない。それでも警察組織の「集団」にあわせようと、最低限の努力はしている合田さんは、評価されようがされまいが、私は偉いと思うのよ。

★事実、合田は自分の凡庸な限界と、特異な性向を覗き見たような気がしていた。 (中略) どちらも図抜けた指向性と力強さを持っていた。自分には、そのどちらもなかった。のろのろと周辺を徘徊しながら、自分が探しているものはいつも、吾妻や須崎のような鮮明な核のない、漠とした何ものかであるような気がしてならなかった。黒でも白でもない、灰色の人間。状況。心理。動機。結末。 (p282)

自分は、どのような「刑事」なのか。どのような「刑事」であるべきなのか。この自問は、これ以降の<合田シリーズ>のいたるところで、事件に遭遇するたびに何度も繰り返し出てきますね。永遠に回答の出ない問いかけなのでしょうが、それでも合田さんは問い続ける。

★形の上で過不足なくこなしてきた仕事に、いつも灰色の靄がかかる。 (中略) 明白であるはずの事実を避けて、自分がどこへ行こうとしているのかと、合田は自分自身を訝った。やはり、犯人だろうか……? まだ姿も形もない。、おそらく頭もおかしい灰色の犯人。おそらく、これだけの血を流しながら未だに獏としているという理由で、合田は遅ればせながら無性に犯人に惹かれていくのを感じた。たしかに、吾妻や須崎の方が的を得ているのは分かるが、自分はそういう性向なのだろうと思った。 (p282)

これも<合田シリーズ>の中で遭遇する事件で、必ずといっていいほど「犯人」の存在に波長を合わせるかのような合田さんの描写が出てきますね。
事件を起こした犯人と、事件を追う刑事の関係は、誤解を招く恐れを承知で表現しますと、事件という接着剤でくっついたコインのようなもの。表裏一体。
合田さんの刑事としての思考・意識は、犯人の意識・思考に少しでも迫ろうとするかのよう。そういうアプローチが出来るタイプの刑事さんなのですね。でもそれは同僚の刑事さんたちには、きっと理解されない、理解出来ない・・・。

★なぜ、自分の神経がこの特異な犯人に集中しなかったのか。今となっては、分からなかった。後悔してもしても足りない思いの矛先は、ほうっておけばどんどん自分自身に向かってくる。そんなことで目の前の一刻一刻を見失っているときではなく、合田は反省は適当に切り上げた。 (p290)

「反省」という行為による思考と検討は、どんな時でも大事ですよね。二度と同じ轍を踏まない、同じ行為を繰り返さないという、心構えが出来るから。合田さんは少しでも自省出来るところが、偉い。

・・・今回分、合田さんを褒めてばかりだな(笑)
「何でだろう?」と、ふとタイトルを見て腑に落ちた。合田ママの発言が尾を引いていたのか・・・?


刑事は楽しい商売…… (単行本版p250)

2007-10-31 23:25:32 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
残業後に寄ったゆうちょ銀行。ATMに通帳を入れた際、手に持っていた紙幣まで巻き込んでしまい、ATMが動かなくなりました。はい、私が悪いんでございます。
係員呼び出しボタンを押して、遠隔操作(←そんなことが出来る時代になっていたんだ! とビックリ・・・)してもらったんですが、紙幣は戻ってきたのに通帳は出てこず。
「セキュリティ会社の担当者を派遣しますので、お待ち下さい」と言われ、待つこと約15分。やって来たのは、「定年退職後にも、臨時で働いています」といった感じの白髪のおじいちゃん。
「いやあ、『黄金のを抱いて翔べ』(新潮社)のジィちゃんやわ~!」 (←ミエちゃん口調で読んでねん)
・・・と心で叫んだことは言うまでもない。
いや、ジィちゃんよりは遥かに人が良さそうな、柔らかい雰囲気を持った方でしたけどね。なかなか男前な人でしたよ(笑)
五分と待たず、通帳を出してくれました。ありがとうございました♪
ジィちゃんはエレヴェーター会社でしたが、このようなセキュリティ関連の会社や組織では、定時で働いているのは正規社員、時間外は非常勤社員と決まっているんでしょうかね?

・・・いつから「再読日記」に前フリを入れるようになったんだか。

***

2007年10月15日(月)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、三  成長のp218から四  開花のp250まで読了。この辺りで約半分ですね。

今回のタイトルは、ちょっと自嘲気味の合田さんが吐いた名言(なのか?)
現在の合田係長ならば、こんな発言、出来るのかどうか。ちょっと気になるところですね。

今回分には、『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社)の重要人物の一人・根来さんが登場。この時は地検担当記者でした。
・・・あら、フルネームではないですね。新聞社名も「某」になっていますね。『マークスの山』では、脇役だから?
というよりは、単行本版『マークスの山』を上梓した時点では、『照柿』(講談社) も 『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社) も、何にも決まっていなかったからでしょう。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★地検の中で、また泥仕合をやっている。今回は陰湿な中傷の網をものともせずに泳いできた加納祐介が、くわえていたエサをひょいと網の外に投げてくれ、それに齧りついたのが自分だった。誰かに見られていたのではない。検察内部で何かのリークがあって、外に合田の顔があったら、一+一=二で加納が網にかかるだけのことだった。逆も然り。もう十年来そういう外圧の繰り返しだが、どちらもへこたれず、しぶとく生き抜いてきた自信があった。 (p226)

最初に謝ります。ごめんなさい・・・ここの描写を読むたびに、網の中にいる魚になった加納さんが、網の隙間からくわえたエサをひょいと投げ、網の外にいる魚になった合田さんがかぶりつく・・・という絵が、いつもいつも私の頭の中に浮かんでくるんです・・・。
比喩だとわかっているんだけど、どうしてもダメ。でもって、ここの描写は好きなんですよねえ。ああ、二律背反。
絵が描ける方! どなたか「お魚になった義兄弟」でこの場面を描いて、私にプレゼントして下さい!  (本気でお願い)

★「……あんた、誰に言われて来たんです」
「誰も。お節介だけが事件記者の取柄、良心の捌け口」
 (p226)

ここの根来さんの返答は、どう見るべきか。根来さんの言うとおり、お節介からなのか。それとも加納さんが「伝えて欲しい」と直に頼んだのか。あるいはやんわりとほのめかす程度で、根来さんがそれを拡大解釈して実行したのか。気になる~!

