9日(金)の 『晴子情歌』 は、第一章 筒木坂 上巻p80~p122まで読了。
彰之は漁に出るために、第二北幸丸の持主・田辺水産へ出向く。そこで松田、小比類巻トオルと出会う。入れ違いで姉・美奈子さんが母・晴子さんの元へ出かけたと知り、ちょっといやな予感が走る。
晴子さんの手紙は、歴史としては悪化する情勢、検挙の嵐、瀧川事件、明仁親王ご誕生、関東軍の満州侵攻、鳩山一郎の辞任など。晴子さん個人の出来事では、父・康夫さんの退職。一家五人で東京を離れ、康夫さんの故郷・筒木坂への旅立ち。康夫さんは、初山別の鰊場へ出稼ぎに行く・・・。
***
前回からやっている、登場人物と書籍の備忘録。何だか自分で自分の首を締めているような気もしますが・・・
登場人物
福澤淳三 晴子さんの夫。
福澤美奈子 淳三さんの娘、彰之の姉。
福澤遥 彰之の従兄。
福澤徳三 遥の父親、彰之の伯父。
この四人の名は、初回分でとっくに登場してました。紹介のタイミングを逸しまして、すみません~。
松田幸平 彰之と同じ漁船に乗る人・その1。フルネームは今回出てませんが、典型的な高村キャラクターのネーミングですね~(苦笑)
小比類巻トシオ 彰之と同じ漁船に乗る人・その2。『晴子情歌』 の中での、戦後生まれ代表(笑)
野口郁夫 康夫さんの弟。満州で戦死。
野口忠夫 康夫さんの長兄。両親や他の兄弟については、次回分に登場するので、今回は省略。
登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
『失樂園』 念のため、ジョン・ミルトンですよ(笑) 康夫さんが英語の講義で使っているテキストの一つ。生徒たちには評判が悪いんだそうだ(苦笑) 晴子さんにはまだ無理だろう、ってことで、代わりに『嵐が丘』を貰ったのでした。
★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
★あるとき自分の知らない力が働いて住み慣れた環境から出ていこうとするのも、生き物に備わった生存の本能だとぼんやり考えていただけだった。 (p88)
身内の福澤水産を出て遠洋マグロ漁をやりたいと、伯父の徳三に言った際の、彰之の思考。ホンマにアッキーって、「ぼんやりと考える人」だなあ・・・(苦笑)
★「自己表現って言ってさあ、みんな自己満足しているだけだと思いませんか。そういうのがいやになっちゃって」 (p91)
東京へ出て芝居の道へ進んだが、食べられなくなって戻ってきたトシオの台詞。世に言う「アングラ劇場」がブーム(?)だった頃ですか。
★そうだ、松田が言ったのは『人類の意思に就て』だと思いだし、人類の善なる意思というのは、大杉栄が生真面目に反論するまでもなく、確かにシュールだと思ったりした。 (p94)
新聞を読んでいた松田さんが、「武者小路実篤が死んだそうだ」 (p92) と言った場面。松田さん・トシオ・彰之の反応の違いが、面白いかなと思ったので。ここで取り上げたのは、彰之の思考。(この場面は、実は下巻でのちょっとした伏線だったりする)
松田さん・・・昔、めごい女子高生が読んでいた本がその本だった、とのこと。
トシオ・・・「いまどき武者小路だなんて、シュールだなあ」 (p93)
★康夫の時代、地方から帝大へ賑々しく送り出された秀才青年たちはいまよりもはるかに強く將來を嘱望されており、おほむね自分が何を望むかでなく、何をすべきかと考へるのを習い性として官吏や員になつていきました。 (p105)
「エリート」の走りでしょうか。「何をすべきか」というのが、現代とは全く正反対ですね。「自分探し」という言葉に逃げ込んで、挙句の果てに「ニート」と呼ばれるようになって・・・。「官吏や教員」になったとしても、私利私欲に走ったり、過剰な体罰をしたり・・・。
★當時の康夫の心境を想像するに、もしかしたら共産主義も戦爭も革命ももはや小さなことだ、透谷の云ふ造化の秘蔵も澄清たる識別も小さなことだと冷笑してゐる使者の目を、康夫はそこに見たのかも知れません。 (p109)
