あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・10

2013-01-29 00:30:07 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
26日(土)の読書分です。

こんな記事を見つけて、「うわあ、まるで『LJ』の発端やん・・・」と思いました。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

いきなりネタバレしてしまうので、隠し字。
倉田副社長は学生結婚した(中巻p70)とありますが、いつどこでどうやって、城山社長の妹・晴子と《男女の仲》になったのか、ますますさっぱり分からない。
杉原氏と結婚を決めた時には、倉田氏は当然妻子持ち。 ホントになにがどうなってそうなったのか。 恋に落ちるのに、理由は要らないということか。
それよりなにより、「不倫関係」になったのはいつなのか。
ホント、疑問符だらけ、謎だらけ。

ここまでネタバレ。どうでもいいことでした。すみません。


<第三章 一九九五年春――事件>

日之出ビール経営陣、三者揃い踏み。城山社長・白井副社長・倉田副社長の三人だけで顔を合わせたのは、意外なことにここだけか?
日之出ビールの描写を読むと、『LJ』は経済小説の一種としても読めると感じる。

★しかし、時代は変わる。城山自身と比べても倉田の企業観は保守的であり、それは製造業が製造業であり続ける限り、仕方のない面もあるが、白井誠一などと対比すると、経営者としての能力の差はいまや歴然としていた。倉田の頭はいまなお月々の売上高の積み上げることに占領されているが、白井のほうは早い時期に、株主資本利益率から企業の収益性を評価していた男で、装置産業の未来は低成長だと言いきって多角化の先鋒に立ってきた。 (中巻p72)

★倉田にいま、会社への献身に距離を置く気持ちが芽生えているとしても、何の不思議もない話だったし、そんなふうに思う城山自身、犯人たちから姪の写真を渡されたとき、早々に、会社のために死ねるかと思った人間だった。とはいえ、三十年の伴侶の変身を見つめながら、城山は、自分の足元がふわりと崩れていくような一瞬の感覚を味わい、いままた新たに思いがけない発見をしたような、密かな敗北感に満たされた。拉致されて以来、さんざん物を考えてきたつもりだったが、それでも及びもつかなかった一つの発見だった。 (中巻p75)

ふとしたところで出てくるよね。ドキッとするような高村さん特有の表現が。ここでは言わずもがなかも知れませんが、「三十年の伴侶」でしょう。

★だいいち、嘘と言っても、三百五十万キロリットルのビールと比べるまでもない小さな嘘に、どれほどの意味があるのか。姪一家のためというが、佳子と哲史は自分にとって何者なのか。自分が戻って来たのは、会社のためか、家族のためか。
最後の問いだけは、答えを知っている、と城山は思った。誰のためでもなく、自分はたんに死ぬ勇気がなかったのだ、と。
 (中巻p93)

★それにしても自分はいったい何を期待していたのだろう。人間に対して。社会に対して。企業に対して。 (中巻p96)

★城山は受話器を置き、最後の忍耐を費やしてつくづく考えた。この数分の間に聞いたどの声も、家族の声すらも、ひたすら遠く感じられたのは、要するにこれが犯罪の被害者になるということなのだ、と。犯人の声を聞き、三百五十万キロリットルのビールが人質だと耳に吹き込まれた自分と、自分以外のすべての世界との間に出来た距離が、いたるところに口をあけているのだ、と。
なるほど、これが被害者になるということなのか。
 (中巻p101)

★ネタに関して、得するとかしないといった言い方は、新聞記者はしない。 (中巻p113)

以下は根来さんが、松田という弁護士崩れの評論家と会うところ。 根来さん(≒高村さん)の思考と対比させるために、松田という人物を配したのかな、という気がします。

★根源も論理も必然も欠いたまま、天皇とか、民主主義とか、差別といったそれぞれの塊は、いまや車の排気ガスやカラオケの騒音に混じって、時代の只なかに不可視の綿埃のように漂っている、と根来は思う。その上をJRの電車のまばゆい明かりが走り、彼方の夜空には、東証株価の一万六千円台の乱高下や、日之出ビール社長誘拐犯六億要求を伝える広告塔の電光ニュースがぴかぴか光り、高架橋の下を行く雑踏の蹴散らした綿埃は、その辺で吹き溜まりを作っているのだ、と。成長も消滅もせず、誰も取り除かず、誰かが関わりをもっているのだが、すでに社会的合理性を失い、言葉の喚起力を失って、それでも現にたしかに在るのは間違いない民主主義の綿埃に、根来はそのときもまた、なすすべもなく苛立った。 (中巻p121)

★「人権なんてものは、法律が定める物事の関係の一つに過ぎないという意味で、初めから政治的なものだと思っている人間だから。おおかたの人権団体とは、もともとそこのところですれ違っているのさ」 (中巻p123)

★松田に限らず、Aを批判しBを提案しCという結果を予測する政治ジャーナリズムには、場当たり的な論旨の明快さはあっても、懐疑というのがないのだった。物事を直線的に思考できない自分の頭にはこれは向いていないと、根来は三十代初めにして悟ったが、個人的には明快であることが常に正しいのかという疑問はいまもあった。 (中巻p124)

★「評論家だって考えは変わるよ。考えが変わったということを白状せんだけだ」 (中巻p125)

★初田は人権も物事の関係の一つであると言うが、この十数年、このカウンターにあったのは、物事の関係ではなく、物そのものだったと根来は思う。自問も懐疑もなく、成長も消滅もせず、ビール瓶のように、コップのように、おしぼりのようにここに在り、店の外では綿埃のように在り、毎夜ビールをコップに注ぎ、飲み干すように消費されてきた憲法、民主主義、人権だ。 (中巻p125)



『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・9

2013-01-27 22:58:20 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
25日(金)の読書分、中巻に入りました。 全三巻の中で、最も分厚い約570ページ。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第三章 一九九五年春――事件>

★新聞記者になって、物事をネガティブに考える癖がつき、人間不信に拍車がかかった。人を信じられないのなら、女房も信じられないのだろうと、十年前に別居した妻によく皮肉られたが、事実その通りだった。昔と違って、いまは少し人の話に耳を貸す余裕もあるが、そうなったら今度は相手がいない。 (中巻p25)

根来さん結婚してたんや! ・・・とすっかり忘れてました(苦笑)
それというのも恐らく、数年前に閉鎖された根来さんファンサイトがあったのですが、「菅野キャップ×根来さん」だったため、その記憶が強く残っていたせいかもしれません・・・。

★警察署というのは、明らかに一般社会とは違う時間が流れ、違う言葉が話されているだけでなく、いったん入ったが最後、外からは完全に遮断され、閉じ込められたような閉塞感を覚える場所だと、城山は再々考えた。犯罪者はもちろん、被害者も、一般市民も、ここではまず謂われのない孤独感にさいなまれるように出来ているのだ、と。 (中巻p28~29)