★疲労が針になって身体のすみずみに突き刺さっていた。針の先には、中傷という名の毒が塗ってあった。決してむしばまれはしなかったが、長年何とか折り合ってきたその毒も、今夜はいささか心身にこたえた。 (p227)

今回は中傷の毒だけでない、ちょっと違ったものにも刺されましたからね・・・。加納さんの属している「検察」という組織も、「警察」に属している合田さんが感じているものと同じような毒があることを知ったから。

★自分自身を省みることもなく、疑心暗鬼で歪んだ心に残ったのは、自分と自分の属する社会に対する決定的な不信と失望だけだった。 (p227)

それでも、刑事を辞められない合田さん。

★『私は間違ったことはしてこなかったわ。それが間違っているという権力が狂っているのよ』 (p228)

貴代子さんの台詞。
今夏の地震で、原発政策を見直すいい機会だとは思うのですが、それに水をかけるような判決も下されましたね。貴代子さん、どう思っただろうか。

★一方、大学三年で司法試験に合格した俊才の加納祐介も、司法修習の後、やはり貴代子の思想偏向と私生活を問われて、今年の春まで重要度の低い地方支部を巡ってきた。遂に結婚もしなかった。それを加納に耐えさせたのは、権力が何であれ、貴代子の高潔と合田の剛直な精神のカップルを己の理想と信じ続けたからだろう。 (p228)

・・・と思っているのは、合田さんだけかもしれないですよ?
私たちが見ている「加納祐介」という人物の姿の大部分は、合田さんというフィルターが通っているのだから。合田さんが「こうだ」と思っていても、実は違うかもしれない。その差異が明らかになったのが、『レディ・ジョーカー』(毎日新聞社)での義兄弟なんですよね。
ところで、かつて加納さんがいた「京都地検」ですが、「重要度の低い」地検なんですか?(疑問)

★それが破綻したとき、別れないでくれと号泣した男も、合田も貴代子も、それぞれ試練を乗り越えて今日があった。だが、男二人がそれぞれの社会で生き残るために、貴代子を潰した日々に対する思いは、加納と自分とではいくらか違っていた。女を知らない無菌培養の加納には、合田が貴代子に対して懐いた単純な嫉妬や悔恨の大部分は理解出来なかったはずだ。同じように、己の理想に捧げる加納の高潔な意志と献身と、そのために手段を選ばない一途は、合田には理解しがたい部分もあった。 (p228)

いくら親友同士であったとはいえ、一人の女性に対する「兄」と「夫」の違いは大きいものです。

★加納とはむしろ、それらの愛憎や社会生活の信条とは、別の次元で結ばれてきた。それはたった二つの符号で成り立っていた。《山へ登ろう》《ドストエフスキーを読もう》という、単純かつ浮世離れした符号で。 (p228)

上記と対比しますが、「義兄」と「義弟」であっても、培ってきた親友同士の絆というものは、そう簡単には断ち切れないものだし、その気ときっかけさえあれば、交流と回復も早いものです。

★今夜、あの根来という記者に、『気をつけてくれ』という一言を託した男がいる。それを受託した根来にとっては《良心の捌け口》だろうが、請託した男の思いの切実さは、百倍にもなって合田の血の中を巡っていた。 (p228)

あらら、やはり加納さんが根来さんに伝言をお願いしたの?

★このゲームを始めたときも、金そのものを欲しいと思ったことはなかった。これまで一応寝食足りていたし、金を出して買いたいと思うようなものは何一つなかったし、だいいちそんなことを考える余裕も頭もなかったのだから。一番欲しかったのはまともな脳味噌だが、これは金では買えなかった。 (p243)

マークスくんの述懐。これをマークスくんが思うのと一般の人が思うのとでは、かなり大違い。マークスくんの場合、「悲しみ」が漂うんだよなあ・・・。
「まともな脳味噌」って、人によって違うでしょうけれど、私だって買えるものなら欲しいわ・・・。

★「主任。ここは俺の縄張りだ。あんたは入るな」 (p248)

自分のミスを償おうとする雪さん、カッコええ~! ・・・ところがどっこい。

★「刑事って、いいかげんな商売だ」などと広田は言う。
その淡々とした温厚な横顔を見ながら、合田は少し侘しいものを感じた。
 (中略) といって、合田自身も飛び上がるぼとの興奮はなかった。広田と同じく、自分の胸が躍らない理由も分からなかった。須崎の災難がこたえているのか。新聞記者の話がこたえているのか。何度も何度も繕ってきた堪忍袋が、また少しずつ破れ始めている。 (p248~249)

どうも合田さんは雪さんを見ていると、イライラしてくるようで。合田さんとタイプもテンポも違うんですから、もうちょっと寛容な気持ちで・・・とお願いする私は、数少ない「雪スキー」の一人。


お上の車をお堀へぶち込んでやろうか (単行本版p205)

2007-10-30 00:43:48 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
『作家的時評集2000-2007』(朝日文庫) は、先週の出勤日全て残業だったため、全然読めてません。あともう少しで、2001年度の分を読了できるってのに。
あと10分で日付が変わる頃に、家の玄関に辿り着くってどうよ!?  一日の半分以上も会社に居たくないわー!!  (心からの叫び)

・・・今週は、多分、ちょっとは残業が減ると思うので、1つでも更新したいです。

「AERA」2007年11月5日増大号の「平成雑記帳」は、車社会について。来月からガソリン代も値上げするそうですし、ますます車は売れにくくなると思いますが。

***

2007年10月14日(日)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、三  成長のp167からp218まで読了。
珍しく日曜日に読んでいるのは、京都へ外出したからです。

今回のタイトルは、林係長の無駄話を聞かされた合田さんがキレて、考えたこと。もしも実行した場合、この時点で時速60キロのスピードらしいので、合田さんも無傷ではすまないだろうに・・・。


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】

★あとから出てきたネタを振りかざして人の発言を正すのはルール違反だ。 (p169)

お蘭の「若さ」が出た部分ですね。指摘した相手が、同じ七係の肥後さんであっても、お蘭はまったく容赦なし。

★内部の不祥事があると、事の大小にかかわらず、どこかでそれとなく幹部の内部調査が始まり、それとなく終了するのが常だった。 (中略) だが情報の漏洩の場合は、疑惑の対象が広範囲に及ぶので、疑心暗鬼は深く、密告にしろ中傷にしろいっそう陰湿になる。 (p185)

いやーねー、もーう。
多分、合田さんは貴代子さんの一件で、前者の内部調査を受ける身になったことでしょう。

★刑事をやってて事件直後の時点で判断材料がなかったという弁解は通用しない。 (p189)

「疑わしきは全て疑え」・・・でしょうか? 怖い職業だなあ。

★内部ではいろいろあるが、外に対しては、よくも悪くも警官はみな一枚岩になる。 (p198)

うん、これは警官に限らないでしょうけどね。業界や組織、あるいはファンというのは、そういうものです。ファン同士であれこれと好きなこと嫌いなこと、良いこと悪いことを語り合うのは構わないのですが、ファンでない人に、主に悪口を言われるのって、イヤなもんですよね。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★こと暴力団に関する限り、それを厚顔に弁護する人間に、合田は好意的な印象など持てなかった。 (p171)

