あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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南十字星が呼んでいる (上巻p87~88)

2005-09-14 00:44:40 | 晴子情歌 再読日記
9日(金)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p80~p122まで読了。

彰之は漁に出るために、第二北幸丸の持主・田辺水産へ出向く。そこで松田、小比類巻トオルと出会う。入れ違いで姉・美奈子さんが母・晴子さんの元へ出かけたと知り、ちょっといやな予感が走る。
晴子さんの手紙は、歴史としては悪化する情勢、検挙の嵐、瀧川事件、明仁親王ご誕生、関東軍の満州侵攻、鳩山一郎の辞任など。晴子さん個人の出来事では、父・康夫さんの退職。一家五人で東京を離れ、康夫さんの故郷・筒木坂への旅立ち。康夫さんは、初山別の鰊場へ出稼ぎに行く・・・。

***

前回からやっている、登場人物と書籍の備忘録。何だか自分で自分の首を締めているような気もしますが・・・

登場人物
福澤淳三 晴子さんの夫。
福澤美奈子 淳三さんの娘、彰之の姉。
福澤遥 彰之の従兄。
福澤徳三 遥の父親、彰之の伯父。
この四人の名は、初回分でとっくに登場してました。紹介のタイミングを逸しまして、すみません~。

松田幸平 彰之と同じ漁船に乗る人・その1。フルネームは今回出てませんが、典型的な高村キャラクターのネーミングですね~(苦笑)
小比類巻トシオ 彰之と同じ漁船に乗る人・その2。『晴子情歌』 の中での、戦後生まれ代表(笑) 
野口郁夫 康夫さんの弟。満州で戦死。
野口忠夫 康夫さんの長兄。両親や他の兄弟については、次回分に登場するので、今回は省略。 

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『失樂園』 念のため、ジョン・ミルトンですよ(笑) 康夫さんが英語の講義で使っているテキストの一つ。生徒たちには評判が悪いんだそうだ(苦笑) 晴子さんにはまだ無理だろう、ってことで、代わりに『嵐が丘』を貰ったのでした。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★

★あるとき自分の知らない力が働いて住み慣れた環境から出ていこうとするのも、生き物に備わった生存の本能だとぼんやり考えていただけだった。 (p88)
身内の福澤水産を出て遠洋マグロ漁をやりたいと、伯父の徳三に言った際の、彰之の思考。ホンマにアッキーって、「ぼんやりと考える人」だなあ・・・(苦笑)

★「自己表現って言ってさあ、みんな自己満足しているだけだと思いませんか。そういうのがいやになっちゃって」 (p91)
東京へ出て芝居の道へ進んだが、食べられなくなって戻ってきたトシオの台詞。世に言う「アングラ劇場」がブーム(?)だった頃ですか。

★そうだ、松田が言ったのは『人類の意思に就て』だと思いだし、人類の善なる意思というのは、大杉栄が生真面目に反論するまでもなく、確かにシュールだと思ったりした。 (p94)
新聞を読んでいた松田さんが、「武者小路実篤が死んだそうだ」 (p92) と言った場面。松田さん・トシオ・彰之の反応の違いが、面白いかなと思ったので。ここで取り上げたのは、彰之の思考。(この場面は、実は下巻でのちょっとした伏線だったりする)
松田さん・・・昔、めごい女子高生が読んでいた本がその本だった、とのこと。
トシオ・・・「いまどき武者小路だなんて、シュールだなあ」 (p93)

★康夫の時代、地方から帝大へ賑々しく送り出された秀才青年たちはいまよりもはるかに強く將來を嘱望されており、おほむね自分が何を望むかでなく、何をすべきかと考へるのを習い性として官吏や員になつていきました。 (p105)
「エリート」の走りでしょうか。「何をすべきか」というのが、現代とは全く正反対ですね。「自分探し」という言葉に逃げ込んで、挙句の果てに「ニート」と呼ばれるようになって・・・。「官吏や教員」になったとしても、私利私欲に走ったり、過剰な体罰をしたり・・・。

★當時の康夫の心境を想像するに、もしかしたら共産主義も戦爭も革命ももはや小さなことだ、透谷の云ふ造化の秘蔵も澄清たる識別も小さなことだと冷笑してゐる使者の目を、康夫はそこに見たのかも知れません。 (p109)
画家の重松さんが自死し、残された絵を眺めている康夫さんを観察している晴子さん。偶然にもその同じ日に、『蟹工船』の作者・小林多喜二も殺されました。