★その針を受け止める城山のほうは、当初の違和感に嫌悪を加えながら、そういえば自分は昔から真の寛容にはほど遠い人間だったなと、場違いな自省に耽ったりもした。こうして薄氷を踏む思いで嘘に嘘を重ねていかなければならないときに、どこかで自分の頭の一部が妙に醒めているのは不思議なことだった。 (中巻p35)

★しかし、企業利益を優先させるなら、杉原の役員としての道義的責任は、いまや俎上に載せるには大き過ぎ、杉原の家族の安全のためにも、それを問うことは出来ない状況だということを、この男は分かっているのか。わかっているのなら、頭を下げるにしてももっと違う下げ方があるだろう。個人の苦渋をぶちまけるより先に、するべきことがあるだろう。敗北するときには敗北するしかないにしても、敗北の仕方というのがある。 (中巻p59)

義弟・杉原武郎氏に対する、義兄・城山恭介氏の苛立ちや怒り。
あるいは取締役に対する、社長の立場からの苛立ちや怒り。
この関係が重層的で、より一層の複雑さを生み出している。

城山・杉原の義兄弟の関係も、加納・合田の元義兄弟の関係と同様、義兄の妹が義弟に嫁いだタイプの義兄弟なんですね。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・8

2013-01-27 22:09:28 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
24日(木)の読書分のアップになります。上巻、読み終わりました。
文庫1冊約500ページで、8日間。私の読書ペースってこんなもんです。
鈍い? だけど高村薫作品に限っていえば、急いで読みたい気分かるし、急ぐのももったいないし、何度でも再読すればいいし、という気持ちのせめぎ合いがそのまま現れてる読書時間。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第三章 一九九五年春――事件>

電話とはいえ、やっと加納祐介さん登場。大部分の加納さんのところは、単行本からちょこちょこと変わっていますね。

★三年前、根来が裁判所キャップだった時期に親しくなった人物だが、知り合ったのは神田の古書店街だった。実に清廉な感じのする読書家で、特捜部内では珍しく縦横の間にも関係なく、自分をエリートだと思っていないのも珍しい、まだ若い検事だった。 (上巻p432)

加納さんの描写は全て「他人」からの視点。 だからこそ、読むのが嬉しい。

★《あれはまあ、私より堅物ですから、お役には立てないと思いますよ。ここのところ、彼も少し人間が変わりましたが、年齢的にもなかなか難しいところに差しかかっているようで》 (上巻p433)

他人視点(ここでは根来さん)からの加納さんが合田さんを語るのを読むのも、楽しい。

★検事は、元義弟の話をするとき、職務上の鎧の下になにがしかの感情生活の片々を覗かせ、その口調もいくらかあいまいになる。元義弟の合田雄一郎という人物は、根来が知る限り、この独身の検事のささやかな私生活を窺わせる唯一の人間であり、検事がそうして誰かのことを語る唯一の人間でもあった。 (上巻p433)

★そのころ根来は、この検事が「男の三十代半ばは難しいですね」と漏らすのを聞いた。そう言った検事本人も、合田とは同い年のはずだから、検事はあるいは自分自身のことを言ったのかもしれない。 (上巻p434)

★ともあれ、根来は三年前、ちょっとした経緯で合田に会ったことがあり、そのちきちょうど、ある事件の捜査の真っ只中にいた捜査一課の切れ者の、人のことなど眼中にない鬼気迫る目つきを鮮明に覚えていた。それがいま、どんなふうに人間が変わったのか知らないが、そういえば当時も、傲岸な目つきの片隅に覗いていた生身の脆さや若々しさのほうが印象的だったと思い出すと、下心はともかく、一度会いたいという思いが膨らんだ。 (上巻p434)


「仕事の話は抜きでいいです、一度一緒に呑みましょう。ぼくは久しぶりに合田さんに会いたい。何というか、引力のある目をしていましたよ、彼は」
根来がそう言うと、電話の向こうで検事はまた私人の軽い笑い声を洩らし、気さくに応じた。
《時期をみて、電話を下さい。本人がうんと言うかどうか分からないが、あれも、ちょっと外の空気を吸いたい気分かもしれませんし。ぜひ、市井のあれこれを教えてやって下さい》
 (上巻p434~435)

では、誘拐されてしまった城山社長をピックアップ。

★卒業して企業に入ったとき、二十二歳の若造は何を考えていたか。人間に対する深い慈愛がなければ務まらない医師や弁護士は、自分にはその資格はないが、物を売って対価を得る資本主義経済の一端なら担えるだろうし、誰にはばかることもない。そんなふうな傲慢な考えで、社会人の一歩を踏み出したということは、自分以外の誰も知らない真実だった。 (上巻p448~449)

★『ビールの味に限界があると思う者は、試作品作りに加わるな』 (上巻p451)

★失敗は半年後にははっきりするが、成功は半世紀後の人間が知ることだった。
そんなふうに考えてみると、今の今、自分という個人には大したものは残っていないと城山は思い、ことさら悔いることもないが、満足するにはほど遠い企業人生だったと結論を出した。さらに人間としての成長云々を言われたら、二十二のころの小生意気な世界観からいくらも抜け出しておらず、八歳で身につけてしまった自己不信の現在は未だに悔い改めてもいないのだった。
 (上巻p456~457)

★現実問題として二〇億ぐらいの裏金は何ということもない会社のために、お前は死ぬのか。それほどに、お前は会社と一心同体だったか。いや、そもそもお前が死ぬことで二〇億の損失を出さずに済んだからといって、会社はその恩を感じるか。
答えはすべて《ノー》だった。
 (上巻p464)

★いくら三十六年間勤めてきたとはいえ、企業は企業。そのためにこの人生を終えるほどのものかと自分に呟き続けた。 (上巻p464)

荒波のようにうねる城山社長の思考は、読み応えはある。
《日之出マイスター》の受注がどんどん積み上がって、執務室で万歳してる城山社長は、とてもかわいらしいと思った。

★不本意な現場で不本意なミスをしでかして、これ以上組織のなかで自分を貶めるのは、自尊心が許さなかった。だいいち、四月には三十六になる男一人、刑事をやめて、ほかに何が出来るというのか。 (上巻p478)

「刑事以外、何もできまへん」とありきたりのツッコミを入れておこう、合田さん。

★それから、合田の頭はそのまま数時間ほど遡り、当直に呼び出されて山王の現場に出かける前、自分が何をしていたのか思い出そうとしたが、それは無駄な努力に終わった。代わりに、金曜日の夜から空けたままの自宅に加納が立ち寄ったかも知れないと思うと、合田はその場でちょっと自分の携帯電話を取り出して、自宅の留守番電話の録音テープを確認した。案の定、加納は電話を入れてきていた。
《いまは、二十六日の午後十時だ。当分君は帰れないだろうと思って、今日は家を覗いておいた。月末の支払いは立て替えておく。落ちついたら、電話をくれ》
 (上巻p480)