でもって、四課の苦労も並大抵なもんじゃないんですよ、合田さん。もしもあなたも四課に配属されていたとしたら、その潔さを保っていられるかどうか・・・。

★ともかくその小さな出来事を経験した後、個人の生活がそうして目に見えないところに張り巡らされた情報網に捕らえられ、歪曲され、伝えられていく権力構造の内側に、合田は深い恐怖と失望を懐いた。それは貴重な勉強だった。 (p175)

小さな出来事とは、貴代子さんが発端のアレなんですが、「貴重な勉強」と割り切った合田さんも、しぶとい。
このことで「異端」(須崎さんを筆頭とする、合田さんを敵対視している面々は「アカ」と呼んでおりますが)と周囲から目されることになったというのも、辛いよなあ・・・。

★年月を経た今、合田は、権力のありのままの現状から目を逸らすことによって、得るものは何もないという考え方に変わってきていた。ここまで来るのは長い道のりだった。権力とは無縁のところで、日々社会の底辺で起こる惨めな犯罪を地道に防いでいくことが自分の努めだと思ったところで、その自分自身が警察官である限りは権力の一部であり、目に見えない情報網の一部であった。その中を巧みにかいくぐることなくして、警官としての生命も、実績も、捜査もあり得ないことを学んできた。そのための隠微な状況判断でどんなに身を削ろうが、犯人さえ捕まればそれで報われる。そういう気持ちは、須崎とて同じだろう。 (p175)

合田さんの「刑事」としての基本姿勢が、ここでも窺えますね。一つ一つ事件を片付けていかないと、「刑事」として生きてはいけないのだから。

★合田は最初から、勘違いにしろ物忘れにしろ、正しくない証言をする者は基本的に信用しない主義で、その林原なる弁護士との面接は重要だと考えていた。 (p181)

まあ、これも「刑事」なら当然の姿勢ですね。

★いつものことだった。二つの事件をつなぐ糸が見え、畠山に金を渡した何者かが浮かぶかも知れないというときに胸が躍らないのは、ただのアマノジャクだろう。過去の個人的な苦汁のわだかまりが、神経や血の中に瘤をつくっているのか、ときどき血の巡りが悪くなり、押しのけることのできない不穏な靄がかかってくる。そうでなくとも、みなが走るときに走れず、みなが笑うときに笑えないズレは、いつも意識していた。それにこのくそズック。 (p182~183)

最後は八つ当たりだな、合田さん!

★それ以上のことを考える忍耐も感性も、合田には持てなかった。とくに事件の最中には持てなかった。広田と一緒にいると、そうしていつも、逆に殺伐とした自分の心臓の内側を覗き見るような思いにさせられる。 (p192)

合田さんのような刑事さんもいれば、雪さんのような刑事さんもいるということ。タイプの違う刑事さんが傍にいれば、自身との相違点がイヤでも気づくもんです。

★だが、少なくとも、個人的な顔は決して見せない潔さと真面目さを、合田はこの男から学んだ。同時に、その無私な能面が、無意識の捌け口を求めて破れていく危うさも見てきた。評価すべきものを評価せず、認めるべきものを認めない。そのためにいくつか事件の解決を逃した悔しさは合田らが被り、本人には失点と孤独が残った。
硬直した精神は、こうして自家中毒から腐敗へと進んでいくのだろう。だが、それは林を育んできた警察そのものの道であり、また度分たち一人ひとりの道でもあるに違いなかった。
 (p204)

林係長は決して無能ではないでしょうが、いかんせん、部下たちがあれだけの個性豊かな面々では、係長としてまとめるのは本当に大変だろうなあと、同情を禁じえないのですよ・・・。
でもこの人のおかげで、現在連載中の「合田係長」の苦労も、少しは解るってもんです。

★「……そういえば、主任は登山をするんだったな。山のパーティというのは、何か特別なものですか」
「俺は人と行くのが好きやなかったから、パーティというのはよう知らん。大学の頃に山岳部の奴らと付き合った限りでは、何か特別な仲間意識のようなものがあるのは感じた。ほかのスポーツと違って命がかかっているから、エゴ剥き出しの醜い仲間の素顔も見るだろうしな。ほかのスポーツ仲間とはちょっと違うと思う」
「私らみたいだ」
 (p214)

お蘭と合田さんの会話。
念のため、「人と行くのが好きやなかった」の「人」には、加納さんは含まれていないでしょうね、合田さん?


細く長く育ったのは、うどんのせいだとしか思えない。 (単行本版p137)

2007-10-23 00:43:26 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
『照柿』(講談社)で、合田さんと達夫さんがしょっぴかれた、西成署のエレベーターがシンドラー社製 であることが、幸か不幸か判明(苦笑) 誰も乗らずボタンも押してないのに、突然上昇したらホンマに怖いわ。怪奇現象と言われたら、信じるかもしれん。

そうそう、最近知ったのですが、この時に勤め先を「桜田商事」と発言した合田さん。これ、「警視庁」をさす隠語らしいですね。
・・・取り調べた相手には、分かったんだろうか? 新たな疑問。
実際に「桜田商事(櫻田商事)」ってありますがね。検索かけたら、面白いですよん♪

「平成雑記帳」の覚え書き。
「AERA」2007年10月22日号・・・国際連合について。
私も小学校の社会科で習った時には、「国連ってすごいなあ」と思っていましたとも。
「AERA」2007年10月29日号・・・就職活動の学生を囲い込む企業について。
バブル崩壊後のとばっちりを受けた世代が、企業にいないということは知っている。(私も、とばっちりをモロに受けたから) つまり40代と20代を繋ぐ30代の人間が少ないということだ。

***

さて、本題。
2007年10月12日(金)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、二  発芽のp133から三  成長のp167まで読了。

余談ながら文庫版では三  生長になっています。全てのタイトルが植物の一生に関わることなので、「生長」が正しいといえば正しい・・・ですね。

今回のタイトルは、合田さんの身長が伸びた原因の自己分析と結論。
その前の加納さんから受け取った(とされる)メッセージ 《とんでもねえよ》 とツッコミしたい(苦笑)
勘違いされたら困るが、大阪人はうどんばっかり食べてるわけじゃないぞ~! たこ焼きもお好み焼きも食べてるぞ~!(つまり「粉もん」と言われる食べ物だ) 蕎麦もラーメンも食べてるぞ~! もちろんそれ以外の食べ物も食べてるぞ~!(これ以上やったら収拾つかない)


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】

★上から何と言われようが、地どりを続けるのは当然だ。 (p136)

えらいぞ、須崎軍団!

