犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

どんな犬猫でもアニマルセラピーができるわけじゃない。

2014年03月20日 | おせわがかり日誌


よく動物はどんな個体もアニマルセラピー向けだと勘違いしてる人がいますが、

ええ、以前のわたしもそうでしたけど、実際はそういうわけではないのですよねー。

動物と触れ合うと人間の健康や精神状態がよくなるっていうのは本当のようですけど、

そうなるにはね、人間と動物との間に、まず、深い信頼関係が必要なんだと思うんですよ。

信頼関係がないのに、アニマルセラピーの役割をできる子っていうのは、よほどの子なわけですよ。

よく考えりゃー、人間だって誰でもセラピストになれるわけじゃない。それと同じです。

お勉強してセラピストになれたとしたって、相手が心を開くかどうかはわからない。

人が心を開くほど懐の深い人間性を持っているかどうかというのは、お勉強できるできないとはまた別の話。

アニマルセラピーの犬猫どうぶつには、その両方をいっぺんに求めてるわけです。

そう考えると、これがどれほど難しいことで、どんな子でもなれるわけじゃないって、

わかってもらえるような気がするんだけど。

まして、人に捨てられた動物が、アニマルセラピーに最適なわけないじゃないですか。

彼らこそ、ケアが必要なんですから。






もちのろん、うちの子もダメです。

アニマルセラピーなんてできやしません。

できるのは、まわりの人間に対してだけ。

ことばが通じない中でのやさしい感情のやりとり、

お互いのからだのあたたかな温もり、日常のふれあいが、

わたしたち家族をとても元気にしてくれていますが、

同じように他人にしろといわれても、どだい無理です。






お散歩中、

「わんこさわらせてー」

っていう人がたまにいるでしょ?

あれもね、よくないんです。

本当の意味で動物を知ってる人間は、

決してそんなことしないと思うんだけど。

犬なんて生き物は、そのほとんどが、こわがりです。

たとえニコニコしていても、めがけて走ってきたら、

触ったとたんに「ガブッ」とやるかもしれません。

それを犬が悪いっていうのはあまりにも酷だと思う。

人間同士だっていきなり触るなんてないでしょう?

動物だって相手との信頼関係ができてからじゃないと。

ナウシカだってはじめてあったとき、いきなりテトにかじられました。

一般人なら「きゃあ!」とか「この~!」となるのだろうけど、ナウシカはちがう。

かじられても我慢して、いい子いい子、と言い続けて、信頼を得る。

やがてキツネリスは悪かったなーと感じて、かじったところを舐める。

「怯えていただけなんだよね?」

ナウシカが声をかけ、キツネリスは、

「そうなのね」

とからだを寄せる。

だけどもユパ様も言ってたけども、あんなことができるのは、ナウシカだけです。

現実ではもっと時間をかけて、近づいていく。

でも、それでも通じ会えないことがある。

そのくらいは当たり前。





テレビでは飽きもせず、あんなに動物番組をやっているのに、

どうぶつの基本的なことを、わりとみんな、しらない。

ペギー葉山さんのような人に、

「動物はいきなり触ってはいけません。相手が自分を信用してくれるまで、じっと待ちます」

などなど、まいにちまいにち、教えてもらうようにしないといけないのかな。

今で言うと、ペギーさんの代わりができるのは、マツコ・デラックスさんくらいかしらね。

でもマツコさんはどうぶつ好きなイメージがないから、そうだな。

誰だったら、誰のことばだったら、みんな素直にきくかしら。

デヴィ夫人でないことだけは確かだ。






うちの子はとてもやさしい気質の子で、

それが一緒に暮らす人間にとっては、とても助かっています。

たぶん、目に見えない元気だとか、月並みだけど、癒しだとかを、

たっぷりもらっています。

たまごを産んでくれるわけではないし、

番犬と言ったって、仕事はセコム任せ、それどころか、

たまに(間違って作動させてしまって)きてくれたセコムのお兄さんにばうばうするくらい。

ほんと、何の役にも立つわけではないんだけれども、犬はわたしの暮らしの中心です。

猫もです。もしうちに文鳥がいたら、きっと文鳥もそうだと思います。