ヴァイオリン弾いて、ダスターコート着てる男性を見て義兄を思い出して、遠ざけていましたよ。

二人はまだ「会話」はしていない。じれったいね。でもこのじれったさがいいんだよね。義兄弟を味わう醍醐味の一つだ。

★時間が経てば経つほど、被害者は対外的な防備を固め、知恵をつけ、顔を作るようになる。これかからも、記者会見などで城山恭介の顔を見る機会はあるだろうが、そのときはすでに別人の顔になっている可能性がある。事件に巻き込まれた被害者の、山のような思いが変形しないうちにその素顔を見ることができる機会といえば、富士吉田から東京へ戻ってきた辺りが限度だった。大森署に入るときの顔を逃したら、もうチャンスはない。ブツの捜査には関係ないし、ちょっとは励みになる、といった次元の話でもないが、ただ見たいだけだった。 (上巻p501)

★見慣れた高架とその谷間の第一京阪やオフィスビルの連なりが作る風景は、郷田には端的に《窒息》という記号だった。 (中略) 
窒息感の傍らで神妙に動き続ける自分の心臓を訝りながら、自分という個体は何のために生まれてきたのかなと、実りのない自問に陥っていただけだった。
しかし一方では、《窒息》の底には一部に熱をもった鬱屈の溶岩が溜まっていて、間を置いてはどこかにともなく噴き出してくる。考えるなと自分に言い聞かせては考え、期待していないつもりなのに期待し、勝手に足は動き、勝手に苛立ち、突然どうしても被害者の顔を拝まずにいられなくなったりする。その衝動は、本庁にいたころには想像もつかない激烈さで、自分でも怖くなることがあった。
 (上巻p502~503)

私が好きな合田さんって、こういう描写のところなんだよね。
かえって『冷血』の合田さんは自分で動かないからつまらない、という感想も分からないではないですが、中間管理職なんだから、しゃあないやん。しょっちゅう上司がでしゃばってたら、部下もやりにくいでしょうが。

★合田は目を逸らせ、残り少ない忍耐をふり絞って、いったい誰が悪いのだろうかとさらに考えてみた。いまごろ捜査の中心にいる特殊班や二課の何人かは、事件の全容を突きとめようと全神経を尖らせており、その動きが見えない末端の自分たちは欠伸をしており、また別のところでは、誰かが事件に関係のない内通ごっこにかまけているというのは。 (上巻p506)

ところどころにこういう「陰湿」な警察という組織の一端が、合田さんの目を通して描かれてますが、『冷血』でもありましたねえ・・・。

★いや、要は始末に負えない万年興奮状態だった。徒歩で十数秒の記者会見場へ向かう間も、久保は、いまさらながらに自分がふわふわと興奮しているのを感じ、少し居心地の悪さに浸った。ネタがないならないで、焦りながら興奮し、あっちへ走りこっちへ走りしている自分に興奮して、最後には自分で何をやっているのか分からなくなってくる。そんな頭で、昼も夜もネタのことを考えているのが実情だった。 (上巻p511)

「新聞社のことが理解できなかった」と一昨年の講演会で発言したにもかかわらず、ここまで描けられるんだもんなあ、高村さん・・・。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・7

2013-01-23 23:29:35 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
今日読んだところ、あんまりないんだよね。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】


<第三章 一九九五年春――事件>

1か月前の選挙で、私の頭の中に流れていたのは

「ただでさえ盛り上がらん選挙なのに、」 (上巻p373)

という言葉でした。 まったくその通りでしたなあ。
ちなみにこれは都知事選のこと。 青島幸男氏が当選する前、新聞記事の見出しをめぐって、政治部と整理部が言い争ってる場面。


★新しい事件が起こり、目先が変わるたびに胸に膨らむのは、自分の前に新しい地平が開けるのではないか、少なくともいま這い回っている場所ではないどこかへ、抜け出せるのではないかという幻だった。 (上巻p387)

★合田とて、捜査本部に引き上げられただけでもほっとしたというのが本心だった。ほんとうを言えば、痴話げんかで包丁を振り回しただの、酔っ払いのケンカだの、浮浪者の行路死体だのはもうたくさんだ。何でもいいから大きな事件に当たりたかったのだと思いながら、合田は腕枕の上で目を閉じた。 (上巻p416)

★合田は、組織における強固な意思とは何なのだろうかと自問しながらそれを読んだものだったが、神崎の強固な意思は、結局、官僚組織で出世するために不可欠の、複雑怪奇な免震構造のバネも同時に備えているに違いない。ふと、そんなことを思い出していたために、合田は普段着のままのチノクロスパンツの両脇にそろえた自分の指先を、ぴしりと伸ばすことはなかった。 (上巻p420)

★自分の名が呼ばれたとき、合田はちょっとぞっとしたが、もの言わぬ車相手の作業は悪くないという気持ちもないことはなかった。まず盗難車、次にレンタカー、と機械的に頭に並べ、〈忍耐、忍耐、忍耐〉と三回口のなかで唱えてから、合田は雑念をばっさり切り捨てた。 (上巻p425~426)

〈忍耐、忍耐、忍耐〉、か。 それがなかなか難しい。 この合田さんを見習わなきゃ。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・6

2013-01-23 00:21:28 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
日曜日の「朝日新聞」の『冷血』の書評が、ネットで読めるようになりました。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第二章 一九九四年――前夜>

★この、世にも不味い代物を一適も残さず飲む儀式が、いつの間にか刑事を作り、不味さを不味さとも感じない神経を作ってきて、実に今日もまたこうして飲んでいる。つまり俺は、この味が嫌いではなかったということなのだ、と半田は考えてみる。一日一杯のコーヒーで妄想をはぐくむことも出来た警察での十三年間は、実はそれほどわるいものではなかったのだ、と。にもかかわらず、それを自分で叩き潰そうという男の自虐傾向は、ついに来るところまで来て、もう自分でも抑えられないというのが正直なところだ、と。
そしてこれは、いわばタコが自分の足を食うような終わり方なのだと、半田はさらに冷静に考えた。長年、妄想や快感の温床だった警察を自分で食ってしまったら、その後自分はどこへ行くのか。多分、また同じように、もっと不味いコーヒーを探し出すだけのことだろう。そう思うと、半田は一転して白けきった気分に陥りかけた。
要は、まだ何かが足らないのだ。タコが自分の足を食うのなら、これで新でもいいと思うほどの、強烈な何かが要る。
 (上巻p323)