★あの世から一つの囘答を要求してくるのは死者の特權ですけれども、生きてゐる康夫にはそんな問ひには應へられないのです。 (p110)
だから「生きる」ということで、この世で答えを出すしかないのですね。うーん、何だか哲学の領域に入ってきたような・・・。

★物を云ふことで殺されるでなく、鋭い才氣に殺されることもない代はりに、市井の人間と云ふのはその分永らへてより多くの人生を生き、より多くを眺めてそれをみな自らの身體にたゞ沈殿させていくのだらう、と。そこには何一つ成すことのない者の自覺もまた少しづつ沁みてをり、それも人は自分のうちに沈めることを學ぶのだらう、と。確かに、物を思ふ力だけ與へられ、行動する力を與えられなかつた人間はそこに辿り着くまでに先づ、己の無力感と戰ふやう強ひられますが、そのどこがいけないと云ふのでせう。物を云ふか沈黙するかの選擇が學問や育の良心の踏み繪のやうにつた時代の前で、康夫のように立ちすくむほかなかつた人びとが、ほんたうはどれほどゐたことでせう。 (p111)
長い引用になりましたが、今で言う「勝ち組・負け組」(←私はこの言葉は大嫌いなんですが・・・)には当てはまらない、又は分けられない、どうしようもないやるせなさが滲み出ている箇所ではないでしょうか。
「敗れざる者」を描いた、現時点での高村さんの短編集 『地を這う虫』 の内容を代弁しているかのようでもあります(苦笑)
こうして康夫さんは、何ものかに「挫折」したわけです。

★「大學にはいま、豫め過ちと分かつてゐるテーゼを過ちと認めないバカ、過ちと知ってゐて闘爭するバカ、當否を問ふことを知らないバカがゐる。しかしぼくは、行動しないバカだつた」 (p112)
何だか今回の選挙とオーバーラップしてしまうなあ・・・。私は投票しに行きましたがね。
閑話休題。
これは彰之の台詞ですが、晴子さんの手紙なので、旧字体・旧仮名遣いです。この台詞が出た状況を簡単に説明すると、昭和44年、東大の安田講堂に機動隊が入った事件がありました。彰之の後輩も逮捕されたのですが、彰之が漁に出ていて留守の間に、政治家である伯父・福澤榮に便宜を図ってもらう。それを知った彰之の怒りが、吐露されています。
晴子さんは「なんと康夫と似たことを云ふのだらう」 (p112) と、ちょっと驚いています。しかし彰之の真意は・・・。

★東京の生活とは全く違ふが、土地を耕し、喰ひ、生きてゐる人間の本來の姿があると思ふ。この國がほんたうはどんな姿をしてゐるか、日本人が何を願ひ、何を喜び、何を怒り、生きてゐるかを日々學ぶと云ふ意味で、日本人に生まれたことを喜び悲しみ、深く考へるやうになる土地だと思ふ。 (p116~117)
故郷へ帰る決心をした康夫さんが、晴子さんに故郷のことを話している場面。『レディ・ジョーカー』 で、物井さんが青森県へ帰ったことを彷彿とさせますね・・・。

***

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

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旧字体の変換のみならず、もう一つの鈍い理由としては、セレクト文をあれもこれもと欲張るからですね、きっと。初めて読んだ時の貼っている付箋紙はそのままなので、再読していると「・・・何でこんなところに貼ってんの、過去の私は?」と思ったりすることも多々あって・・・(苦笑)
そういうわけで、全部が全部付箋紙を貼っている部分からピックアップしているわけでもありませんので、ご了承を。
それでも二日に一回のペースでの更新は、何とか維持したいものですわ~。水・木・金で、上巻読了予定です。

萬国博覽會の音頭を唄つた、あの歌手の聲もやけに朗々と (上巻p52)

2005-09-11 22:02:40 | 晴子情歌 再読日記
8日(木)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p42~p80まで読了。晴子さんの手紙でひと区切り。

紅茶をいれた晴子さんが、過去の思い出に遡っていきます。晴子さんの両親・野口康夫と岡本富子の馴れ初め、その頃の時代背景、晴子さんの誕生、関東大震災、弟妹の誕生、不穏な時代の雰囲気、富子さんの死まで綴られています。
おや?、何だか 『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト) で、ある食べ物から過去に遡っていく構成と似ているような・・・。食べ物や飲み物の記憶って、そういう魔力があるのかもしれない。

前回、私は「これは歴史小説だ」、「これは大正、昭和と生きた一介の女性による証言だ」 と書きました。それを強く感じたのは、今回の部分を読んだからです。大正時代も、昭和の初期も遠くになりにけり・・・ではありませんが、21世紀に生きる今、20世紀がどんな時代で、どんな歴史を紡いでいたのか・・・。振り返る、又は知識として知ることも大切だと感じられるのです。