★幹部会議に出るのは、警視庁の幹部一表に名の載っている警部以上と決まっている。 (p144)

ということは、合田さんが呼び出されたのは、余程の緊急事態だということですか。

★《慎重に》は微妙な状況を指すときに便利な常套句だ。 (p148)

この事件に関する幹部・上層部と現場の温度差が、ここでもう現れてますね。


【今回の名文・名台詞・名場面】
今回分、あれもこれもと欲張ってとんでもない分量になってしまったので、泣く泣く割愛したものがあります。

★そろそろ立ち去ろうかと思いつつ、合田の頭の歯車は、半分は惰性で、少し軋みながら緩慢に回り続けていた。仲間から解放されて独りになったらなったで、考えるのは事件のことしかない。 (p135)

そうだよねえ。「刑事・合田雄一郎」は、これでなくてはねえ。

★署を出たとき、玄関前の路上に散っていく人影の中に、合田はふとスーツの後ろ姿を一つ見分けた。自分と似たような地平にいるのに、なぜかいつも、自分の日々の喧騒とはかけ離れた涼風の吹いている、一人の男の背だった。
合田は「おい!」と呼んだ。
相手はその声に振り向き、白い歯を覗かせて《また飲もう》と目で言ってよこし、そのまま同僚の検事らとともに立ち去っていった。
 (p136)

この物語の中で、合田さんと加納さんが初めて顔を合わせた場面。今思うと、単行本の方が、さらっとしているような気がする。(その理由は後で↓)

★《とんでもねえよ》 (p137)

加納祐介さんというキャラクターからすれば、この《とんでもねえよ》という言葉遣いそのものが、義兄好きな私にとっても《とんでもねえよ》なのですが・・・
こんな言葉遣いをする義兄は、義兄じゃなーい! (雄叫び)
ものすごく違和感あるんですよ。加納祐介という個性が、固まってなかったんだろうなあ。それに加えて十中八九、合田さんの受け取ったメッセージの解釈が、間違ってるんでしょうな!(←ホンマかいな)

文庫版では、この前後の描写はスパッとカットされ、変更されました。でも文庫版の邂逅シーンも、なかなか面白いですよん。ネタバレ。 合田さんの傍らに、又さんがいたため。単行本版と比べたら、ドキドキ度よりはヒヤヒヤ度の方が高かった・・・。又さんが傍にいたからか、読んでいて照れくさいったら、もう~! 義兄弟の逢引きを覗き見しているかのようだった(笑) 

★加納が言うだろうことは百年一日、分かっている。《捜査現場に端から口を出すところなど、何人たりとも捨て置け。一に証拠、二に証拠。証拠さえ揃えれば、法が判断する》 (p137)

加納検事の基本姿勢が窺えるこの名言。
但しこの冒頭部分に「検事の(加納が言うだろうこと~)」と補足しておかないと、合田さんへのツッコミ非難が止まない(苦笑)
ツッコミ非難例:「義兄の言うことが百年一日分かるんだったら、義兄の気持ちも分かるだろ!」
・・・のようなツッコミを、一度は入れた人は多いはず。

★合田は大阪で生まれ育った。人生の半分を過ごした土地の言葉は今も抜けないが、仕事上差し障りがあるのを感じて、無理に標準語を話すうちに、だんだん口を開く回数が減ってきた。無口なのはただ、それだけの理由だ。 (p137)

『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社) では、合田さんに大阪弁を喋らせるのを禁じた高村さん。あ、『太陽を曳く馬』 でもそうか。
私はもう慣れてしまったからそんな大きな問題ではないと思うのですが、大阪弁だろうと標準語だろうと、合田さんは合田さんに変わりはないって!

★誰も知らない非難場所が欲しいと贅沢なことをのたまい、合鍵をくれなどと言うのは加納ならではだ。 (p151)

相当な物議を醸した(らしい)、この一文。合田さんは言われたその日に合鍵を渡したんだろうか?

★合田はそれ以上の思い出に耽るのを自分に禁じた。一つの思い出すと際限がなくなり、新たな発酵が始まるような気がしたからだ。過去が完全に過去になるには、自分も加納も、まだ若過ぎる。 (p152)

それでも、折に触れ思い出さざるを得ないのが、離婚した貴代子さんのこと・・・。この頃の合田さんの中では、加納さんと貴代子さんはワンセットになっていたんでしょうね。二人を個別に考えることが出来た時が、合田さんの新たな出発点。

★「知らない人の葬式は悲しくならないのが困る」 (p167)

まったくでございます、義兄!

★合田はどこまでも静かで柔らかい加納の声に耳を傾けながら、昔からそうであったように、そのまますべて受け入れ、ゆっくり反芻し、肯定も否定も自然に湧き出るままに任せた。湧き出てくるものの中には、肯定や否定のほかに、過ぎ去った日々の光や翳りの渾然とした戦慄も含まれていた。日ごろ自分の回りにはない、何かの風が吹いてくるのを感じる。学生時代、加納兄妹と過ごした賑やかな日々、自分の胸を満たした茫洋とした蜃気楼が、未だに身体のどこかに残っている。それが切なかった。 (p162)

「切なかった」の内容が、単行本と文庫で意味合いがかなり相違していますね。単行本では加納兄妹とのプライヴェートなことに関する切なさ。文庫では・・・ネタバレ。  情報を得たいがために、加納さんにすり寄っていく自分自身がいやでいやで、そのことが「切なかった」・・・となっていました。そのことに加えて、加納さんとは本当はこんなことはやりたくない気持ちが、強かったように感じられました。 

★「雄一郎。今年の夏は、山には行かなかったのか」
「ああ。新宿と上野で外国人の殺し合いが五件。盆休みも取られへんかった」
「あ、大阪の言葉……久しぶりに聞いたな」
「疲れてるんやろ。つい出てしまう」
「雄一郎の大阪言葉、いいぞ。もっと使え」
「やめてくれ、アホ」
 (p163)

この会話、好き好き好き好き、好き、好き♪ (「一休さん」のオープニングでよろしくね)
「やめてくれ、アホ」で、合田さんが漫才師みたいに「ツッコミ手」いれてたら、ものすごくイヤ(笑)

★帰り道、合田はどこかのショーウィンドーに映った自分の顔を見た。変わりばえしない自分の顔だったが、個人生活の範疇にいる一人の男と会っていた短いひとときの間は、何か覆いが一枚剥がれていたような面はゆい感じだった。明日職場に出たときには、その覆いをまたかぶっているのだろうが。 (p164)