★「ところで半田さん。グループに名前をつけよう。レディ・ジョーカーというのは、どうだろう」
「なんだ、そのカタカナは――」
「布川が先日、娘のことを、ジョーカーを引いたと言ったんだ。そのとき、ふと思いついた。人が望まないものをジョーカーと言うんなら、爺さんたちこそジョーカーだ」
「ジョーカーを引き当てるのが、日之出ビールってことか」 
 (略)
「いいとも。気に入った。レディ・ジョーカーだ」 (上巻p334)

ここで<レディ・ジョーカー>命名。

以下は第二章の終盤。半田さん視点の合田さんの描写は、単行本・文庫ともに秀逸ですね。(当然、修正・変更されてます)

★相手の男も半田を見ており、同じようにこちらを凝視したが、次の瞬間、凍った水面が裂けるように唇が左右に開き、白い歯がこぼれた。
「半田さん、でしたっけ」と、男は先に口を開いた。声の質は昔と同じように硬かったが、昔聞いたのとは違って、すかっと抜ける響きがあった。いや、高性能の旋盤で、削り出されたようなつくりものの響きが。
 (上巻p335~336)

単行本では「ぱっと花が開くように」と喩えられていたのに、文庫は「凍った水面が裂けるように」、ですか・・・。
合田さんの声も、単行本では「明るい」と表現されていたのに、文庫は「つくりもの」、ときましたよ。
半田さん視点から見ると、文庫の方がいいのかなあ。

★しかし、記憶にあるひんやりした爬虫類の顔とは違い、目の前にあるのは、しっとりと艶やかな肌色をして、別世界の鮮やかな笑みをこぼれさせ、短く刈った髪も清々しく端正な、ロボットのような別人だった。半田は、我を忘れてその顔に見入り、自分の目がおかしいのかと一つ考えた。 (上巻p336)

単行本 「明るい笑み」 → 文庫 「鮮やかな笑み」
二例だけですが、単行本の「明るい」合田さんは、文庫ではことごとく排除されてますね。

★「私のようにそのへんの銭湯で水虫のおっさんとケンカしているより、18禁三本立てのほうがマシです。」 (後略) (上巻p337)

その単語、義兄の前で言えるものなら言ってみろ!

・・・と思ったのは私だけではあるまい。 言えば言ったで、加納さんがどういう態度を見せるか、知りたいとも思いますがね。 恐らく義兄はそういうビデオも映画も観たことない、はずだ。

★あいつは何者だ。突然目の前に現れ、お風呂セットとヴァイオリンを自転車のカゴに入れて、クリスマス会の練習に行くと言って消えてしまったあいつは、何者だ。まるで面を切ってゆくように、いきなり横っ面を張り飛ばしてゆくように、一瞬ほくそ笑むように、俺の前をかすめてゆきやがったあいつは――。 (上巻p338)

★そうか。俺はいずれ、あの男に苦汁をなめさせることになるのか。あの顔が青ざめるのを見るのか。
よし。ついに〈何か〉が見つかったぞ、と半田は思った。警察という妄想よりさらに大きな〈何か〉が、四年ぶりに顔を合わせた刑事一名だったというのは、予想もしなかった結果だったが、運命とはこういうものだろう。もはや一つ一つは意味をもたなくなっている憎悪や鬱屈の巨大な靄が、たったいま自分を横切っていった一人の男に向かって急激に収斂し始めるなか、半田はこれまでにない生々しい気分を味わっていた。警察にしろ企業にしろ、個々の顔がないものをいくら苦しめても、得るのは抽象的な自己満足だけだったが、苦しむ奴の顔が具体的に見えるというのは、何よりの御馳走だった。間もなく左遷された先の小さな所轄署の刑事部屋で、いかにも端正な優等生の男が一人、挫折と屈辱と敗北感にまみれてすすり泣くのだ。
今日まで積み上げてきた企業襲撃計画の一つ一つに、そうして合田某という血肉がつき、肌に張りつくような生身の感覚を伴って息づいているのを感じながら、半田は悶絶した。これだ。この俺が犯罪をやるのは、この感覚を味わいたいからなのだ、と思った。
 (上巻p340~341)

第二章のクライマックス。ここの半田さんもすごく好き。 単行本から少しそぎ落とされましたね。


<第三章 一九九五年春――事件>

★毎日、たとえ半時間でも楽器に触れるのは、所轄署に移ってからの一年の間に身につけた生活の小さなリズムだったが、それがジョギングでも竹刀の素振りでもなく、ヴァイオリンになった理由は自分でも不明のまで、考えようとしたこともなかった。欲しいのは生活のリズムですらなく、ただ何も考えない時間なのだということが分かっているだけだった。 (上巻p345)

★いつもどおり何も考えない時間がやって来た。否、自分がこうして執心しているのは、必然性がないこと、そのことなのだという自覚を固めるために、その日もただひたすら機械になろうとしている自分がいるのを感じた。 (上巻p346)

ここは文庫で新たに追加されたところ。

★ダスターコートの男が一人、人けもない公園を横切って歩いてゆく。合田は旧知の加納祐介だろうかと思い、ちょっとそれを目で追った。 (上巻p346)

ここはものすごく好きだ。 歩いてるのは赤の他人ですが、加納さんだろうか、と思う合田さんが大好きだ。
しかし、単行本から変わりましたねー。

ダスターコートの男が一人、人けもない公園を横切って歩いていく。合田は義兄だろうかと思い、ちょっとそれを目で追った。 (単行本上巻p205)

比べてみたら、文庫は「旧知の加納祐介」と、ちょっと説明調っぽい?

しつこいですが、文庫は「加納」表記が多いです。単行本では9割は「義兄」でした。その「義兄」の部分が「加納」または「元義兄」に変更されてます。

★そういえば加納は一昨日寄っていったばかりだとやっと思い出し、俺は何をぼんやりしているのだろう、と思った。 (上巻p347)

ちょいと待て! 「何も考えない時間」が欲しいと思っておきながら、「何をぼんやり」だとー? 「考えない」と「ぼんやり」は似て非なるものかもしれんが、それほど距離は離れてないはず。 自分で望んでおきながら、それはないんじゃないか、合田さん!

★いまもまた、合田は頭のなかに何もないのに気づき、何かないのかと探したあげくに、一昨日会ったばかりの加納の顔を思い浮かべたが、相変わらず仕事に追われているだけで、とくに急ぎの用件もなさそうだったと思い直すと、それをすぐに遠ざけた。 (上巻p349)

思い浮かべるのはいいけど、すぐに遠ざけたらアカンやろ合田さん!