***

『晴子情歌』 は登場人物が多いので、今回から備忘録代わりにメモ。
そして本が好きな私としては、「いつかは読むかも知れない本」として、登場した書籍名と、判る範囲で著者名もメモします。

登場人物
野口康夫、野口富子 晴子さんの父母。
野口哲史、野口幸生、野口美也子 晴子さんの弟妹。
岡本芳國、岡本初音 晴子さんの祖父母。晴子さんの母・富子さんは三女になる。芳國さんは婿養子。ちなみに長女・次女の名は、房子・民子
岡本キク 富子さんの祖母で、初音さんの母。

登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『熱帶の生き物』 晴子さんが図書館で借りた図鑑。
『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ) 私は小学生の頃、学校の図書館で借りて読んだ。

ここまでは前回読書分に登場した本。 

『白樺』 武者小路実篤、志賀直哉、その他。(ど忘れしたのでネットで検索)
『青踏』 平塚らいてうが創刊。(これもど忘れしたのでネットで検索)
『早稻田文学』 『改造』 ・・・こんなのは知らない(苦笑) 気が向いたら調べる。
『ダブリン市民』(ジェームズ・ジョイス) 『神の火』(新版) 『リヴィエラを撃て』 ですっかりおなじみ。私も去年、やっと読みました。晴子さん曰く「素敵でした」とのこと。
『中央公論』 この頃から在ったのか・・・。
『高瀬舟』(森鴎外) 私は未読。
『人類の意思に就て』(武者小路實篤) 作者名は知っていても、作品は知らん・・・。
『棕櫚』 『海邊の墓地』(ヴァレリー) ヴァレリーといえば、ポール・ヴァレリーしか知らんぞ、私は(笑)
『勞働運動』(大杉榮) 
『新潮』 康夫さんの文藝仲間の一人がこれに小説を発表。しかも、それを推薦した編集者の名も書かれている(佐々木千之 ささき・ちゆき)。新潮社が版元だから、「社史」などを調べたら当時の編集さんたちも判りますわね。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
晴子さんの手紙だけなので、覚悟はいいですね?

★いまも、かうして貴方にいろいろなことを書かうとする衝動はこの心身のどこから来るのか、何に向かふ衝動なのかと考へるのですが、しかし現にこんなふうにやつて來る衝動の、なんと自由で清々してゐること。 (p42)
彰之に手紙を書いて送ることを、晴子さん自身が評した一文。

★富子と小説の出會ひは、青春の高揚を繪に描いたやうで、私は想像するたびに自分も少しはそんな時期があつたかも知れない懐かしさと面はゆさに驅られます。 (p52)
前回もピックアップした、「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その2。「読むことの喜び」が、素直に語られていますよね。

★大正と云ふ時代はたしかに明治の謹厳な重しが外れたやうなところがあつたのですし、この時代の彼らの熱氣を浮ついた議論のための議論と批判するのは、後世の賢い人たちに任せることにしませう。 (p53)
「大正」という時代やその言葉が持つ雰囲気って、不思議ですよね。「大正デモクラシー」だの「大正ロマン」だの、相反するものが共存、あるいは対立していた時代なのか。平成の世、「大正時代」を検証したり振り返ったりする試みも行われてきていますよね。

★本來は生きることゝ一つであるべき人間の品位が、なほも教養や理想と同義語だつた富子の中で、康夫がいつどのやうにして望ましい男性像になつていつたかも、たぶんリアリズムの目よりも浪漫的な情緒のはうが似合ふ話だつただらうと私は思ふのですが、はて。 (p54)
富子さんが康夫さんをどう慕っていったのかを、娘の目から冷静に見ている一文。ちなみに康夫さんは岡村家の経営する下宿に住んでいて、富子さんの家庭教師でもありました。

★私は五年前、あの萬国博覽會の未來都市を見學しての歸り、ふと未來と云ふものがひどくぼんやりとして可でも不可でもないやうに感じられたのでした (p54)
『LJ』 で合田さんがヴァイオリンを弾いていた時にも出てきた、大阪の万国博覧会のこと(私はまだ生まれてませんでした) ちなみに今回のタイトルも、大阪万博から。

★かうして樂しい思ひ出はみな本の家にあつたやうな氣がして來るのは、たヾ子どもであることの無上の幸のせゐでせう。 (p65)
「晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった」・その3。晴子さんの母・富子さんに髪を梳かれている思い出。私の場合、小さい頃は髪がもつれやすかったんで、大変だったと思うな・・・。