画家の重松さんが自死し、残された絵を眺めている康夫さんを観察している晴子さん。偶然にもその同じ日に、『蟹工船』の作者・小林多喜二も殺されました。
★あの世から一つの囘答を要求してくるのは死者の特權ですけれども、生きてゐる康夫にはそんな問ひには應へられないのです。 (p110)
だから「生きる」ということで、この世で答えを出すしかないのですね。うーん、何だか哲学の領域に入ってきたような・・・。
★物を云ふことで殺されるでなく、鋭い才氣に殺されることもない代はりに、市井の人間と云ふのはその分永らへてより多くの人生を生き、より多くを眺めてそれをみな自らの身體にたゞ沈殿させていくのだらう、と。そこには何一つ成すことのない者の自覺もまた少しづつ沁みてをり、それも人は自分のうちに沈めることを學ぶのだらう、と。確かに、物を思ふ力だけ與へられ、行動する力を與えられなかつた人間はそこに辿り着くまでに先づ、己の無力感と戰ふやう強ひられますが、そのどこがいけないと云ふのでせう。物を云ふか沈黙するかの選擇が學問や育の良心の踏み繪のやうにつた時代の前で、康夫のように立ちすくむほかなかつた人びとが、ほんたうはどれほどゐたことでせう。 (p111)
長い引用になりましたが、今で言う「勝ち組・負け組」(←私はこの言葉は大嫌いなんですが・・・)には当てはまらない、又は分けられない、どうしようもないやるせなさが滲み出ている箇所ではないでしょうか。
「敗れざる者」を描いた、現時点での高村さんの短編集 『地を這う虫』 の内容を代弁しているかのようでもあります(苦笑)
こうして康夫さんは、何ものかに「挫折」したわけです。
★「大學にはいま、豫め過ちと分かつてゐるテーゼを過ちと認めないバカ、過ちと知ってゐて闘爭するバカ、當否を問ふことを知らないバカがゐる。しかしぼくは、行動しないバカだつた」 (p112)
何だか今回の選挙とオーバーラップしてしまうなあ・・・。私は投票しに行きましたがね。
閑話休題。
これは彰之の台詞ですが、晴子さんの手紙なので、旧字体・旧仮名遣いです。この台詞が出た状況を簡単に説明すると、昭和44年、東大の安田講堂に機動隊が入った事件がありました。彰之の後輩も逮捕されたのですが、彰之が漁に出ていて留守の間に、政治家である伯父・福澤榮に便宜を図ってもらう。それを知った彰之の怒りが、吐露されています。
晴子さんは「なんと康夫と似たことを云ふのだらう」 (p112) と、ちょっと驚いています。しかし彰之の真意は・・・。
★東京の生活とは全く違ふが、土地を耕し、喰ひ、生きてゐる人間の本來の姿があると思ふ。この國がほんたうはどんな姿をしてゐるか、日本人が何を願ひ、何を喜び、何を怒り、生きてゐるかを日々學ぶと云ふ意味で、日本人に生まれたことを喜び悲しみ、深く考へるやうになる土地だと思ふ。 (p116~117)
故郷へ帰る決心をした康夫さんが、晴子さんに故郷のことを話している場面。『レディ・ジョーカー』 で、物井さんが青森県へ帰ったことを彷彿とさせますね・・・。
***
※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。
***
旧字体の変換のみならず、もう一つの鈍い理由としては、セレクト文をあれもこれもと欲張るからですね、きっと。初めて読んだ時の貼っている付箋紙はそのままなので、再読していると「・・・何でこんなところに貼ってんの、過去の私は?」と思ったりすることも多々あって・・・(苦笑)
そういうわけで、全部が全部付箋紙を貼っている部分からピックアップしているわけでもありませんので、ご了承を。
それでも二日に一回のペースでの更新は、何とか維持したいものですわ~。水・木・金で、上巻読了予定です。