★合田は、いまの自分の無力と将来の無力を考えながら、自分の足元に目を落とした。所轄の一刑事には、右のものを左へ動かす権限はない。捜査情報は、ほんの一部を知らされたらいいほうで、事態がどうなっているのか、明日にはもう分からなくなっているだろう。そう思うと、自分の身体一つが無用の棒切れのように感じられた。 (上巻p365)


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・5

2013-01-22 00:24:52 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
たまには前振りなしで。 中途半端ですが、アップします。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第二章 一九九四年――前夜>

★人の人生とは何だという漠とした自問がよぎった。死ぬときは人間も牛馬も一緒、というのは、芳枝のときにも味わったことだった。 (上巻p266)

芳枝というのは物井さんの妻で、秦野美津子の母。

★《俺、一応は刑事なんだぜ》 (上巻p271)

そう、一応の自覚はあるようなので、以下、「半田刑事」の部分も取り上げます。 ここでやらなきゃどこでやる? ここでしか出来ないやん。

★清二の仇を討つという、もっともらしい理由付けは早くも色あせてしまい、あらためて自分の周りを見渡してみると、金がそこにあるから取るという以外には、何もない。理屈も道理もない。しかし、それこそ自分らしいありようだと物井は思った。いつだったか、片や財を成した物どもがおり、片や営々とその元手を作ってきた者がいるといったこの世の仕組みを考えてみたこともあったが、それでもなお、何に目覚めたわけでもなかった男一人、ただ悪鬼になるのが似合っている、と思った。
「そういえば清二さん。貴方も、労働者の権利などとは言わん人だったなあ。ぼくも、どうもそういう頭はないんですが、牛馬にもなり切れんのです」
 (上巻p272)

★「どうせ道義もくそもないんなら、ストレートにかっぱらうのが一番だ。収支の勘定もきっちり合うし」 (上巻p282)

高克己のお金講座その3。

★金融機関は、金を貸さなければ儲からない。 (上巻p282)

★「食品や飲料は、株価が比較的動きやすいんだ。機械や金属と違って消費者に直結した商売だから、脅しも二倍効くってやつだ」 (上巻p285)

高克己のお金講座その4。

★「計画を作るというのは、実行することだぜ」 (上巻p286)

★「男の人生なんてつまらんな。こつこつ働いても、出世出来なきゃ、死んでも窓際だ。出世したらしたで、心にもない弔辞で賑々しく見送られる――」  (上巻p297)

★「死ぬときは一人がいいね、たしかに」
「だから女の連れ合いは年上がいいって」と、半田はこれも珍しい軽口を叩いた。
「あんたのとこ、姉さん女房か」
「十歳上。四十五にもなったら、化粧もしなくなる」
 (上巻p297)

★「爺さんは日之出ビールから金を搾り取る、と決めた。動機はと聞かれたら困るが、人生にはタイミングみたいなものがあるんだと思う」
「魔がさした、という説明しか出来ない犯行はたしかにあるが、その場合でも、下地は必ずあるもんだ」
 (上巻p298)

最初の物井さんの台詞が、単行本からすっきり変更されてますね。

★「俺はな、妄想癖があるんだ。いやなことがあると、自分を救う妄想をめぐらせて埋め合わせる。ずっとそれをやって来たところへ、物井さんの電話だ」
「何か具体的なきっかけでもあったのかい」
「いや。俺も、積もり積もったものとしか言えない。しかし、俺は社会へ出るときに入口を間違ったことだけは確かだ。警察という組織も、警察官という職業も、俺には偉すぎる」
 (上巻p299)

最後の半田さんの台詞、個人的には単行本での半田さんの名台詞のひとつと目している

★「警察官という職業自体は合っていると思うが、警察という組織が合わないんだ」 (単行本上巻p179)

から変更されました。 単行本では警察官は合っている、と肯定的なのに・・・。

★「だいいち、この俺が何を考えているか、相手が知らないってのが愉快だ」
「へえ」
「要は、俺の堪忍袋の緒は、人一倍丈夫に出来てるってことだ。だから、妄想の出番もある」
なるほど、屈辱を自虐にすり替え、憤懣を妄想にすり替えて事実を受け止めるのがこの男の生き方なのだ。そう物井は考えてみた。社会や組織や人間の一挙手一投足が、そのまま背を押すものになり、自虐や妄想の快感がそのまま日々の糧になるという、その在り方そのものがすでに十分にねじれている。要は、この男の悪鬼はそういう現れ方をしているのだ、と。直情径行の自分の悪鬼とはずいぶん違うが、ここにも確かに悪鬼はいる、と。
 (上巻p300~301)

★「現実の犯行は、ごく短い時間で終わってしまう。それよりもその前後にあれこれ考えて興奮する時間が長いんだ。だからやるんだ、俺は」
「たしかに考えるのはタダだ」
「この俺が何をやっているか、周りの誰も知らないという快感、物井さんには分からんだろうな。本ものの社会の敵が、素知らぬ顔で、お偉い警視庁の警察官をやっているという快感――」
 (上巻p301)

半田さん、「遠足行くのに、準備をしただけで、それで満足」というタイプ、か?

★《俺の引いたジョーカーが消えない限り、答えは変わらんと思う》
「ジョーカーというのは、レディのことか」
《ほかに誰がいる。俺たち夫婦は、千人の赤ん坊に一人か二人混じってるジョーカーを引いたんだ。ほかに言いようがあるか》
障害を持って生まれた子どもも、時速百キロで首都高の側壁に突っ込んで死ぬ子どもも、精神を病んだ岡村清二も、老いて悪鬼と化した自分も、少なくとも親にとっては天から降ってきた運命だという意味でなら、ジョーカーというのは物井にも受け入れられない形容ではなかった。
「レディ・ジョーカー、だね」
 (上巻p313)

小説タイトル名は、ここで初出。
単行本 → 「ああ。」 文庫 → 「ほかに誰がいる。」 と、布川氏の台詞がちょっと変わりました。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・4

2013-01-20 23:55:31 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
「朝日新聞」2013年1月20日朝刊の書評に、『冷血』が取り上げられましたね。 評者は中島岳志さん。 数日後にネットでも読めるはずです。

載ってしまいましたね。予想ハズれた(苦笑)
他紙が取り上げて朝日が取り上げないのもおかしな話ですしね。

とすると発売当初の『太陽を曳く馬』の書評が当時の朝日新聞に載らなかったのはやはり、この当時、選考委員を高村薫さんが務めていたからか? そりゃあ、誰も書評を書きにくかろう。
あるいは高村さんご自身が「取り上げないでほしい」と言ったのかもしれない。 真相は当事者しか分かりません。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第二章 一九九四年――前夜>

★「金は、回さなきゃ儲からん。回すたびに誰かが潤う。だから回すんだ」 (上巻p221)

高克己のお金講座その1。


★高の言うとおり、金はたしかに回して儲けるものだろうが、財を成した人々が回しているその金は、元はといえばどこから来たか。郷里の村で炭俵を運んでいた父母の手から、キューポラを燃やしていたこの自分の手から、女工をしていた姉の手から、ビールを作っていた岡村清二の手から、生まれ出た金ではないのか。にもかかわらず、自分たちの手にはいつも、食うのがやっとの金が回ってくるのみで、あとは全部何者かの財になったのだった。 (上巻p226)