★すると康夫は「君は美の直感を數學的に收斂しようとしてゐるわけかい?」と尋ね、重松さんは「美の直感ぢやない、美の形だ」と應へます。 (p71~72)
重松さんは、康夫さんの友人で画家。しかし検挙されてしまいます。晴子さんの夫・淳三さんも画家なので、同じようなことを言っていたなあ、と晴子さんは思い返していました。
夏に再読した 『照柿』 にも、売れない画家だった人物が登場してました。

★病院と云ふところは一旦床に就いたが最後、昨日までとは隔絶されて、あとはたゞ死に向かふのを誰もが爲すすべもなく畏まって待ち、悲嘆や狼狽さへ出口を失ふ非日常の場所です。 (p78)
これは富子さんが劇症肝炎にかかって入院した出来事を語っています。「病院」の項目で、名言・ことわざ事典に入れてほしいくらいの一文ですわ・・・。

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※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。

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お、恐ろしいくらいの鈍いペース。むっちゃ時間がかかりすぎてる~。 明日には第一章を読み終える予定なんですが・・・ 旧字体をその都度登録しておかないとアカンかも・・・。


いやぁだぁ、いやぁだぁ、ああぁいやぁだぁ (上巻p32)

2005-09-09 00:07:29 | 晴子情歌 再読日記
昨日から 『晴子情歌』(新潮社) を再読しています。
いつものように簡単な感想等を添えて、後でピックアップしたものを紹介していきますね。

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初回なので、『晴子情歌』 の簡単な紹介を。
福澤晴子(旧姓・野口)が、息子・彰之に送った百通の手紙。それを読んだ彰之があれこれと思索し、所縁の土地や親戚一同を訪ね、漁船に乗り、自らの過去を振り返っていく・・・というのが、大まかな構成。(大雑把すぎる説明かな・・・)
晴子さんの手紙は、大正時代に自分が生まれる前の両親の出会いから、昭和五十年頃までの現在(物語世界は昭和五十年か五十一年に終わるので)のことまでの出来事、思い出などが綴られています。

「平たく言えば、ある女の一生ってこと?」 いえいえ、そんな単純なものではありません。そんな単純な小説を、高村薫さんが書くわけありません。
昨日、今日と読み進めるうちに、「これは歴史小説だ」、「これは大正、昭和と生きた一介の女性による証言だ」 ・・・などと感じていくようになってきましたもの。

晴子さんの手紙は、旧字体の漢字・旧仮名遣いで綴られています。(以下のセレクトでも文字化けしない程度に旧字体を使用します。この変換に、かなりの時間を要します・苦笑)
これは(特に若い)読者を悩ますことでしょう。しかし、『LJ』 の冒頭の「怪文書」を乗り越えた方なら大丈夫! 直に苦もなく読めるようになります。

晴子さんの手紙を旧字体・旧仮名遣いにすることに、高村さんは「その時代に生きた人なら当然だろう」という主旨を仰っていました。しかも印刷の活字まで指定する徹底ぶり。
(実は 『LJ』 の「怪文書」も、活字が違います。本をお持ちの方はご覧になって確かめてみて下さい)

高村さんの長編初の女性主人公・晴子さんの顔は、重要文化財に指定されている、青木繁 「海の幸」にいますね。上巻の表紙で、こちらに顔を向けている印象的な顔。「海の幸」 の画中、唯一の女性。これが晴子さんだ、と私は思っています。
それでは、下巻の男性が息子の彰之かなあ・・・?(苦笑)

初と言えば、メインキャラクターたちは「キリスト教徒」ではなく「仏教徒」であることも、特筆すべきことではないでしょうか。今までの長編では、ほとんどの主人公たちは、前者でした。

そうそう、もう一人の主人公・彰之のことも、多少は書かないとね。
高村さんの長編の男性主人公たちの中で、このキャラクターほど人気のない人は、いないだろう。(特に女性に・笑) ネット始めてから知った言葉を借りるなら、「萌えない」のでしょうかねえ?
私は別の理由があると思っていますが、最初にそれを述べてしまうとマズイでしょうから、やめておきます。

私が彰之をどう思っているかって?
合田雄一郎は、殴ってみたい。福澤彰之は、蹴っ飛ばしたい。
・・・これをとりあえずの回答とさせていただきます(苦笑)
ちなみに、個人的な彰之のニックネームは、「アッキー」です(大笑) 