話の内容は仕事(事件)のことがメインであっても、義兄と会って過ごしている時間は、どうしても私生活の時間になってしまうよね、合田さん♪

★適当に答えながら、合田はそのときふと、滅多に考えないことを考えていた。目の前の秀才の警視。森と同い年だ。 (中略) さらに数年すれば確実に地方本部長の椅子が約束されているこの男と、自分たちノン・キャリアの違いはテコでも動かない現実だった。そんなことは百も承知だが、徹夜明けの森の青白い顔を見たあとでは、この落差がなぜかあらためて非現実的に思われたのだった。 (p165~166)

★合田は昔、大阪市内の交番で昼となく夜となく、背筋を伸ばして立ち番をしていた父の姿を想った。 (中略) 勤続三十二年でやっと巡査部長に昇進したその年、定年まで三年を残して肝硬変で死んだ。 (p166)

★合田は二十九で警部補になった。同期の大卒組の中では早い方だった。 (中略) 半ば幸運で手にした功労賞は別にして、それなりに働きに働いた自負はあった。定年まで二十七年、昇進には上限があるし、あと一つか二つ昇れば終わりだが、父のような男が何万人もいるのが警察の本体だとすれば、自分はその本体の頂点に近いところにいるのだった。 (p166)

上記3つの引用。エリートの水野署長、下っ端(という言い方はマズイか)の合田さん父、頂点に近いが中間の位置に属する合田さんの違いが鮮やかに浮き彫りにされていて、ピラミッド型の警察の組織の一面が、これで分かるようになっていますね。本来は 【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】 に入れるべきなんでしょうが、合田さん視点なのでこちらにしました。
さて、合田さんは「あと一つか二つ昇れば終わりだ」とこの時は考えていたようですが、実際に一つ昇りました。もう一つ昇ることは、あるのでしょうか?

★外に対しては権力の権化のような強面をぶらさげ、内では上昇志向を剥き出しにして競り合っている自分たち本体頂点の醜悪さは、この水野のような上級職のそれとは別物であると同時に、全国二十万の本体のそれとも、似て非なるものだった。似て非なるものの三段重ねで警察は出来ている。そのそれぞれの中に、それぞれの醜悪な日々がある。そして、それぞれ互いに無縁なのだ。酒に溺れた父の頑迷な硬い顔と、自分や森の顔と、この水野の顔と、どれも重ならない。 (p166)

先ほど3つの引用の結論。


あの兄さんはおとなしいのは顔だけだ。なめたら怖いぞ。 (単行本版p100)

2007-10-14 00:56:24 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
2007年10月11日(木)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、二  発芽のp87からp132まで読了。

今回のタイトルは、吉原警部が西野富美子に言った台詞から。合田さんの「本質」を、よーく分かってるやん、吉原さん・・・。
合田さんの登場しない初回を除いて、今回のタイトルテーマは「合田雄一郎」になりつつあるようです。


前回「合田さんが若い!」と叫びましたが、七係の面々も(一部を除いて)若いですねえ~。 
前回と今回の読了分で全員揃いましたので、例外で取り上げてみましょうか。


【第七係、またの名を第七移動動物園】
登場順に簡単な紹介と、個人的などうでもいいチャチャを入れてます。

 森義孝巡査部長 三十歳(あだ名・《お蘭》)・・・先に《お蘭》というあだ名を決め手から、キャラクター名を決めたような気がしますが・・・真相は闇の中。この人のおかげで、「刑事・合田雄一郎」というキャラクターも活きていると思う。

 肥後和己巡査部長 四十三歳(あだ名・《薩摩》)・・・ほとんどこのように呼ばれていない。七係の部屋長。なぜか愛人がいるのが、個人的には不思議でならない。ある種の女性には、魅力的な男性なのかね?

 有沢三郎巡査部長 三十五歳(あだ名・(風の)《又三郎》)・・・文庫版では、合田さんへの対抗意識が陰湿・陰険だってのに、単行本版のこの明るさと爽やかさは何なんだ!? 捜査一課一の二枚目。(文庫版では「自称」という言葉が入ったため、困惑した人も多かろうが、二枚目であることに変わりはないでしょう)

 広田義則巡査部長 三十五歳(あだ名・《雪之丞》)・・・何度も記してますが、七係メンバーでは合田さんを除いて、私のご贔屓キャラクター。偽装結婚してもいい。なぜ「偽装結婚」なのかは、わかりますよねー?

 松岡譲巡査 二十八歳(あだ名・《十姉妹》)・・・単行本版では、まだ(←強調)キャラが立っていたような気がしたが、文庫版ではかなり影が薄いような・・・。単行本版では明るいイメージがあったが、文庫版ではちょっと暗さも加わったような・・・。

 吾妻哲郎警部補 三十六歳(あだ名・《ペコ》)・・・合田さんが名付けたあだ名「ポルフィーリィ・ペトローヴィッチ」の方が、有名かも? この人と合田さんが組んだ取調べだけは、受けたくない。

 林省三警部 五十三歳(あだ名・《モヤシ》)・・・さすがに不敵な七係メンバーも、面と向かってこのあだ名で呼びはすまい。「合田警部」の現在を知る今、この人の抱えていた「中間管理職の苦労」が偲ばれます。そりゃ、胃も切るくらいに体調も悪くなるわ・・・。


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】

★それを遮って合田は「移動はだめです」と一言いい放った。
「しかし君……。ここは住宅街のど真ん中だ」と幹部。
「だめです。うちの者がまだ来ていません」
合田はそっけなくはねつけた。係の仲間が全員現場の遺体を見るまでは、ブルドーザーが出てきても動かす気はなかった。
 (p89)

「現場百遍」という言葉もあるくらいですからね。(警察小説を読まない私も、これくらいは知っている) 捜査が行き詰った時には、現場に戻って初心に返るということが、何より大切。だから現場を実際に見て、脳裏に焼き付けるのも刑事としては当然のことなのでしょう。

★刑事は誰でも自分が手をつけた獲物は逃したくないし、他人の不手際で取り逃がすようなことがあったら《殺してやる》もどきの言葉も出る (p130)

この作品を読むまで、警察は一枚岩で、一致団結して事件の解決に全力を挙げるもの、と素直に信じていた、お子ちゃまだった私。本庁の同じ課であっても、係が違えば対抗意識が剥き出しという事実には、衝撃を受けたというよりは、「そうやったんか~」と目から鱗が落ちた状態でした。


【今回の名文・名台詞・名場面】
【お願い】 ピックアップした部分で「私の持っている単行本『マークスの山』には、こんな文章は無かった」と気づかれた方。それは「改訂後」(29版以降)の可能性が高いです。よろしければ、ご一報下さいませ。私に、比較している余裕が無いものでして。よろしく願いいたします。

★合田は現場から少し離れた路傍に立ち、しばらくぼんやりと目を巡らせ続けた。ようやく目が覚めかけ、低温動物もどきの冷えた身体のどこかで、血がゆるりと流れているのを感じたが、頭がまだ静止していた。 (p92)