★戦後半世紀、ついにとごへも抜け出すことが出来なかった蟻一匹の閉塞感は、終戦直後のそれが漠とした闇におののくような感じだったのに比べると、いまは自分が息をしているこの時空全体が刻々と萎縮しているような、まさに時間も空間も残り少なくなっているような、ある種の焦燥感に近いものになっていた。日々のちょっとした意味不明の苛立ち。こうした物思い。あれこれ考えてはいつの間にか陥っている放心等々、何もかもジリジリとして、容赦なくこの自分を苛んでくる感じだった。 (上巻p227)

物井さんの感慨、2つ挙げておきます。

★「物を作ってる企業は、金の何たるかを知っているからな。リベット一個、ネジ一本の原価計算をするところから物作りは始まるんだ。製品が出来たら、今度は一個売れて、いくら。粗利が二パーセントとか三パーセントの、血のにじむような世界だ」
「それで」
「金の重みを知っているから、金を搾り取られたら、一番苦しむ」
「そいつは血も涙もねえな」
 (上巻p228~229)

高さんと半田さんの会話による、高克己のお金講座その2。


この後、日之出のゴルフコンペの描写があるのですが、副社長の倉田さん、営業マンの頃は黙々とゴルフ場に通って腕を磨き、四十代の頃にはシングルプレーヤー、ハンディキャップなしの時期もあった(上巻p246)とあるのですが・・・、
(以下、ネタバレ)
それじゃあいつ、杉原晴子と逢ってたの? と普通に疑問を抱くのですよ。
「ゴルフに行く」と言って実は浮気相手と逢っていた、という話は、芸能界ばかりでなく、世間一般でもよくある話ですからね~。
何度かに一度はゴルフ場へ行かずに、逢引きしていたのかもしれませんよ? (もちろん部下の杉原氏が東京不在の時に)

(ここまでネタバレ)


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・3

2013-01-20 23:07:11 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
発売されたばかり 「クロワッサン Premium」No.64 の連載エッセイ「暮らしのあしあと」では、誰がどう読んだって三分の一は合田雄一郎さんについて書かれてますね。
『冷血』で、どうして土地が欲しいという発想が出てきたのか、その理由の一端が窺えます。

そして最後の数行読んで思ったこと。

合田雄一郎の物語は、まだまだ続くと確信していいんですね!?

義兄弟好きの身としては、『太陽を曳く馬』『冷血』で何が不満って、

合田さんと加納さんが直に逢っていない

これに尽きるでしょう。
手紙も電話もメールもいいけれど、やはり二人で直接逢って、対話してほしいと望むのですよ。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<第一章 一九九〇年――男たち>

土曜日、第一章を読了。

合田さんあっての半田さん、半田さんあっての合田さんなので、ここはみっちり取り上げますよ。

★下から上がってくる靴音があり、すれ違いざまに「失礼」というひと声が降ってきた。半田は目だけ上げて、階段を駆け上っていく男の足元の真っ白なスニーカーを見た。
捜査本部に出てきている本庁の若い警部補だった。名は、合田といったか。何ということもないスーツとダスターコートの恰好はともかく、いかにも軽くて履き心地のよさそうな白いスニーカー一足が、半田の目の中でちかちかした。急にグッチもバリーも色あせて、半田はちょっと戸惑った。いったい、スニーカーを履いてスーツを着るというのはたんなる無神経か、よっぽど自分に自信があるのか。どっちにしても好かんなと思ったとたん、背筋にぶるっと来た。
 (上巻p138)

半田さん、合田さんと運命の邂逅。 これはいわば前触れ?

★そうして自然に顔が上がったとき、いましがた階段を上がっていったスニーカー男が、二階の踊り場に立ってこちらを見下ろしているのに気づいた。しばし真空に落ち込んだような相手の無色の目は、半田の判断を拒絶してほんの一秒ほど頭上にあった。そしてすっと逸れていったと同時に、男の姿も消えてしまった。 (上巻p138)

入力して気づいたが、「スニーカー男」は「ストーカー男」と間違いやすいね(どうでもいい)

★溝は瞬時に深い地割れを作り、自分を破壊しかねない憤激の奔流になる。それを未然に防ぐために、いつの間にか身につけた自己防御の夢想の中身は、ある日自分が捜査幹部捜査幹部の寝首をかいて一本取る、というものだった。 (上巻p139)

★そのおぞましい快感を夢見て、警視庁四万人の警察官は憤死寸前の鬱屈を生きているのだと半田は思い、最後のオチをつけて自分を納得させるのだ。 (上巻p139)

★それでも、毎朝毎夕、捜査会議で何か目ぼしい話が出てこないかと、思わず耳をすませ続けたのは刑事の性というものだ。 (上巻p144)

★釈明の余地がないのではなく、釈明という行為が警察では許されないだけだった。上から黒だと言われたら、下は「はい」と言い、白だと言われても「はい」と言うのが警察だ、と半田は腹の中で考えた。そうして、かたちばかりの「はい」を一つ吐くたびに、自分の尊厳が一つ破壊される。 (上巻p147)

刑事・半田修平も取り上げておかないとね。

★ふと眼下の踊り場から下へ降りていく一人の男の頭が見え、その足元の白いスニーカーが見えたのは、きっと何かの運命だったに違いない。 (上巻p150)

運命だって自覚したよ半田さん!

★「おい、あんた。さっき、俺を見ただろう。あれは何だ。何で俺を見た――!」
警部補は、歳はせいぜい三十くらいだろう。爬虫類のひんやりした冷たさを湛えた切れ長の目を、半田の顔面に据えた。それから、やっと相手の発した声が聞こえたとでもいうのか、半田の手を払って、「音がしたので」と一言いった。
自分の靴に刺さったガラス片一つ。それを投げ捨てた小さな音一つ。いったいこの世界の落差は何なのだと半田は困惑し、だめ押しの一撃を食らったような目まいを覚えた。いまや目の前の警部補がたしかに自分を見たという確信は消え、自分が何をやっているのかも分からないまま、一瞬のうちに増幅した生理的興奮に押し流された。
「それがどうした! 何で俺を見た!」
 (上巻p151)

逆ギレ半田さん。 それに引き換え合田さんは 当の警部補は、繭をちらりとひそめただけで速やかに踵を返し、降りていってしまった。 (上巻p151)  と実に冷静、そっけない。