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7日(水)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p41まで読了。晴子さんの手紙の紹介と、彰之の思索。

★☆★本日の名文・名台詞  からなのセレクト★☆★
初回ですから、晴子さんとアッキーの描写中心で。

★もしも私が物事をぢつと考へる性格だつたら、慘めでゐられなかつたでせうが、私は小さいころから、何しろ悲しいことを考へるのが苦手でしたから。 (上巻p11)
晴子さんが自分自身の性格を綴っている箇所。「晴子さんはどういう女性か」という描写の紹介も必要かな、と思ってピックアップ。

★かうして思ひつくまゝに竝べてみる事柄はどれも、事實ではあるのですが、事實の全てではないからです。 (上巻p12)
この何気ない一文・・・下巻での衝撃と謎の伏線かもしれないな、と再読している今なら分かりますね・・・。

★十五歳の私にとつて、未來はたゞ茫洋とし、樂しいとか嬉しいとか云ふには遠い、放心するやうな輕やかさと一つであつたような氣がします。 (上巻p18)
晴子さんの感じたこういう状態は、私にも確かにあった・・・と懐かしさを覚えたので、ピックアップ。

★またいつの間にか海にいるようだと感じ続けていた。ただし海といっても、いまあるのは風の海で、彰之の身体一つは重力と浮力の間を漂う小さな魯櫂舟だ。心もとなく揺れ続け、揺れているのは分かるが自重が感じられない。またその海は、一方で遠心分離機のように渦を巻き、まずは時間の感覚が消え、次にまとまった意思も引き剥がされていき、雑多な想念や記憶の飛沫が閃いてはそれも散っていく。しかし遠心分離機なら、そうして何かが濃縮されていくはずだが、では何がというと、今回もまた核心の部分は言葉のない暗黒だった。 (上巻p25)
彰之が自分自身のことを客観視している箇所。「彰之はどういう男性か」の描写の紹介も必要かと、ピックアップ。(以下の引用もそうです)
余談ですが、「重力」という言葉は、高村作品を読み解くキーワードの一つだと、私は思っています。

★柔らかな湿りけを含んだ視線や物言いの空気は、今回もまた格別な意味もなく彰之の神経にもぐり込み、臓器の一つ一つを、あるいは骨を微細に振動させたのだった。そしてその振動は、先ほど唐突に甦った身体の痺れと同じくわずかに、疼くような熱を帯び、なにがしかの柔らかに潤んだ心地を孕んで、今この一瞬も風の底で煮詰まり続けていたが、彰之はふと、この振動も濃縮もほとんど暗黒の永久運動のようだと思った。あと一歩のところで決して煮詰まりきらず、ただ濃くなっていくばかりで、どこにも言葉がなく形もないというのは。 (上巻p29)

★残っているのはいまは臓腑の微かな痺れだけであり、そこから発した振動はもうこの風の中で、確かなところは早くも暗黒だった。そして、いままた数分前の続きで重力と浮力の間を通過していきながら、彰之は不透明な懐疑に陥り、自ら名付けたばかりの永久運動の一語を反芻し、自問するのだ。すなわち、あるのはただ筋道を失った物思いの行ったり来たりと、些細な気分の浮き沈みだけではないか、と。濃くなっていくものの正体は、磁場のように空気のすみずみに張りついている自意識であり、それこそが不毛な運動にエネルギーを供給しているだけではないか、と。しかしそんな自問もまた、たちまち当の永久運動の一部になって飛び去るほかなかった。 (上巻p29~30)

★分解するものと生成するものの交代は鮮やかで、そのとき眼前で輝炎を上げる煤に見入りながら、自分の中にある当面名付けがたいものも、燃やしてみたならば新たな質量と性質を備えた物質が発生するだろうといった想像をしたのだ、と。それは実際、灰になるものから新生するものへの、永劫回帰から転生への、一筋の閃きのようにも思えたことだったが、いまはまた一つ、そんな想像をしたときの一寸汗ばむような心地が立ち戻ってくると、彰之は風の下に屈めた身体の奥で、、今度は間違いなく父母を含めた他者は関係ない、自意識の空洞が再びぎりりと声をあげるのを聴いた。 (上巻p39)

こうしてしついくらいに彰之の思考の描写を並べてみると、『新リア王』 新聞連載時に福澤榮と彰之の対話に登場した 埴谷雄高 『死霊』 あるいは、シモーヌ・ヴェーユ の影響も、多少は見え隠れしているかな・・・? と私には感じられます。『死霊』 や、シモーヌ・ヴェーユ を読了された方、いかがなもんでしょう?

※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。
またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。