彰之は漁に出るために、第二北幸丸の持主・田辺水産へ出向く。そこで松田、小比類巻トオルと出会う。入れ違いで姉・美奈子さんが母・晴子さんの元へ出かけたと知り、ちょっといやな予感が走る。
晴子さんの手紙は、歴史としては悪化する情勢、検挙の嵐、瀧川事件、明仁親王ご誕生、関東軍の満州侵攻、鳩山一郎の辞任など。晴子さん個人の出来事では、父・康夫さんの退職。一家五人で東京を離れ、康夫さんの故郷・筒木坂への旅立ち。康夫さんは、初山別の鰊場へ出稼ぎに行く・・・。
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前回からやっている、登場人物と書籍の備忘録。何だか自分で自分の首を締めているような気もしますが・・・

登場人物
福澤淳三 晴子さんの夫。
福澤美奈子 淳三さんの娘、彰之の姉。
福澤遥 彰之の従兄。
福澤徳三 遥の父親、彰之の伯父。
この四人の名は、初回分でとっくに登場してました。紹介のタイミングを逸しまして、すみません~。
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松田幸平 彰之と同じ漁船に乗る人・その1。フルネームは今回出てませんが、典型的な高村キャラクターのネーミングですね~(苦笑)
小比類巻トシオ 彰之と同じ漁船に乗る人・その2。『晴子情歌』 の中での、戦後生まれ代表(笑)
野口郁夫 康夫さんの弟。満州で戦死。
野口忠夫 康夫さんの長兄。両親や他の兄弟については、次回分に登場するので、今回は省略。
登場した書籍や雑誌名 (作家名だけ出ているものは無視。登場ページの表記は略。すみません)
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★☆★本日の名文・名台詞 からなのセレクト★☆★
★あるとき自分の知らない力が働いて住み慣れた環境から出ていこうとするのも、生き物に備わった生存の本能だとぼんやり考えていただけだった。 (p88)
身内の福澤水産を出て遠洋マグロ漁をやりたいと、伯父の徳三に言った際の、彰之の思考。ホンマにアッキーって、「ぼんやりと考える人」だなあ・・・(苦笑)
★「自己表現って言ってさあ、みんな自己満足しているだけだと思いませんか。そういうのがいやになっちゃって」 (p91)
東京へ出て芝居の道へ進んだが、食べられなくなって戻ってきたトシオの台詞。世に言う「アングラ劇場」がブーム(?)だった頃ですか。
★そうだ、松田が言ったのは『人類の意思に就て』だと思いだし、人類の善なる意思というのは、大杉栄が生真面目に反論するまでもなく、確かにシュールだと思ったりした。 (p94)
新聞を読んでいた松田さんが、「武者小路実篤が死んだそうだ」 (p92) と言った場面。松田さん・トシオ・彰之の反応の違いが、面白いかなと思ったので。ここで取り上げたのは、彰之の思考。(この場面は、実は下巻でのちょっとした伏線だったりする)
松田さん・・・昔、めごい女子高生が読んでいた本がその本だった、とのこと。
トシオ・・・「いまどき武者小路だなんて、シュールだなあ」 (p93)
★康夫の時代、地方から帝大へ賑々しく送り出された秀才青年たちはいまよりもはるかに強く將來を嘱望されており、おほむね自分が何を望むかでなく、何をすべきかと考へるのを習い性として官吏や員になつていきました。 (p105)
「エリート」の走りでしょうか。「何をすべきか」というのが、現代とは全く正反対ですね。「自分探し」という言葉に逃げ込んで、挙句の果てに「ニート」と呼ばれるようになって・・・。「官吏や教員」になったとしても、私利私欲に走ったり、過剰な体罰をしたり・・・。
★當時の康夫の心境を想像するに、もしかしたら共産主義も戦爭も革命ももはや小さなことだ、透谷の云ふ造化の秘蔵も澄清たる識別も小さなことだと冷笑してゐる使者の目を、康夫はそこに見たのかも知れません。 (p109)