★その昔、いったい俺は何を望んでいたのだろう、と半田は思う。明るい光の差す事務机に座ること。そこそこ安定した給料を得て、まっとうな人生を送ることだけだったのではないか。情けないほど平凡な希望一つを旨に警察に入った男が、いまはどうだ――。
飲み残した感を缶を車道へ投げ捨てると、それはたちまちトラックのタイヤに音もなく踏みつぶされた。ああ、あれがいまの俺だと思ったとたん、〈そのうち奴らの鼻を明かしてやる〉ともう一人の自分が呻いた。
 (上巻p170)

それでは続いて物井さん。

★生きるのが上手だとは決して思わないが、自分なりに働いた結果の人生を、自分では少しは慈しむ気持ちはあった。それを、外の世界の幸運や才覚と比べられたら、物井には返す言葉もなく、自分の小さい自信や自己満足すら消えてしまうのだ。 (上巻p173)

★歳を取るというのは、忍耐がなくなるということだ。 (上巻p173)

うんうん! とアラフォーの私が大きく頷いちゃアカンよね。 だけどこれは年々、徐々に実感しつつあり、現に体験してる。

★物井が悔やむのは、ただ、金がないばかりに穏やかな精神的充足を知らなかった自分の生活だった。 (上巻p179)

★六十五になった人間が、昔の思い出を無為に掘り出すのは残された時間の浪費だった。それでもあれやこれやと甦ってくるのが老年なら、振り払う努力こそ必要だった。 (上巻p183)

★「価値、って何だ」
「百円とか、千円とか、値札がつくこと」
「だったら、人間の頭にも価値はないってことだ」
 (上巻p204)

ヨウちゃんとの会話。

★バス道も鉄路も、自分をどこかへ連れ出してゆく道でさえあれば、その先に何があろうといっこうに構わなかったのだ。
しかし、あの日から四十三年。数万杯の飯を食い、数万回の糞を出してきたこの自分は、いったいどこへ抜け出したというのか。それを考え始めるといつも、半世紀以上の月日が一挙に空洞にかえり、身体中を風が吹き抜ける。自分はどこへも抜け出せなかったという控えめな結論は、もう久しく物井の頭にあったが、新しく出直す時間はないというところまで来たいま、自分が故郷にいたころよりもっと深い虚空に立っていると感じることも、なきにしもあらずだった。
 (上巻p206)


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・2

2013-01-19 00:15:07 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
日本の大会社の経営や経済、システムなどは、なーんにも勉強したことない私ですが、『LJ』は基本的な経済小説としても読めるんじゃないかと思うのですよ。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

単行本→文庫の変更部分は挙げきれないくらい多いですね~。

<第一章 一九九〇年――男たち>

★実体のない言葉だけの観念も、抱き続けると次第に温まって臭い始め、その臭いがさらに観念を膨張させ、そこからまた一層強い腐臭が立ってゆく。 (上巻p66)

★この国の歴史をつくってきた差別という深いトンネルの出口で、いまだ一部に残されている柵を楯にして物を言う人びとが、ほんとうに望んでいるのは何だ? 仮に柵が取り払われたなら、彼らの多くは、今度はトンネルの外に広がる無知と無関心を糾弾して新たな柵を築き、己が存在理由を死守するだけではないのか? 平等も差別も、互いに補完し合いながら、こうして一部の人間に存在理由を保証するだけのものではないのか? ひるがえって、そんな平等にも差別にも関係なかった二十二歳の息子は、彼らの語る世界のどこにもひっかからない――。 (上巻p72~73)

この部分は単行本からかなり変わっていますね。 時間のある方はご自身で確認してください。

★日之出ビールに入って三十一年。その三分の二を営業の第一線で過ごした性根は、六月に新社長に就任したいまも、基本的には変わっていなかった。いや、能力的に性格的に、変えようがないことを城山は知っていた。 (上巻p90)

ここも少々変わってるんですが、文章カットもされてます。 時間のある方は(以下同)

★ビールは、ほかの酒類と違って、時代の感性や市民の生活感覚を敏感に反映する。 (上巻p90)

へえー、そうなんだー・・・と、お酒飲めない私はそのまま受け止めるしかない。 加えてこれ以降の描写も(取り上げきれませんが)、「ビール会社ってこんなんなんだ~」と素人の私でもなんとなく雰囲気が分かって、面白いね。

★大正ロマンティシズムの洗礼を受けなかった昭和二桁生まれの経営者が誕生してくる時代の先鋒を、城山恭介は担いでいるのだった。経済誌の巻頭を写真入りで飾る企業人の代表でもなく、経営哲学の手本でもない。ただ、端的に日之出の全株主と全社員の利益を守る責任を負っており、顔はないが周到な実務能力とそこそこの統率力を備えて企業を率いている経営マシンが自分だ、と城山は辞任していた。実際、この自分は、それ以上の何者かにはなれないのだということも。 (上巻p96)

★九時の始業までの半時間弱。毎朝のその半時間の積み重ねが、城山のささやかな矜持だった。各報告書と中間財務諸表の四つを同時に開いてデスクに並べ、一緒に目を走らせ始める。数字は毎日毎日見ていなければ、勘が働かない。会計処理の細かな点をつつくつもりはなく、経営会議でも自分の口からは一切数字に触れることはないが、会社が毎日進んでいる道が順当なものか、歩みに異変はないか、広範囲に数字を見ておれば、諸々の判断を下す際の決断力の一助にはなる。 (上巻p98)

以下は私の贔屓の一人・白井誠一副社長関連。

★一方、白井誠一のほうは名実ともに役員であり、十把一からげで〈阿吽の呼吸〉と言われた保守的な日之出経営陣の伝統に終止符を打ち、日之出を変えてきた男だった。風体こそ城山と五十歩百歩で目立たないが、三十五人いる取締役のうち、将来を見抜く慧眼と実行力にかけては右に出る者はいない。 (上巻p103)

★城山はときどき窓から眼下を眺め、企業を統括する経営者の目とはおおむねこんなものかとなと思うことがあるのだが、白井の目にはさしずめ、この地上三十階の風景はすみずみまでもっとも効率よく機能すべきラインそのものに映っているに違いなかった。そこにあるものはシステムであって、人間でも物でもない。
翻って、城山自身は、日々重たかったり軽かったりするこの自分を動かして、二十年以上この手で物を売ってきたという感覚がまだいくらかあるせいか、私情を言えば、白井とは感覚的にも合わないのだった。 
 (上巻p104~105)

★城山の当惑をよそに、白井の事務的な声は響いた。白井というのはフグだ、と城山はよく思う。本人は、何があっても自家中毒を起こすことがなく、理路整然と言うべきことを言ってくるが、しばしば周りの人間が毒にあたる。  (上巻p109)

★筋を通すために、こうして周囲に一本一本ピンを刺して、道を確保していくのが白井のやり方だった。 (上巻p112)