・・・はあ!? 合田さん、あなた、まだ眠っていたんですか。お蘭にあれこれ指示を出したり、捜査員たちの聞き込みの割り当てを決めたりした、あなたは一体・・・?
いえいえ、これは「刑事」としての目覚めていく過程の描写なのでしょうね。

★だが、そうして五感は機械的に働き、見たもの聞いたものを正確に頭に記憶していくが、それらを切ったり貼ったりしてつなげ、何かの形にするのはもっとずっと先のことだった。自慢にもならないが、いつも始動は遅い。それでも、これまで重大な失敗は一度もしてこなかった。そのために人よりよく歩き、よく聞き、よく見てきた。そういう忍耐と努力を自分に課す意志力こそは、合田という男の骨だった。強い自制心は筋肉だった。人を畏怖させるのは、その骨と筋肉だ。 (p92~93)

★とはいえ、何かの偶然で警察の社会によく馴染み、自分でも驚くほどの順応性を示してきたが、その一方で、意識的に抑えてきたものは確かにあった。骨と筋肉で支えられた腹の中身。心臓の内側。手入れをしない空き地のように雑草だらけに違いないと合田は自認していた。いや、錆び付いた不発弾が埋まっているのかも知れない。 (p93)

上記2つの引用。この時点で既に「合田雄一郎」の個性が確立しておりますね。「忍耐と努力を自分に課す意志力」だの、「錆び付いた不発弾」だの、後々の『照柿』 『レディ・ジョーカー』へ繋がっていくのかと思うと・・・ねえ?

★「多分」合田は生返事をした。いつも、最後の最後まで期待は持たないことにしていた。用心深いというより、失望するのが嫌なだけだったが。 (p104)

刑事としてなら、まあ・・・いいんだけどさ・・・。念には念を入れないとね。これが私生活の方であったなら、ちょっと後ろ向きじゃありません・・・? 

★何が尋常で、何が尋常でないか、そんなことは価値観の相違かもしれないが、長年の殺人捜査の経験や常識に合致しないものが、初めからこんなに臭う事件も珍しい。合田の神経は密かにざわついていたが、なぜ、何が、ということは自分でも分からなかった。
とはいえ、現実の捜査は、自分の足を一歩ずつ動かすことでしか進まない。
 (p31)

「地道」の言葉は、刑事のためにある言葉じゃないかと思う時があります。

★「そら行け、お蘭」と又三郎が手を叩く。
「出し惜しみするな」と吾妻ポルフィーリィ。
 (p109)

★「お蘭が智恵つけやがって」と肥後がしつこく囁いていた。「あんたもつけろよ」と又三郎。 (p112)

上記2つの引用は、七係メンバーの野次。発言内容はともあれ、単行本版では仲睦ましい感じがしないでもないんですが、文庫版では同じ台詞であっても、ガラッと印象が異なるんですよねえ。

★合田は、普段いるのかいないのか分からない男が、ときどき自分に投げてよこす個人的な好意を感じることはあったが、だからといってどうということもない。合田の無関心が逆に、巨漢の皮膚の下に隠れた繊細な神経に心地好いのか、広田もまたさらりと受け流す。 (p126)

雪さんの好意と行為は・・・そりゃあ・・・敏感にも同じような匂いを、微かに感じ取ったんではないんでしょうかねえ・・・。

★一歩も歩き出さないうちに、目敏い記者連中の目がこちらに向いた。それと同じくらい素早く、合田は指一本自分の口に当てて『だめだ』と示し、玄関めがけて走った。 (p129)

そのしぐさに、「かわいい!」・・・と出かかった言葉を、無理矢理飲み込む私。本人を目の前にして、この発言は出来ない。合田さん、真剣なんだから。実際にこの合田さんを目撃したら、嬉しさのあまり腰を抜かすか、逆に殴りたくなるかのどっちかだ(←なんでやねん!)

★外部に対して口が固いことだけは、誰にも負けない自信があった。十年捜査畑にいるのに、親しく口をきく記者は一人もいなかった。別に報道を敵視するわけではないが、現場の実感が今ひとつ新聞やテレビと合わないように感じるのが理由の一つ。いったんほころびると、穴に指をつっこまれて、どんどん破れ目が大きくなっていく例をいくつも見てきたのが一つ。だが、一番大きな理由は、犯罪という社会と最も密接した事柄を扱っているにもかかわらず、警察と一般社会の間にある一種の壁を、自分自身が越えがたいと感じているところにあるのだろう。警察と社会の橋渡し役を自認する新聞やテレビは、どうしても感情的に受け入れがたかった。 (p129)

これも後々の『レディ・ジョーカー』に繋がっていく描写ですね。東邦新聞社の久保っちが《Cランク》と決めつけたくらい、付き合いの良くない刑事、それが合田雄一郎(苦笑)
ところで、「外部に対して口が固い」とはいっても、唯一の例外と言っていいのは義兄でしょうが、最低限ギリギリの部分は漏らしていないことは、明白。

★須崎は、捜査一課の看板を自称する鉄面皮でに、明白な怒りの表情を浮かべて若輩の顔を睨みつけてきた。合田は、小柄な須崎の胡麻塩頭を憮然と見下ろした。相手の敵意は気にしないが、非礼や侮辱に礼儀で応じる気はなかった。 (p130)

まあ、早い話がどっちもどっち、お互い様ということで(←そうなの?)

★意見の相違や手柄争いといったものではない。根本的な世界観の違いが、忍従と規律の裏返しのように、顕著な敵意という形で現れてくるのは、警察という社会の特殊性かも知れない。いつか合田の不注意で須崎の捜査帽を踏んづけたことがあり、そのときに人前で拳骨を食らった。その屈辱は、さすがの合田の腹にもわだかまりを作り、今日に至っている。 (p130~131)

七係の主任・合田さんと、十係の主任・須崎靖邦さんの因縁。ここは須崎さん側に立って、見てみましょうね。
私は子供の頃に「枕を踏んだらアカン」と親に注意されました。「枕を踏むのは、頭を踏むのと同じこと」と教えられました。
とすると、「捜査帽を踏んづけ」られた須崎さんにしたら、踏まれたのは自身の頭にも等しいのではなかろうか。
そして須崎さんは合田さんとは正反対の、恐らく「職人気質」の傾向を持つ刑事なのだろうと、思う。これが捜査帽でなく別のものであったとしても、「刑事としての須崎さんを侮辱した行為」と受け止めただろうなあ・・・。

★「七係もついに三八度線撤廃か。めでたい話だ」と広田。
「俺は異議はない。いいことだ」と合田。
「よし。明日一番にほかの奴らにも徹底させよう。打倒須崎だ」と又三郎は言い、ひとりで機嫌を直してハハと笑った。
 (p132)