画家の重松さんが自死し、残された絵を眺めている康夫さんを観察している晴子さん。偶然にもその同じ日に、『蟹工船』の作者・小林多喜二も殺されました。
★あの世から一つの囘答を要求してくるのは死者の特權ですけれども、生きてゐる康夫にはそんな問ひには應へられないのです。 (p110)
だから「生きる」ということで、この世で答えを出すしかないのですね。うーん、何だか哲学の領域に入ってきたような・・・。
★物を云ふことで殺されるでなく、鋭い才氣に殺されることもない代はりに、市井の人間と云ふのはその分永らへてより多くの人生を生き、より多くを眺めてそれをみな自らの身體にたゞ沈殿させていくのだらう、と。そこには何一つ成すことのない者の自覺もまた少しづつ沁みてをり、それも人は自分のうちに沈めることを學ぶのだらう、と。確かに、物を思ふ力だけ與へられ、行動する力を與えられなかつた人間はそこに辿り着くまでに先づ、己の無力感と戰ふやう強ひられますが、そのどこがいけないと云ふのでせう。物を云ふか沈黙するかの選擇が學問や育の良心の踏み繪のやうにつた時代の前で、康夫のように立ちすくむほかなかつた人びとが、ほんたうはどれほどゐたことでせう。 (p111)
長い引用になりましたが、今で言う「勝ち組・負け組」(←私はこの言葉は大嫌いなんですが・・・)には当てはまらない、又は分けられない、どうしようもないやるせなさが滲み出ている箇所ではないでしょうか。
「敗れざる者」を描いた、現時点での高村さんの短編集 『地を這う虫』 の内容を代弁しているかのようでもあります(苦笑)
こうして康夫さんは、何ものかに「挫折」したわけです。
★「大學にはいま、豫め過ちと分かつてゐるテーゼを過ちと認めないバカ、過ちと知ってゐて闘爭するバカ、當否を問ふことを知らないバカがゐる。しかしぼくは、行動しないバカだつた」 (p112)
何だか今回の選挙とオーバーラップしてしまうなあ・・・。私は投票しに行きましたがね。
閑話休題。
これは彰之の台詞ですが、晴子さんの手紙なので、旧字体・旧仮名遣いです。この台詞が出た状況を簡単に説明すると、昭和44年、東大の安田講堂に機動隊が入った事件がありました。彰之の後輩も逮捕されたのですが、彰之が漁に出ていて留守の間に、政治家である伯父・福澤榮に便宜を図ってもらう。それを知った彰之の怒りが、吐露されています。
晴子さんは「なんと康夫と似たことを云ふのだらう」 (p112) と、ちょっと驚いています。しかし彰之の真意は・・・。
★東京の生活とは全く違ふが、土地を耕し、喰ひ、生きてゐる人間の本來の姿があると思ふ。この國がほんたうはどんな姿をしてゐるか、日本人が何を願ひ、何を喜び、何を怒り、生きてゐるかを日々學ぶと云ふ意味で、日本人に生まれたことを喜び悲しみ、深く考へるやうになる土地だと思ふ。 (p116~117)
故郷へ帰る決心をした康夫さんが、晴子さんに故郷のことを話している場面。『レディ・ジョーカー』 で、物井さんが青森県へ帰ったことを彷彿とさせますね・・・。
***
※原文では、晴子さんの手紙は旧字体・旧仮名遣いを使用しています。どうしても変換できないものは、現代の字体・仮名遣いを使用しております。またOSやブラウザによっては、文字化けしていることもあります。その場合はお手数ですが、コメント欄を利用して申し添えて下さい。出来るだけ善処します。
***
旧字体の変換のみならず、もう一つの鈍い理由としては、セレクト文をあれもこれもと欲張るからですね、きっと。初めて読んだ時の貼っている付箋紙はそのままなので、再読していると「・・・何でこんなところに貼ってんの、過去の私は?」と思ったりすることも多々あって・・・(苦笑)
そういうわけで、全部が全部付箋紙を貼っている部分からピックアップしているわけでもありませんので、ご了承を。
それでも二日に一回のペースでの更新は、何とか維持したいものですわ~。水・木・金で、上巻読了予定です。