★「被害を受けてからでは遅い。実を言うと、ぼくは何かしらいやな予感がしてならない」白井はそんなことを言い、腰を上げた。
「予感とはまた――」
「根のない予感などない。祈りを知らない者に啓示は訪れないのと同じです」
城山がクリスチャンで、自分は無宗教であることを白井はときどき引き合いに出すのだが、そういうとき白井は観念の議論に疲れた青年のような表情になる。
 (上巻p116)

★企業の正義は、利益を上げることなのだ。 (上巻p118)

★その顔に、エレベーターホールのガラス窓から入る日差しが当たった。倉田の目に映る地上三十階の景色は、白井や城山のそれとはまた違っているのだろう。 (上巻p127)

上記二人も取り上げたので、倉田さんも取り上げないと不公平。

★「最低限前年の数字はクリアしてください」城山が言うと、倉田は即座に「あと〇・一パーセント。二十七万ケース」と応えた。
「ラガーがもう少し伸びればね」
「この二週間の数字は、私も不本意です。全支社に来月の目標数値を立て直させて、全体で何とかプラス二十七万を確保するよう、はっぱをかけます。まあ見ていてくださいよ」
そう言ってみせた倉田の顔はもう、憎らしいほど艶やかだった。
 (上巻p127)

ここの会話は好き。 城山・倉田ラインの〈阿吽の呼吸〉を感じられるから。
もちろんここもちょっと変更・修正されてます。
完璧に追加部分は、
   「まあ見ていてくださいよ」~艶やかだった。
ですね。

ところで、私は下戸なのでよく分からないのですが、この当時(1990年)のビール1ケースは、瓶何本でカウントすればいいんですかね? 大瓶・中瓶・小瓶とあったような気がしますが・・・。
1ケースが、例えば瓶12本と瓶24本では、上記の27万ケースの量が変わってきますでしょ?

どなたか教えてくださいませ。


『レディ・ジョーカー』(新潮文庫) 再読日記・1

2013-01-17 23:26:18 | レディ・ジョーカー(文庫版)再読日記
『レディ・ジョーカー』の中で、少しだけ阪神大震災に触れている部分があります。
ちょうど「サンデー毎日」の連載準備中で、執筆するのがイヤだったとか、書き辛かったとか、そんな感じのインタビューを読んだことがあるんですが、どこで読んだのだったか・・・?

奇しくも今日(1/17)から、新潮文庫版『レディ・ジョーカー』の再読を始めました。 今から読まないと、私の読書ペースではWOWOWの放映に間に合わない、というのも理由のひとつ。

読むのはこれで3度目。 3度目なので、再読日記をやってもいいかな~、と思い立ちました。
例によって、私の心に引っかかった部分を引用します。

いつものように注意事項。
ネタバレありとしますので、未読の方はご注意下さい。
取り上げる名文・名台詞等が、単行本の再読日記と重複する場合もありますが、ご了承下さい。


それだけ私の琴線に触れている部分だということです。

また場合によっては、毎日新聞社の単行本と変更部分等を比較することもあります。

***

【本日の名文・名台詞・名場面】

<一九四七年――怪文書>
(怪文書は旧字体使用ですが、パソコンで変換できない漢字がありますのでご了承下さい)

怪文書の手紙を読んでいたら、昨年のシャー○や○ナソニックの一件がいやでも脳裏をよぎるんですよね。
岡村清二氏も 首キリとは云はず、合理化とも云はず、《退職ノ薦メ》とは笑つてしまひます。 (上巻p20) としたためてましたが。


★一つは人間であること、一つは政治的動物ではないこと、一つは絶對的に貧しいことです。實にそのことを云ひたいため爲に是を書くのです。野口がさうしろと云つた譯ではありません。たゞ此の世に生れた意味を今以て理解しかねてゐる一人の人間が、この先成佛せんが爲に書くのです。 (上巻p9~10)

単行本 「其」 → 文庫 「それ、その」など、ひらがなに変更。以下、共通です。

★小生は物音や臭ひに敏感です。醫者はそれを經衰弱だと云ひますが、生家にあった物音や臭ひから何處へ逃げられると云ふのでせう。 (上巻p13)

単行本 「ノイローゼ」 → 文庫 「經衰弱」に変更。
昭和22年にノイローゼという言葉はなかったか? ないか。

★「俺は卑しい歴史の中にゐる。 (中略)  日々働いて食つて寝るだけの營みの中に、飢ゑる記憶が沁みついてゐるのが卑しい。冷靜になれないのが卑しい。其の意味では日本中が卑しいのだと俺は思ふ。  (中略)  結局戰爭には行つたが、何が惨めと云つて、貧しい者が貧しい國へ攻めていくほど惨めなものはないよ。それを一番よく分かつてゐるはずの自分が、殺さなければ殺されると云ふんで、必死に殺したのだから、人間と云ふのはやり切れない。 (中略)
しかし、俺は卑しい歴史の中にゐるが、初めて微かに光が差して來た時代も、いま見てゐるやうな氣がする。俺は實を云ふと、何かしら希望が湧いてきて仕方がないのだ。ほんの靄のやうな明るさだが、こんな氣持ちは初めてだ。新しい時代は待つものではなくて、自分たちが創るものだと思へば、吉田茂も屁の河童だ。  (中略)  幾百年も寒さでるじくれてきた稻が、或るときすくすく伸び始める日と云ふのがあるのなら、いまがきつとさうだらう。個人的には、俺は實つて頭を垂れる稻より、實つても直立してゐる麥になりたいと思ふがね」
 (上巻p26~27)

ここは全部引用したいのですが、さすがにそれは、と躊躇。

★「あゝさう云えば、日之出のビールは美味だつたな」と云ひ殘して行きました。「あの琥珀色は見てゐるだけでうつとりするし、パチパチ彈ける炭酸ガスはまるで音樂だ。思ふに、美しいもの、美味いもの、心地よいものと云ふのは人間を卑しさから救ふものらしい。さう云ふことを、俺はあの麦酒から學んだ。惡いが、日之出と云ふ會社から學んだのではないよ」と。 (上巻p27)

★しかし思ふに、野口勝一と云ふ男は一人の日本人であり、いま小生の病室を掃除してゐる小母さんも、廊下で何やら大聲でわめいてゐる子供も、今窓の下を歩いている女給風情の女も、病室の小生も、皆均しく日本人であり、默々と營みを續ける蟻の一匹であり、かうした各々の歩みが國の姿となるのです。 (上巻p28)


<第一章 一九九〇年――男たち>

★いまさらながら、尻に鞭を入れられ、頸に静脈を浮き立たせて泥を蹴る馬を、物井は不思議に思うのだ。大地の危うさや粘りを感じながら己の四肢の重量を知る一歩一歩は、結局のところ、隠微な興奮を馬に催させるものなのだろうと物井は考えてみる。そういうふうに生まれついているのでなければ、ただ殴られて走る生きものなどいるはずがない。 (上巻p35)