須崎さんと衝突したのは合田さんだけではなく、又さんもでした。・・・この明るさを知っているだけに、文庫版の又さんの陰湿さに当惑したのも事実。

★「ちょっと現場を見てくる」と言って、二人と別れた。現場写真は何枚か見せてもらったので状況は分かっているが、自分の足を運ばないことには話にならない。ほかに、個人的なことだが、独りになりたかったこともあった。勤務時間が長くなるにつれて、独りになりたいという思いが頭痛のように襲ってくる。 (p132)

一刑事と一個人の、相反する合田さんの心境。でもこれは特別なことではなくて、誰だってプライヴェートな時間はちょっとで取りたいもの。


***

『作家的時評集2000-2007』(朝日文庫)は、2000年度の分は読了しました。今夜から、2001年度に入ります。
当初から考えていたとおり、少しずつ読んでいくのがよい傾向と内容の書籍ですね。


豆腐とがんもどきを取り違えるような男の話は、私なら信用しません (単行本版p62)

2007-10-12 00:18:53 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
『作家的時評集2000-2007』(朝日文庫)は、買ったその夜から読んでいます。各年ごとにコラムがまとめてあり、年毎の冒頭に簡単な年表がついています。例えば、2000年にはどんな出来事があったのか、これで分かるようになっています。
そういえば、この年にはまだ高村作品には出合っていなかったんだよなあ・・・。21世紀から読み始めた、「遅れてきたファン」ですので。

9日夜は2コラム、10日夜も2コラム読みましたが、その中では「グリコ・森永事件の時効成立」について書かれた内容が、非常に興味深かったです。特にラストの部分、『レディ・ジョーカー』 (毎日新聞社)を読まれた方なら、ニヤリとするかもしれませんね。

***

2007年10月10日(水)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、一  播種のp46から二  発芽のp87まで読了。

今回のタイトルは、合田さんの迷言に近い発言から。まあ、豆腐とがんもどきが分からない岩田幸平さんが、悪いのですけどね。
ちなみにマークスくんは「がんもどき」を渡してました。(p71参照)

さんざん迷った挙げ句、合田さん・加納さんを個々に取り上げることは、やめました。キリがないのと、あれこれ凝りすぎてしまうきらいがあることにようやく気づきましたのですよ(←遅いわ) ご了承下さいませ。
いずれは「キャラクター考察」というカテゴリを設けて、じっくりやってみたいなあと、実はブログ開設した時からずーーーーーーっと思っていまして。カテゴリだけは設定していますが、未だに公開しておりません(苦笑)


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】

★自供した犯人が密かにくわえていたもう一つの獲物を見落とした……。それが事実なら即、刑事生命の終わりだった。ありえない失態だった。 (p50)

これは佐野警部のことなのですが・・・。ネタバレ。 これは後々の合田さんにも、当てはまる出来事なのですよね。マークスくんの犯歴を見逃していたのだから。特に文庫版の方が容赦なかったです。 


【今回の名文・名台詞・名場面】
今回読了分の大部分を、合田さんがさらってしまった(苦笑)

しかし現在進行形で『太陽を曳く馬』を読んでいるせいか、合田さんが若い! 若すぎる! 30代前半の男性なんだもんね、当然か。30代前半の合田さん、なかなか新鮮です。♪とーれとっれ、ぴーちぴっち♪(カニ料理か)

★その入口の門の前に、白い乗用車が一台止まっていた。男が一人、ボンネットに尻をひっかけていた。白い開襟シャツのその男は、薄明るい空を仰いでタバコを吸い、指先で燃え尽きた灰を弾き飛ばすと、その指で、スラックスの膝に散った灰をはたいて、また残りのタバコを吸い始めた。こちらに顔を向けると、ちらりと炎天の日差しを貫く眼光が光った。「おい」と言う。 (p52)

合田雄一郎さん、初登場の場面。文庫版と大分違いがありますねえ。

★歳のころは三十前後か。未だ青年の面影が残る細面の造作にはこれといって特徴もないが、圧倒的な男盛りの艶と気迫を感じさせる顔だった。その顔とともに、短く刈った髪も開襟シャツもスラックスも、その下の白いズックも、清潔で冷たい石を思わせた。その一方で、タバコをいじる無造作な指や、ぶらぶら揺すっている足が、硬質な風貌とは対照的な仄暗い不穏なリズムを作っているのが、何とも言いがたい第一印象だった。 (p52)

★「あとにしてくれて言うたやろ」
男は突然、関西言葉を洩らした。物静かで暗く、底堅い響きだった。佐野は無意識に緊張した。なぜか、細く切り立った岩稜のように人を畏怖させるものがある。同行の巨漢の刑事がひたすらでかい仙丈ヶ岳の山塊なら、こちらは北穂・槍ヶ岳間の大キレット、あるいは北鎌尾根の垂壁だ。
 (p53)

★豆腐とがんもどき。合田というのは、相当の切れ者らしいがどこか破れている。 (p62)

最初からここまで全部、佐野警部の視点なんですよね。それが全て読み手にビンビン伝わって、「合田雄一郎」という人物像が浮かび上がってくるから、凄い。

★疲れがたまってくると余計なことを考える前に、いつも本庁の武道場へ足を運ぶ。若手を相手に地稽古をやり、今夜はたまたま相手が全日本選手権の経験者だとは知らず、したたかに打ち込まれたが、欲も得もなく疲れ切ると、安堵のようなものを覚える。あとは四日間履きっ放しだったズックと身体を洗い、密かに飢えていた脳味噌にウィスキーを流し込んでやるだけだった。 (p66)

中途半端になっている文庫版の再読日記 で、「1ヶ所だけ、単行本版と違っているところがあります。さて、どこでしょう?」と記しました。お解かりになりましたか?

★年に数回、忘れたころに手紙をよこす男がいる。高校・大学時代の友人。義兄。地方検察庁検事。いろいろ肩書はあるが、十四年も付き合っていると、相手が手紙をよこす理由など、もはやどうでもよくなってくる。ただし、その男の手紙は、普段は筆不精で賀状一枚書かない怠け者に、曲がりなりにも数行の返事をしたためさせる特別な力を持っていた。 (中略) 
男は加納祐介といった。
 (p66)

義兄の存在が初めて明かされたところ。何度読んでも、ここはどきまぎする私は、今さら言うまでもなく加納さん派です。

★『先日、頭蓋骨から復顔された顔写真なるものを見る機会があった……』などと続いていた。
『……あれは実に醜悪だった。そもそも土に還った肉体の復元などというものは、モンタージュ写真とは完全に別種のものだと思う。あの生々しい凹凸のある粘土の顔を前にしたら、誰しもおのれの知力に危機感を覚えるだろう。目前で形になっているばかりに、あの似て非なる別物があたかも本物のように思えてくるのは、これこそ人知の限界というやつだ。』
 (p66)

★新年早々、何ということを書いてよこす奴だと思いつつ、合田は加納の若々しい美貌を思い浮かべた。一人一人が独立した国家機関である検察官の建前が、加納という男の中では名実ともに生き続けている。その結果の若白髪だが、あと十数年我慢すれば、それも美しいロマンスグレーになるだろう。同じように私生活は最低だが、貴様の方がまだマシだと思いながら、合田は、四日分まとめて呷ったウィスキーの勢いで、拙い返事を書いた。 (p67)

義兄の手紙の内容と、読んだ合田さんの反応が興味深い。
「貴様」と悪態ついてますが、これも今では新鮮に感じますねえ。当人を目の前にしての呼び方は、「あんた」呼ばわりが96%、「祐介」が4%だもん。

★『……小生の方は、先日は、口論のあげくに同級生をナイフで刺し殺した中学生の取調べに立ち会って、こんな事件を未然に防ぐ力は警察にはないことを痛感した。家裁に送致したが、それで少年のかかえる問題が片づくわけではない。 (中略) 小生には、先日のような子供の事件一つの方が公安のご大層なしかめっ面よりはるかに身近で深刻だ。足元のぬかるみを気にしているうちに、社会はどんどん悪くなっていく。目を据えるべきところに据えて、小生も貴兄も貴重な時間と神経を浪費しないことだ……』 (p67)

「口論のあげくに同級生をナイフで刺し殺した中学生」の事件が、ここ数年で「よくあること」になりつつあるのが、怖い。

★合田は誰の目も気にしなかった。一分やそこらの時間を、自分のために割くのは平気だった。他人のデスクに足を上げて、純白のズックの紐を結び直した。新品ではないが、よく洗ってあった。
用心し、叱咤しなければならないのは他人ではなく、自分自身の心身だ。
 (p84)

出動前の、「刑事・合田雄一郎」の儀式と心構えとでもいいましょうか。

★それだけぼんやり考えた後、合田雄一郎は音一つなく立ち上がった。
三十三歳六ヵ月。いったん仕事に入ると、警察官職務執行法が服を着て歩いているような規律と忍耐の塊になる。長期研修で所轄署と本庁を行ったり来たりしながら捜査畑十年。捜査一課二百三十名の中でもっとも口数と雑音が少なく、もっとも硬い目線を持った日陰の石の一つだった。
 (p84~85)

ここを読むたびにいつも気持ちが高揚する私。「やったあ~!」とガッツポーズしたくなるんですよね。これほど「刑事・合田雄一郎」を正確に描写している部分は、ないと思うの。


南アルプスに熊はいない (単行本版p22)

2007-10-09 23:59:54 | マークスの山(単行本版改訂前) 再読日記
予告どおり本日9日から、単行本版(改訂前)『マークスの山』(早川書房) を読んでいます。
メインの物語の時期は、10月ですからね。秋に読むのがふさわしいと思うのですよ。願わくば、物語が終わる10月20日までには読了したい。じっくり、ゆっくりと、読む醍醐味を味わいたいのです。

実は・・・「改訂前」(確認出来ている範囲では、初版から28版まで。目安はp193~194の「お蘭には負けたぜ」の有無。詳細は、こちらをご覧下さい)をまともに読むのは、これが初めてだったりします。おほほほほ(笑ってごまかせ)

では「改訂後」はいつ読んだのかと記憶を遡ってみますと・・・。文庫版『マークスの山』 (講談社文庫)の発売が、2002年夏から秋にずれ込み、2002年も残り1か月になるかならないかの頃・・・「もう発売が待ちきれーん!」と、単行本版を再読した以来・・・になりますか? (読了直後に「2003年1月下旬に発売」の情報が出た)

ええええー! 約5年間も読んでへんのー!? うっそーん! (愕然)

その間、文庫版は3回は読んでいるのに・・・何という体たらく。どうりで本日読んだ部分が、初めて読んだように感じられたわけだわ(笑)


皆さんすっかりお忘れでしょうが、マークスの山(文庫版) 再読日記 を凍結状態にしているのは、「やっぱり単行本版を先に仕上げるべきよね~」と思い直したからです。
出来るなら「読むのは秋!」と決めていた理由は、冒頭にあるとおり。

ま、「読む」だけならいいんだ。問題は「再読日記の記事」なんだよなあ。いくつ溜め込んでいるんだね、私?(数えるのが怖い)

まあ、ぼちぼちやっていきますわ~。気長にお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

***

それではいつものように、単行本版『マークスの山』について、簡単に述べておきましょう。

言わずと知れた、第109回直木賞第12回日本冒険小説協会大賞をダブル受賞した作品。
恐らく日本の推理小説・ミステリ史上で、十指に入ることは間違いないと断言してもいい、刑事・合田雄一郎が初登場する作品でもあります。

後に映画化もされましたが、R指定というとんでもないものに。(だから深夜放送の時間帯でしか再放映しない)
ストーリーも変わってましたし。主演のあの人は、パンツ一丁で風呂場でスニーカーを洗ってましたし(苦笑) 七係の面々は、2人カットされてましたし。おまけに義兄は、いないことになってましたし。
怖いもの見たさの興味本位であれば、ぜひどうぞ。(本音を言えば、観ない方が幸せかも、です) ただ、山の映像には助かりました。こういう時、映像は強い。


それではいつものように、注意事項。
最低限のネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。よっぽどの場合、 の印のある部分で隠し字にします。

***

2007年10月9日(火)の単行本版(改訂前)『マークスの山』 は、一  播種のp46まで読了。当然、合田さんはまだ出てきていません。明日には登場。

【主な登場人物】 は、やりません。悪しからずご了承下さい。


【今回の警察・刑事や、検察・検事に関する記述】
「本格警察小説の金字塔」と謳われているからには、取り上げてみてもいいでしょう。だからといって、私は「警察小説全般」には少しも明るくありませんので、自分の首を絞めることには、変わりないのですが。

★犯罪の被疑者は、お縄にした限りは少々頭がおかしくなろうが何だろうがまず送致だ。 (p17)

「刑事」なら誰もが考えること、なんでしょうね。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★鉄格子のはまった磨りガラスの窓から、夜陰の明かりが射していた。闇が光るものだというのを知ったのは、週一回この部屋に通うようになってからだ。その輝く闇の中で、ベッドの寝具から首だけ出している一人の若者の目が恒星のように光った。 (p31)

「闇が光る」という表現が、どうやら私は気に入っているみたいです。